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8-80 跳梁14

そろそろ日が昇る時刻になり、『死兵』がテルニラからようやく排除されつつあった時にそれは起こった。


「8割方敵は排除されましたが、味方の損耗も甚大です。朝の鐘が鳴る頃までには何とか全滅させられるでしょうが、こちらも3千ほどが犠牲になり、ほぼ全ての兵が対応に追われております。それに加えて、何者かが策動し一部の兵士と市民どもを逃がしたようです」


「おのれ……!」


テーブルを叩き付け、デミトリーが怒りを露わにした。今部屋に居るのはイスカリオとデミトリーだけで、他の貴族達は対応に追われている。誰も一睡もしておらず、疲労が体の芯に鉛のように澱んでおり、実際に戦闘をしている兵士は更に色濃いであろう。


(不味いぞ、もし聖神教が市民を『死兵』にするつもりで逃がしたのであれば、少なくとも2万は上乗せされる事になる! こちらは増強するにしてもまだ時が必要だと言うのに……)

 

普通、戦争と言っても相手か自分が最後の一兵になるまで滅ぼし合う事など有り得ない。基本的には交渉に始まり、決裂すれば1、2回戦って状況を動かし、また交渉して解決の糸口を探るのだ。最初に揃えた1万5千が1万を割り込むほどの損害を受ければ普通はとっくに白旗を上げている所なのである。全体の3割を超える損害は全滅、敗北を意味している。


しかし、相手が意志の疎通が出来ない魔物モンスターであれば話は別だ。これがまだ低いながらも知能を有するゴブリンやオークならば味方の死体の山に怖じ気づいて逃げ出しもしようが、意志も恐怖も無い魔物では殺し尽くすしか手段がない。


「こんな真似をして来るとは、連合軍はもう聖神教に敗れたのか? ……いや、あちらは交渉で長引かせておいて、先に貴族に釘を差しに来たか?」


「問答無用も度が過ぎます!! 外の軍勢は表向きはまだ聖神教に属しているのですぞ!!」


逃げ道を塞がぬ為にリエンドラと諸侯軍を外に配置していたというのに、交渉の余地無く利用された事に2人は強い憤りを感じていたが、残念ながら2人の認識が甘いと言わざるを得まい。二枚舌を駆使する貴族の権謀術数はあくまで人間相手だからこそ効力を発揮するものであり、殺戮を目的とする相手には何の役にも立たないのである。暴力とは、時に権力や財力を凌駕する鬼札なのだった。


「……ともかく、あの魔物どもをまずは殲滅せねばなるまい。この事実を利用し、諸侯に更なる援軍を出させよう。この街が滅びれば次は自分の領地が危ういとなれば出さざるを得ん。加えて我が領地からも追加の徴兵を――」




ガシャンッ!!!




隣の貴族達が控える間から破砕音が響き、デミトリーは言葉を止めた。続いて貴族達の悲鳴が部屋に響き渡る。


「あ……『天使アンヘル』!?」


「え、衛兵!!! 早くこやつの排除を――グハッ!!」


その声に反応したイスカリオがドアを開くと、そこでは異形の者の触手に刺し貫かれている2人の貴族の姿があった。


「ギイイイイイイッ!!! イダイイダイイダイ!!!」


「あがっ!? た、たしゅけエ゛エ゛エ゛エ゛!?」


別の触手が目や耳や鼻の穴の中から侵入し、彼らを別の生き物に作り変えていく。咄嗟の事に声も出せず、他の者達はその成り行きに足を止めていた。


触手が引き抜かれた時、既に拘束されていた貴族2人は人間では無かった。胸や腹に空けたまま無表情で動き出す貴族にイスカリオが叫ぶ。


「っ、こいつが『死兵』の親玉か!?」


「この部屋を放棄する!!」


それを見たデミトリーの行動は迅速であった。すぐに諸侯もろとも『偽天使』を閉じ込め、ドアを施錠すると、護衛の衛兵を呼び寄せた。


「中の者達はもう助からん、壁越しの魔法の連打で押し切れ!!」


「で、デミトリー殿!? 開けて下され、デミトリー殿!!!」


「お、おのれノルツァー、我らを見捨てる気か!?」


「開けろ!! ここを開けぬか!!!」


「向こう側のドアの前には魔物が居るのです!!! 後生ですから開けて下さい!!!」


ドンドンとドアが激しく殴打されたが、いざという時の為にこの部屋のドアには中に鉄板が仕込まれており、人間の力で打ち破れる事は叶わなかった。


デミトリーの周囲を守る兵士達は数万の兵士達の頂点に立つ実力者で、その部下達も選りすぐりの強者揃いだ。この親衛隊の一隊で十倍の敵を撃破出来るとデミトリーが太鼓判を押す最精鋭である。


即座に半数が部屋を迂回して施錠されていないドアに向かって走り、残った親衛隊は壁越しに魔法を行使した。


視認出来ないので当てずっぽうで放たれた風の刃や石の槍が室内の者達を残らず殺し尽くさんと荒れ狂う。当然、本命の『偽天使』や『死兵』よりも貴族やその護衛に当たる方が多く、飽和攻撃に晒された内部から断末魔の叫びが上がったが、親衛隊は休まず順に魔法を行使し続けた。


聞こえていた悲鳴が絶え、それでも何度か更なる魔法を叩き込み、完全に室内から音が絶えたのを見計らって親衛隊がドアを開錠し、確認する為に少しだけ開いた。


「うっ……」


内部は予想通りの荒れ具合であった。切り刻まれ、貫かれ、引き千切られた人体の一部が部屋に撒き散らされ、破壊されたテーブルや椅子の残骸と同じ様に転がっていた。拾って組み上げればさぞかし悪趣味な家具が出来上がるだろうと、兵士は精神の均衡を保つ為に冗談で紛らわせた。


「本当はデミトリー様のお屋敷でなければ火を放ちたい所だが……どうだ?」


背後から尋ねて来る親衛隊長に兵士は首を振った。


「はっ……見える範囲に動いている者はおりませんが……バラバラ過ぎて正確な数が把握出来ません」


「仕方無い、重装兵は中に入って敵の親玉の死体を確認しろ。デミトリー様、イスカリオ様、安全が確保されるまでお下がり下さい」


「うむ、モーンド、ここは任せるぞ」


親衛隊長モーンドの指揮の下、全身鎧に身を固めた親衛隊が部屋の内部に入っていった。だが、流石に『死兵』といえどここまで破壊されてはひとたまりも無く、生きて動いている者は発見出来なかった。


「雑魚はどうでもいい、それよりも親玉はどこだ?」


「破片の下敷きになっているのかもしれません。ちょっとどけてみましょう」


「慎重にな」


槍を逆さまにして堆積している瓦礫をひっくり返した兵士がソレを見つけたのはすぐの事だった。


「ん? なんだこの石の塊は……?」


テーブルの破片の下から現れたのはかなり大きな石塊であった。ちょうど、大人の男性がすっぽりと納まるような石塊に一筋のヒビが入って……と、そこまで思考を進めたモーンドが叫ぶ。


「っ、伏せろ!!!」


言いながら真っ先に重装兵の陰に身を投げたモーンドの視線の先で石塊のヒビが一気に全体に広がり、モーンドが地面に伏した瞬間に石塊は破裂し石礫を全方位に炸裂させた。




ガガガガガガガガガガガンッ!!!!!





重装兵の鎧を叩く音と部屋を石礫が叩く音が騒音を撒き散らし、ついでとばかりに反応が遅れた兵士を打ちのめした。


「ぐあっ!?」


「ぐっ!!」


何人かの兵士は直撃を受けて戦闘不能に陥ったが、虎の子の親衛隊と豪語するだけの事はあり、また重装兵を前に出していたので死者は出なかった。


「チッ、性格の悪い魔法を使う奴だな!!」


立ち上がったモーンドが素早く剣を引き抜いて構える先には黒い『偽天使』のシルエットがあった。『偽天使』は自らの体を石の幕で覆い、魔法から身を守っていたようである。


しかし、無詠唱魔法の技能を失っている『偽天使』も無傷では無く、片手がもぎ取られ、ボタボタと体液を垂らしていた。


「ウウゥ……でみとりぃ……」


「貴様の相手は我ら親衛隊だ、デミトリー様の下には行かせん!!! 重装兵は防御と牽制、軽装兵はその合間から攻撃!!! 攻撃が効かない訳では無い、押し包め!!!」


「「「はっ!」」」


その号令を合図に、親衛隊と『偽天使』の死闘が始まった。

『偽天使』に複雑な思考が出来る知能はありません。精神が分裂気味で完璧に統合されてはいないからです。

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