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8-77 跳梁11

しかし、何も起きなかった。


何故か的を外した矢は悠の背後に抜け、遠くで乾いた音を立てて転がっていったのである。


「……あれ?」


「……救いがたいほど雑魚だな。まさかそれだけの数の矢を放って一発も俺を捉えられんとは。なり立ての新兵でももう少しマシな技量を持っているのではないか?」


心底呆れ果てたと言わんばかりの悠の態度に兵士達は怒り狂った。


「こ、こ、この野郎!! もっとだ、もっと撃てっ!!!」


「くったばりやがれ!!!」


「クソッタレーーーッ!!!」


あっさりと熱くなり、弓兵達はありったけの矢を次々と悠に向かって放ち始めた。だが、いくら射てもその矢が悠の体を捉える事は無く、動いているとも思えない悠の体をすり抜け周囲にゴミのように転がり続けるだけであった。


実の所、兵士達の放った矢は殆ど的を外してはいない。外れてすり抜けたように見えるのは悠が凄まじい速度で回避しているからである。しかし、夜の闇も手伝って兵士達に悠の動きは全く見えていなかった。


いくら射ても当たらないので、兵士達の内の何人かは魔法を使っているのでは無いかと勘繰り、あえて悠の周囲を撃ってみる者まで出始める始末である。こうなると悠はもう回避する必要すら無かった。


「百人の兵がたった一人に足止めか。俺が英雄気取りなら、さしずめ貴様らは兵士気取りだな。なまじ大人である分、子供のごっこ遊びと違って痛々しくて見ておれんわ。いい歳をして恥ずかしくないのか?」


悠の挑発に兵士達は完全にキレた。せっかく気分よく住人を蹂躙するはずだったのに、目の前に現れたこの男のせいで全てが台無しにされてしまったように思えた。


「矢が当たらねぇなら直接殺しゃいいんだよ!!!」


「目ン玉繰り抜いてやるぜ!!!」


「すぐに殺すなよ!!! 生まれて来た事を後悔させてやる!!!」


弓を捨て、兵士達は槍や剣を手に悠に向かって突撃を敢行した。悠は足下に散らばった矢を幾つか拾い、レイラに言った。


「レイラ、『豊穣ハーヴェスト』を切っておけ。こいつらはただの快楽殺人者だ、生かしておく必要は無い」


《了解、逃がさないでね》


レイラが『豊穣』をカットすると同時に悠は手にした矢を纏めて掴んで投擲した。


「ギャア!!!」


「アギッ!?」


先頭の方を走っていた兵士の顔にその矢が突き刺さり、貫いて後頭部から先端が飛び出した。言うまでも無く即死であり、矢の先には灰褐色の脳の欠片が湯気を立てた。


数人を屠った悠は腰の後ろに手を回し、差し込んでいたナイフを装備した。今は潜入の為に小手ガントレットは無いので、当座の武器として持ち込んだ物だ。


そのまま悠は突撃速度の鈍った兵士達の群れに自分から突撃して行った。急に近付かれて驚いた兵士達は慌てて槍や剣を突き出したが、その時には悠の体は兵士達の頭上をすり抜けていた。


「遅過ぎる」


悠のナイフが一瞬だけ月光を反射して煌き、着地と同時に5、6人の兵士がパタリと地面に崩れ落ちる。


《あら、このナイフじゃもうダメね。星幽体アストラルを傷付ける効果はあるけど、即死効果が無くなっちゃった》


「他の特殊な効果は別の道具で発生させていたのかもな。恐らく聖神教の大聖堂のどこかにあったのだろうが、纏めて破壊してしまったのだろう。『転移』が使えるようになれば楽になるかと思ったが……これもハリハリに調べて貰うか」


悠が使用したのはステファーから手に入れた『流魂のナイフ』である。迂闊に人を斬って確かめる事も出来ないので、これ幸いにと試したのだ。


今はただのナイフに成り下がっている事を確認した悠は代わりに別のナイフに持ち替えた。


「さて、あと90人くらいか。竜気プラーナを温存しつつ狩るぞ」


《了解、索敵は任せて》


そこからは一方的な殺戮が始まった。悠のナイフが閃く度に兵士の命が刈り取られ、屍をテルニラの街に晒していった。


悠のナイフは当然ながら龍鉄製であり、防御動作はただの的でしか無かった。剣で受ければ剣が飛び、鎧で受ければその下の人体のパーツごと切断されて絶叫を撒き散らした。


「イギャアアアアアッ!!!」


「ヒッ、イヒィイイイイッ!!!」


「め、目が!!! 俺の目があああアアアッ!!!」


最初の兵士以外、悠は即死する場所に刃を当てなかった。致命傷ではあるが、あえて太い血管を傷付け失血死を狙ってナイフを振り続けた。


両肺にナイフで穴を空けられた兵士が呼吸が出来ずに地面の上で悶絶する。彼は子供を殺すのが楽しくて仕方がないと公言していた男である。総じて弱い者をいたぶるのが好きな者は自分の苦痛に耐性が無く、息を吸おうとする度に胸の傷口からゴポゴポと血泡が立ち、兵士の目から涙が流れた。


あまりの苦痛に自死を選ぼうとした兵士の両手を移動ついでに踏み潰した悠が酷薄に告げた。


「駄目だ、貴様らは苦しんで死ね。死ぬまでの短い間にこれまで無意味に苦しませて来た者達の絶望を骨身に刻んで死んで行け」


肺が破れて悲鳴すら上げられない兵士の口から血が吐き出され、地面を赤黒く汚していった。絶妙に手加減された傷は彼が死ぬまでの間に十二分に絶望を与えるだろう。


強姦を繰り返していた男は股間に蹴りを叩き込み、男性機能を壊滅させた。そのついでに出血の大人しい大腿部の静脈を切断し、死の砂時計をその身に刻む。


老人をゴミ呼ばわりした兵士は両手両足の骨を砕き、芋虫のように這い蹲らせて背中から肝臓に刃を突き入れた。ピュルピュルと血が体から漏れ出ても、体を動かせない兵士は止血も出来ずに泣き喚いた。


一人当たり1、2秒で悠は兵士達を壊していった。昼間であれば凄惨な光景に兵士達は即座に逃亡を選択したのだろうが、夜間の戦闘は視認が難しく、また乱戦の中を縦横無尽に駆け抜ける悠の動きがあまりに人間離れしていた為、兵士達は逃げる機会を逸した。


3分。たった3分で百人居た兵士は壊滅し、残された数名の兵士は周囲の惨状に心をへし折られて地面にへたり込んでいた。ガチガチと歯を鳴らし、泣きながら股間を濡らす彼らは今まで殺して来た被害者よりもずっと惨めで救われなかった。


「ヒィイイイイッ!!!」


その中の兵士の一人が四つん這いで悠に背を向けて逃げ出そうとしたが、悠は拾った槍を兵士の尻に投擲し、狙い通り槍は兵士を直撃、そのまま穂先は腸を抉り飛び出した先端が地面に縫い付けられた。


「誰も逃がさん。犯して来た罪の重さを思い知れ」


逃亡の意志が挫かれても悠に一切の容赦は無かった。止血の利かない静脈を瞬時に切り裂き、泣き喚く兵士の声をBGMとし、最後に残された隊長に歩み寄る。


「あぁ……い、命だけは、お、おた、お助けを……!」


この数分で数十歳は老け込んだように見える隊長はなんとか悠を翻意させようと必死の命乞いを行ったが、悠の目に慈悲が浮かぶ事は無かった。代わりに出てくるのは氷よりなお冷たい問いだ。


「何故そんな無駄な事をする? これまでお前はそうして命乞いをする者達を一人でも救った事があったのか? 答えてみろ」


「あ、あ、あります!」


《嘘吐きは拷問刑》


悠の手が閃き、ナイフが隊長の手の平を貫通して縫い止めた。


「ギイイッッッ!?」


痛みが脳を貫き、隊長は悲鳴を漏らした。


「お前は一番長く生かしておく。お前の苦しみが、醜態が、そして救われぬ死に様が咎人の報いなのだと他の人間にしっかりと伝わるようにな」


悠の手が隊長の腹に当てられ、一瞬だけ爆発的な力を流し込んだ。


「ゲフッ!?」


その衝撃で隊長の口から吐瀉物が撒き散らされた。腹の中身を焼かれるようなどうにも出来ぬ不快感がずっしりと隊長の腹の中に残っていた。


「あぐっ……お、俺に、何をしたんだ!?」


「貴様に内臓機能の事を話しても理解出来まい。簡単に言えば呪いを掛けた。どうなるかは自分の体で確かめるのだな」


悠が行ったのは腎臓機能の破壊である。腎臓は免疫を司り、体の解毒を担う重要な器官で、これが機能不全に陥ると人間は徐々に命を蝕まれていく。あらゆる身体的不調が顕在化し、苦しみ衰えて死んでいく様はまさに呪いと言うに相応しい。何も知らぬ者達が見れば悠の言葉が真実だと思うだろう。


まだ殆どの者が生きていたが、悠は踵を返した。彼らの死に様はテルニラの兵士の士気を著しく下げるはずだ。


全ての兵士に致命傷を与えた悠が脱出口を視界に収める位置まで来た時、それに気付いたトロイアが大きく手を振った。


「おーい、ユウさーん! 後は俺達だけ――」




「伏せろトロイア!!」




トロイアは気付いていなかった。脇の屋根の上からトロイアを弓で狙う者が居る事に。


悠は足元から石を拾って思い切り投げつけたが、その石が弓兵を貫くより早く矢は放たれていた。


トロイアに戦闘の嗜みは全く無く、指呼の距離で放たれた矢がトロイアを貫くのは確定した未来であった。




……ネネがトロイアを庇って立ち塞がらなければ。




「んっ!?」


まるでよく出来た悲劇のように、矢はネネの胸を刺し貫き――ネネはゆっくりと崩れ落ちた。

悠を待っていたトロイアの善良さが裏目に出てしまいました。

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