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8-75 跳梁9

閑話的なので本日もう一話。恋愛風味です。

「しかし、ネネは詰め所の隊長にやたらと信頼されていたようだが……」


「ケルマン隊長にはよくご相談に乗ったり助言を差し上げた事もございましたので。部下の仲裁や夫婦間の問題など、公私に渡って交流しております」


「……気のせいかな、15の少女に相談する内容じゃ無い気がするんだが……?」


「気のせいです」


にべもなく切り捨てられ、トロイアは口を噤んだ。むしろ一度も結婚した事の無いネネが一体どういうアドバイスをトロイアと同年代のケルマンにしたのだろうかと考えると一緒に拝聴したいくらいであったが、今はそんな場合でも無い。


「ともかく、彼らが手伝ってくれて助かったよ」


「ですが諸刃の剣でもあります。知る者が増えればノルツァー公の耳にも入り易くなりますし、時間との勝負です。事前に知っていれば根回しも出来たのですが……」


これだけ上手く立ち回ってもネネにはまだ不満らしい。ネネの好みは熟考し、完璧な計画を整えての実行なので、即興の策は好みには合わないのだ。


「いくら水も漏らさぬ策を練っても実行段階で不確定要素があれば修正せざるを得なくなるものだ。完全無欠などありえんよ」


「それは理解しています。ですからこうしていつか役に立つかと仕込んでおいた札を片っ端から切っているのですから」


「ネネはこんな事態を予測していたのか?」


驚くトロイアに、ネネは当然のように答えた。


「遠からず他国の侵攻がある事は予測していました。その際、実際に守って下さるのは兵士の方々ですし、懇意にしておいて損はありません。この国の兵力で連合軍に敵し得ない事など自明の理、陥落したらサッサと連合軍に恭順し財産を差し出してトロイア様の安全を確保するというのが私の考えでした。我が家は有力な商会に疎んじられていますし、ノルツァー家に睨まれても別に構いません。実行部隊の兵士の方々さえ押さえておけば迂闊に手出しも出来ないでしょうから。それまでトロイア商会を潰さないようにする事に主に頭を使いましたが」


「……俺は一言もそんな話は聞いていないが?」


「トロイア様はトロイア様であって下さればそれでよいのです。雑事は私の役目ですので」


ネネがトロイアを守ると言っているのは口先だけの忠誠心の話では無く、現実の行動を伴ったものである。自身の経験から世の無常を知るネネは自分に出来る範囲でトロイアを助ける策を練り続けていたのだった。


トロイアはネネの覚悟と聡明さに急に自分自身が恥ずかしくなってきた。ネネの身の安全を気に掛けてはいても、トロイア自身はネネの拒絶に甘えて深く考えていなかったからだ。それは大人の男としてあまりに情け無く思えた。


だが、同時に疑問も湧いてくる。何故ネネはここまで自分に尽くしてくれるのだろうか? 拾われた恩はあるのかもしれないが、その恩はネネが自分自身の努力で返し終わったものだ。危ない橋を渡ってまでこれ以上忠節を示す理由がトロイアには分からなかった。口では毒を吐いても、ネネは究極的にはトロイアに逆らったりはしないのだ。


「ネネ、一度聞いてみたいと思っていたのだが、どうしてそこまで俺を助けようとするんだ? ウチに長年勤めていた者達すら殆ど居なくなってしまったのに……」


つい、そんな疑問がトロイアの口から零れ、それを聞いたネネはトロイアから顔を逸らした。


「愚問ですね。……今から5年前の事を覚えておいでですか?」


「5年前の事? …………いや、覚えていないが?」


別に特別に何かあったとも思えず、首を捻るトロイアにネネは冷たく答えた。


「じゃあ思い出すまで私は答えません。精々お悩み下さい」


「……」


覚えていないから分からないのだが、ネネはこうなったら絶対に答えないと知っているトロイアは何とか思い出そうと頭を悩ませた。だが、そんなトロイアに通りすがりの者から声が掛けられた。


「あら、トロイアさんじゃないの? こんな所に居ないで避難したら?」


「ああ、いえ、兵士に絡まれる方も居るのでここで警戒している所でして……」


どうやらお得意様らしく談笑するトロイアから離れ、ネネは悠の側に控えた。


「……トロイア様は無自覚な人ですので自分がして来た事など覚えていないだろうとは思っていました……」


ネネがどういうつもりで心情を吐露しているのかは計り知れないが、その姿は年相応の少女のように見えた。行きずりの人間で口も固そうな悠になら話してもいいと思ったのかもしれない。


悠が少し首を動かし視線をネネに向けると、ネネは独り言のように続けた。


「先代は商人としてはトロイア様と比べ物にならないくらい優秀な方でした。そんな方が大して役にも立たない小娘を必要とする人間に売り払おうと考えるのはごく自然な話です。私は客観的に見てそこそこ容姿も整っていますし、トロイア様に仕込まれて教養も身につけましたから、貴族の家の下女として払い下げるには手頃だったんでしょうね」


ネネは偶然通り掛かって先代がトロイアにそう話しているのを聞いてしまったのだ。だが、それはいつかは必ず訪れる話で、ネネは諦観とともに受け入れざるを得なかった。たとえ、それが女癖が悪い事で有名な貴族であったとしても、だ。


しかし、普段は波風を立てないトロイアがその時ばかりは凄まじい剣幕で父親に食ってかかったのだ。


「冗談じゃないッ!!! 俺はあんな少女趣味の下衆に仕えさせる為にネネを教育したワケじゃないぞ!!! たとえ借金のカタにウチに来た娘だとしても不幸になると分かっている場所にネネをやれるか!!! ネネの借金が理由だと言うのなら俺が買い取るからな!!! 金にさえなればオヤジは文句無いんだろう!?」


机に有り金全てを叩き付けて怒りを露わにするトロイアと父親はその後取っ組み合いの殴り合いにまで発展したが、ネネの処遇は結局据え置きとなった。


翌日、顔を腫らして現れたトロイアは何もネネに言う事は無かったが、ネネのトロイアを見る目は昨日までとは違っていた。


「……私はあの時、トロイア様に買われたのだと思っています。そうでなくてはこの歳までお側に侍る事は叶わなかったでしょう。私はトロイア様に幸せになって欲しいのです。それが、私の幸せですから」


語り終えても悠が口を開く事は無かったが、ネネも返答を求めて語った訳では無く、小さく頭を下げた。


「お耳汚しでした、お忘れ下さい」


ネネは悠の側からトロイアの下へ一歩踏み出したが、その背に悠が声を掛けた。


「好いているのなら言葉にした方がいい。ことさら毒混じりの言葉を吐くのは苛立ちか照れか自己防衛かは知らんが、トロイア殿は女心には疎いぞ。……俺も人の事を言えた義理では無いがな」


「……この口調は自前です。それに、トロイア様の性格からして、私がそんな事を言えば困らせてしまいます」


「困らせてやればいい。その程度は男の甲斐性だ。困るという事は真剣に考えている事の裏返しでもある。ネネがトロイア殿の幸せを願うように、トロイア殿もネネの幸せを願っているならちゃんと答えを出すはずだ。……むしろ、恐れているのはネネの方なのではないか?」


「……」


今度はネネが沈黙で答える側であった。


悠の指摘がネネには痛かった。トロイアに本気で言えばきっと誠実なトロイアの事だ、何かしらの答えを出す事はネネも疑ってはいない。しかし、その出て来る答えが怖いのだ。受け入れられればいいが、もし拒絶されたらと考えただけで足が竦むのだ。女の沽券などと勇ましい事を口にはしても、ネネはまだ15の少女なのである。愛する人間に拒絶されて平気な顔で側に仕えられるほど強い訳では無いのだった。ネネの毒舌は弱い自分を見せたくないというトロイアへの意地なのかもしれない。


固まるネネに一歩踏み出し、悠がその背を優しく叩いた。


「恐ろしさを踏み越えろ。立ち止まっていても見える景色は変わらんぞ?」


「……でも、今見えている美しい景色を失うかもしれません。私は口は悪いし、まだ成人したばかりだし……」


《ウジウジしないの!!》


「キャッ!?」


突然上がった女性の声に驚き、ネネは軽くその場で跳ねた。


「レイラ、声が大きい」


《ごめん、でも同じ女として言わせて貰うわ。口が悪いとか歳が離れてるなんて事はどうでもいいの! 要は向こうが受け入れるかどうかって事よ! 口の悪さなんて気にしない人は気にしないし、歳が理由なら5年後10年後ならいいのかって言ってやんなさい! いい、女は度胸よ!》


小声で怒鳴るという器用な真似で捲くし立てるレイラにネネは目を白黒させたが、悠が簡単に説明した。


「今のは俺が持っている意志ある魔道具のレイラの言葉だ。人間では無いが、間違った事は言っていないと思うぞ」


「は、はぁ……変わった物をお持ちで……」


一応納得したネネはレイラの言葉を思い出し、心に刻んだ。


「……そうですね、レイラさんの言う通りです。少し、気が楽になりました」


《どういたしまして。お互い、鈍い男には苦労するわね》


「フフ……私、あなた達に会えて良かったです。ありがとう御座いました」


初めて心からの笑顔を見せたネネはくるりと踵を返すとトロイアの下へと戻っていった。

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