8-70 跳梁4
イスカリオが軍を率いて城門付近に到達した時には『死兵』達は相当数が街の中に侵入を果たしていた。
「おぞましい化け物どもめ……怯むな!! 奴らは魔物のゾンビとほぼ似た性質を持っているようだ、多少斬っても突いても死にはせんが、動きは鈍く魔法も使えん。距離を保って攻撃を開始しろ!!」
「「「ははっ!」」」
ゆらゆらと蠢く『死兵』に対し弓や魔法を構える兵士達であったが、徐々に明るくなった街並みを見て攻撃を加えんとした手を硬直させた。何故なら、『死兵』に混じって逃げ惑う市民の姿が見受けられたからだ。
「い、イスカリオ様! 敵の中にテルニラの市民が混じっております!! 救出しなければ――」
「必要無い、早く攻撃しろ」
兵士の進言は冷たい即答で切り捨てられた。
「は? し、しかし、市民の中には兵士達の家族も……」
「聞こえなかったのか? 私は攻撃を開始しろと言ったのだ。……もういい、何が大事かも判断出来ん無能は下がれ。貴族諸君!! 卿らの武勇を示せ!!!」
兵士が止める間も無く貴族達の私兵は一般市民の混じる『死兵』に向けて攻撃を開始した。彼らにとってテルニラの市民など考慮に値する存在では無かったのだ。
「ギャア!!」
「な、何で私達まで!?」
「や、やめろよ!! ぐあっ!?」
兵士達が放つ矢や魔法に当たり、『死兵』と市民達は貫かれ、焼かれ、切り刻まれて屍を地面に晒していった。それでも『死兵』は完全には死なず、欠損した体のまま蠢き続けていた。
「今だ、防壁を築け!!」
敵兵の動きが鈍った所でイスカリオが更なる命令を下し、兵士達が周囲の家を打ち壊し、それを材料に人力と魔法を駆使し、バリケードを築いていく。
効率だけで語るならばイスカリオの手腕は大したもので、街の入り口付近を切り捨て敵の侵入を防ぐという目的だけを考えればこれ以上は無いほど鮮やかであった。
「手を休めるな、更に防壁を強化し寄ってくる敵兵を退けろ。材料は近くの家を使え。住民は邪魔だ、追い出してしまえ」
だが、イスカリオには人に対する温かみが欠けていた。イスカリオも反乱を招く様な真似は普段であればしないが、非常時には市民は領主の為に命を投げ出すべきだと信じていたので、イスカリオやデミトリーにとってこのやり方は当然であったが、見捨てられ、家を追われた市民やその家族である兵士は心中に深い怒りを宿していた。そしてその感情は容赦なく市民を殺戮した他の貴族達にも向けられた。
「自分達が助かるためなら俺達なんか死んでも構わないのかよ……!」
「おい、口に出すな、殺されるぞ!」
「何だよこれは……聖神教の奴らと変わらないじゃないか……」
そんな兵士や市民の怒りにも気付かず、イスカリオは満足そうに防壁を眺めた。
「……よし、放棄した市街区に火を放て、炎の壁で侵入を防ぐのだ。防壁は燃え移らないように土を被せておけよ。もし抜けて来て防壁に近付く者が居れば叩き落とすか切り刻め」
数時間で『死兵』を退けたイスカリオはその場を他の貴族に任せ、一旦屋敷へと引き返していった。
「首尾はどうだ、イスカリオ?」
「上々です、父上。少々しぶといですが、夕刻には大体処理出来るでしょう」
デミトリーの問い掛けにイスカリオは自信を持って答えた。多少の被害はあったが、2種の壁による防壁は『死兵』を死滅させるであろう事にイスカリオは自信を持っていた。所詮は知能を持たぬ魔物であり、飛んで火にいる夏の虫とばかりに焼き尽くされるだろう。
だが、イスカリオが『死兵』をただの魔物と同一視し過ぎていたのだと知るのはまさにその夕刻の事であった。
連合軍の所に逃げ込んで来た兵士はリエンドラの軍に属していた兵士であった。道中で徐々に落ち着きを取り戻した兵士は保身ゆえか、訊かれた事には素直に答えた。
「……つまり、お前さんのお仲間はその顔面触手野郎に何かされておかしくなっちまったんだな?」
「は、はい。俺は小便がしたくなってテントから出てたんですが、戻ったら入り口の近くで突っ立ってる奴が居たんで声を掛けたら、そいつ……顔じゅうからニョロニョロって黒い触手が生えてて……それが寝てる奴らの中に潜り込んでたんです。俺はビビって外に出たんですが、その時には周りの奴ら、皆おかしくなってて……」
その時の事を思い出し、兵士はまた震え始めた。
「ふーん……どう思う、ユウ?」
「今の話には思い当たる節がある。バロー、『偽天使』が逃げたのは確かこっちの方面だったな?」
「ああ、確かにこっちの方角だったが……『偽天使』がやったって疑ってるのか?」
「疑っていると言うよりは確信している。その話に出て来る黒い触手は『大天使』の物に酷似しているからな。まず間違いはあるまい」
悠は今の話から自分なりの推論を立てた。
『偽天使』は単体では精々Ⅲ(サード)程度の力しか無かったが、増殖能力を持っていたのかもしれないと考えればこの事態にも一応の説明が付くからだ。闇夜に乗じて兵士を傀儡と化し、より多くの人間を取り込もうとテルニラを襲ったのかもしれない。
「1万の軍勢が取り込まれたとなると、こちらも軍で当たるのは被害を拡大させかねんな。しかも今は夕暮れ時、すぐに日も落ちる。闇夜に乗じての跳梁を許せば、連合軍も瓦解するぞ」
「ならば見捨てては如何か?」
マーヴィンの非情な意見は別に根拠が無い訳では無い。そもそも今争っているのはどちらも敵であり、その消耗は連合軍を利するものである。敵の敵は味方では無いが、どちらにも被害があるのであればその結果だけは変わらないのである。
しかし、悠は首を振った。
「自分の利を考えてノルツァーについた貴族や兵士が死ぬのは構わんが、それに巻き込まれた市民が憐れだ。せめて彼らだけでも救出に向かおう」
「彼らを救う為に連合軍が被害を出しては本末転倒かと考えますが?」
「先ほど言った通り、今連合軍をテルニラ近辺まで連れて行けば敵に利する可能性が高い。少数精鋭で乗り込み、城壁に穴を空けて市民を退避させる。その後なら街が蹂躙されようと構わんだろう」
「出来ればあまり益の無い行動は慎んで頂きたいと思いますが……いえ、私もそうやって救われた身、これ以上は申しますまい」
悠の手を煩わせる事を忌避してのマーヴィンの冷たい発言であったが、その悠によって救われたのはマーヴィンも同じである。悠が望むならば、マーヴィンには強硬に反対する事は出来なかった。
「じゃあ、誰を連れて行くんだ?」
バローの言葉に悠が自分の考えを述べる。
「闇夜での夜戦になる、夜目の利く者が良かろう。それに城壁を破る事を考えれば俺とギルザード、サイサリス、ヒストリア辺りか」
「おいおい、俺を見縊って貰っちゃ困るぜ? 今回のメンバーで連れて行けねぇのはアグニエルとベルトルーゼくらいのもんだ。俺やシュルツは闇夜でも鍛練を積んでるし、足手纏いにゃならねぇぞ?」
「ふむ……一見理屈が通っているが、正直な意見を言ってみろ」
「面倒事を人に押し付けてコソコソ甘い汁を吸おうと狙ってる貴族どもが気に食わねえ」
ニカッと笑って言い切るバローにマーヴィンが溜息を漏らしたが、バローはなんら恥じる事など無いとばかりに胸を張った。
「言っても聞いて貰えそうにありませんな……ならば内部で呼応する者を仲間に引き込むべきです。突然妙な戦闘に巻き込まれて逃げたいと考える者が必ず居るはずですし、街に被害が出ているならその近辺の住人は特に複雑な感情を抱えていると思われます。集団心理、危機的状況を訴えれば説得が容易になるかと」
「なるほどな……分かった、参考にさせて貰うぜ」
諦めて策を提示するマーヴィンに頷き返し、早速悠達はテルニラ潜入の準備を進めたのだった。
デミトリーやイスカリオは馬鹿ではありませんが、極限状態で市民はその身を挺して協力するのは当然と考えています。街を守る為という観点だけで見ればイスカリオは何も間違っていないのですが、人を人では無く数で測っているのが根本的に間違っており、もっと誠意を持って対応すれば市民や兵士の感情も違ったものになっていたでしょう。




