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8-66 再会

殺伐としている話よりむしろこれがメインだと個人的には思います。

夕食を終えたパトリシアとバーナードを応接室に招き、悠は戦争や政争とは無縁だが、2人にとって或いはそれらを上回るであろう重要度の話を切り出した。


「聖神教を倒し、尚且つ生きていたらお話しする約定でしたな」


「……ビリーウェルズとミリーアンの事ね? 何故『異邦人マレビト』であるあなたがあの子達の事を知っていたの?」


「これに見覚えは?」


答えを急かすパトリシアに、悠は懐から丁寧に折り畳まれたハンカチを2枚取り出してパトリシアに見せた。


「そ、それは……!」


悠の手から引ったくる様にしてパトリシアはハンカチを広げ、その隅にある刺繍を見て指を這わせると、大粒の涙を零した。


「私の刺繍……本物だわ……」


色褪せたハンカチに当時を思い出し、胸に抱いて嗚咽を漏らすパトリシアに代わり、陰を落とした表情でバーナードが尋ねた。


「……これをどこで手に入れた?」


「自分の物では無いのでどこでと言われても答えられません。……2人とも、入れ」


悠の言葉で入室して来たのは、ドアの外で待っていたビリーとミリーであった。ビリーは少し困ったように頬を掻き、ミリーは僅かに俯いて視線を逸らせていた。


「あー……っと……ゆ、ユウのアニキ、こういう時って何て言えばいいんですかね? やっぱり普通に王様と王妃様にご挨拶したらいいんでしょうか? それともこう、気さくに?」


「俺が口出しするような事ではあるまい。ビリー、お前が決めろ」


「弱ったなぁ……えーっと……Ⅶ(セブンス)の冒険者のビリーとミリーです。お初に……じゃないか、お久しぶり? になるのかな? えぇと、父さんと母さん? ……ダメだ、何て言っていいのか分かりませんよ、アニキ」


しどろもどろなビリーの挨拶であったが、ビリーとミリーの顔が目に入った瞬間からパトリシアとバーナードの耳の機能は停止してしまっていた。ビリーとミリーの容姿は両親の面影を色濃く残しており、どんな言葉よりも雄弁に2人が誰なのかを語っていたからだ。


「あ……あぁ……」


涙を流す事も忘れて2人に釘付けになっていたパトリシアがよろめきながらも前に出て、表情の選択に苦慮するビリーの頬に手を伸ばした。


「ビリーウェルズ、ミリーアン……あなた達、生きて……すっかり、立派に……っ!」


「……すいません、俺は殆ど覚えて無いんですけど……なんか、この手の温かさは懐かしい気がします。やっぱりあなたは俺の母さんなんですね……ハハ、ミリーそっくりだ」


はにかんでパトリシアに手を重ねるビリーに幼い頃の面影が重なったパトリシアはそれ以上言葉にならず、ビリーの胸に顔を埋めて大声で泣き続け、ビリーは困りながらもパトリシアを抱き寄せて慰めた。


一方、バーナードも自失から立ち直るとミリーの前に立ち、口を開いた。


「……済まぬ、顔を、よく見せてくれぬか?」


「……」


恐る恐る口に出したバーナードの言葉にビクリと体を強ばらせたミリーは助けを求めるように悠に視線を投げたが、悠は無言で小さく顎を引いた。


「あ……」


おずおずと視線を上げたミリーは言葉を超えた直感で目の前のバーナードが自分の父である事を悟っていた。兄であるビリーが泣いている自分を慰める時にも似た困り顔は、今まさにビリーが浮かべている表情と瓜二つだったのだ。


「な、何かな?」


声を上げたミリーにバーナードが狼狽した声で尋ねるが、そんな様子が年頃の娘とどう接していいか計りかねる一般家庭の普通の父親のようで、ミリーは忍び笑いを漏らした。


「ふふっ……立場が逆ですよ、陛下。そんなに畏まらないで下さい」


「う、む……その、な……私も、陛下などという他人行儀な呼称では無くてだな……」


言い辛そうに眦を下げるバーナードに、ミリーはようやく緊張から解き放たれた口調で頷いた。


「はい……お父様。ご無沙汰しておりました。ミリーアンですとは言えませんが、お陰様で五体満足のままここまで生きて来れました」


「そうか……そうか……」


ミリーの髪に触れ、バーナードもまた滂沱と涙を流していた。どれだけ聖神教に貶められても決して涙など流すまいと誓っていたバーナードだったが、そんな覚悟の裏側から込み上げる感動には抗い難い力があった。


「済まぬ……お前達2人には幾千幾万の言葉を重ねても償えぬ罪を私は犯してしまった……国を奪われ、民を路頭に迷わせ、お前達以外の兄弟全てを死なせてしまった……お前達もとうの昔に死んでしまったのだと……私は愚かな王で、頼りない父だ……いや、そう呼ばれる資格すら無い男だ……」


バーナードはこれまでに重ねに重ねた忍耐の堰が切れたかのようにミリーに懺悔の言葉を垂れ流した。誰にも打ち明けられない王の孤独と悲哀を感じ、ミリーは黙って耳を傾けた。


「私のような無能が戦後も王を名乗るのはこの国の為にならぬ。ビリーウェルズ、そしてミリーアンよ。どうか我が国戻り、私の跡を継いでは貰えないだろうか?」


事実上の譲位宣言にビリーとミリーは顔を見合わせ、兄妹揃って悠に視線を送ったが、悠は相変わらず無表情のまま言い放った。


「俺の顔に模範解答が書いてある訳では無いぞ。俺の答えは前と変わらん」


ビリーとミリーは既に成人して久しい身であり、進む道は自分で決めるべきだというスタンスを悠が崩す事は無い。アライアットの王族に戻ってくれれば悠にとって都合がいいのは間違い無いが、自分の都合でビリーやミリーを動かそうとは考えないのがこれまで手伝ってくれた2人に対する悠なりの誠意であった。


「……少し時間を下さい。急に戻れと言われても、俺達にもこれまでに築いて来たものがあります。この場で即答は出来ません」


「帰って来てはくれないの、ビリーウェルズ? ……ユウ、あなたがこの子達を引き留めているのではなくて?」


パトリシアの詰問口調にビリーとミリーが声を上げかけたが、悠はそれを手で制して答えた。


「この件に関して自分は2人の裁量に任せております。恩や義理を盾に慰留を迫る事も無ければ、利己によって無理に追い出す事もありません。……しかし、一言言わせて頂ければ、親であり王または王妃にある者が責任を放棄し、子に労苦だけを残すのは些か無責任ではないかと考えます。ご自分達の過失を知るのであれば、たとえどれほど批判に晒されようとも自らが背負う荷を途中で人任せにするような真似は慎むべきかと」


丁寧な口調でありながらも一片の容赦の無い悠の弾劾にビリーとミリーの方が青くなり、逆にパトリシアは赤くなったが、バーナードが他の者に先んじて声を発した。


「この上、まだ私に生き恥を晒せと?」


「生きていれば恥などいくらでも掻くもの、その度に王位を譲っていては子が何人居ても足りませんな。陛下が万人に示すべきは過失があろうともそれを認め反省し、なお前に進むお姿でしょう。責任から逃げる背中が我が子に見せる最後の背中とは、それこそが本当の恥なのでは無いですか?」


「……人の痛い所を的確に突いて来るな、お主は。もう少し言葉を飾ろうとは思わんのか?」


「こんな事はごく当たり前の事です。要はそれを言えるか言えぬかだけの違いであり、上手く言い繕う必然性を感じません。痛いと思うのならば、陛下がご自分に瑕疵があるとお認めになっている証拠です」


悠の言葉は全く正論で非の打ちどころが無いが、とても人前で聞かせられる類の物では無い。だが、問われた事に対し心にも無い甘い言葉を吐くような人間では有り得ず、もしバーナードが万人の前で同じ事を尋ねても、同じ返答をしただろう。責任に対し、悠は斟酌しないのだ。


バーナードが小人物であれば怒り狂って悠を憎悪したかもしれないが、悠の言葉が正しいと判断し首肯出来るほどにはバーナードは理性的であった。


「逃げている、か。確かにその通りだ」


バーナードは悠から2人に視線を移し、告げた。


「私達夫婦の希望としては今すぐにでも帰って来て欲しいが、私にはまだやらなければならない事が山積しているようだ。ビリーウェルズ、ミリーアンよ、どうかこれからの私の姿を見て判断して欲しい。そしてもしお前達にその気になれば、戻って来て私の跡を継いでくれぬか?」


「そういう事であれば。……俺もまだユウのアニキに教わりたい事があるんです。だからユウのアニキ……あれ?」


振り向いたビリーの背後に先ほどまで居たはずの悠は忽然と姿を消しており、ミリーが苦笑して答えた。


「堅苦しい話はほどほどにして、今晩くらいは家族として過ごせって言って出て行きました。ここは城でも何でも無いし、俺は客を2人招いただけだって。ふふ、誰も気配を消したユウ兄さんに気付かないから私、笑っちゃいそうでしたよ」


「参ったなぁ……やっぱり俺はまだ全然未熟者だ……」


頭を掻くビリーは緊張を解いて2人をテーブルに誘った。


「父さん、母さん、積もる話もあるでしょうし、一杯やりませんか? 俺もミリーももう酒が飲める歳になったんですよ?」


「そうか……年月の過ぎるのは早いな……私は禁酒していた上、歳のせいで弱くなったかもしれんが、息子と娘と飲めるのなら解禁しても良かろう。なぁ、酒豪のパトリシア?」


「酒豪は余計です! そもそも、私は牢に居る間はまともなお酒が飲めなかったんですからね!! 聖神教の気の利かない事と言ったら……!」


「……お母様、お酒にお強かったのですね?」


「そうとも。そもそも私とパトリシアは見合いの席で初めて顔を合わせたのだが、その晩には酔い潰されて酷い目に遭ったものだ。父上や母上には邪推されるし臣下には無理矢理飲ませたのは私だと白い目で見られるし散々だった。普通、初対面の男と飲んでボトルを4本も淑女が空けるか?」


「あ、あなた!!! それは王家の機密にするとあれほど約束したではありませんか!?」


「ハハハ、家族なのだから機密もクソもあるまい。この手の話はまだまだあるが、それよりもお前達の話を聞きたいな。例えば、ミリーアンはあのユウという男をどう思っているのかなどを特に詳しく……」


20余年の歳月など無かったかのように、4人は夜が明けるまで長い時間を過ごしたのだった。

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