8-65 『天使(アンヘル)』18
悠が全てを語り終えるまでに一時間を要した。途中2度ほど恵が茶を足し、広間に集まった者達は自分の知らない情報を補完していった。
パトリシアはこれまでの経緯から懐疑的な様子だったが、バーナードはあっさりと悠の言葉を信じた。
「なるほどな。奴らの見知らぬ技術の数々はそういう理由からであったか」
「あなた、そんなに簡単に信じては……」
「彼が嘘を言っているとは思えん。そもそも、私達を殺そうと思ったらこれまでに何度でも殺せただろう。国を乗っ取るにしても併合するにしてもその方が手っ取り早いはずだ。パトリシアも彼らが居たからこそ気力を保てたのでは無いか?」
「それは……そうですが……」
ハリハリを睨み付けるパトリシアは理屈より感情が先立って納得がいかないらしい。
「そろそろお許し願えませんかねえ? ワタクシだって不本意ながら緊急性を鑑みてああいう手段を取ったのですよ?」
「嘘、絶対楽しんでたわ。一生許さない」
「アライアットの女性は執念深いですねぇ……」
やれやれと肩を竦めるハリハリにパトリシアの眉が吊り上がったが、この言動の軽さが信用を得られない原因だろう。
「控えよ、パトリシア。王妃であれば個人的な感情で判断すべきでは無いぞ」
「……はい……」
バーナードに諭され、パトリシアが不承不承ながらも頷いたのでバーナードは話を先に進めた。
「これまでの経緯は理解した。だが、人間社会が纏まったと判断するのは早計であろう」
「と、仰ると?」
「ノルツァー家を始めとする貴族どもだ」
厳しい表情で語るバーナードに他の者達も頷いた。
「アルトからの報告によると貴族同士で連帯し、反乱を企てる動きがあるらしい。聖神教から離れたノルツァー家はその旗印となる。手を打つなら連合軍が居る今だな」
今現在、聖神教が打倒された事実を知る者はこの戦場に居る者達だけである。ならばそれを最大限に活用するのが最善手であろう。
「ノルツァーに関しては以前講じておいた策が生きるでしょう。その為には可及的速やかにノルツァー領に行くべきです。連合軍の皆さんには申し訳無いですが、最後にもう一働きして貰いましょう」
「そうだな、アライアット唯一の公爵家が屈服したとなればもう誰も組織立った抵抗は出来ねぇだろ。マーヴィン、兵にその旨を伝えておいてくれ」
「御意に」
一足先に席を立ったマーヴィンは一礼して部屋を辞した。
「ユキヒト殿の策の内では数と大義名分で戦わずに屈服させるのが最上ですが、素直にバンザイするような人物とは思えませんね。一戦交えて壊滅させる事は容易ですが、軍同士のぶつかり合いになれば死傷者が出るのは避けられません。どうします?」
そもそもデミトリーを領地に追いやったのは雪人の策によるもので、それを息子のイスカリオに吹き込んだのは悠であるが、仕上げにどうしても直接デミトリーに会う必要があるのだ。
だがデミトリーは仮にも国軍を率いた人物であり、死に物狂いの抵抗を見せれば悠達はともかく兵士に犠牲が出るのは不可避だろう。
「デミトリーという男、家の存続と自らの保身にしか興味が無いと見た。命懸けの戦闘に出るとは俺には思えんな。雪人もそう判断したからこそこちらに任せたのだろう。むしろバーナード王が居ると知れば向こうから交渉を試みて来ても不思議では無い」
「うむ……父上ならばそうすると私も思う。そもそも父上は聖神教と袂を分かってもアライアットと袂を分かったのでは無いと言い張るだろう。自分が生き残る為ならどの様な詭弁でも平気で用いる方だ」
「屁理屈もいいとこだな。散々王家を蔑ろにしておいて、最後の最後でちょっとだけ聖神教に逆らった事をさも忠義面して主張すんのか? クリスの爪の垢でも飲めってんだバカ野郎」
パトリオが悠の予測を支持し、バローがその厚顔さに気分を害して吐き捨てた。確かに、兵糧の調達を依頼されてそれを果たさなかった事は聖神教に対する敵対行為と言えなくも無い。たとえそれが自らの保身の為であったとしてもだ。
「ならば、軍を背景に少人数で交渉に赴けば保身に敏いデミトリーは了承するだろう。俺とヒストリア、バロー、ベルトルーゼ、バーナード王辺りが適任では無いかと考えるが?」
「ノルツァー家との交渉なのですから、パトリオ殿も同席するといいですよ。今更父上に怖気付きは致しませんよね?」
「と、当然だ!」
意気込むパトリオを見て、シュルツも手を上げた。
「拙者も同道したい。どう考えても剣呑な場所だ、護衛が要るだろう」
「……シュルツ殿はあまり交渉の場には……殺気を振り撒いていては警戒させてしまいますし……」
「……ハリハリ、お前はどうも拙者が人を斬りたくて仕方が無い殺人狂だと思っている節があるな……」
「そ、その評価を覆したいのなら殺気を鎮めてくれませんかねえ!?」
首筋に感じる悪寒にハリハリが降参のポーズを取りながら悲鳴を上げると、悠がシュルツを制した。
「シュルツ、お前は残れ。大将のバローと副将のベルトルーゼ、冒険者隊の俺、護衛のヒストリア以外の者を連れて行けば無用な警戒を被る可能性がある。お前には俺達が居ない本隊に残り、敵軍の警戒に当たって貰いたい。もし俺達が居ない間に本隊を攻められたならお前が先頭に立って敵兵を討ち取れ。容赦は要らん」
「師がそう仰せでしたら。この大地を彼奴らの首で埋め尽くしてご覧に入れます」
悠に手加減無用のお墨付きを貰ったシュルツは食い下がる事も無くあっさりと引き下がった。一見殺しが出来るから引き下がったように見えるし、パトリシアなどはまさにそう考えていたが、シュルツが引き下がったのは悠に使命を与えられたからであり、敵のど真ん中へ赴くのであろうともフォロスゼータほどの危険があるとは思えないからだ。シュルツにはシュルツなりの判断基準があるのである。
それに悠が容赦をするなと言っている意味は、味方を守れという意味である事をシュルツは取り違えはしなかった。
「ワタクシの意見もそのくらい素直に聞き入れてくれると嬉しいのですけれど……」
「お前はいつも一言余計なのだ。そんな事だからパトリシア王妃の信頼を得られないのだと気付くべきだな」
ウンウンと大きく頷くパトリシアを見て、ハリハリはわざとらしく肩を落として黙り込んだ。
「ならば明日からはノルツァー領テルニラに向かって進軍し、この戦争を締める事にしよう。恐らくその間にデミトリーは他の貴族を糾合して準備を整えるだろうが、交渉の場に立つのなら他の者達が居る方がありがたい」
バーナードの言葉で一旦軍議は区切りとなった。
その後振る舞われた食事にバーナードとパトリシアは感動に打ち震える事になり、恵を宮廷料理人として熱心にスカウトする事になるのは予定調和の余談である。
しかし、予定調和とは言えない、悠にも予測出来ない事態が遠くノルツァー領で起きようとしていた。
逃げた『偽天使』達は『大天使』の消滅と時を同じくして完全にその束縛から離れ、自由に動く魔物となった。
『偽天使』の頭の中にあるのは人間への殺戮本能だけだったが、『大天使』によって抑制されていた精神が解放される事で多少なりとも自我を持つに至っていた。
その拙い知能で『偽天使』は思った。このままの体では数の力には勝てないと。もっと強い体、もっと強い力が必要なのだと。
個にして全である『偽天使』の行動に躊躇いは無かった。『偽天使』達は自分達の力を束ね、一個の生命として自己強化する道を選んだのだ。
「ケキャーーーッ!!」
僅かに『大天使』より受け継いだ統合能力で十数体の『偽天使』は互いに牙を突き立てた。同胞を食らい、或いは食らわれ、『偽天使』は最後の一匹にその全ての力を託したのだ。
最後の『偽天使』が同胞の血肉で膨れ上がって行く。60センチほどしか無かった矮躯は最終的には2メートルに近くなり、隆々とした筋肉を搭載するに至った。翼も大きく伸長し、その身を覆い隠せるほどの力感に満ちる。
そして……これは運命だったのだろうか?
『偽天使』の顔が蠢き、最も強い感情を宿す者達の顔を形成していった。
「アアァ…………で、でみとりぃ……!」
恨みの篭った声を発するその顔は、シルヴェスタのようにも、ガルファのようにも見えたのであった。
『偽天使』変貌。さて、戦禍を免れたテルニラの皆さん、are you ready?




