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8-63 『天使(アンヘル)』16

「一体何やってんだ、ユウの奴……」


フォロスゼータの中心から立ち上る光の柱は連合軍からも確認出来る規模であり、悠の戦闘力を知るバローにも初見のレベルであった。力の余波だけで連合軍を釘付けにする『火竜クリムゾン赫怒デストラクション』にハリハリだけが興奮した声を上げた。


「す、凄い魔力マナ……いえ、竜気プラーナです! しかも火属性に即死効果らしきものが付与されてますね。アレではどんな生物もイチコロでしょう。ドラゴンやエルダーウィッチでも消滅は免れませんよ。魔法で再現出来ないものでしょうか……」


「近くで実験すんなよ、領地を焼け野原にされちゃ敵わねえ。……お、戻って来たぜ」


光の柱が収まり、『偽天使イミテーション』の湧出も無くなったフォロスゼータから小さな光点が飛び立ち、連合軍の方に向かって来た。


浮き足立つ兵士達をバローは手で制し、人型を取った光点を迎える。


「よう、終わったか?」


「ああ、あの場で出来る事は終わった」


「それは何よりです。……ところでその美少年はどなたですか? あの場に生き残りが居たとは思えませんが……」


ハリハリが悠の抱きかかえる、布に包まれた人物について尋ねると、悠は若干声を潜めて答えた。


「今は人目があるゆえ後で話す。他の者に聞かれたら逃げ遅れた民間人だったとでも言っておいてくれ」


「まぁ、そりゃ構わねぇが……」


腑に落ちない物を感じながらも、バローは悠の言葉を首肯した。悠が邪悪な人物を丁重に保護するはずが無いと思ったからだ。


悠が『竜騎士』化を解き生身に戻ると兵士達がどよめいた。正体不明の人物から見知った人物に変わり、兵士の緊張も解けていく。


悠はもうこれ以上人間相手に正体を隠す必要も無いと判断したのだ。聞かれたら適当にでっち上げた才能ギフト能力スキルを答えても見抜ける者は居ないし、兵士達もそう判断したからこそ緊張を解いたのである。正体を偽って行動したいのなら、また鬼の面でも被ればいい。


「今日はかなり働かせたからな、兵士達を休ませてやってくれ。それと、首脳陣は後で俺の屋敷に集合してくれるか?」


「ああ、分かったぜ。だが、その前に……」


バローが悠の肩に手を置き、もう一方の手で剣を頭上に高く掲げて叫んだ。




「『天使アンヘル』並びに聖神教教主シルヴェスタは我らが討ち取った!!! この戦争、我らの勝利だ!!!」




大将の勝利宣言が燻っていた兵士達の心中に火を付けた。


「「「うおおおおおおおおおおおおっ!!!!!」」」


兵士達がその場で思い思いに喜びを露わにする。跳び上がる者、隣の者と抱き合う者、得物を掲げて頬を濡らす者と様々だが、皆喜んでいる事には変わりは無かった。


「勝った、勝ったぞ!!!」


「信じらんねえ!!! 戦争やって、殆ど人死にも怪我人も居ねぇんだぜ!?」


「平和だ!!! これから本当に平和な時代が来るんだ!!!」


「ああ、ああ!!! 俺達の時代に平和が……こんなに嬉しい事ぁねえ!!!」


平和。それはアーヴェルカインでは戦争の合間を指す言葉であった。しかし、これからは違うのだ。人間同士が激しく反目する時代は終わり、隣人として生きる時代となるのである。


兵士達の歓喜が収まる前に、悠はそっと踵を返した。悠には金銭欲も名誉欲も無く、事が成れば次の場所へと向かうだけなのだ。


「悠先生、少しくらい偉ぶってもいいと思います。悠先生が一番頑張ったんですから」


隣に駆け付けた蒼凪が少し険のある口調で悠に訴えたが、悠は小さく首を振った。


「皆が皆、己の出来る範囲で力を尽くした結果だ。俺は栄達も名誉も要らんよ。世界が少しだけ良くなり、お前達が無事なのならそれでいい」


「悠先生はそう言うと思っていました。……でも、私はそんなに無欲ではいられませんので、ご褒美を頂きます」


「ん?」


両手が塞がっている悠の肩に手を掛けた蒼凪がひょいと跳び上がり、悠の頬に自分の唇を触れさせた。降りた時にはほんのりと頬が朱に染まっていて、目には悪戯を成功させた子供の笑みがあった。


「本当は今晩お部屋にでとも思いましたが、無理矢理押しかけても悠先生は私を抱いては下さらないでしょうから。今はこれで満足しておきます。ふふふ……」


「……あまり人前ではしたない真似は感心せんぞ。亡くなったご両親に申し訳が立たんだろうが」


「きっと父と母は「よくやった!」と褒めてくれるはずですよ」


胸を張る蒼凪を前にしては、珍しい事に悠の口上も負け惜しみに聞こえてしまい、悠はぽつりと呟いた。


「……か弱いようでいて、やはり女は存外強いものだな……」


《親しい相手だからってユウのガードが甘いのよ。猛省しなさい》


手厳しいレイラに返す言葉も無く、蒼凪と、そして遅れてやって来た恨めしそうな顔で蒼凪を見るシャロンを両脇に侍らせ、悠は屋敷へと戻っていった。


背後では兵士達が大将であるバローを讃える声がいつまでも続いていたのだった。




「……う……」


マッディは見慣れない部屋の中で目を覚ましたが、外からもたらされる情報の量に体が慣れていないとでもいう風に頭に痛みを感じて再び目を閉じた。一瞬開けた目からは後から後から涙が零れ、止まる気配も無い。


「起きたか。自分が何者であるか認識しているか?」


掛けられた声にマッディの背中が音を立てて真っすぐに伸び、声の主を潤む視界で探し回った。


「ユウさ……ゲホッゲホッ!!!」


突然大声を上げようとした喉が自分の意志に反して絡み、マッディはベッドの上で噎せ返った。その背中を暖かい手がゆっくりと撫で、マッディは次第に落ち着きを取り戻して行った。


「ゲホ……も、もう、大丈夫、です」


「無理はするな。今のお前は生まれたばかりに等しい状態なのだ。過度な刺激は体に堪えるぞ。……その様子だと中身はマッディで相違無いな?」


「は、はい……私は、マッディ、です…………しかし……私は、死んだ、はず……」


薄く目を開け、少しずつ区切って話すマッディは大きな混乱に見舞われていた。一度死に、次に目が覚めたら『大天使』となっていて、体を明け渡した途端再び意識が消失し、またこうして意識を取り戻したら見知らぬ場所で寝かされていたのだ。混乱を来すのも無理からぬ事である。


悠はマッディを正面から見据え、説明した。


「簡潔に言えばお前の体を作り直した。少々若くなって顔も変わったが……まぁ、人生をやり直す事に不備はあるまい」


「作……な、何を仰っているの、ですか?」


「小難しい事を言っても今すぐは理解出来んだろう。つまり、新しい体、新しい人生という事だ。呪われた生で無いのなら無理に死ななくても構わんのでは無いか?」


「……」


悠の説明にマッディは言葉も無い。だが、事実としてこうして体が存在し、自分の意志通りに動くのだ。生き返ったという実感が徐々に湧いて来て、マッディは自分の体を抱き締めた。


「はは、ははは……これは、夢じゃない、のか?」


「夢は生者が見る物だ。ならばどうであろうとお前は生きているという事だ」


マッディが感動に打ち震えているのを尻目に、悠は椅子から立ち上がり踵を返した。


「済まんがまだ俺にはやらなくてはならない事が残っているのでな。後で食事を届けさせよう」


「……あ、お、お待ち下さい、ユウ様!! ゲホッ!」


「今は何も言うな。質問はこの後にでも答えてやる。……それと、ユウ様はやめろ。俺はお前を縛る為に助けたのでは無いぞ」


噎せるマッディの反論を待たず、そのまま悠は部屋を後にした。


その頬を伝う涙は既に外界の刺激以外の要因で流れているのだというのは、言うまでも無い事だっただろう。

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