8-58 『天使(アンヘル)』11
ハードにグロテスクです。この話も、この次も。
《え?》
レイラですら意表を突かれる台詞に、悠は納得の色を浮かべていた。
「……そういう事か。何故マッディなのかとずっと考えていたが……」
蠢き、体を引き抜いていく『大天使』は引き抜いた首は90度曲がっていたが、両手で首を掴むと上に持ち上げ、元の位置に調整し直した。それはどこかユーモラスで、だからこそ吐き気がするほど醜悪な光景であった。
「そ、そうだ!! お前は不死身なんだ!! あんなヤツに負けるはずが無い!!!」
「貴様……『天使』と『殺戮人形』を混ぜたな?」
口から唾を飛ばして勝ち誇るシルヴェスタは悠の問いに顔を歪めた。
「ククク……その通りだ。そのマッディという男には元々『殺戮人形』として抜きん出た才能があったのだよ。だからこそ最強の『天使』の素体として回収したのさ!! 不死の『殺戮人形』の力を持ち、更に『天使』の力を行使する『大天使』は誰にも倒せない!!! このマッディという男は誰かに使い潰される運命だったんだよ!!! 生まれついての運命の奴隷ってワケ!!! 笑っちゃうよね、アッハッハッハッハッハッハッハッハーーー!!!」
腹を抱えて笑い転げるシルヴェスタを、悠は無機質な目で流し見た。
「運命の奴隷か……下らん」
悠は『大天使』と正面から相対して、言う。
「人は運命などに縛られてはいない。あるのは己の選択だけだ。そしてマッディは最期に自分の選択を悔いていた。貴様の様な似非聖職者が弄んでいい男では無い」
「現実を見たまえよ!!! 彼は私の意のままに動く奴隷じゃないか!!!」
「つまり、貴様を殺せば『大天使』は何も出来なくなるという事だな……」
殺気が『大天使』から自分に向けられた事を察し極大の悪寒を感じてシルヴェスタは慌てて『大天使』に命令を発した。
「わ、私を守れ『大天使』!!!」
悠に向かおうとしていた『大天使』だったが、その新たな命令を受けてシルヴェスタの前に立ち塞がる。
「それが貴様の弱点だ。『大天使』が自由意志で戦えるのならば普通の人間には脅威かもしれんが、貴様が居るせいで『大天使』はまともに戦えんのだよ。……『竜砲』連射開始」
《了解!》
悠の手が上がり、光球が次々と『大天使』に、そしてその背後のシルヴェスタに放たれた。『大天使』も魔法を行使して悠の放つ『竜砲』を迎撃するが、悠の『竜砲』の威力、数を前に被弾を余儀なくされている。それでも動けないのは背後にシルヴェスタが居るせいだった。
「な、何だこの魔法は!? 『大天使』!!! もっと力を出せ!!!」
「無駄だ。全属性を使えようと、強力な魔法を使う時には一定の溜めを必要とするのは他の『天使』の戦いで見せて貰った。俺が数を優先して『竜砲』を撃っても竜気と魔力では基本出力が違う。止められはせんよ」
その言葉通り、『大天使』が力を振り絞っても悠の『竜砲』は一方的に『大天使』を押しまくっていた。一つ一つの威力は魔法との衝突で減衰していたが、『大天使』は『殺戮人形』の不死性と再生能力を持っているが高出力の弾幕の前には無力であり、その体は崩壊の一途を辿っていた。悠は戦っていなくとも、他の『天使』との戦いで情報の蓄積に努めていたのである。
「そ、そんな……!! 貴様は一体……っ!?」
シルヴェスタの目の前で的と化していた『大天使』の体に穴が空き、その穴から一発の『竜砲』が一発抜けてシルヴェスタを直撃した。
「ゲハッ!!!」
相当に威力を減衰されていても『竜砲』の威力は伊達では無い。蓬莱では中位以上の龍には通用しない技でしか無くても、アーヴェルカインでは必殺の威力を誇るのだ。シルヴェスタは『天使』のタフネスで即死しなかったが、それは悠が威力を抑えて手数を優先したからという事と、魔法との衝突で多少威力が削がれていたという2つの理由があったからに過ぎなかった。
一発で戦闘どころか逃亡すら不能に陥ったシルヴェスタは血塗れのまま床に倒れ込んだ。
「あぐ……う、嘘だ……私は……神に、なったはずだ……」
「残念ながら貴様は羽が生えただけの人間だ。その証拠にもうじき死ぬ。貴様の名は邪教を率いた世紀の愚か者として百年ほど人々に語り継がれ、やがて風化していくだろう。貴様の理屈で言えば、それが貴様の運命だな」
悠の酷薄な指摘にシルヴェスタは震え上がった。
「そ、そんな運命など、認められるかっ!!! わ、私は、聖神教教主、偉大なる指導者シルヴェスタ・ボーレンスだ!!! 千年先まで畏怖と畏敬を持って神として語られるべき存在なのだ!!! こ、こんな、こんな死に方を私がするはずが、無いのだあっ!!! ゲホッ!?」
無理に大声を出したシルヴェスタが咳き込み、大量の血を吐き出した。細かな破片が肺を傷付け、シルヴェスタの顔に絶望と死の影が色濃く現れ始めた。
「……ああ……て、天にまします、聖神様……あ、哀れな、あなたの僕を、おた……お助け、ください……わたし、に……勝利、を……」
その後に起こった事は息も絶え絶えに心からの祈りを捧げるシルヴェスタの願いが起こした奇跡であるかのように見えたかもしれない。……ただし、それを叶えたのは間違い無く善神では無かった。
満身創痍のシルヴェスタを崩壊寸前の『大天使』が見つめていた。その唇が初めて言葉を紡ぎ出す。
「……『第一天使』損傷率90%ヲ突破。緊急事態ト認識。『天使の種』ノ回収ヲ最優先事項ニ設定。直チニ実行シマス」
それは奇跡などでは無かった。機械的に実行される、底知れぬ悪意のプログラムだ。
「な……何を……!?」
急に喋り始めた『大天使』をシルヴェスタすら呆然として見上げているだけだった。『大天使』に意志があるなど、シルヴェスタには知らされていなかったのだ。
『大天使』は理解不能の表情のシルヴェスタの頭を掴み、頭上に吊り下げ……絶叫が響く。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
『大天使』の巨大な口がシルヴェスタの足に噛み付き、末端からボリボリと貪り始めた。肉を咀嚼し骨を砕く音にシルヴェスタの悲鳴が足されて死の不協和音を奏で、『大天使』の口元を伝う朱線がその秀麗な顔を汚穢に彩った。
ガチュガチュブチュビチュ。
「いだいだいだぃぁぃぃぃあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーッ!!!!!」
生きながら食われるという、およそ生物として最悪な部類に入る仕打ちにシルヴェスタは両手を振り回して暴れたが、所詮シルヴェスタは『天使』一体分の力しか持たず、しかも不死身の『大天使』は殴られようと決してシルヴェスタを放さなかった。
圧倒的な強者に蹂躙される弱者の気持ちと痛みを文字通り体に刻みつけられながら、シルヴェスタは誰でもいいからと救いを求めて決死の表情で悠の方を見て慄然とした。
何の感慨も無い瞳だった。
恨みも嫌悪も憐憫も、興味すら悠の瞳には一片たりとも存在しなかった。悠はただシルヴェスタが食われていくのを画面として認識しているだけであった。そんな物は人間の目では無いとシルヴェスタには思えた。
食われている事実と同じくらい、シルヴェスタは悠に対して初めて底知れぬ恐怖を抱いていた。自分が敵対したモノが何なのか、シルヴェスタは最期の時を前に悟り始めていた。
体が半分食われ、シルヴェスタの意識が白濁し始める。サイズが小さくなり、『大天使』はポイとシルヴェスタを口の中に放り込む。
『大天使』の顎が閉じていき、シルヴェスタの頭に歯が食い込んでいく。
ゆっくりと頭蓋骨が割られていくシルヴェスタが最期に見たのは、これほど凄惨な場面でもやはり何の表情も浮かべていない悠の顔であった。
もう二度とあの顔を見たくは無いと、意識が消失する寸前にシルヴェスタは願った。
その願いが叶ったのかどうかは、シルヴェスタ本人にすら分からなかった。
今までの悪人の中でもトップクラスの死に様を晒したシルヴェスタ。彼の死によって引き起こされる最終局面に突入です。




