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8-55 『天使(アンヘル)』8

トレを抱きかかえている悠より先にギルザードが前に出ようとしたが、それよりも早く剣を抜き放って前に出たのはバローであった。


「すっこんでろ!!! こいつは俺の獲物だぜ!!!」


ガルファの飛び込みに合わせ、バローが剣を横に薙いだ。その剣速は『絶影』にすら迫るのでは無いかと思われたが、ガルファは各種身体能力に物を言わせ、後方宙返りでその剣閃を回避する。


「私が……この私が、こんなつまらない場所で死ねるかーーーーーッ!!!」


「素手では心許ないだろう、この剣を使うといいよ、ガルファ君」


まるで善意で言っているかの様に、シルヴェスタは祭壇の影に置いてあった剣をガルファに投げた。ガルファはそのまま後方宙返りを連続し、空中でその剣を受け取って再びバローに迫る。


ガルファの剣が肉食獣の爪の如くバローに振り下ろされた。速い。


「シッ!」


だが、正統剣術で培ったバローはやすやすとは斬られはしない。逆に剣の切っ先5センチを真龍鉄の剣で斬り飛ばし、返す刃でガルファの頸部を狙うもこちらはガルファが獣の反射神経で回避した。


「あらら、得物の差が大き過ぎるね。ガルファ君、剣を合わせず戦いたまえ。君の身体能力なら目視してから回避出来るだろう?」


「私に指図するなぁっ!!!」


シルヴェスタに口では反抗しつつも、ガルファの体は素直にその助言を受け入れて動いていた。バローの剣を受けずに回避する事に決め、ヒットアンドアウェイを繰り返してバローを翻弄して行く。


この勝負、装備と技術ではバローに分があったが、地の利と身体能力ではガルファに分があった。それというのも、大礼拝堂の床は大量の血液で濡れており、地に足を付けているバローは踏ん張る事が困難なのだ。その点ガルファには飛行能力があり、足場の悪さを無視して戦える利点があった。


「うっ!?」


突進して来るガルファの軌跡から逃れようとしたバローの足が地で滑る。それは動作を中断させ、中途半端な姿勢で硬直を招いた。そこに振られるガルファの剣が軽くバローの兜を掠めた。


バローのオープンフェイスの兜が飛び、血の池に落ちて濡れた音を立てる。剣が掠めたバローのこめかみから血が噴き、一筋流れて地面に落ち、大河の一滴となった。


「ユウ殿、助太刀した方がいいのでは無いですか? ここはバロー殿に不利です」


「バローが手出し無用と言ったのだ。あいつからそれを撤回するまで余計な手出しは出来ん」


「しかし、このままでは万が一も有り得ますよ? もう1対1に拘る必要などありません。この場の全員で残りの『天使』達を――」


総力戦を提案するハリハリの言葉を悠は強い口調で遮った。


「ハリハリ、戦闘者では無いお前には分からんだろうが、今この戦いはバローのものだ。理論的に物事を捉えるお前には非効率で不確実、更には不条理にすら感じるだろうが、幾多の修羅場を潜り抜けなくては辿り着けない境地がある。この先も戦いの場に身を置くのであれば、バローは他人を頼る前に自分の力を頼らねばならん。生死を分ける戦場とガルファへの義憤は更にバローを成長させるだろう。あいつも遊びや酔狂で剣を振っている訳では無いのだ。ここは黙って見守ってやってくれ」


悠の言葉にハリハリはしばし沈黙し、やがて大きな溜息を吐いて肩を竦めた。


「……はぁ、分かりましたよ。この先更に厳しくなる戦いが控えているのです。ワタクシもバロー殿を、我が勇者殿を信じましょう。ユウ殿の厳しさは筋金入りですね」


「この程度は厳しいとは言わんよ。十分に勝ち目があるのだからな。バローが満身創痍で手足の一本でも失っているのなら助けが要るか訊いてもいいが」


「それ、瀕死って言いません?」


「俺にとって瀕死とは、治療しなければ30秒以内に死ぬという状態だ」


悠の認識にハリハリは両手を上げ、無言で降参のポーズを示した。


「そもそも戦闘に絶対は無い。必ず勝てる戦闘を戦闘とは言わんし、そんなもので精神的な成長は有り得ない。生と死の狭間で垣間見える光を掴み取る事を勝利という。それに、バローものうのうと怠惰を貪っていた訳では無いぞ。生半可な相手には負けぬだけの力は練磨させて来たつもりだし、切り札もある」


「切り札?」


ハリハリが悠に問いを放つが、悠の目は戦場に固定され、その唇は引き結ばれたままであった。バローとガルファの対決が激しさを増して来ていたのだ。


「『冥府葬送アケロンテ!!!」


バローの頭上を旋回し、ガルファが必殺の羽をばら撒いた。百を超える羽の内1枚でも刺さればバローの命運は尽きるだろう。ベルトルーゼなら難なく防げるだろうが、バローの装備は完全防備の全身鎧フルプレートでは無く、兜も失っているのだ。


先ほどその羽の効果を見ていたバローは自らに迫る死の軍団を前にしても助けを求める事は無かった。あるのは熱く滾る闘志と命を軽視する聖神教への底知れない怒りだ。


「ふぅぅぅぅ……」


大きく息を吐き、バローは剣に魔力マナを流す。その魔力に反応して真龍鉄は魔力を竜気プラーナに変換、バローの体を巡り始めた。


「まだだ!!!」


『無明絶影』を放てる量に達してもバローの竜気変換は止まず、全魔力の8割以上を注ぎ込んで次々と竜気に変換し、その体を覆っていった。


「竜気には身体能力向上効果がある。それを身体に巡らせる事で一時的に限界を超越する術をバローに叩き込んでおいた。後はバローの集中力次第だな」


独り言のような悠の言葉通り、肉眼で確認出来るほどの竜気がバローの体を竜の様に駆け巡った。


「『竜気装纏プラーナバースト』!!!」


バローの足下を濡らしていた血液が湧き立ち、カラカラに乾いて黒く変色していく。足場を確保したバローは眼前に迫る羽と、その先に居るガルファを見据え、剣を腰溜めに構えた。


「一発で終わらせるのは業腹だが、お前に掛ける情けはねえ。あの世でロッテローゼに土下座して来な。……『無明絶影・刃獄檻』!!!」


バローの剣が弧を描いたと他の者に分かったのは、その軌跡が竜気の残影を残したからだ。それほどにバローの奥義は恐ろしい速度を持って振られていた。


ドゥーエの放った真空の刃よりも大きな斬光は間近に迫っていた『冥府葬送』を残らず吹き飛ばし、超速でガルファに迫った。


しかし、ガルファにも6体の『天使』を殺して手に入れた力がある。完璧にかわせないまでも、致命傷を避ける事は出来るはずだと無理矢理斬線から体を外そうと翼を羽ばたかせた。以前ガルファは一度バローの『無明絶影』を見ていたからこそ取れた行動であった。


だが、そこで『無明絶影』に変化が起こった。半分まで進んだ斬光が不意に2つに分かれたのだ。それは更に半分の距離で4つに、その更に半分の距離で8つにと、倍々に数を増大させていった。


「な、に……!」


みるみる内に1つの巨大な斬光は無数の光刃へと変化し、最初の斬光をかわすだけで安心していたガルファから退路を奪い去った。もうすでに再回避する時間はガルファには存在しなかった。




シュン。




刃が通り過ぎる音はごく静かな物だった。ガルファを通り抜けた無数の斬光は天井に到達する事無く消滅し……


「……く……わ……私、は……さ、最強の、『天使』……こ、こんな、結末は……ぐ、あああああああああああああッ!!!!!」


ガルファの手が、足が、胴体が、翼がガルファの体から切り離されてバラバラに吹き飛んだ。


翼を失ったガルファが物理法則に従って落ちて行く。上半身だけになったその体は死体の山に墜落し、濡れた音を部屋に響かせた。


「……チッ、首を飛ばせないたぁまだまだ未完成だな。だが、刃の檻からは逃げられねぇだろ? そのまま死ぬまでの短い時間を苦痛の中で過ごしやがれ」


「あ、がぐ……ッ!」


苦痛に蠢くガルファが死体の山の上から地面に転げ落ち、血の海に叩き付けられる。再びバチャリと濡れた音を鳴らしたガルファの上に雪の様に降る『天使』の羽が、この場に相応しい神聖さでガルファの降り積もって行った。

2話目。長々と不幸の種を蒔き続けたガルファもそのツケを支払う時が来たようです。

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