8-54 『天使(アンヘル)』7
「…………嘘? 何が嘘だと……」
狼狽するガルファにシルヴェスタは教師のように、出来の悪い生徒を懇切丁寧に諭す表情で疑問に答えた。
「君が『第八天使』だっていう事も、他の『天使』の序列も何もかもだよ。実はさ、君の力は『第三天使』の物なんだよね。ややこしいんだけど、ここに居る彼は本当は『第二天使』だし、『第九天使』こそが本物の『第一天使』なんだ。ちょっとは疑問に思わなかったかな? ああ、ガルファ君は戦闘に疎いからしょうがないか。『第一天使』、『第二天使』、『第三天使』の力と『第四天使』から『第九天使』の力は方向性が異なるんだよ。『第四天使』から『第九天使』は無属性を抜かした基本6属性に特化した力をそれぞれ持っているんだ。時計回りに言うなら光、風、水、闇、土、火の6属性さ。もっとも、『天使の種』は本来の力を極大化するものらしいから、信者の中から適当に見繕ったんだけどね。魔力を消費せずに即座に強力な魔法を放つ事が出来る力は魅力的だけど、その力に慣れさせるだけで制限時間が来てしまったのさ。本当はもっと鍛えたかったんだけどねぇ……あ、大丈夫? ちゃんと付いて来れてる?」
「そ、それがどうした!? そんな事は私の力には関係無かろう!!」
ガルファの反駁を理解の証と見たシルヴェスタはうんうんと頷き、話が通じている事を喜んだ。
「良かった、頭は悪くないみたいだね。まぁ、説明されてすら理解出来ないような無能じゃ私も困るから助かるよ。それで話の続きだけど、じゃあ『第一天使』、『第二天使』、『第三天使』は何の力に特化してるんだって話になるじゃない? ガルファ君はそんなもの関係無いと放置しちゃったんだけど、これが中々馬鹿に出来ない真実を孕んでいてねぇ……『第一天使』の力は司令官、『第二天使』の力は切り札、『第三天使』の力は処刑、『第四天使』以下の力は戦闘員向けなのさ。君の『第三天使』の力は死を司る力なんだけど、あくまで処刑用であり戦闘用とは言い難いんだよ。一度に大量に殺せるから強力な力と勘違いしちゃったのかもしれないけど、自在に動き回れる強者にはガルファ君ご自慢の『冥府葬送』は通用しやしないよ。『第三天使』の真の役割は、いつかその蓄えた力を『第二天使』に捧げる為にこそあるんだし。最初はバルバドス君にやって貰おうかと思ってたんだけど、彼は光の属性の適性が高かったからね、勿体無かったから君にあげる事にしたのさ。『第三天使』の真の力とは殉教者の力であり、つまりは……生贄という事だよ」
伝えられた真実にガルファの目が驚愕に染まった。最強だと信じていたはずの力がその実『天使』の中で最低の役回りであると知らされたガルファのショックは計り知れないほど大きかったのだ。
「ガルファ君も可愛いよね。ちょっと人間以上の力を手に入れたからって有頂天になっちゃってさ。どうだい、真実はまだ君の心を砕かずに理性を保てているかい?」
シルヴェスタの悪意はガルファの野望を上回るほど深く、深淵と称するに値する底の見通せない闇を湛えていたが、ガルファにもまだ心に燃え盛る炎があった。
「……たとえそれが真実だとしても、私がそれに従う謂れは無い!!!」
ガルファの翼が大きく開き、威嚇する様に『第四天使』――いや、もう『第二天使』と言うべきか――とシルヴェスタに向けられた。
「アハハ、そう、それだよガルファ君。人間には自由意志があり、『天使』の力を与えたからと言って、全員が有り難がって私に従うとは限らない。その力を使って下克上でもされては私は間抜けもいい所だ。だけど、ガルファ君がそこまで私を軽く見ていたのだとしたら心外だなぁ」
「御託はもう沢山だ!! 続きはあの世で他の『天使』にでもほざけ!!! 『冥府葬送』――」
シルヴェスタの言葉を遮って必殺の羽を飛ばそうとしたガルファであったが、その動きが発動寸前で固まってしまった。
「なん、だ?」
「最後まで話を聞きたまえ。上位『天使』への謀反を防ぐ為に、『天使』には枷が嵌められているのさ。『第一天使』の能力は他の『天使』に対する絶対服従を強いる事なんだよ。つまり……」
シルヴェスタの背中が蠢き、法衣を突き破って現れたのは純白の双翼であった。
「……私が『第九天使』であり、真の『第一天使』という訳だ。ガルファ君、君は頭はいいが自分以外の力を軽視し過ぎだね。君が『天使』になった時点でもう君の野望は終わっていたんだよ……。どうだい? 殺したい相手に絶対に逆らえないと知って絶望したかい? アッハッハッハッハッ!!!」
指先一つ自分の意志で動かせない現実にガルファの顔に絶望が広がった。他人を踏み台にしているつもりで、自分こそが真の道化であると知ったガルファの夢が、野望が足元から崩れ去ってしまった。
「いやぁ、その顔が見たかったんだよ!! 『第四天使』を人形扱いしていた君が、自分も人形でしかないと知った時のその顔がね!! 他の『天使』はバルバドス君以外は自由意志すら奪っておいたけど、君だけは残しておいた甲斐があったというものだ!!」
その時になってガルファは初めて他の『天使』達が妙に感情に乏しい理由に思い至っていた。あれは『天使』になった副作用などでは無く、シルヴェスタの忠実な駒として心を縛られていたのだ。全てはガルファが軽視し、切り捨てて来たものの中に答えは存在していたのである。
「ガルファ君はさ、他の『天使』達を殺して強くなったつもりなんだろうけど、残念ながらそんなのは紛い物だよ。真の『天使』の力はこの『第二天使』――」
気分良くガルファを追い込むシルヴェスタの言葉を遮ったのは大礼拝堂に現れた新たな闖入者達の存在だった。
バキャッ!!!
ギルザードの体当たりを受け、鍵の壊れていた扉が蝶番から弾け飛んで左右の壁で破砕した。続けて入ってくるのは悠以下の突入メンバーである。
「もう逃がさねぇぜガルファ!! ……げ……」
大礼拝堂に踏み込んだバローはその惨状に顔を顰めた。他の物達も怖じ気付きはしなかったが、一呼吸入れ直す間が必要だったのは致し方ない所であろう。
そんな中、周囲の状況に惑わされず、重大な情報を真っ先に捉えたのはやはり悠であった。
「マッディ……」
「え? ……あ、マッディ殿が居ますよ!? 確か死んだはずなのに!?」
「おや、知り合いかい? ……ああ、そうか、君達がミーノスで彼の野望を挫いたんだったっけ? いやぁ、感動の対面という訳だね!」
パチパチとシルヴェスタの送る心無い拍手が大礼拝堂に響いた。
「ガルファ君のような小物と違って、本物の救国の英雄たる君達には相応にもてなしをしなければならないと思うんだけど、生憎と物資が殆ど無くてね。しかもこんな散らかった部屋で申し訳ない。教主である私から謝罪させて貰うよ」
「気遣いは結構だ。俺達はここに茶を嗜みに来た訳では無いし、そもそも兵糧を焼いたのは俺達だからな」
「な、何だと!? あれは失火では無かったのか!?」
動けないままガルファが背後に怒鳴ったが、バローは更に付け加えて言った。
「ついでに言うならソフィアローゼを保護したのも俺達だぜ。パトリシア王妃もな。お前らはとうの昔に懐に入られてんだよ」
絶句するガルファとは裏腹に、シルヴェスタは心底感心したという風に両手を広げて見せた。
「なんとまぁ……聞いたかい、小策士のガルファ君? 有能とはこういう人達の事を言うんだよ? 誰にも気付かせず、静かに確実に自分の目的を達成する。そうで無くては策などとは言えないのさ。君のは……ま、単なる願望だね。全く、有能な敵とは使えない味方より賞賛に値するよ、君も見習いたまえ……と言いたい所だけど、残念ながら君にそれを生かす機会は無さそうだ。残念だったね?」
あくまでも嘲りを忘れないシルヴェスタの態度はガルファよりも一貫しており一枚も二枚も上手だと言えるだろう。数々の真実に言葉も無いガルファと違い、シルヴェスタは悠達に気さくに話し掛けた。
「君達の優秀さは特筆に値するものだ。どうだろう、ここに居るガルファ君を好きにしていいから、私に協力してくれないだろうか? 私達と君達の力があれば、聖神教は人間社会だけじゃ無く、遍く世界を席巻する事が出来ると思うんだ。勿論、それ以外にも希望があれば私に出来る事なら何でも叶えてあげるよ。お金でも権力でも、見目麗しい異性でもね。それだけの力がここにはあると私は確信している」
さらりとガルファを供物に悠達の懐柔に掛かるシルヴェスタはガルファより懐が深く格上であると思われたが、それでも認識不足、情報不足の謗りは免れなかっただろう。
「断る。ガルファも貴様もこの世から消し、将来の禍根を断つのが俺達の望みだ。殺戮の限りを尽くした場でのうのうと懐柔を図る貴様は人の世の害悪でしかない。俺が貴様に聞きたいのはただ一つ、これらの力をもたらした女についてだけだ」
「……ほう、あの女の事を知っている人間が他に居るなんて、ね……。そうか、ノースハイアやミーノスも……しかし、残念ながら私は何も知らないよ。重要なのはもたらされた力であって、あの女の氏素性などどうでもいい事だからね。これで満足かい?」
「ならばそれが真実かどうかは後は体に訊く事にしよう。その御大層な羽を毟り取ってやれば何か思い出す事があるかもしれん」
一切の甘言を拒絶する悠にシルヴェスタも懐柔が無意味であると悟ったようだった。悠が真正の悪人に妥協する事など有り得ないのである。
「それは容赦願いたいね。……ガルファ、侵入者を殺せ。多少なりとも強化した力を示してみろ」
ガラリと口調を切り替えシルヴェスタが命令を発すると、自分の意志に反してガルファの体は悠達に向き直った。
「ぐ……! お、おのれ、シルヴェスターーーーーッ!!!!!」
血を吐く様な空しい叫びが大礼拝堂に響き、ガルファは意に添わぬ突撃を開始した。
滲み出るシルヴェスタの悪意。駒から傀儡にランクダウンするガルファ。まるで蠱毒ですね。




