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8-53 『天使(アンヘル)』6

所々煤けているサイサリスが戻ると、バローが早速苦言を呈した。


「お前……あっさり約束破るなよ! 自爆したのかと勘違いしたじゃねぇか!!」


「過ぎた事を蒸し返すな。ちょっとした目くらましではないか」


「サイサリス、バローも口ではこう言っているが、実際は心配していたのだ。もう少し穏便なやり方も覚えた方がいい」


悠の言葉にサイサリスは一瞬キョトンとし、俄かに表情を引き締めてバローに言った。


「心配? ……ほほぅ、顔に似合わずお優しい事だな。しかし、私は夫が居る身だ。交尾の相手なら他を当たれ」


《バロー、貴様……!》


「あ、あっさり騙されてんじゃねえ!!! 誰が体目的で心配なんかするかよ!!!」


地団駄を踏むバローにサイサリスは相好を崩し、してやったりと笑って答えた。


「ハハッ、分かっているさ。お前はその髭面よりは中身のいい男だ」


「顔の事ばっか言うな!!!」


「でも、上手い手を考えましたね。爆発と爆音に紛れて天井に潜むなんて」


上を見ながらそう言ったハリハリの視線の先には点々と小さな穴が穿たれていた。


サイサリスは爆発に紛れて天井にジャンプし爪を突き立て、雲梯の要領でそっとセッテに近付いたのだ。爆音が収まるとその場で待機し、近付いて来たセッテの前に飛び降りたのである。身体能力を生かしたサイサリスの奇襲策であった。


「下を行くと服が燃えてしまいそうだったからな。着替えなど持って来てはいないのだ」


「……勝ったんだからこれ以上とやかくは言わなくてもいいか……。うし、最後は俺の番――」




ボッ!!!




――不意に大気が爆発音を奏でた。


バローがガルファに向き直るのと同時に一陣の風となって悠がガルファに突撃をかけたのだ。その視線の先ではガルファの翼から羽が舞い散り、他の『天使アンヘル』達に降り注いでいる。


《急いで!! あの羽からは嫌な気配がするわ!!》


「全員は間に合わん。ならば……」


散る羽が『天使』に到達する前に悠が手にした投げナイフを一番近いセッテとその次に近かったトレに迫る羽に投げつけて弾き飛ばすが、他の『天使』達は羽に刺し貫かれた。


「どこまでも私の邪魔をしてくれる!! …チッ、せめてもう一体は貰っていくぞ!!!」


忌々しげに悠を見たガルファは再び『冥府葬送アケロンテ』の致死の羽を防壁として振り撒くと、生き残りの中で一番近い場所に居たセッテに空中の羽を一枚掴み、直接その肌に突き立てた。


トゥルー慧眼アナライザー』でガルファを見ていた悠はガルファのカルマが急速に低下していくのを察知した。


《なんて奴……仲間を糧にするなんて……!》


「人を喰らい『天使』を喰らい、冥府魔道に堕ちるか、ガルファ!」


「貴様に復讐し頂点に立つ為ならばゴブリン(小鬼)の糞でも喰らってやるわ!!! そこでしばらく待っていろ、今すぐ『第四天使クアットロ』とシルヴェスタを殺し、最大の力を持って貴様らを葬ってやる!!!」


翼を羽ばたかせ、足止めの為にトレにもう一度死の羽を送り込んでから、ガルファは身を翻して背後の扉を開けて姿を消した。


「はっ!」


微細な散弾として『竜砲』を放ち、悠は周囲の羽を吹き飛ばしてからトレに舞い落ちようとする羽を手で払いのけた。


《……うん、この子は助かったみたい。でも、他の『天使』は……》


レイラが言うまでもなく、悠の目にも他の『天使』達の土気色の肌を見れば生きていない事は明らかであった。


「一人二人ならともかく、4人も殺られたか。魔法的な毒素を含んだ羽のせいか?」


《前に見た『流魂のナイフ』と似た力を感じるわ。あいつ……ロッテローゼにしたのと同じ事を……!》


レイラが憤りを露わにしている間にも、ガルファの羽はボロボロと崩れ粒子状になって散っていった。


「ユウ!!」


その時になってようやくバロー達が悠の側に追い付いてきた。


「この娘以外の『天使』は全員殺された。ガルファは残りの『天使』も殺して自分の力にするつもりだ、追うぞ!」


「懲りねえクソ野郎だな!!!」


自分と戦わずに逃げたガルファにバローの怒りが頂点に達し、深刻な殺気を放ってガルファの逃げた扉を睨む。


悠はトレを抱き抱えると、ギルザードを促した。


「ギルザード、お前が一番防御力が高い、先頭を進んでくれ。行き先は俺が指示する」


「任された!」


戦陣を託されギルザードが扉に向かうと、その通路は壁に閉ざされていた。ガルファが時間を稼ぐ為に隔壁を下ろしたようだ。


「こんな壁で我々を止められるか!!」


ギルザードは半身になり、肩を前に突き出したまま強烈なタックルで壁を打ち破るとその先に向かって走った。


悠達も後ろからそれを追い掛け、追撃が始まる。




「あの化け物共相手ではいくらも時間は稼げないだろう、早く『第四天使』を殺さなければ……」


『第四天使』とシルヴェスタが籠もる大礼拝堂に辿り着いたガルファは扉に手を掛けたが、どうやら鍵が掛けられているらしく、扉は開かなかった。


「チッ……しかし、今の私ならこの程度の扉は……!」


ガルファがノブに力を込めると鍵はあっさりと壊れ、扉が開いた。そこには……


「うっ!?」


本来の大礼拝堂とは全く異なる有り様に入室しようとしたガルファの足が止まった。


床を埋め尽くす、死体、死体、死体。そして元の模様が分からないほどの量の血、血、血。


咽せ返るような血臭が脳を赤くフィルタリングし、壁と言わず椅子と言わず人体の各部が撒き散らされ、血溜まりに浮かぶ眼球が虚ろにガルファを見つめていた。




「おや、ガルファ君、早かったね。ギリギリ30分という所だけど、こちらもギリギリで終わったよ。ハハ、散らかっているのは勘弁して貰いたいね」




教主シルヴェスタは変わらぬ笑顔で祭壇に立っていた。その隣では『第四天使』が両手を肩まで血に染めて無表情に立ち尽くしている。


「……一体、何を……」


ガルファも殺した数だけで言えば人後に落ちないが、ここまで凄惨な現場を見た事は無く、せり上がる吐き気を堪えながらシルヴェスタに尋ねた。


「うん? ……まぁ、ちょっとした準備だよ、君は気にしなくていい。それより、侵入者は何人か殺したのかい? まさかゼロって事は無いよね? ガルファ君はそんな無能じゃ無いよねぇ?」


チクチクと悪意の棘を突き刺してくるシルヴェスタに、ガルファは目に怒りを宿して宣言した。


「……貴様の嫌味などに付き合ってやる気分では無い。『第四天使』と『第九天使』の力は私が頂く!!!」


「ほうほう、そうかいそうかい」


ガルファの決意の宣言はシルヴェスタの悪意の笑顔を突き破る事は出来なかった。むしろ愉快そうにガルファを見るシルヴェスタにガルファは怪訝な思いを抱いた。


「いや、君の考えている事は理解しているつもりだよ? 君は『第四天使』と『第九天使』、そして私を殺して聖神教の、生物の頂点に立つつもりなんだろう? そして得た力を使って復讐と栄光の両方を手に入れるんだ。全ての『天使』を殺して得た力があれば君に逆らえる者はもういない。半人半神の超越者として、ガルファの名は永遠にアーヴェルカインの歴史の最上位に刻まれる……どうだい? いかにも俗っぽい君が考えそうなシナリオだと思うんだけどなぁ」


ニコニコと自分の死後の展望を語るシルヴェスタにガルファは薄気味悪さを覚えて一歩退いた。


「……何故平然としていられる? 今の私は5体の『天使』を殺し、自分の分を入れれば6体分の『天使』の力を手に入れたのだぞ!! そこに居る人形1体でどうにかなると思っているのか!?」


「そうだなぁ……ちょっと待ってくれたまえ、どう言えば君が一番絶望するか考えてみるよ」


わざとらしく顎に手をやり、斜め上を見ながらシルヴェスタは語り出した。


「ガルファ君、まず第一に君は『第九天使』がどこに居るのか知らないだろう? そして、その能力は?」


「……」


沈黙が肯定になると分かっていてもガルファに答える事は出来なかった。そもそもガルファは6体分の『天使』の力があれば十分と考えていたからであり、些末な問題でしか無かったのだ。


「更に加えよう。ここに居る『第四天使』の力は? ……勿論知らないんだろうね。確かに今の君の力はこの場で最強だと私も思うよ。だが、それは単純な筋力や体力、強靭さなどの肉体的な能力を指すのであって、戦って君が最強だと意味する物では無いんだ。……君は戦いにおいてはただの素人でしかない。戦いとは、如何に敵を上手く殺せるか、それに尽きるんだよね。ただの力持ちが世界最強になる事は有り得ない。君は軽視するべきでは無かったんだよ、『天使』の力を」


とても残念そうに言うシルヴェスタの目には憐憫と軽蔑が等分に存在し、それが自分に向けられているのだと思うとガルファの胃の腑に強い酒が流し込まれたかのような熱が発した。


「……だからなんだと言うのだ!? 他の『天使』の力だと? フン、最強の『天使』の力を持つのはこの私だ!!! 殺した相手から力を奪い取る、『第八天使オット』の力こそが最強の――」




「ごめん、それ嘘なんだ」




沈黙が大礼拝堂を席巻した。

ガルファの運命が流転する八章53話。

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