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8-50 『天使(アンヘル)』3

「よもや、まだやれるなどとは言わんだろうな?」


片腕と片翼を失い地面で痙攣するドゥーエを注視しながら問い質す悠に、ガルファは忌々しそうにして頷いた。


「……仕方あるまい、ドゥーエを回収しろ」


他の『天使アンヘル』に命じ、ガルファはドゥーエを壁際まで運ばせ、傷口を布でしっかりと縛り付け、更に『治癒ヒーリング』を唱えて応急処置を施した。これは別に仲間への慈愛などでは無い証拠に、その視線はまるでゴミを見るかのように冷たかった。


「おっし、幸先いい滑り出しだな。次は……」


「私の番だな!!」


斧槍ハルバードの石突きで床を一打ちし、ベルトルーゼがアグニエルと入れ替わって前に進み出た。それに呼応するように『天使』からも次の相手が歩み出る。


「連合軍副大将、ベルトルーゼ・ファーラムだ!!!」


「『第三天使トレ』。トレでいい」


相手の『天使』を見たベルトルーゼは少々ガッカリしてその名乗りを聞いていた。トレは明らかに少女といった風体であり、肉弾戦を楽しめるようには思えなかったからだ。


「……なあ、今の内に相手を変えないか? 私は死力を尽くして戦いたいのだ!!」


「……」


だが、相手のトレはそんな言葉は聞こえないとでもいう風に腰から短剣を抜き、ベルトルーゼに対して構える。


「……ギルザード、シュルツ、サイサリス、誰か順番を代わってくれ」


「断る」


「拙者、女子供を斬る剣は持ち合わせておらぬ」


「クジの結果に従え。後でユウにでも相手をして貰えばいいだろう」


一縷の望みを託して背後の仲間達に願い出たが、その返答は皆冷たいものであった。


「……バローは? 女子供をイジメる事に関しては右に出る者はおらんだろう?」


「バカ言ってんじゃねーよ!!! 俺が日頃どんだけ虐げられてると思ってんだ!!!」


「ヤハハ、声を大にして言う事ではありませんねえ」


どうやら誰も代わってくれないと察し、ベルトルーゼは不承不承でトレに向き直った。


「なるべく早く降参しろ。私は手加減が下手だ」


「殺す……」


聞いているのかいないのか、トレから強い殺気がベルトルーゼに向けられ、両者の準備が出来たと断じた悠が手を叩く。


「始め!」


ベルトルーゼは一刻も早く終わらせようと斧槍と盾を構えるとトレに向かって突進を始めた。まるで重戦車のような威圧感を振り撒くベルトルーゼに対し、トレは冷静に手にした短剣を床に突き立てると、そこから冷気が地面を走り、突進するベルトルーゼを絡め取った。


「むっ!?」


足が地面に接着したベルトルーゼを見て背後のハリハリが興味深く頷く。


「ほう、今度は『氷蔦アイスヴァイン』に似ていますね。何となくですがワタクシ、『天使』の特性が掴めて来ましたよ」


「余裕があるな。大丈夫なのか、ベルトルーゼは?」


『天使』の分析などしているハリハリに戦い終えたアグニエルが尋ねたが、ハリハリは軽く肩を竦めて答えた。


「アグニエル殿、彼女もまたユウ殿がその力を認めてこの場に連れて来た人間です。確かにベルトルーゼ殿はガサツで乱暴者で四六時中戦う事しか考えていない戦闘狂で女らしさの欠片も無い野蛮人――」


「聞こえているぞハリハリッ!! この戦いが済んだら次は貴様の番だ!!!」


ベルトルーゼは地獄耳だった。


「ま、まだ評価の途中なんですから先走らないで下さいよ!!! と、ともかく、そんなベルトルーゼ殿ですが、肉体の能力に関して言えば全てが人間の限界を超越しています。その神の奇跡が宿る肉体が神鋼鉄に包まれた時、どれほどの戦闘能力を発揮するのか、とくと拝見しようではありませんか」


やや装飾過剰な言葉はベルトルーゼの怒りを和らげる為だったのだろうが、嘘を言ったつもりもないハリハリである。アグニエルもそこまで言うのならと頷いてベルトルーゼに視線を戻した。


「……ふん、この程度で私を足止め出来るなどと思わない事だな!!!」


ベルトルーゼが力を込めて凍り付いた足を引き上げると、ボコッという音と共にその足は床の石材ごと持ち上がった。そのまま足を床に叩きつけ、ベルトルーゼは氷と石材を砕いて自由を取り戻すと再び突進に移る。


「……」


殆ど足止めにならないと感じたトレは、今度は打撃で止めようと短剣を前に掲げ、氷の礫をベルトルーゼに放った。


だが、ベルトルーゼの体を包むのは普通の鎧では無いのだ。ガンガンガンと連続して鎧を叩く飛礫に対し、ベルトルーゼは盾を使うまでもないと笑いながら突撃する。


「ハハハハハ!!! そんな貧弱な攻撃でこの私が止まるかっ!!!」


「……あれは人間なのか?」


呆れた声を出すガルファの言葉が聞こえていればバローとハリハリはさぞ喜んだだろうが、生憎飛礫の音が大きく、その声は届かなかった。


そもそも、拳大の氷礫が高速で当たれば鎧を着込んでいてもその衝撃は相当な物であり、例えば地球でもごく稀に巨大な雹が降る事があるがその威力は凄まじく、車に乗っていても鉄の屋根を変形させ、フロントガラスを粉々に粉砕してしまう。それは更に例えれば大リーガーが全力で氷球を投げ続けているのに等しいと言える。


単なる鉄の鎧であれば変形し、打撲は免れないだろうが、ベルトルーゼの纏う神鋼鉄は非常に高い耐衝撃性を誇る伝説の金属であり、それを纏うベルトルーゼのタフネスも常人の域を大きく逸脱している。魔力マナを扱えない為神鋼鉄の性能を十全に発揮する事は出来ないが、ダメージを遮断するという機能さえ活用出来ればそれだけでベルトルーゼは不退転の重戦士と化すのである。


礫では埒が明かないとばかりにトレの射的の間隔が広がり、代わりに礫の大きさが倍ほどになったが結果に変わりはなかった。


盾を前に構え、時には丁度いいコースを辿る氷礫を打ち返しながら進むベルトルーゼにトレの眉間に小さく皺が寄る。


「……っ」


残り10メートルまで迫られてトレは切り札を切る事を決意した。


まず短剣を逆手に持ち替えるとそのまま自分の手の平を突き刺し、血液を地面に滴らせた。


「血を使ってのイメージの強化? ベルトルーゼ殿、強力な技が来ますよ!!」


「面白い!! そうでなくては戦いを楽しめぬ!!!」


気をつけろという忠告のつもりでハリハリは言ったのだが、ベルトルーゼは技の発動を挫くのでは無く耐え切る方を選択して足を止めてしまった。


「せっかく人が忠告してるのにっ!?」


「諦めろハリハリ、ありゃ生粋の戦闘バカだ。どんな攻撃でも一発じゃ死にはしねぇだろ」


すぐに完成したトレの技が発動し、床に落ちる血液が意志を持ったかのようにベルトルーゼの足元に広がると、血液は水と混ざり合って体積を増やしベルトルーゼを包み込んだ。


「!?」


あっという間にベルトルーゼの全身を包み込んだ液体はそれだけでは留まらず、今度は目に見える速さで一気に凍り始めた。


「『氷棺アイスコフィン』!? 相当高度な水属性の封印魔法です!!」


「解説ありがとよ」


ベルトルーゼが何かする前に氷の棺はベルトルーゼを閉じ込め、決着がついたと感じたトレがベルトルーゼに近寄る。


「先ほどの貴様の台詞では無いが、よもやまだやるなどとは言わんだろうな?」


途中まで焦った事も忘れ、余裕たっぷりにガルファが悠に嫌味な口調で言い返したが、返答は異なっていた。


「悪いが言わせて貰おう。……ベルトルーゼ・ファーラムと言う女は少々動きが封じられた程度で戦闘を投げ出すような柔な女では無い。勝手に降参などしては、後で本気で怒り狂うだろうよ」


「何?」


ガルファが眉を顰めた時、その変化は起こった。




ビキッ!!!




ベルトルーゼを閉じ込める氷棺に突如大きな音と共に亀裂が走り、ガルファは目を剥いた。


「っ!? トレ!! 封印を強化しろ!!!」


ガルファの指示を受けたトレは氷棺に直接触れ、硬度を強めようと力を込めた。その甲斐あって亀裂は一時的に塞がり掛けたが、一度弱くなった結合ではベルトルーゼを閉じ込める事は叶わなかった。


「…………ァァァァアアアアアアアッ!!!」


徐々に大きくなるベルトルーゼの声量が最大限に高まった瞬間、縦横無尽に氷棺に無数の罅が入り、間を置かずに破砕して飛び散った。


「フゥゥ…………息が出来なくて焦ったぞ? さぁ、次はどんな攻撃で私を楽しませてくれるのだ? って……アレ?」


意気揚々と斧槍を構えるベルトルーゼだったが、目の前に居たはずのトレが見えなくなってキョロキョロと首を巡らせ、自分の足元に倒れ伏すトレを発見する。どうやら弾き飛ばした氷塊の乱打を浴びて失神しているようだった。


「……まさか、これで終わり、か?」


ベルトルーゼは石突きでツンツンとトレをつついてみたが、やはりトレからは何の反応も見受けられなかった。


「勝負ありだな。早く戻れ」


「ま、待て!! トレはその……き、休憩しているのだ!! すぐ元気になるよな、トレ!?」


動かないトレを抱き起こしガクガクと揺すぶってみてもトレは全く反応しなかった。


「止めろよ、可哀想だろうが」


「『天使』とは言え、あまり無体な事をするのは感心しませんよ」


「怪我人を揺すぶるな。頭にダメージを負っていたらどうする」


「年端も行かぬ少女を……哀れな……」


男性陣の非難に、遂にベルトルーゼは諦めた。


「……おい、私の勝ちでいいのか?」


憮然としてガルファに尋ねると、ガルファは無言で頷き、ベルトルーゼの戦いはあっさりと終了したのだった。

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