8-41 進軍28
連合軍が適度な緊張感を残しつつも和やかに引き返して行ったのに対し、アライアットの雰囲気はその対極にあった。
「満足に足止めも出来んとは……クズは何人居てもクズの集まりか!!」
ハリハリの魔法で痺れて動けなくなり、他の兵士に運ばれていく者達をガルファは極寒の視線で流し見ながら毒づいた。ほんの少しでも足止めが叶ったなら、伏兵ごとガルファが『冥府葬送』で殺す手筈であったが、ハリハリがあっという間に全員を無力化してしまったのでそれも叶わなかったのだ。
ガルファの技は範囲が広く多人数を殺すには向いているが、速度も攻撃力も低いので機動力のある少人数を相手にするには不向きなのだ。あの状況ではパトリオ一人を殺せたかどうかであろう。ガルファにとってパトリオなど取るに足らない小虫でしか無く、とても危険を押してまで葬りたい相手では無かった。
兵糧が尽きた事による士気の崩壊は著しいものであり、比較的信仰心が深い者達で固められた今のフォロスゼータでなければ内乱に発展していた可能性が高かった。兵士によって兵士を監視しているのが現状であり、伏兵に多数の人間を割けなかったのもひとえにそのせいだ。完璧に隠蔽出来て、相手の油断を突く事が出来るギリギリの数が50という人数であったが、それは相手の戦力に対してあまりに過小だったと言わざるを得まい。
それでも、その中に『天使』を数名でも紛れ込ませる事が出来ればバロー一人であれば討ち取れたとガルファは考えたが、作戦に『天使』を含める許可がシルヴェスタから下りる事は無かった。
「そんな不確かな作戦に貴重な『天使』を割く訳には行かないねえ。どうしても『天使』を使いたいのならキミが参加したまえよ。それならば許可してあげようじゃないか。吉報を待っているよ?」
慇懃に頭を下げる事しか出来なかったガルファはその時の事を思い出して視線の温度を更に下げた。既に1対1であれば他の全ての『天使』に勝る自信がガルファにはあったが、高い知性を持つガルファも事戦闘に関しては全くの素人であった。他の『天使』はガルファでは無くシルヴェスタに従っており、その信仰心は他の信者とは比べ物にならないのだ。一人ずつおびき寄せて殺害し、その力を取り込もうにも全く隙を見い出せないのだった。そしてシルヴェスタの予測通り、自分はこうして失敗してしまったのだから言い訳など出来ようはずも無い。
深刻な問題は他にも山積している。
まず兵糧が無い。あれだけ脅したデミトリーが今も戻らないのは裏切ったからだとガルファは考えていた。何かのトラブルで戻れないという可能性はあったが、虎視眈々と聖神教の凋落を待ち望んでいた事などガルファにはお見通しである。最早帰っては来ないだろう。
更に、デミトリーが帰って来ないという事は兵を指揮する者が居ないという事でもある。先ほど述べた通り、ガルファは戦闘や軍の指揮などについては全くの素人であり、それが兵士の心理的不安に拍車を掛けていたと言っていい。
(何もかもか裏目に出る!! これが神の意志だとでも言うのか!? 馬鹿馬鹿しい!!!)
自分の能力に絶対の自信を持ちながら、今のガルファには全てが手詰まりであった。外は敵兵で溢れ返り、内部に味方は存在しない。いかにガルファ個人が強くなろうとも、敵にはそれと同等か、上回る相手が居るのだ。戦闘技術では勝負にならないだろう。
そんなガルファに助け船を出したのは意外な人物であった。
「どうやらデミトリーは戻らんようだな。所詮はただ自分の命が大事なだけの男か」
「バーナード王……」
「奴が刻限通りに戻らないのであればこちらもそれ相応の権利を執行するまでだ」
そう言ってバーナードがガルファに提示したのはノルツァー家への罷免状であった。その文面はデミトリー・ノルツァーの爵位を剥奪し、また、息子であり次期当主として届けられているイスカリオ・ノルツァーの爵位継承を王家は認めないという内容である。これで事実上最後の公爵家であったノルツァー家は名目上滅びる事となったとガルファは解釈した。
「お認め頂けるかな、ガルファ殿?」
「……この期に及んで帰らぬのであればそう判断せざるを得ませんな。いいでしょう」
その書面に署名し、ガルファはバーナード王に返却した。本来、貴族の罷免権は王家のみが有する権利であるが、バーナードはあくまで聖神教を立てる腹積もりのようだ。
そこでガルファはシルヴェスタにでは無く聖神教に忠誠を誓っている風に見えるバーナードと話してみる気になった。
「バーナード王、我らは残念ながら劣勢だが、何か策をお持ちでは無いか?」
あえて率直な意見を言う事で本音を引き出そうというガルファの言葉だったが、一抹の不安が縋る物を求めて無意識に表面化したのだと認めるほどガルファは弱くは無かった。
「ふむ……」
バーナードはしばし考え、自分の思いを語った。
「認めて頂けるのであれば私が全軍の指揮を執ってもいい。というより、聖職者ばかりの聖神教の方々では戦の指揮は辛かろう。デミトリー以外で万の兵を指揮出来る者は、帝王学の一環として戦術を学んだ私以外におるまい」
「それは……」
現実的に考えてそれが現状で取り得る最良の手段である事をガルファは否定出来なかったが、もしバーナードが裏切って兵と共に投降する様な事があればその時点でアライアットは詰んでしまう。迂闊に飲める提案では無かったが、バーナードは更に言葉を付け加えた。
「もし私が寝返る不安があると思っているのであれば、私はこの大聖堂に残って伝令を通して兵を動かしてもいい。デミトリーと違い、王妃のパトリシアが直接人質として囚われているというのに、妙な真似をするつもりは無い。……全ての子を無くし、私にはもうパトリシアしか残されておらんのだからな……」
首から下げた聖神教の意匠を弄び瞑目するバーナードを見て、ガルファは子を失ったショックがこの男を聖神教への信仰に逃避させたのだと悟った。それならば使い道はあるだろう。
「それで、肝心の策は?」
「今日はまだ敵の警戒が強かろう。しかし、長期戦をする兵糧は無い。ならば、明日一日完全な防御に徹して夜を待ち、こちらが籠城戦を行うのだと刷り込む。そうなれば多少警戒も緩むであろう。然る後、夜陰に紛れて出兵し敵の輜重隊を狙う。敵の兵糧を奪い、こちらは兵糧を得る事が出来る。大軍であればあるほど兵糧の消耗は早かろう。そうなれば敵は一旦引き返すに違いない。その間に我らは既に貴族の権限を持たないノルツァー領を全軍を持って攻略し、更なる兵と兵糧を得て次回の戦を待てばいい。兵糧さえ万全であればフォロスゼータを落とす事は誰にも出来んよ」
理路整然としたバーナードの策はガルファを納得させ得るものであった。この状況になってから考えたのだとすれば中々どうしてバーナードは大した王なのではないかとすら思えた。
「……よろしい、ならば軍の指揮は王に執って頂こう。裏切り云々では無く、御身に何かあったらそれまでゆえ、指揮は大聖堂で執って頂く事になるが?」
「この身は既に聖神様に捧げられた身、大事にするものでは無いが、その心遣いは有り難く受け取っておこう」
両者ともこれっぽっちも信じていない言葉を交わし、バーナードは兵の様子を見て来ると言ってその場を後にした。
「同じ狂信者でも使える者が居るでは無いか。精々私の為に時間を稼いで貰おうか。時さえあれば、私はまだまだ強くなれるのだ!! ……その時こそが復讐の時ぞ、カンザキ!!!」
無くなったはずの鼻が疼き、ガルファは仮面の上からその部分を押さえて憎悪を吐き出した。
ガルファ個人の能力は高くても、所詮は中間管理職ですからね。対個人の謀略には長けていても、全てを修めるにはガルファは若過ぎるという事です。




