8-40 進軍27
最初から殺すつもりで伏兵を隠していた聖神教の行いにパトリオは背筋に背中に氷塊を流し込まれたかのような戦慄を感じていた。このタイミング、この距離、この数では到底無傷で切り抜ける事など叶わないと思ったからだ。
だが、それはこの一行の中ではマイノリティーの考えでしか無かった。
「ハッハッハッハッハ!!!」
ベルトルーゼが高笑いしながら斧槍を回転させて自分に向かって飛来する矢を弾き飛ばし、悠はバローの前に立ってマントで矢を打ち払う。パトリオは山なりに飛んで来た矢を辛うじて盾で一本だけ弾いた。
「……マジかよ……伏兵が居るのはユウの反応で分かっちゃいたが、まさかこんだけか?」
悠が制止したのは地面の下に敵兵の存在を感じ取ったからであり、バローもどこかに伏兵が居るのだと察したが、バローは少なくとも100人程度は潜んでいるものと思っていたし、魔法やら魔道具やらの攻撃も覚悟していたのでこれは全くの拍子抜けであった。何より、『天使』が一人も居ないのでは傷一つ負わせる事も出来ないのは当然だ。
「この期に及んで出し惜しみする意味なんてあんのかね?」
「50人も居れば普通は十分だと思ったんじゃないですか? 『水流』」
喋りながらハリハリの両手から穴に向けて水が放たれ、第ニ矢を番えようとしていた兵士達に降り注いだ。この『水流』は特に攻撃する意図では無く、あくまで次の魔法への繋ぎである。
塹壕に向けて満遍なく水を撒いたハリハリはそのまま片手だけで『水流』を維持し、更に魔法を重ねた。
「一応戦争前なので殺さないでおいてあげますよ。『雷蔦』」
本来、地面を伝達させる『雷蔦』であるが、ハリハリはそれを『水流』に向かって流した。
「「「!!!」」」
悲鳴を上げる間も無く水を介して塹壕の中に居た兵士全員に電流が流れ、そのまま戦闘不能に陥る。
「もうちょっと魔力を込めれば全員感電死にも出来ますが、50人ばかり殺しても焼け石に水ですし、食糧が無いのなら生きている方が困るでしょう。あとはワタクシの知った事ではありませんね」
「むぅ……この程度の攻撃では性能を発揮出来んでは無いか!! 『天使』の一人くらいおらんのか!?」
「楽しみは後に取っておけよ。さ、帰んべ」
「……そうだな、明日の準備もある事だ」
詰まらない見世物でも見せられたと言わんばかりのバロー達の緊張感の無さに、パトリオは驚きを通り越して聖神教が憐れにすら思えた。
(……アライアットは外との交わりを断つべきでは無かった。時は流れ時代は驚くほどの速さでこの国を置き去りにしてしまったのだ。明日は悲惨な事になるだろうが、それも自業自得か……)
ここから逃亡した父にも明るい道は残されてはいないだろうとパトリオは子としての感傷を抱いたが、もはやアライアットでの権威に縋り変われない者はこれから先生きていけないのだとこの時確信した。
見納めになるかもしれないフォロスゼータを振り返り、倒れた兵士を他の兵士が引きずり出すのを見て、パトリオは時代に取り残された者達を改めて憐れに思った。
戦場の下らないセンチメンタリズムだとは理解していたが、出来れば早く白旗を上げて欲しいものだと考えずにはいられないパトリオであった。
「おかえりなさいませ。……一瞬肝が冷えましたが、冷やし損でしたな」
迎えたマーヴィンの言葉にバローも肩を竦めた。
「全くだ。あの程度じゃ危うくもなれねぇよ。しかし敵さん、とことん『天使』は出し惜しみするつもりらしいな」
「出し惜しみしている間に負けちゃったら意味が無いと思いますがね」
「いや、そうとばかりも言えんぞ」
バローとハリハリの言葉に悠が口を挟み、その意図を察しかねたハリハリが問い質した。
「どういう意味です?」
「感知範囲ギリギリの場所に『天使』らしき反応があった。恐らく、伏兵で俺達の足止めが叶ったのなら何かしてくるつもりだったのかもしれん。一応あちらも考えてはいるようだ」
「ほほぅ……ちょっとくらい危ない雰囲気を出した方が良かったですかね?」
「毒矢を受けても俺達はそう簡単に死にはせんが、パトリオはそうはいかん。それに、感知出来た反応は1つだけだ。全員おびき寄せられないのであれば博打をする必要はあるまい」
相手の攻撃手段が分からなければ後手に回る可能性はある。そして、その時死ぬのは一番弱いパトリオなのだ。せっかく真っ当な道を歩み始めたパトリオをここで失うのは惜しいと悠は考えていた。
「じゃあ、作業と並行して警戒はしておいた方が良さそうですね」
「ああ、朝まで3交代制で兵士をやり繰りした方がいい。休息、作業、警備にな」
「そのくらいは大丈夫なはずだ。なにせ、まともな戦闘をやったのは冒険者隊だけだからな。そっちは適当に割り振っておくぜ」
一般兵の奇襲に備える意味でも夜通しの警備は欠かせないが、奇襲の相手として一番恐ろしいのはやはり『天使』だ。『天使』が空を飛べる事は周知の通りであり、闇夜に紛れて接近されるのは危険だろう。
しかし、悠達には暗殺を防ぐ拠点があった。
「将校は全員『虚数拠点』で休め。俺は万一の時の為に野営地で一夜を明かそう」
「移動する要塞ですからね。アオイ殿には索敵能力もありますし、結界も万全です。ミロ殿であっても忍び込むのは叶いません」
「悪ぃな。陣地のお目付け役は頼んだぜ」
現在の葵はハリハリのバージョンアップを経て更に機能を増やしており、その堅牢さはフォロスゼータに比べても上回るだろう。フォロスゼータの『生命結界』は非常に強固だが、それゆえの弱点があるのだ。明日の作戦はその弱点を徹底的に攻めるものである。
「夜の鐘(午後六時)も鳴った事ですし、我々も腹ごしらえといきましょう。なるべく美味しそうな匂いだけでもフォロスゼータに届けて差し上げようではありませんか」
「性格悪いぜハリハリ。……だが、届いちまうモンはしょうがねぇか!」
「空きっ腹には堪えるでしょうが、我々は向こうの食糧事情など知らないのですから致し方ありませんな」
意地の悪いハリハリの提案ではあったが、これも立派な戦術の一つである。戦争とは、如何に相手の士気を挫くかが非常に重要なのだ。それがただ食事をするだけで叶えられるのならば大いにやるべきであった。
「ハラ減った兵士がトチ狂って出て来るかもしれねぇから警戒は緩めるなよ。聖神教の奴らも兵糧は狙ってるはずだ」
「残念ながら大半は『虚数拠点』の中に保管してますから、ここには今晩と明朝食べる分しかありませんけどね」
「輜重隊が持ってるのは殆ど資材だからな。そう簡単に食い物はやらねぇよ」
『虚数拠点』の中に保管してしまえば生半可な力の持ち主では侵入は出来ないので、この戦場では最も安全な場所であると言えるだろう。輜重隊が運んでいた食糧は片道分を残して既に収納済みであり、奪われる心配は無いと言えた。
「それでは兵士に作業を開始させよう。邪魔にならん場所に屋敷を出すから後で――アルト?」
脳裏に届く声に悠は言葉を切って波長を合わせた。
《聞こえますか、ユウ先生?》
「ああ、聞こえている。そちらは問題は無かったか?」
《多少問題はありましたけど、僕達で対処出来るレベルの事でした。持って行った食糧の一部を街の人に譲る事でヘネティアの方々にもご協力して頂いています。既に流民の方々もこちらに到着し始めていますよ》
「そうか、よくやってくれた」
悠の言葉に心配そうに聞き耳を立てていたバローも安堵の溜息を吐いてハリハリに視線を送った。ハリハリもそれを受け、「アルト殿ならば当然です」と頷き返す。
「何か手に余る事があればすぐにこちらに連絡を寄越してくれ。智樹にもよろしくな」
《はい、ユウ先生達の活躍をここから願っています!》
弾んだ声なのは悠に褒められたからだろうが、『心通話』は思考を伝えるので感情が現れやすいのだ。アルトはもっと粛々と報告したかったのだろうが、今頃は恥じ入っているかもしれない。
「智樹とアルトは無事ヘネティアを拠点化したそうだ。流民も続々と到着していると報告にあった」
「これで、後顧の憂いは無いって事だな」
「後はワタクシ達の番ですね」
智樹のアルトの奮闘は他の者のいい発奮材料になったらしく、決意を滲ませる一同であった。




