8-39 進軍26
「ふぅ……何とか期日に間に合ったな」
バロー率いる連合軍がフォロスゼータを臨む地点に辿り着いたのは陽の光も大分傾き始めた時刻であった。真っ直ぐ一直線に進めば昼過ぎには辿り着けたのだが、流民が散り始めていたので捜索に時間を食い、兵の収集が予定より遅れたのだ。
「強行軍という訳ではありませんが、自分から切った刻限を守らなければ相手に軽く見られますからな」
「そんな事になったら間抜けもいいとこだぜ。全世界に恥を晒さずに済んでまずは一安心だな」
しかし、到着したからと言ってそれで良いという訳では勿論無い。むしろ、ここからが本番なのだ。
「後続に合図を出してくれ。フォロスゼータの正面に向けて陣形を整えつつ前進だ」
「御意です」
敵兵が展開していないのを確認し、バローはマーヴィンに指示を出した。戦闘準備をして来たからと言って、そのまま戦争に雪崩れ込む訳では無いのだ。まずは聖神教に対し最後通牒を行い、従うかどうかを見極めねばならないのである。たとえ、その結果が分かり切っているとしても。
フォロスゼータは丘の上にあるので、見張りが居れば既に連合軍の姿は捉えられているはずだ。それでも、連合軍がフォロスゼータの手前500メートルまで接近してもリアクションは返って来なかった。
その場で一旦全軍に停止を命じ、バローは主だった将校を自陣に招集した。
ノースハイアからはバロー、マーヴィン、アグニエル。ミーノスからはベルトルーゼ、ジェラルド。アライアットからはパトリオ、クリストファー、ステファー。そして冒険者隊からは悠とハリハリである。
「よし、では早速乗り込むか!!!」
「おーいジェラルド、ここに盛大に勘違いしてるバカが居るぞ」
「面目次第もありません……ベルトルーゼ様、ちょっと黙っていて下さい」
武器を振り回すベルトルーゼをジェラルドが後ろに引っ張り黙らせると、気を取り直してバローは他の者達に向き直った。
「俺とベルトルーゼ、ユウはそれぞれの頭だから決定として、パトリオ、お前はどうする?」
「当然私が行く。祖国の問題を他国人だけに任せるのではアライアット貴族の誇りは地に落ちよう」
真剣な表情でパトリオは言い放った。僅かに震えているのは武者震いでは無いだろうが、クリストファーよりもパトリオが適任であるのは言うまでも無い。
「万一の為にワタクシも付いて行きます。魔法使いが一人も居ないのでは心許ないでしょう?」
「だな。んじゃ、この5人で――」
「……本当に5人だけでよろしいのですか? 敵が逆転の目を狙って大将を奇襲して来る可能性は決して低くはありませんぞ?」
懸念を露わにするマーヴィンにバローは肩を竦めた。
「んなモン百も承知だぜ。だからってゾロゾロ兵を連れて行っても肉の壁にしかなんねぇよ。ユウとベルトルーゼが居れば守りは万全さ。勿論、俺だってそう簡単にはやられねぇぜ?」
「頭では理解しているのですが……やはり、バロー様が倒れるというのが連合軍の敗北を意味するかと思うとどうにも……」
「マーヴィン、バローはフォロスゼータでの態度を貫き通さなければならん。それが連合軍総大将のバローの役目だ。死なせはせんよ」
悠がマーヴィンを見据えて口添えすると、マーヴィンも軽く溜息を吐いて頷いた。
「……そうですな。ここはユウ殿にお任せ致します」
「なぁに、バロー殿はそう簡単に死にはしませんよ。何度もユウ殿とやり合って未だに元気に生きてるんですから」
「それは中々説得力に富んでいますな」
「おいコラ、人を悪人か害虫みてぇに言ってんじゃねえ!!!」
バローは悪態を吐くとオープンフェイスの兜を被り、フォロスゼータに向き直った。
「マーヴィン、敵が全面攻勢に出るようなら兵の指揮はお前に任せる。じゃあな」
「御武運を」
今度はマーヴィンも止める事無くバロー達を送り出した。
フォロスゼータへ向けて5騎の馬影が前に進み出る。
「ベルトルーゼ、パトリオを守ってくれよ。敵さんが何かして来たとして、一番死にそうなのがパトリオなんだからよ」
「フッ、よかろう。新しい装備の実戦での使い心地も試しておきたいからな!」
「……よろしく頼む」
女に守って貰うのはパトリオの本意では無いが、この中では自分が圧倒的な弱者である事をパトリオも認めない訳にはいかなかった。というより、他の者達が人間離れして強過ぎるのだ。虚勢を張るのが虚しいほどに。
「しかし、マーヴィン殿の懸念も分かりますよ。ワタクシならこの機会での奇襲に全力を注ぎますね。食糧も無く、増援も見込めず、兵力差は3倍近くとなれば、後は短期決戦で大将首を取るしかありませんし」
「俺もそう思うぜ。だが、逆に言えばそれに失敗すれば聖神教の勝ち目は無くなるワケだ。本格的な戦闘が始まる前に心をへし折って優位に立てってのが、彼方に居る我らが軍師様のお達しだからなぁ」
バローがこの場に選ばれたのは、単に連合軍の総大将だからという理由ばかりでは無く、雪人の策の内である。バローを囮に使う事で相手の出方を探る事も出来るし、あくまで手順を守るバローが襲われたなら世論はますます連合軍に共感を抱くだろう。襲われなければ刻限を理由に堂々と攻めればいいだけである。ただ、その為にはバローが死なずに生き残る必要があった。
「策というのはどちらに転んでも機能する様に練るものだ。……人間相手は楽でいい。龍が相手では一手間違えれば軍が崩壊するからな。あっさり死んだりするなよ髭。俺の予定が狂う」
雪人の余分な台詞まで思い出し、バローが苦々しい顔になった。
「あの毒舌軍師、あれで気遣ったつもりか?」
「ユキヒト殿なりの気遣いだとは思いますよ。本当にどうでもいい相手なら死ぬなとは言わない御仁と見ました」
「ハリハリの言う通りだな。雪人は一山いくらで人命を計らなければならない参謀だ。アイツが死ぬなと言う時は、本当に死んで貰いたく無い時か、生還の見込みが高い時だけだ」
雪人は生還の見込みのない任務に当たる相手に生きて帰れなどという無責任な事は言わない。ただ必要な情報を渡して送り出すだけである。それが兵士を死地へ送らねばならない雪人の参謀としての誠意であった。
「俺だってミロやらドラゴンやらユウやらと戦って生き残って来たんだ、生き残るって事に関してはしぶといぜ」
「ヤハハ、その戦歴を聞くと連合軍が敗れるとしてもバロー殿が死ぬとは思えませんね」
「その代わり、敗れれば帰ってからカザエルに首を刎ねられるかもしれんな」
「……おっかしいな……軍の大将ってもっと華々しくて美味しい立場じゃねぇのか? 俺、苦労ばっかりじゃね?」
「気のせいだ」
「気のせいです」
「気のせいだろう!」
「……私もそう思っていたが気のせいだったらしい……」
パトリオもすっかり認識が改まった所で一行はフォロスゼータの正面に辿り着いた。そこには当然ながら見張りが立っており、悠はふと気付いた事があってバローをその場に制止した。
「止まれ。ここまでくれば十分に声は届く」
「ふぅん? なるほどな、じゃあここでいいか」
バローにも悠が言わんとする事が伝わったようで、全員その場で停止した。
「パトリオ、ベルトルーゼの後ろから動くな」
パトリオにそう一声掛け、バローは拡声の魔道具を手に取ってフォロスゼータに向け声を放った。
「連合軍総大将ベロウ・ノワールである!!! 今日が一週間の刻限だ、返答される気があるのであれば返答を頂こう!!!」
ビリビリと大気を震わせるバローの声に見張りの兵士達は一歩退いたが、手にした槍を杖にして何とかその威圧を堪えた。
そのまま1分が過ぎ、2分が過ぎ、バローは相手に返答する気が無いのだと万人が理解出来る時間を待ち、再び声を放つ。
「……よろしい、返答する気が無いのであればそれでも結構!! これより先は武力を持って事に当たらせて貰う!!! ……が」
そこでバローは軽く肩を竦めた。
「最後の晩餐の機会を奪うのも忍びない。それに、刻限が今日となれば一応夜中の12時までは今日の内とも言えよう。存分に腹を満たし、明朝からの決戦に備えられるがいい!!!」
これは相手の立場を思いやっているようで、痛切な皮肉であった。今のフォロスゼータには腹を満たせるような兵糧は有りはしないのだ。だが、バローの立場であれば当然知るはずも無い事実である(という事になっている)ので、その事に関してバローを非難する事など出来ようはずも無い。何も知らないという事を前提にすれば、バローの行動は清廉で慈悲深いとすら感じられるはずである。実際はただの挑発だが。
言うだけの事を言ってバローが馬首を巡らせた時、見張りの兵士が地面を槍で叩くのを合図にしてそれは起こった。
突然フォロスゼータの正面に位置する地面が消失し、兵士達が掘られていた塹壕から上半身を出して弓を構えたのだ。
「放て!!!」
号令と共に、警告など一切無く50を超える矢が一斉にバロー達に向けて放たれた。
まぁ、このタイミングで奇襲しないなんて事はありませんね。




