8-38 進軍25
夕暮れ時になり、ルビナンテとアルトが駆け付けた頃にはテントの設営もかなり進んでいた。
「おぅ、こっちはちゃんと働いてるみてぇだな」
「もう勘弁して下さいよ。えーと、トモキさんは……あ、居た」
智樹は相変わらずの怪力ぶりを発揮し、自分の体重の何倍もある資材を一人で運んでいた。遠くからでもその姿は良く目立ち、周囲の者とも上手く打ち解けているようだ。
「おっし、オレも手伝うぜ!! トモキ――」
手近にある資材を手に取り智樹の下に走り寄るルビナンテだったが、横から智樹に抱き付いたモカを見てピシリと体が硬直した。
「トモキの兄貴~!!」
「うわっ!? もう、物を運んでいる時は危ないでしょ?」
「ごめ~ん。でも、トモキの兄貴なら支えてくれるって信じてたぜ!!」
イチャイチャと談笑する――ルビナンテにはそう見えた――智樹とモカを見たルビナンテの持っていたテントの骨組みがビキビキとその手に握り潰され額には青筋が浮かび上がる。
「……にしてんだコラァ……」
呟かれた言葉に強烈な怒気を感じ、アルトは即座にフォローに回った。
「さ……流石トモキさん、すぐに皆と仲良くなったみたいですね!! 兄貴って呼ばれているし、きっと兄妹のような感じで――」
「なぁ、どうしてもダメ~? アタシ、これでも結構いい体してると思うぜ? ルビィの姐さんほどじゃ無いけどよ、その分若いし、きっと兄貴を飽きさせないと思うんだ!!!」
アルトのフォローは無駄になった。
無言になり、そっと目を逸らすアルトを置いて、ルビナンテは手の中の資材を粉々に粉砕し、調子良く自己アピールを続けるモカに背後から迫った。
「モカちゃん、年頃の女の子が人前でそんな事を言っちゃダメだよ? モカちゃんは可愛いんだから、僕なんかじゃ無くてもきっといい人が見つかるよ」
「か、可愛い!? やだなぁ兄貴!! そんな事言われたら下っ腹がキュンキュンしてギャアアアアアアア!!!」
「……誰が若くないって? ……知らなかったぜモカ、テメェ、オレの事をそんな風に思ってたんだな?」
頭を鷲掴みにされ吊り上げられたモカは痛みよりもその声が誰であるかを悟って蒼白になった。
「る、る、ルビィの姐さん!? ちょ、ごごご誤解ですーーーッ!!!」
「モカ!? 一体どうしたんスかギャアアアアアア!!!」
続いて駆け付けたダリオも正面から頭を鷲掴みにされ、そのまま吊り上げられた。
「ダリオ、テメェ妹にどういう教育してやがる!? トモキを人一倍扱き使っておいて嫁だなんだと……頭カチ割ってやろうか!?」
「申し訳ありませんっス!!! 今後はこんな事が無いようにするっス!!!」
「イタイイタイイタイ~~~ッ!!!」
人間2人を力づくで吊り上げるルビナンテの力は相当な物だったが、モカが涙を流し始めた所で智樹が止めに入った。
「ルビナンテさん、やり過ぎです。モカちゃんもさっきまで一生懸命働いてくれていたんですよ。それに、ダリオさんも仲間と人達と協力してくれたからここまで準備出来たんです。決してサボっていた訳じゃありません」
「……」
真正面からルビナンテに意見する智樹にモカとダリオのみならず周囲の者達も称賛の眼差しを送った。怒っている時のルビナンテに意見など言っても文字通り握り潰されてしまうのがオチだったからだ。
しかし、ルビナンテの怒りは別にモカがサボっていたなどという事に起因する物では無く、もっと個人的な感情からだったので智樹の言葉と言えど簡単には頷く事は出来なかった。
「それより、ルビナンテさんが来てくれたのならちょっと手伝って下さい。最後に大型のテントを建てないといけないんですが、力のある人が必要なんです。ルビナンテさんに助けて頂ければ、僕もすごく助かるんですが……」
矛先を少し変えた要請を口にする智樹に、ルビナンテはようやくモカとダリオから手を放した。
「……ふん、テメェら、トモキに感謝するんだな。次はこんなモンじゃ済まねぇぞ」
「イツツ……スンマセン……」
「うぎ~……頭割れるかと思ったぁ~……」
「ホラ、ここはいいからあっちを手伝って来てね」
智樹に促され、モカはフラフラとその場から立ち去っていった。
「ここに来たという事は、食糧の配布は終わりましたか?」
「ああ、大体な。後は取りに来れねぇジジイやババアの家を荷車で回ってる。その目途も付いたからこっちに来たんだぜ」
「そうですか。ルビナンテさん、アルト君、ありがとう」
笑顔を見せる智樹にルビナンテの怒りも収まったようだ。
「中の様子はどうだった、アルト君?」
「概ね好意的に受け取って貰えました。ルビナンテさん、住人の方達と親しいんですよ。そのお陰であまり滞る事も無く流民の受け入れは了承して貰えたんですが……」
後半になってアルトの眉間に皺が寄り始めた。
「何か問題が?」
「……どうも、既得権益を侵されると思った商人の人達と多少揉めました。あちらは商売ですから分からなくも無いんですが……」
アルト達が食糧を配り始めてからしばらく経った頃、商人の一団が抗議に訪れたのだ。それが理屈に沿って抗議してきたのであれば、アルトなら彼らに言葉を尽くして説得を行ったのだろうが、生憎彼らに誠意は無く、対応したのはルビナンテだった。
「こんな勝手な真似をするのはどこのどいつだ!! 即刻止めさせろ!!」
頭ごなしに怒鳴りつける太った商人はゾアントに賄賂を贈る事でヘネティアの流通を操っていた御用商人であった。この期に及んでまだ自分の権力が通用すると思っていたのだが、残念ながら彼の権力は後ろ盾を失っていた。
「ふん、この物資は私が役立ててやろう。おい!! 早く倉庫に――」
商人が人間の言葉を話せたのはそれが最後だった。連れてきた使用人達を振り返った彼の目に飛び込んできたのは凶暴に笑うルビナンテの足の裏だったからだ。
「ブゴッ!?」
ルビナンテの飛び蹴りが商人の顔にめり込み、鼻を折り、歯の大半を叩き折って背後に吹き飛ばす。
「誰が頭かって!? オレに決まってんだろうが!!!」
「ひ、ひいっ、る、ルビナンテ様!?」
「領主としてオレが配ってる食いモンを横からかっさらおうたぁいい度胸してんなぁ……全員ブッ殺してやろうか?」
顔面を血で真っ赤に染める商人を引きずり出し、頭を掴んで崩壊した顔面を見せ付け凄むルビナンテに他の者達は失禁寸前であった。一応護衛は連れているとは言え、領主代理のルビナンテに逆らう事は死を意味している。腕力でも権力でも敵わない相手を前にして、商人達は震えるばかりだ。
だが、ただ一人まだ空気も状況も読めない人間がルビナンテの手の中に存在した。
「ほ……ほんははへは……」
歯と鼻をへし折られた商人だ。これだけの目に遭って、まだ自分の権力を信じているのはいっそ天晴れな鈍感力かもしれない。
「は、はあひひは、へ……へろひあふははは……」
殆ど言葉の体を成していないが、どうやら「私にはセロニアス様が」と言っているらしいと分かったルビナンテは商人の頭をそのまま地面に叩き付けた。
「ベベッ!?」
血塗れの顔拓が地面に印刷され、数度繰り返すと、商人の顔はどこにどのパーツが配置されているのか分からない有り様となった。
「言っとくがな、セロニアスなら街の外でハラワタブチ撒けてくたばってんぞ。……テメェらもハラ掻っ捌いてやればここの住人は喜ぶかもなぁ?」
ふと恐怖に震えていた商人達が気が付くと、いつの間にか周囲は殺気立った住民達で埋め尽くされていた。それぞれの手には棒や包丁があり、誰か一人が動き出せば即暴動に発展しかねない状況であった。
「こっちは食いモンが無くてガキにもひもじい思いをさせてんのに足下見やがって……!」
「コイツラ、日に日に値段を吊り上げてるんだ!! もう許せねえ!!」
「バラして家畜のエサにしちまおうぜ!!」
「い、命ばかりはお助けを!!」
ジリジリと包囲網を狭める住人達を見て、ルビナンテは商人達を生贄に差し出そうとしたが、そこに遅れてアルトがやって来た。
「ルビナンテさん、彼らのした事は非道ですが、一番悪い人はもう粛清されました。ここは実利を取って、彼らから徴発する事で許してあげましょう。時には寛容さを見せる事も領主には必要です」
「チッ、めんどくせーなぁ……」
渋々とではあったが、ルビナンテはアルトの意見を聞き入れ、掴んだままだった商人を放した。
「おい!! コイツの言ってた倉庫とやらにゃ色々溜めこんでるんだろ? そいつを半分供出しろ。嫌なら全員ブッ殺して全部貰ってくぜ!!!」
本当なら断りたいが、逆らえばルビナンテは本気で商人達を全員殺すだろう。半分も供出すれば立ち行かなくなる可能性が高いが、命には代えられなかった。
「い、言う通りにします!!!」
「ついでにもう阿漕な商売は止めるんだな。今後この街で勝手な真似は許さねえ。もしオレの耳に入ったら、「お願いですから殺して下さい」って哀願する様な目に遭わせてから叩き殺すぞ!!!」
「しませんしません!!! 絶対にしません!!!」
倍以上に腫れ上がった顔で転がる商人を見て、他の商人達は一斉に平伏した。誰もがあんな風にだけはなりたくないと心底怯えていたのだ。
「じゃあサッサと持って来い!!! おい、何人か付いて行ってきっかり半分かどうか見てきな!!!」
ほうほうの体でその場を去る商人達の背中に鼻息を一つ送り、ルビナンテは隣に居るアルトに話し掛けた。
「ちょっと甘ぇんじゃねぇか?」
「見せしめは多く作る必要はありませんよ。あまり残酷な真似をしては住人の方々も委縮しますからね。それに、やはり商人は街に無くてはならない存在です。誰も居なくなってしまっては戦後、ルビナンテさんも住人の方々も困る事になりますから、心を入れ替えてくれるならそれに越した事はありません」
アルトは別に商人達が可哀想になったから助けた訳では無く、人が暮らす為には流通を支える商人が必要不可欠であるからだ。他の商人を連れてこようにも時間がかかるのだから、今居る人間でやり繰りしなければならないのである。
「ふーん、難しい事はオレにゃ分かんねぇや」
「頼りになる文官を雇ったらいいですよ。僕だって専門家ではありませんから。それと、信賞必罰はしっかりとした方がいいと思います。断罪するばかりでは無く、有為な人間にはしっかりと報いてあげれば健全さは損なわれません」
「惜しいな、アルトがミーノスの貴族じゃなけりゃ全部任せるのによ」
「まだ成人もしていない僕には荷が重すぎますね」
商人を撃退し物資の供出に応じさせたルビナンテに住人が喝采を送る中、アルトとルビナンテは笑い合ったのだった。
「そんな事があったんだ……それならヘネティアは大丈夫だね」
「ええ、ルビナンテさんが居る限りは下手な真似はもうしないでしょう」
「姐さんに逆らうたぁバカなヤロウだな」
「皆姐さんの偉大さを分かったみてぇだし、これからは姐さんの天下だぜ!!」
「ああ、クソオヤジもセロニアスもバカ商人ももう居ねえ。ダリオ、カストレイア、お前らも気合入れろよ!!!」
「「「はい!!!」」」
皆が結束を深めている所に、先ほど離れていったモカが再び戻って来た。
「姐さーん!! 流民達が来ましたぜーーー!!!」
「おう、来た順にテントに案内してやりな!! トモキ、もう一仕事だ!!!」
最後の大型テントを建てる為、ルビナンテは智樹に手を差し出した。晴れやかな顔をしたルビナンテはこの短い間に領主としての自覚を持ち始めたらしい。
その事を嬉しく思い、智樹も片手に荷物を担ぎ、ルビナンテの手を取る。
「ええ、行きましょう!」
「僕も手伝います!」
「俺っちも!」
「アタイも!」
駆け出したルビナンテと智樹を追って他の3人も走り出した。大変な1日だったが、やり切った充足感を全員が感じていた。
「……ちぇっ、姐さんが相手じゃムリかなぁ~……」
残されたモカが、少し寂しそうに呟いた。
これでヘネティアは一段落……となりますかねぇ……。




