8-25 進軍12
念の為街の側まで近付いてみたが、街からは何のリアクションも無かったので、悠は危険は無いと判断して先に進む事にした。ルビナンテ一人の為にこれ以上連合軍の足を止める事は出来ないのだ。
「兵隊は居ない訳では無いようだが、誰一人顔すら出さん。女一人に事態を任せて縮こまっているなど兵士以前、男以前に人間として腐っているな」
「しかし当初の予定通りとも言えます。ユウ殿に怖じ気づいたと言うなら追ってくる事も無いでしょう」
「そのチチも背丈もデカい姉ちゃんも適当な所で帰してやりゃいいだろ。人質なんてのは性に合わねえ」
マーヴィンとバローもそう判断した為、悠は『虚数拠点』の中にルビナンテを仕舞い、ギルザードに監視を頼んだ。
「途中で目を覚ましたら大人しくするように言い聞かせておいてくれ。暴れるようなら多少手荒になっても構わん。智樹なら大丈夫だろうが、他の子供らには少々手に余るかもしれん」
「手荒でもいいならお安いご用だ。任せてくれ」
「……だからと言ってこれ以上無闇に怪我を増やしていいという意味では無いからな?」
「え? ……あ、と、当然分かっているとも! 全く、ユウは私を暴れん坊か何かと勘違いしているフシがあるな!!」
《……今の間が状況証拠として十分だと思うけどね……》
聞こえているはずなのに明後日の方向を見ているギルザードに不安を覚えた悠は結局智樹にも声を掛ける事にした。
「智樹、お前ならルビナンテに力負けする事もないだろう。途中で何かあったら頼む」
「ま、また女の人を取り押さえる役ですか……」
アルトに続いてまたもトラブルを引き起こしそうな気配に智樹の腰が引けていたが、それでも悠の要請に否を返す者はこの屋敷には居ない。
「分かりました、頑張ります……」
「だがお前と皆の安全が最優先だ。あまりに酷いようなら手加減するな」
「おい、私とトモキで随分言う事が違うじゃないか!! どういう了見だ!?」
「お前は加減するなと言ったら本当に加減せんだろうが。シュルツの家系に連なる者に繊細な作業はさせん」
「おのれっ、千年の歴史を持つ我が家を愚弄するかっ!?」
《よく千年もったと感心してるわよ。どう考えても途中で途切れてもおかしくないもの》
「む、むむむむむっ!!」
ギルザードの反論を封じ込め、悠は後を任せて再び行軍へと戻っていった。
ルビナンテが目を覚ましたのはそれから3時間後の事である。
「……う……イツッ!」
額の痛みに身を捩り、ベッドの上で苦痛に耐えつつルビナンテは現状を把握しようと思考を回し始めた。
「……チッ、捕まったのかオレは……」
見慣れない部屋で転がされている理由は分からないが、頭突きを敢行した前後の記憶が曖昧で上手く思い出せないので、ルビナンテは痛む頭に衝撃が伝わらないようにそっと起き上がり、窓の側まで行くと、そこには尋常では無い景色が広がっており思わず絶句してしまった。
「なんだありゃ……?」
現在、『虚数拠点』は収納されていて異空間に固定されている。つまり、脱出は不可能だ。
それでもルビナンテは近くまで行って何とか逃げ出せないかと窓の下を見やったが、地上までの高さを見て諦めざるを得なかった。今の自分の体調で飛び降りる事は出来ないだろうと悟ったからだ。
ならば中から出るしかないが、恐らく監視くらいは付いているだろう。一人だけなら不意を付けばこの体調でも行けるかと、ルビナンテはソッとドアに近付いた。
(出たとこ勝負をするしかねぇか……。1、2の、3!!)
心の中でカウントし、ルビナンテは鍵の掛かっていないドアを一気に開いて外に飛び出した。
「むっ、起きたか?」
「てりゃあッ!!!」
外に立っていた見張り(ギルザード)を昏倒させようとルビナンテの蹴りがギルザードの胴に叩き込まれたが、必倒を期して放たれたその蹴りはギルザードを僅かに後退させる効果しか生まなかった。
「おっと。思ったより元気では無いか」
「くっ!? こ、このバケモンがっ!!!」
渾身の蹴りが何の痛痒も無く受けられた事にルビナンテは苛立ったが、それよりも更に不味い事に今の蹴りで足を痛めてしまったらしい事がルビナンテを焦らせた。
(ヤベェ、この足じゃこんなバケモンの相手は出来ねえ!!!)
「おっと、一応先に忠告しておくが、これ以上暴れるのなら扱いが手荒になるぞ? 大人しくしていればユウが傷の手当てもしてくれるだろう」
「んなモン信用出来るかよ!!! オレは勝手に帰らせて――」
「どうしました、ギルザードさん?」
「あっ、トモキ」
その時、上階の物音を聞きつけてやって来た智樹を見てルビナンテは主義に反するがこの坊ちゃん面を人質にして逃げ出そうと、怪我をしていない足で踏み切り、智樹に飛び掛かった。
「ちょっと付き合って貰うぜ!!!」
「うわっ!?」
「大人しくしてな!! そうすりゃオレも手荒な真似はしなくて……え?」
智樹を背後から羽交い絞めにしようとしたルビナンテだったが、その手があっさりと外され、あれよあれよと言う間に後ろ手に捕縛されてしまい目を白黒させた。無理矢理外そうと力を込めるが、外見からは全く読み取れなかった智樹の膂力に完璧に抑え込まれていた。
「ふぅ……アルテナさんの二の舞は御免だよ」
「は、放せ、放せよ!!! うっ……」
痛めた手首と足、そして頭部へのダメージが抜けきっていなかったルビナンテは智樹に掴まったままその場にへたり込んでしまった。そこにギルザードが歩み寄り、ルビナンテに手を伸ばした。
「ありがとうトモキ、さ、その暴力女は私が預かろう」
すんなりと渡して貰えると思っていたギルザードだったが、帰って来たのは珍しい智樹の怒声であった。
「何をやってるんですかギルザードさん!! 悠先生は無闇に怪我を増やすなって言っていたじゃありませんか!! どうしてルビナンテさんの怪我が増えているんです!?」
「えっ? あ、そ、それは、その暴力女が私を蹴ったからであって、ただの自業自得……」
「ギルザードさんならかわすなり勢いを殺すなり出来たでしょう!? 普通のか弱い女の人が龍鉄なんて蹴ったらどうなるかくらいは分かるじゃないですか!!!」
「は、はい! ごめんなさい!!」
か弱いなどあろうはずが無いが、初めて見る智樹の剣幕に押され、ギルザードは反射的に謝った。
「僕じゃ無くてルビナンテさんに謝って下さい!!」
「す、済まない、私に向かって来る人間なんて久しぶりなものだから、つい気を抜いてしまった」
「僕からも謝ります、ちゃんと治療もしますし悪い様にはしませんから、もう少しだけ部屋で休んでいてくれませんか?」
蹴られた者が蹴って来た者に謝罪をするという珍妙な絵図がそこにはあったが、当のルビナンテはそんな謝罪など聞いてはいなかった。なぜなら、智樹の発言がルビナンテの脳裏にリフレインしていたからだ。
「か、か弱い……? オレが?」
生まれてから19年、成長も早く体格も良く、女らしい事になど一切興味を示さなかったルビナンテにとって、か弱いと称されたのは生まれて初めての事であった。世間一般の男など鉄拳一発で沈めて来たルビナンテを女扱いするような奇特な、或いは命知らずはこれまで皆無だったのだ。
「え? ええ、本当にすいません。お詫びに僕が部屋にお運びしますから」
顔を真っ赤にするルビナンテを怒りの為だろうと判断し、智樹は期せずして女座りにへたり込んでいたルビナンテを掛け声をかける事も無くひょいと横抱きに持ち上げた。俗に言うお姫様抱っこである。
「わ、わわわわわわわわ!?」
「僕はアライアットの風習をあまり知らないもので、無礼があったならお許し下さい。ギルザードさん、ドアを開けて貰えますか?」
「あ、うん、分かったよ……」
何となく自分が居るのが場違いな気がしていたギルザードは智樹の言葉に唯々諾々と従い、智樹はルビナンテを抱いたまま部屋の中へと入って行った。
ルビナンテは大いに混乱し、自分の胸をさらけ出した格好が急にもの凄く恥ずかしいものに思えて来たので智樹の腕の中で慌てて服の左右を引っ張って胸を隠した。
智樹はルビナンテの行動から、顔が赤かったのは怒りだけでは無く服がはだけていて恥ずかしかったんだと悟り(勘違いし)、努めてその有り様を見ないようにして赤子をベッドに寝かせるような慎重さでそっとルビナンテをベッドに横たえた。
「ルビナンテさん、喉が渇いていたりはしませんか? 手足や頭の痛みが酷いようなら今薬を……」
「だ、だ、だ、だ、だい、じょぶ……」
「本当ですか? 痛いならちゃんと言って下さいよ? 僕、こう見えても医者を志していますから」
「ほ、ほんとに、大丈夫、だから……!」
「そうですか? では、僕はドアの前に居ますから、何かご用がありましたら声を掛けて下さい。今度は大人しくしてなきゃダメですよ?」
智樹が真剣な表情から一転、柔らかい微笑みを浮かべてルビナンテの顔に垂れ下がっていた髪を指で梳き取って横に流すと、その指先を感じたルビナンテの胸がドクンと大きく跳ねた。
(お、オレ、どうしちまったんだ!? 何なんだよこれ!?)
真っ赤な顔のまま目をグルグルと回すルビナンテは、とにかく智樹の顔を見ていられなくなってバッと毛布を頭から被った。
「お、お、オレは寝る!!」
「はい、そうして下さい。それじゃ、僕も出ますね」
ベッドに腰掛けていた智樹が立ち上がり、側を離れて行くのを感じたルビナンテは毛布を被ったまま、自分でも無意識の内に声を上げていた。
「な、なあ!! ……お、お前の、名前、お、教えろよ……」
「え? ああ、すいません、まだ名乗っていませんでしたね。僕は智樹、宮本 智樹です。こちら風に言うならトモキ・ミヤモトとなるのかもしれませんけど……あ、苗字があるからと言って貴族という訳ではありませんから。では、お休みなさい」
そのまま長話は良くないと考えた智樹は折り目正しくルビナンテの眠る部屋から出て行った。残されたルビナンテは強く自分の胸元を握り締めながら小さくその名を口にしてみた。
「トモキ……トモキ、か……」
なぜだかその名を呼ぶ毎に、胸の奥が痛くなるような気がするルビナンテであった。
純情可憐。
意表を突いて智樹なんですよね~。




