8-24 進軍11
ハリハリの手が振り下ろされた瞬間、ルビナンテの左手が悠に向かって伸ばされ、その意図を悟った悠もそれに応じてガッチリと両者の手が組み合わされた。まずは力比べをしようと言うのだろう。
何故両手を伸ばして来ないのだろうか? 悠にはその理由が透けていた。
(バカね。石壁を叩いた時、この娘手首やっちゃってるわよ。本当なら跳び上がるほど痛かったでしょうに)
(だからこそ余計に気が立っていたのかもしれんぞ。そうなるとこうして組んで来る意図も読めるな)
組み合う意図はその状況によって様々だろうが、右手が使えないという条件で組むのであれば選択肢は多くない。まずは単純に相手の力量を測り、可能ならばそのまま押さえ込むというものであるが、これは全く無謀という他が無かった。
「んぐぐぐぐぐぐぐぐぎぎぎぎぎぎぎッ!!!」
ルビナンテが全力で悠の手を握り潰そうと力を込めても、悠は体勢一つ崩す事も無く受け止めたからだ。悠を力で抑え込みたいのであれば、最低でも他『竜騎士』並みの力、握力で言えば500キロほどで無ければ拮抗する事すら出来ないのである。これは既に人間の限界を遥かに超えており、普通の人間であれば200キロ前後が最大値だが、才能や能力を持っている者はこの限りでは無い。現に智樹は最大出力で能力を解放すれば500キロ前後の握力を出せるレベルにまで鍛え込んでいるのだ。
だからルビナンテに絶対に拮抗出来ないとは言えなかったのだが、残念ながら彼女にそれだけの握力は無かったようだ。成人女性としては破格の握力、およそ120~130キロほどはありそうだったが、それでも悠の4分の1以下である。それでは握力だけで抑え込めるはずも無い。
(な、なんて野郎だ!? 力自慢の兵士だってオレに敵う奴なんざ居なかったのに!!!)
120キロの握力があれば相手の手を握り潰す事すら可能だと言うのに、初期の固定状態から1ミリすら押し込めない事にルビナンテは驚愕していた。それはつまり、相手の力が自分よりも圧倒的に上だからだと認めるしかない事実であった。
しかし、ここで折れるのはルビナンテの矜持に反する事であったので、口に出しては憎まれ口を叩いた。
「さ、流石にちょっとはやるみてぇだな!! だけどオレはまだ本気じゃ無いぜ!!!」
「ならば早く力を入れるんだな。俺は戦場でダンスを踊る趣味は無いぞ」
「野郎ッ!!!」
手と手を組み合わせている現状を踊りと揶揄されたルビナンテが更に力を振り絞ったが、それでも握力に10キロほど上乗せされただけで、均衡を崩す力にはなり得なかった。
(畜生、力じゃ勝てねぇ!!! なら……!)
奥の手として取っておいた切り札を切る決意をしたルビナンテには腕を組んだもう一つの理由があった。それを実行に移す為にルビナンテは頭を大きく背後に反らした。
「食らっとけ!!!」
それこそがいわゆるヘッドバッド、頭突きである。一番硬い頭蓋骨を打撃に用いるのは理に適った行為であり、それがルビナンテの身体能力で繰り出されれば顔面の陥没は免れない。それどころか下手をすればその衝撃は脳まで抜け、命を落とす事になるかもしれない。
(勝った!!!)
左手は組み合わされたままで悠に逃げ場は無く、たとえ顔を逸らしても、それなら首筋か鎖骨に叩き込めば戦闘不能に追い込めると計算したルビナンテはそれなりの修羅場を踏んで来たのだろう。戦術的にも悪くは無いが、それが既に見抜かれているのなら当然対応されるのも道理である。
悠には幾つかの対処の方法が可能であった。組んでいる左手に力を込めて組み敷く事も出来るし、自由な足で相手の足を払っても止められるだろう。だが、ルビナンテは技術に頼って勝っても納得しないのではないかと考えた悠は、その中でも最も派手で荒っぽい方法を選んだ。
「ふん」
ドキャッ!!!!!!!
骨と骨が奏でる激突音の凄まじさに冒険者達が顔を顰めたり逸らしたりといった反応を示した。ルビナンテの頭突きが悠の顔にめり込んだ音……では勿論無い。
では何の音かと言えばそれは2人の様子を見れば一目瞭然であった。
「……ぐ……て、テメェ……!」
零距離にある悠の目を睨むルビナンテの語尾が不自然に揺れていた。
零距離。その言葉が表す通り、悠とルビナンテの間に距離は存在していない。なぜなら、ルビナンテの頭突きを悠もまた頭突きで打ち合わせたからだ。
「うわぁ……エグい音……」
「頭割れたんじゃねぇか、アレ……」
「でも、これって痛み分け?」
「バカ、あの姉ちゃんの足下を見て見ろよ」
「足下? ……うげぇ、マジかよ……!」
冒険者達の視線の先に、足が地面にめり込んだルビナンテが確認出来た。いくら舗装をしていない地面と言えど、そうそう人間が地面にめり込んだりするはずも無く、ルビナンテの頭突きよりも悠の頭突きの方が威力が上だった事は明らかだった。
悠はただルビナンテの頭突きに合わせたのでは無い。身長の関係上、下から突き上げて来る軌道を取るルビナンテに対し、悠は軽く頭を引き、上から前頭部を打ち付けたのだ。その結果が足下に現れていたのである。
それでも悠が本気でルビナンテに頭突きを敢行すればルビナンテの頭部は残っていなかっただろう。そうでなくても加減を誤ればルビナンテの頭蓋骨は粉砕され、絶命していたと考えれば上手く手加減したと言っていい。だが、逆に言えば手加減したからといってルビナンテのダメージが限界を超えていた事に変わりは無い。
額の皮膚が弾け、ルビナンテの目に血が流れ込み視界を赤く染め上げた。だがそれを意識する事も出来ないほどの意識の混濁が起こり、ルビナンテの体がずるりと滑り落ちた。頭部への衝撃による脳震盪だ。
「ク、ソ……が…………」
足首まで地面にめり込んだまま倒れれば骨折くらいはしたかもしれないが、幸い至近距離に居た悠によってルビナンテは受け止められ、そのまま意識を失った。
「それまで!! ……でも、これじゃあ話すら出来ませんねえ」
審判のハリハリがそう締め括ったが、確かにこれでは情報を聞き出すどころでは無いだろう。そもそも、すぐに目を覚ますほどルビナンテのダメージは軽くは無いのだ。
「仕方が無い、とりあえずは連れて行こう。夜営する時間になっても目を覚まさないなら俺が治療に当たる」
「ヤハハ、戦ってお嬢様を手に入れるとは、まるで物語の英雄のようですね!」
「……普通そういう時は囚われのか弱い令嬢なのでは無いか? それに、戦うのはその令嬢を攫った相手であって、令嬢本人ではあるまいに」
「細かい所は気にしなくていいんですよ。大筋で合っていれば」
《全然違うわよ。これじゃ野盗ね》
レイラの言葉が最も今の状況に近かったが、挑まれておいて野盗呼ばわりは何となく納得が行かない悠であった。
危うくルビナンテを再起不能にする所でした。『豊穣』があるので死にはしないんですが。




