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8-21 進軍8

夜半に無理矢理起こされたデミトリーは表面上はガルファの来訪を快く受け入れた。眠いなどという理由で不機嫌さを表に出すほどデミトリーは迂闊な人物では無いのだ。


だが、続くガルファの言葉には流石に驚きを隠せなかった。


「兵糧が燃えたですと!?」


「ああ、全滅だ。麦の一粒すら残さずな。このままでは戦えん」


忌々しそうに語るガルファの様子から冗談や虚言では無いだろうと悟ったデミトリーは眠気の残滓を吹き飛ばし、どうするべきかを考え始め、まず懸念を口にした。


「……誰かが、意図的に焼いたのですか?」


「分からんが、その可能性は低いだろう。兵士の証言では夜半から強まった風で自然に篝火が倒れたのが原因らしい。そもそもこのフォロスゼータは外部から侵入出来る構造ではない。居るとすれば内部の者の犯行という事になる。見張りの者達は職務怠慢で処刑するとしても、その手の疑念を抱かせるのは士気の面から見ても得策では無いな……」


ただでさえ士気の低下が著しい所に離反者の存在などが露呈すれば、それがたとえ真実では無いとしても兵士達は疑心暗鬼に駆られるだろう。隣に居る者が信用出来なくなればもう組織立った行動など不可能だ。


「ならば後は数を絞り敵から奪うしか――」


「そこでデミトリー殿に頼みがある。確実とは言えん方法では無く、ノルツァー領から兵糧を送って貰いたい。それも開戦までにだ」


「……は?」


ガルファの要求にデミトリーの気配が僅かに硬くなったが、それでもデミトリーは口では穏便に釈明を述べた。


「……しかし、開戦予定日はもう明後日で、我が領地までは片道2日は掛かります。それを明後日までにと言うのは……」


「私は出来る出来ないの話をしているのでは無くやってくれと言っている。でなければこの戦は負けるし、そうなればデミトリー殿は戦犯として断罪される事になるのは理解していよう。のんびり進んで2日掛かるのなら、夜通しでも強行軍でも何でもして間に合わせろ。それがノルツァー公爵家が生き残る唯一の道だ」


「……」


ガルファの冷厳な宣告に両者の間の空気が俄かに帯電したかと思えた。しかし、暴力でも権力でもこの場ではガルファの方が圧倒的に強者であり、デミトリーに対抗する手段は残されてはいなかった。


溜息を吐き、やがてデミトリーは首を縦に振った。


「……畏まりました、私は運搬用の兵5千を連れ、今すぐノルツァー領へ戻ります。早馬を飛ばし、領地で待つイスカリオに用意させておきましょう。それでは……」


「待て、運搬だけに5千は過分だ。3千以上は認められん」


「では、3千で。失礼致します」


ガルファの言葉に反論せず、デミトリーは足早に部屋を出て行った。


(裏切れば、勝とうが負けようがお終いとなればそうそう裏切れんだろう。しかし、一応バーナード王の言質を取っておいた方がいいか。加えて少しでも消耗を抑える為に明日は近隣を捜索させて……)


山積する問題を一つずつ片付ける為にガルファもデミトリーの屋敷を辞したのだった。




事態の推移を見届けた悠達はパトリシアに作戦の成功を告げ、既に帰路についていた。


「上手く行きましたね、ユウ殿」


「皆が上手くやってくれたお陰だろう。散々虐げて来た子供らの力で痛い目を見るといい」


言い捨てる悠にハリハリは小気味よく笑った。


「ヤハハ、そこに更に追い討ちを掛けようというのですから、ユキヒト殿は稀代の知恵者ですね」


「単に性格が悪いだけかもしれんぞ。生まれる時代を間違えれば稀代の悪党になったかもな」


「そのユキヒト殿と長年友人関係を保てる方も似たようなものだと思いますよ?」


《あら、一本取られたわね、ユウ》


「……そのようだ」


そんな軽口を叩き合い、上流の渡河地点までやってきた悠達は子供達を屋敷に戻し、『竜騎士』となって目的地――ノルツァー領へ飛んだのだった。




翌日の昼過ぎにようやくデミトリーはノルツァー家の本拠地であるテルニラに到達した。そこでデミトリーを待っていたのは長男イスカリオの歓待……では無く、血の通わぬ冷たい刃であった。


「……何の真似か、イスカリオ?」


屋敷に戻り、対面したイスカリオの護衛に囲まれ剣を突きつけられてもデミトリーは取り乱さずにイスカリオに問い掛けた。


「流石父上、みっともなく取り乱したりしないのは貴族の鑑ですな。ご安心下さい、これは演技です」


「演技……だと?」


「話は伺いましたよ。兵糧が焼かれ、父上はノルツァー領内の食糧を徴発して戻らねばならないのでしょう? しかし、そんな事をすればこの領地はお終いです。下等な民どもは食い物を寄越せと騒ぎ続けるでしょう。それは父上も分かっておられるはず。当然、もうフォロスゼータにお戻りになる気は無いのでしょう?」


「……無論だ」


デミトリーはもうフォロスゼータに戻るつもりは無かった。いくら『天使アンヘル』を擁しているからといっても兵糧も無く倍以上の軍に勝てるとはデミトリーには思えなかった。そこに自分が居なければ尚更だ。


「しかし、絶対に聖神教が負けるとも限りません。『天使』の力は未知数ですし、連合軍が数だけの能無しという可能性も捨て切れませんしね。そうなればそれこそノルツァー家は終わりです。戦の結果など、結局は終わってみなければ分かりません。ですので、私が父上と対立したという事にして戦争が終わるのを待ちましょう。早馬の兵士の伝達齟齬とでも言っておけば連合軍が勝っても聖神教が勝っても言い訳が立ちますし、もし聖神教が勝ってもその被害は甚大で我らとも戦うという事は出来ません。如何ですか?」


「ふむ……」


イスカリオの策はデミトリーにしてみれば渡りに船であった。連合軍が勝てばイスカリオの対応を全面に押し出して対聖神教に協力したとアピール出来るし、もし聖神教が勝っても伝達の兵士が反聖神教で我らを罠に掛けたのだと潔白を主張する事が出来るのだ。多少足元を見られるかもしれないが、死人に口無しとばかりに伝達の兵士の首を見せてやればいい。


この戦争に命を懸ける意味は既に無い。ならばのらりくらりと時間を浪費するのが最も賢いやり方であろう。


そう結論付けるとデミトリーは頷いた。


「良かろう。お前の思う通りにするのが一番理にかなうと見た。リエンドラに使いは?」


「父上の了承を取り次第すぐに」


「うむ。……しかし、よく考えたな。私も今度ばかりは運に任せるしか無いと思ったのだが……」


自分にも思い付かなかった最善の策を考え出したイスカリオをデミトリーは褒めたが、当のイスカリオは苦笑して真相を明かした。


「どうやら聖神教も一枚岩では無さそうですよ。……実はこの策をもたらした者が居るのです」


「何?」


不眠不休で駆け付けたデミトリーよりもずっと早く辿り着いた者が居ると言われ、デミトリーの脳裏に一瞬赤いドラゴンを模した鎧を身に纏った騎士が浮かんだが、今回の顛末を思い出してその姿を掻き消した。昨晩の火災は失火であり、正面から突破された時と違って侵入された訳では無いのだ。連合軍と歩みを供にしているならばまだメルクカッツェ領に居るはずであり、兵糧が焼けた事を知るはずがないのである。


「……その情報をもたらした者を見たか? 名前は?」


一応、用心の為にデミトリーが尋ねると、イスカリオはその時の事を思い出しながら答えた。


「姿は見ていませんが、一応名乗りはしましたよ。笑える話ですが……『悪魔ディアボロ』だそうです。私は『天使』の内の誰かだと睨んでいますがね」

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