8-12 聖職者の憂鬱1
結束を強めるミーノス・ノースハイア連合軍はひとまず置いて、時間を遡りアライアットの内情を追ってみたい。
アライアット軍を撃退し、まんまと使者一行と避難民に逃げられた事に対する聖神教上層部の怒りはデミトリーに向けられていた。
「この責任はどう取るつもりか、デミトリー殿?」
冷厳な口調で糾弾するガルファであったが、デミトリーにも言い分というものがあった。
「申し訳ありません。まさか聖神教が誇る異端審問官殿があんなにも容易く排除されてしまうとは私も考えてはおりませんでした。バルバドス殿を信じていた兵士達の動揺は激しく、援軍の『天使』も来ないのでは士気を保つ事は難しいかと」
デミトリーの指摘にガルファは内心でやはりそう来たかと毒づいた。先走ったバルバドスは満身創痍で療養中であり、自分の保身の為に護衛として『天使』を独占していた教主シルヴェスタは自室に籠もって姿を現していない。他の幹部も軒並み浮き足立っており、唯一冷静さを保っているガルファが実質的に全権を掌握している状態なのである。
デミトリーがいつもより強気なのもこうした体制の微妙な変化を感じ取っての事である。貴族としての経験からデミトリーが見るに、ガルファはシルヴェスタよりも実利を重んじるタイプであり、貴重な兵力がデミトリーに掌握されているという事実を蔑ろにはしないという計算があった。聖神教が強権をもってデミトリーから兵権を奪う事は可能だが、デミトリーよりも軍の指揮に秀でた人間が居ないのでは烏合の衆にしかならないとガルファは理解していた。
「仕方あるまい、教主様の御身を損なう愚を犯す訳にはいかないのだからな。だが、バルバドス殿の醜態は確かに私にも想定外の事であった。全く遺憾な事だ」
共にこの場に居ない者に責任を押し付ける事で辛うじて均衡を保とうとするガルファの裏の意図をデミトリーも受け入れた。ガルファとしては多少期待はしていたが、バルバドスに悠が打倒出来るとは思ってはいなかったのだ。もし倒せればそれはそれでいいが、そうでなくても聖神教内部で大きな力を持つバルバドスが失脚する事はガルファを利する事になるのだから。デミトリーとしても聖神教が醜態を晒し権威を失墜させる事は貴族の復権、ひいては自身の権力の増大に繋がるので別に痛痒は感じていなかった。
「それで、現在フォロスゼータの兵力はどの程度だ?」
「は……1万5千については問題ありません。ただ、あのカンザキとかいう者と対峙した兵士どものかなりの数が軍への帰属を拒んでおります。数千の兵を一瞬で無力化した奴の力を恐れているのです。また奴が現れるのであれば軍が意味を成しません」
デミトリー自身、悠の『竜ノ咆哮』の威力を目の当たりにして脅威を覚えていた。金に物を言わせて固めていた対魔法護符はあの一撃で全て吹き飛び、なおかつ立ち上がれないほどの衝撃をデミトリーにもたらしたのだ。しかし、流石に余力が無くなったのかそれ以上追撃して来なかったのは僥倖であった。
勿論これは誤解であり、悠がそのつもりならばデミトリーの命運は尽きていたのだが、デミトリーはその様に結論付けていた。一度の戦闘で一度しか使えないのだと考えなければ正直対処する方法が無いのだ。
「この街で暮らしていて命令不服従など……いや、待てよ……」
ガルファは武力で厭戦気分の兵士を従えようとデミトリーに命令しかけて思い直し、口の端を吊り上げた。
「……命令に従わない兵士どもに縄を打ち大聖堂前に連行せよ。目隠しも忘れるな。聖務を怠る者は厳罰に処する」
「処刑なさると?」
犯罪者に目隠しをするのはアライアットでは死刑に処される者に対する処遇であり、千近くにも上る兵士をこの時期に処刑すると宣言するガルファにデミトリーの声のトーンが若干下がったが、ガルファは頷いて見せた。
「フォロスゼータを陥落させる事は容認出来ない。厳正な対応で綱紀粛正を図り、可及的速やかに連合軍に備えなければならないのだ。直ちに命令を実行したまえ。刑の執行は私自身で行う」
「畏まりました」
命令として発せられればデミトリーに否は許されなかった。そんな事をすればデミトリーまで処分される口実を作る事になってしまうからだ。いくら必要とされているからといって危険過ぎる橋を渡るつもりはデミトリーには無かった。
それに、軍への締め付けはデミトリー自身も必要性を感じている事だ。ただ、デミトリーは見せしめに10人ほどを公開処刑にすればいいと考えていたので、数の違いに戸惑っただけである。
「刑の執行後、軍は近隣の者達を徴発せよ。戦える者は兵士として、戦えない者は雑役要員としてだ」
「了解しました、直ちに取り掛かります」
敬礼して退室したデミトリーから自分の思考に焦点を移してガルファは笑顔を浮かべた。
「連合軍やカンザキが来る前に私自身をもっと強化せねばな。役立たず共も私の力の一部となれれば本望だろう。そしていずれは……」
暗く燃える瞳に決意を宿し、ガルファは大聖堂前に歩き去った。
シルヴェスタがバルバドスとガルファ以外の『天使』を四六時中側に侍らせているのかと言われると実はそうではない。教主の部屋の部屋に行く為に通らなければならない部屋や通路に5人配置されている事は確かだが、最も側でシルヴェスタを守る『天使』は一人だけである。
その『天使』に表情は無い。そして、加えて言うならば感情も自立思考も存在しなかった。血の気も無く、瞬きもせず、極め付けには呼吸すらしていないのだ。
だが、この教主の間の前でただ一人護衛の任に就いている事が何よりも雄弁にシルヴェスタの信頼を勝ち得ていると語っていた。教主の間に近付く事はたとえガルファであっても許されていないのだ。
「時が……時間が足りぬ。時間さえあれば『天使』はより強大になっていくというのに……」
シルヴェスタは苦々しい思いを吐き出していた。ごく少数の者しか知り得ない事実であるが、『天使』は聖神教への祈りが力となる存在である。信仰を集めるほど『天使』の力は増大し、その戦闘能力を向上させるとシルヴェスタは『天使の種』――アライアット的に発音するなら『天使の種』――を譲り受けた女から聞いていた。まず大量の魂を『吸魂』を介して供給し、色が変わったら人間の背中に埋め込むのだが、資格の無い者に埋め込んでも発狂死してしまうのだ。バルバドスを皮切りにようやく8体の『天使』を揃えたシルヴェスタだが、その中で真に頼りにしているのは扉の前の『第四天使』だけなのである。
ああでもないこうでもないと悩むシルヴェスタを守る『第四天使』の顔を見た時、バローやハリハリはさぞ驚くであろう。
それは、マンドレイク邸から姿を消したマッディに他ならないのだから。
マッディ再登場。どうして動いているのかは後ほど。




