8-11 献策11
翌日、朝の鐘(午前六時)。
5万にもなる兵士を王宮前に整列させるのは困難なので、まだ残雪のある街の外で遠征軍は出立の時を今か今かと待ち構えていた。
居並ぶ兵士達の士気は非常に高い。なぜならこれが人間同士が行う最大にして最後の戦争だと理解しているからだ。遂に平和を勝ち取れるとなればその高揚も当然である。
既にカザエルによる演説はなされ、気分が最高潮に高まったのを見てバローは剣を抜き、大きく掲げた。
「これがアライアットとの最後の戦争だ!! ノースハイア兵、準備はいいか!!!」
「「「オオーーーッ!!!」」」
気炎を上げるノースハイアの兵を見て、その隣のベルトルーゼも真新しい鎧を煌めかせ、長槍を大きく掲げる。
「ミーノス兵よ!! 土地勘が無いなどという言い訳は聞かぬぞ!!! 我らの力、存分に見せ付けよ!!!」
「「「オオーーーッ!!!」」」
ノースハイア兵に負けじとミーノス兵も声を張り上げて対抗した。5万の咆哮は静かなはずの早春の朝を切り裂いてどこまでも広がって行く。
ふと、悠は自分を見つめる多くの視線を意識した。2つの国の兵士達の熱気に当てられた冒険者達の視線だ。
「ユウ殿、ここはユウ殿も一つ気合を入れる場面だと思うのですがね?」
「ああ」
隣で参謀役として侍るハリハリに言われるまでも無く、求められているのは悠からの檄であろうと悠にも分かっていた。これでも軍の総司令官を勤め上げた身の上である、士気の向上が戦闘時のパフォーマンスに与える影響くらいは知悉していた。
他の2人ほどに声を張り上げる事は無かったが、悠の声は不思議と遠くまで響き渡った。
「……20年、20年だ。これが長いのか短いのかは俺にも分からんが、今参加している者の中にもまだこの戦争が始まった時に生まれていない者も居たのだと考えれば、やはり決して短いとは言えんだろう。そろそろ誰かがこの悲劇を終わらせてもいいはずだ。……ならば、俺達の手でこの戦乱の幕を引くぞ!」
「「「オオーーーッ!!!」」」
悠の拳が天に突き上げられた。冒険者達はその手がもう既に勝利を掴み取っているかのような高揚感を覚え、悠に倣って己の得物を突き上げる。数では正規軍に及ばなくても、その熱は決して引けを取る物では無かった。
「その意気や良し!!! 総員出陣!!!」
バローが剣を振り下ろすと、先頭に立つ兵士が勇ましく第一歩を踏み出した。大地を踏み鳴らす音も高らかに、遠征軍が動き出す。遠くでそれを見ていたノースハイアの民も一斉に歓声を上げ、兵士達の門出に華を添えた。
一週間後の期限を4日後に控え、遠征軍はまず橋頭保としてノワール領に歩を進めたのだった。
途中の宿場町であるフェルンで休憩を取り、遠征軍はその晩にはノワール領に到達した。かなりの強行軍となる事を覚悟しての行軍であったが、鍛え直された兵士達は脱落者を出す事も無く道のりを踏破したのである。
「よし、野営の準備に掛かれ! 酒も少量であれば許可する! ……俺も一杯やりたい気分なんでな」
バローの言葉に周囲に居た兵士から笑いが漏れた。温かい食事と同じくらいこの寒さの中では体を温める為に酒は必要なのだ。
「ご苦労様です、兄上。食事の準備は整っております。こちらの兵士とアライアットの方々がお手伝いして下さいましたので」
「それは助かる!! アライアットの方々にはくれぐれも感謝の言葉を伝えてくれ」
軍の食事は既に避難民やノワール兵が協力して用意されていた。これは別に好意という訳では無く、雪人の策略の内である。腹が減った所に食事を用意してくれる者が居れば当然人間の感情として好意を抱くだろう。手っ取り早く両者の関係を良好な物にする為に前もって準備されていた事なのだが、別に全てを兵士に伝える必要は無いのだ。バローが大げさに感謝の意を示した事も演技であるが、実際に助かっている事に間違いは無いのだから。
そして、この作業にはもう一つ隠された目的があった。
避難民の恰好をした者達の中で20人ほどが縄を打たれてアライアット兵によってバローの前に連行されて来た。その指揮を執っているのは当然クリストファーである。
「アインベルク子爵、その者達は如何した?」
「はっ、実は、この者共は食事の鍋の近くで不審な行動を取っていた為に捕らえたのですが……どうやら毒を盛ろうとしていたようです。身体検査をした所、全員から毒の包みが発見されました。それと、こちらも」
そう言ってクリストファーが皆に見える様に掲げたのは聖神教の意匠が入ったネックレスである。つまり、捕らえられた者達は全員聖神教徒という事だ。
「なんと!? 善意に紛れ食事に毒を盛ろうとするなど人として最低の行為では無いか!? これがいやしくも神を信じる者のする事か!?」
わざと大声で糾弾するバローに聖神教徒達は憎悪の視線を向けて口汚く罵ったが、そんな彼らの態度を見て周囲の者達はやはり聖神教徒は悪なのだという想いを強めていった。
特に同じアライアットの避難民からしたら彼らの行動は絶対に許されない事であった。彼らはバローの厚意でこうしてなんとか住む場所と食事を与えられているのであり、この事で軍の行動に支障を来たすようなら即座に追い出されかねない身の上なのだ。
「殺せ!! その邪神を崇める悪人を殺せ!!」
「そうだ!! 俺達を虐げる聖神教徒を殺せ!!」
「「「殺せ!!! 殺せ!!! 殺せ!!!」」」
たちまち処刑を求める声が大合唱となり聖神教徒達は鼻白んだが、それでも妄信をやめない聖神教徒が叫んだ。
「こ、この不信心者共が!!! アライアットの民であれば少しでも兵力を削ごうと努力すべきでは無いか!!! 貴様らには必ずや神罰が下るぞ!!!」
「神罰? 笑止!!!」
バローはクリストファーが押収した聖神教の意匠をまとめて掴むと、宙に放り投げ、腰の剣を抜いてバラバラに打ち砕いた。
「な、何をする!!!」
「さて、いつ神罰が下るというのだ? これでは足りないのか?」
粉々になって地面に散らばる意匠を足で踏みつけ、バローは肩を竦めてみせた。聖神教徒は真っ赤になって言葉にならない恨み言をがなり立てたが、バローは意に介さず一番悪人顔の男の胸倉を掴んで尋ねた。
「おい、聖神とやらは信じていれば長生き出来たりするのか?」
「あ、当たり前だ!!! 聖神様は信心深い者にご加護を与えて下さる!!! 貴様の様な極悪人はさぞ短命な事だろうよ!!!」
至近距離で唾を吐き掛けて来たが、バローはひょいと首を傾けてそれをかわすとニッと笑いかけた。
「そうかい。じゃ、試してみるか」
バローの剣を持った手が霞み、聖神教徒の首に冷たい感触が走った、と思った時には意識は暗転し、永遠の闇に閉ざされた。
「ひ、ひええええええっ!?」
その男の隣に居た聖神教徒が腰を抜かしてへたり込んだ。バローに啖呵を切った聖神教徒の首から上は既に無く、跪いた姿勢の首無し死体が血の噴水を上げていたからだ。
「おやおや、この男の言を借りるなら信心が足りなかったようだな。もしこの男の言う通りであれば死ぬはずが無いのだから。さて、残りの者達の中に本物の信仰心を持った者は居るのだろうか?」
その言葉を合図にクリストファーが兵士に命じて聖神教徒を跪かせた。その理由を察し、命の方が信仰心より重いと悟った者達は一斉に慈悲を請うた。
「わ、私は聖神教の司教様に言われた通りにやっただけなんだ!! 悪いのは司教様だ!!!」
「き、貴様!! 聖神教徒でありながら同胞を売る気か!? 恥を知れ!!!」
「煩い!!! 今から死ぬっていう時に聖神もクソもあるかよ!!!」
その醜い罵り合いを見て、バローは乾いた笑い声を上げた。
「ハッハッハ……お笑いだぜ。テメェが助かる為に他人を殺そうとしておいて、捕まったらまた他人のせいか? おい、サッサと全員首を刎ねろ」
バローが冷たく言い放つと、罵る者、泣き喚く者という違いはあれど、刃は平等にその首に降り注ぎ、そして例外無く通り抜けた。
20の首無し死体が転がる大地に背を向け、バローは高らかに宣言した。
「見たか!!! 聖神などという神はどこにも居はしないのだ!!! もし本当に居るのであれば神は彼らを助け、私に神罰を下したに違いない!!! 敵は神どころか聖職者ですら無い、ただの詐欺師集団だという事がこれでよく分かっただろう!!!」
強烈なデモンストレーションによってバローは僅かに迷信を恐れていた兵士達の心からその恐れを払拭してみせた。面白い物で、敵が聖なるものであると思えば相対的に自分が悪なのでは無いかと思ってしまっていた者がそれなりの数で居たのである。しかし、その迷いも聖神教徒の行いとバローの宣言によって取り払われたのであった。
憎き聖神教徒を刑に処したバローにアライアットの民が口々に感謝を述べた。彼らもどこかで同国人の聖神教徒に僅かながらでも共感するものを持っていたのだが、それも今完璧に失われたのである。
バローはこの策を語った時の雪人のゾッとするほど冷たい笑みを思い出していた。
「ただ間者を殺しても単に敵が数人減るだけだ。殺すならば最も効果的なタイミングで殺してこそ泳がせている意味もあろうというもの。こちらが困る事は何も無い。ハハハ、彼らも信じる神に殉ずる事が出来て本望だろう?」
(おっかねぇ……ああいうのを謀略って言うんだな。あの男にはこの光景が見えてたのか……)
凄惨な死体が転がっているにも関わらず、心からの笑みを浮かべる周囲の者達にバローは表面上では同じように笑いつつも戦慄を味わっていたのだった。
雪人の奸計は容赦無くエグイです。




