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8-5 献策5

悠が会議の場に戻った時には丁度軍議は終了した所であった。


「お早いお帰りでしたね。今終わった所ですよ」


「そちらも早かったようだな。滞りなく済んだか?」


「ええ。ジェラルド殿もヤールセン殿も理解力は高いですからね。2、3質問した程度で終わりましたよ」


「ユウ殿!」


ハリハリに推移を訊いていた悠にジェラルドが話し掛けて来た。その瞳は微妙に焦りが透けており、何を訊きたいのか明らかだ。


「ベルトルーゼならこの先にある休憩室で休ませているぞ。大した怪我も無い」


「そ、そうですか。お手数お掛けします」


重篤な事態に発展しなかったらしいとジェラルドはホッと胸を撫で下ろした。悠とベルトルーゼでは、たとえ本気では無かろうとも相手の命を奪いかねないからだ。特にベルトルーゼは手加減などという器用な真似は苦手であるし、一歩間違えば手足の一本くらいは無くなっていても不思議ではない。


そんなジェラルドに悠は鞄から3メートルほどのスピアを取り出し、ジェラルドに渡した。


「ベルトルーゼは突入の際に連れて行く事になった。その間ジェラルドには全軍を率いて貰わねばならん。護身用と思って持っておいてくれ」


「これは……相当な業物とお見受けしますが?」


冷たく光る穂先にジェラルドは一目でそれが尋常な品物では無いと看破したようだった。


悠が神鋼鉄オリハルコンの槍だと言うとやはりジェラルドは驚愕したが、強い武器があるに越した事は無いのでありがたく受け取った。この槍もアイオーンに渡した『虚空』の兄弟の様なもので、魔力マナを込める事で遠距離攻撃が可能な逸品である。


「我が家の家宝にせねばなりませんな……」


「ところで、ベルトルーゼに付いて少々訊きたい事があるのだが……」


「私に答えられる事であれば構いませんが?」


「ベルトルーゼの過去についてだ」


その質問に空気が少し緊張を孕んだ。チラリとハリハリを見たジェラルドの視線を察し、ハリハリが口を開く。


「どうやら私的なお話のご様子。ワタクシは席を外しましょうか?」


「いや、ハリハリにも一緒に聞いて貰いたいのだ。魔力が関わる話であればお前に訊くのが一番だろう?」


「ふむ……ジェラルド殿、決して口外致しませんので同席をお許し願えませんか?」


悠の質問が自分の領域だと察したハリハリが真剣な表情で説得すると、ジェラルドは苦悩の表情で黙り込んだが、やがて小さく溜息を吐くと首を縦に振った。


「……多少は事情をご存じのようですね。『戦塵』の皆様に受けたご恩を思えば口を閉ざすのは不義理でしょう。ただ、これはファーラム家の醜聞に近い話になりますので、場所を移してもよろしいですか?」


声を潜めるジェラルドに、悠とハリハリも頷き返したのだった。




ジェラルドにあてがわれている一室で椅子に掛けると、悠はまずこれまで語っていなかった自分の事情を切り出した。ジェラルドは急に未聞の情報を大量にもたらされて軽い混乱を来したが、あくまでこれは話を訊く前の前提だとして悠は本題に入った。


「今は俺が『異邦人マレビト』で、ハリハリがエルフだと理解してくれればいい。だからこそベルトルーゼについて分かる事もある。……俺が訊きたいのは、ベルトルーゼの才能ギフトについてと、自分の魔力を感知出来んという点だ。その様子だとジェラルドはベルトルーゼの事情をおおよそ知悉しているのでは無いか?」


悠達の正体、特にハリハリの正体にはかなりの衝撃を受けていたジェラルドだったが、これまでの信頼関係はその衝撃を乗り越えた。逆に魔力の関わる事であれば相談するのにエルフ以上の知識を持つ物は居ないと覚悟を決め、口を開いた。


「……ご本人が信頼して喋ったのならいいでしょう。ユウ殿はベルトルーゼ様の……ベルトルーゼの顔の傷を見ましたね?」


「ああ」


「本人は覚えていませんが、あの傷を負った現場に私も居たのです……あれは、ベルトルーゼが初めて『覚醒儀式イニシエーション』を受けた日の事でした……」


ジェラルドは忌まわしい記憶を掘り起こす苦痛に目を閉じて語り始めた。




それはベルトルーゼ・ファーラムが6歳、ジェラルド・ファーロードが10歳の時の出来事であった。


今からでは想像も出来ないが、当時のベルトルーゼは活発なタイプでは無く、家の中で遊ぶのを好む傾向にあった。ジェラルドはベルトルーゼの両親に請われ、そんなベルトルーゼの面倒を見る事が多かったが、この頃からおそらく自分はベルトルーゼの許嫁と考えられているのだろうと察し、面倒臭がる事も無くベルトルーゼに優しく接していたお陰かベルトルーゼもジェラルドにはよく懐いていたのだった。


6歳になった誕生日の次の日、ベルトルーゼは両親に連れられて『能力鑑定アプライザル』を受けたのだが、その結果は誰にとっても首を傾げざるを得ないものであった。




『ベルセルク』。




そう告げた『能力鑑定』の能力者自身がまず首を傾げたものだ。これまで数万の人間を見て来て、そして何らかの才能や能力を見い出して来た能力者も初めて見る才能であった。その詳しい内容も何も分からない。その語が何を指すのかすら当時のミーノスでは分からなかった。


しかし、才能であれば魔力を通す事によって何かしらの変化は起こるはずである。そもそも禁忌に抵触する才能であれば一大事であり、ベルトルーゼの一生を左右する重大な懸念となるものであり、確認しない訳にはいかなかった。


そこで両親は多数の兵士の立ち合いの下、ベルトルーゼに『覚醒儀式』を施す事になったのだが……。


魔力を扱える様になったベルトルーゼは周囲の大人の助言のままに魔力を操り、『ベルセルク』を発動した。子供であるジェラルドはただそれを見ている事しか出来なかった。


……そして惨劇が始まった。


魔力を流してもしばらくは何も起きず、周囲の大人達がそう危険な力では無い様だと気を抜いていた時……ベルトルーゼは静かに狂っていた。


幼いベルトルーゼが近くに居た兵士を掴むと、幼い子供とは思えぬ膂力を発揮して持ち上げ、他の兵士に投げ付けたのだ。


成人男性の、しかもフル装備で身を固めている兵士など総重量で100キロ近い重さであるにも関わらず、それを人形の様に扱ったベルトルーゼに周囲は呆気に取られ、その間にベルトルーゼは次の獲物に襲い掛かっていた。


それは冗談の様な光景であった。小さな少女が次々と兵士を襲い、蹂躙していくのである。状況を察した兵士達の行動が捕縛から戦闘へと移行するまでに、実に10人以上がベルトルーゼによって昏倒させられてしまった。


そのベルトルーゼにしても無傷ではいられなかった。まだ未熟な手は殴った衝撃で血を噴き、蹴った足はおかしな方向を向いている。しかし、当のベルトルーゼは何の苦痛も感じていない風に無理矢理体を動かして兵士を襲い続けたのだ。


娘の狂態を見てベルトルーゼの両親は兵士すら止められない事態に、遂に娘を諦めた。風属性魔法を得意属性としていた母親は何度も夫に詫び、幾度か制御を誤りながらも『電撃』の魔法を構築し、兵士を襲うベルトルーゼの背後から解き放った。


度重なるダメージが蓄積されていたベルトルーゼだったが、その衝撃が意識を取り戻させる事に成功した。……だからこそ、ベルトルーゼの放った次の言葉は母親の胸に突き刺さった。




「かあ、さま……いた……い……」




振り返ったベルトルーゼは既に正気を取り戻し、焼け爛れ引き攣った泣き顔で一言告げるとそのまま意識を失ってしまった。


恐怖に震えていたジェラルドは娘に酷い仕打ちをしてしまったと悲嘆に暮れる母親に代わり、絶好の機会とばかりにトドメを刺そうとする兵士の槍からベルトルーゼを守る為に覆い被さり命懸けで助命を嘆願し、その幼い命を守ったのである。


しかし、当然の事ながらそれで沙汰が済むはずが無かった。死者こそ出なかったがベルトルーゼの手によって兵士十数人が重軽傷を負い、その内数人は退役を余儀なくされたのだ。伯爵家という事もあり、庶民の兵士達に一生分の保障を行う事で何とか穏便に事を収めたが、ベルトルーゼの危険性は無視出来ないものであった。


下手をすれば禁忌指定かという所まで話は進んだのだが、そこで不幸中の幸いと言える出来事があった。


意識を取り戻したベルトルーゼは一切の魔力操作が出来なくなっていたのだ。数ヶ月に渡って詳細に調べられたが結局ベルトルーゼの魔力は感知する事が出来ず、再三に渡る『覚醒儀式』も不首尾に終わり、ベルトルーゼは解放される事となった。


この事件は公にはされなかったが関係者の体と心に大きな傷を残した。


張本人であるベルトルーゼは顔に深い電撃傷を残し、魔力と記憶の大半を失い顔を隠して生きる事になった。母親はベルトルーゼの素顔を見る度に取り乱す様になり、父親は傷物になった娘に対する全ての縁談を諦めた。そして『ベルセルク』は『狂戦士ベルセルク』と定義され、第三級禁忌指定を受ける事となった。


唯一良かった事と言えば、内向的だったベルトルーゼがそれ以来見違えるほど活発になった事だろう。暇さえあれば外に出て体を動かすようになり、家の敷地内から出られずむくれるベルトルーゼに付き合ったのはジェラルドであった。


皆が変わってしまった中、ジェラルドだけは変わらずにベルトルーゼと共にあり続けた。


ベルトルーゼを守る。たとえどの様な姿になったとしても。それはジェラルドには当然の事なのだった。


自分の両親にもベルトルーゼの両親にも再三に渡ってベルトルーゼの事はもう忘れて良い相手を見つける様に言われたが、他の全ての事は譲るジェラルドがそれだけは決して譲る事は無かった。


ベルトルーゼにもいつか好いた相手が出来るかもしれない。それが自分であればと思うが、この歳になるまでベルトルーゼから感謝はされても男女の好意を示された事は無かった。おそらく自分では近過ぎて駄目なのだろうとジェラルドには思えた。


それならそれで構わない。もう20年以上見守り続けて来たのだ。それが40年、60年となろうとも、ジェラルドには悔いる所は無いのだった。




「……後半は余談でしたね。失礼致しました。ともかく、ベルトルーゼが魔力を扱えないのも自分の才能の事を知らないのもその事件があったからです。ベルトルーゼの両親は頑なにそれをベルトルーゼに教えようとはしませんでしたし、ベルトルーゼも両親の様子から察するものがあったのでしょう。無思慮に見えて、あれでベルトルーゼは両親想いですから……両親を悲しませたくなかったのだと思います」


「なるほど……『狂戦士』とは初耳ですね。しかし、ベルトルーゼ殿らしいと言えばらしいですか」


「ハリハリ、今の話から分かる事があるか?」


悠に問われ、ハリハリはしばし自分の記憶を漁ってから口を開いた。


「……魔力感知能力の喪失は先天的であれ後天的であれ稀に起こる事です。『先天性不感知症』、『後天性不感知症』と言いますが、エルフの社会では致命的とは言わないまでもそれに近い扱いを受ける事もあります。しかし、人間社会であれば戦闘に携わらない職に就いている限りは致命的とは言えないでしょう。問題は、ベルトルーゼ殿がまさに戦闘を生業とする身の上だという所ですが、お話を聞いた限りでは感知能力は失っても魔力そのものは今も働いているはずですよ。より正確に言うならば極々微量の魔力によって『狂戦士』の才能が働いていると言った方が正解に近いとは思いますけどね」


なぜなら、とハリハリは一度言葉を区切った。


「ベルトルーゼ殿の性格の変貌の可能性は2つ。その事件での『電撃』のダメージが脳に損傷を与えたか、『狂戦士』の才能の効果かどちらかです。両方という可能性もありますけど、ベルトルーゼ殿の身体能力からして『狂戦士』の力が影響しているのは間違いないと思いますね」


「ベルトルーゼを調べた時、脳に軽度の損傷が認められた。血管の一部が切れ、その後塞がって小さな血腫となっている。命に関わる物では無いが、或いはそれを取り除く事で何らかの変化があるかもしれん」


「本当ですか!?」


聞き覚えの無い単語が幾つか出て来て混乱するジェラルドであったが、治療の術がありそうな気配を漂わせる悠を見て思わず椅子から立ち上がった。


「エルフの場合はどちらも感知能力を取り戻した事例が皆無ですので分かりませんが、ユウ殿の仰る治療で万が一、感知能力を取り戻す事も出来るのかもしれません」


「しかし問題はある。性格などに影響を受けるかもしれんし、最悪の場合、今度こそ『狂戦士』の才能に飲み込まれて元のベルトルーゼには戻れないかもしれん。才能や能力はまだ分からない事が多過ぎるからな。もし今のベルトルーゼが狂えばどの程度の損害が出るか見当もつかんぞ」


「そう……ですか……」


今のベルトルーゼは不感知症のお陰で生きていられるのだ。もし魔力の感知能力を取り戻し操れるようになれば再び『狂戦士』の才能の問題が浮上するだろう。


「魔力は扱えんが現状は装備で乗り切れるはずだ。『狂戦士』の力も微弱ならむしろ助けになるだろう。無理に治す必要は無いというのが俺の結論だ。顔の傷は別だがな」


「治せるのですか!?」


先ほどの不感知症とは比べ物にならないほどの真剣さでジェラルドは悠に詰め寄った。だが、すぐに自分の行いに思い至り恐縮して一歩下がった。


「も、申し訳ありません! ……しかし、あの傷がベルトルーゼから異性を遠ざけている一番の原因なのは確かなのです。あれが無くなればきっと伯爵家のベルトルーゼには良縁が――」


「……ユウ殿、ちょっとこの人イライラするんですけど。自分が何を言っているのか分かって無いみたいですよ?」


ジェラルドの台詞の途中で唐突に興醒めしたらしいハリハリが肩を竦め、隣の悠に語り掛けると悠も頷いた。


「ベルトルーゼを大切にするあまり頭の回転がおかしくなっているらしいな。全くお前らしくも無い馬鹿げた話だ」


「あ、あの……私が何か気に障る事を……?」


急に温度が下がった2人の言葉にジェラルドは狼狽えたが、何を失言したのかはやはり理解していないようなので、ハリハリはわざとらしく溜息を吐いて指摘してみせた。


「はぁ……いいですかジェラルド殿。今あなたはこう言ったんですよ。「生まれのいいベルトルーゼは顔の怪我が無かったら美貌や財産、爵位目当ての男が集まって来る。やぁ、めでたいめでたい」ってね。何を考えているんですか?」


「え? あ!! い、いえ、私はその様なつもりは決して……!」


「その様なつもりがあろうと無かろうと同じ事だ。……そもそも貴様、さっきから女々しいぞ。誰よりもベルトルーゼを愛しているのは貴様なのだろうが。何故ベルトルーゼにそう言わん? いい年をした男が意中の女に愛を告げる事も出来んのか? ……本当は顔の傷を気にしているのはお前なのでは無いか?」


「その言葉を取り消せ!!!」


終始穏やかだったジェラルドが真っ赤な顔で悠の襟首を掴み上げた。怒りのあまりその拳は震え、顔は真っ赤に紅潮していたが、そんな自分の変化にも気付かないほど、ジェラルドは深く激昂していた。


「ベルトルーゼは乱暴者だが真っすぐな心根を持った女だ!!!」


「フン、俺相手なら言えるのだな。まるで過保護な愚兄の様で見ていて滑稽だぞ。そうだ、過保護ついでにベルトルーゼの相手も見つけてやってはどうだ? 例えば目が見えん者ならばあの醜悪な顔でも関係――」




バキッ!!!




悠が言い切る前にジェラルドの拳が悠の頬に叩き付けられた。手加減など一切考慮していない、本気の拳だ。


「ベルトルーゼを愚弄するな!!! 顔の傷だと!? そんなもの関係あるか!!! あいつはあのままで十分美しいわっ!!!」


殴られた悠の口の端が切れ、血が一筋流れたが、まるで堪えていない風に首を戻すと、襟首を掴むジェラルドの手を掴み、虚空に一言放った。


「だ、そうだ。ベルトルーゼ」

ハリハリは当然気付いてましたよ。

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