8-4 献策4
悠は城に戻り、自分の荷物を受け取ってから一室を借り受けてベルトルーゼの診察に入った。
「……鎧を着ていたとはいえ、呆れるほど頑丈だな。骨の1、2本くらいは折れているのでは無いかと思ったが……」
《ハジメと同じ物理半減の才能でも持ってるのかしら? 打撲と擦過傷以外は脳震盪くらいね》
「それでは身体能力の説明にはならんな」
時間があれば寝ているだけで回復しただろうが、明日は出陣を控える身なので、悠はベルトルーゼに『簡易治癒』を施した。
「兜は……勝手に外さん方がいいのだろうな」
《そうね。あまり見られたくは無いんでしょう》
大きなヒビの入った兜はもう顔を隠すくらいの用しか成さないだろうが、ベルトルーゼはシュルツほどでは無いにしても顔を見られる事を嫌っている。悠も一度それを目にしており、大きな怪我をしているという訳でも無いので兜は外さなかった。
「…………う、ん……」
治療を施している間にベルトルーゼも意識を取り戻したらしく、寝かされているベッドの上で軽く身じろぎをしたのを見て悠が声を掛けた。
「気が付いたか?」
「……ユウ? ハッ!?」
慌てて顔に手をやったのは兜を確認したのだろう。怪我よりもまずそれを確かめ、硬質な手触りにベルトルーゼは安堵した。
「勝手に外してはおらんがもうその兜は使えんぞ」
「うむ……べ、別にユウにならもう見られても構わないのだが、長年の癖でだな…………ええいっ!」
珍しく歯切れ悪く話すベルトルーゼはそんな心を怯懦と断じ、兜に手を掛けると一息にそれを毟り取った。
「ふ、ふん! どうという事は無い!!」
口ではそう言いつつも、ベルトルーゼの視線は泳いでいた。兜の下から現れたのは意外と艶やかな金髪と意志の強そうな切れ長の瞳、そして……輪郭から横に走る幾条もの稲妻のような傷跡であった。なまじ容姿が整っているだけに、その傷跡の醜さは際立って異彩を放っていた。
「兜の中にも土が入っているな」
だが、やはり悠はそんな傷跡を見ても何も言わなかった。悠に取って容姿や傷跡の美醜などは忌避材料にはならないし、そもそも軍人である悠はもっと悲惨な傷跡を抱えて生きる者達を山ほど見て来ているのだ。本人が恥じないのならそれについて言う事は無く、水に濡らした布を絞るとベルトルーゼの顔の汚れを丁寧に拭った。
「そ、そこまでしてくれなくていい、自分でやる!」
「大人しくしていろ。自分では見えんだろうが」
「うぅ……」
おそらく他人にこうして世話をされた経験など殆ど無いのだろう。顔を赤らめ弱々しく睨みつけるが、悠の無表情を突破する事は叶わなかった。
幾度か悠が布を取り替えて拭いていると、ベルトルーゼがポツリと呟いた。
「……この傷は幼い頃についた物なのだ……」
指先で傷口に触れながらベルトルーゼは独白を続けた。
「どういう経緯があったのかは覚えていない。だが、この傷跡を見る度に母上が泣いて取り乱すのでな……隠している内にいつしかそれが自然になっていた。もう痛みもない……騎士にとって傷は恥じる物では無いのだから私は何とも思ってはいない」
ベルトルーゼはただの強がりで言っているのでは無いだろう。それは以前見せられた時の目を見て分かっていたが、母親の事を話す時だけ微妙に感情が揺れていた。
だから悠は尋ねた。
「……その傷跡を消したいか?」
「無理だ。これでも伯爵家の人間だからな、色々な薬も試したらしいが……」
「通常の治療では消えんよ。それは雷撃傷だ。皮膚の奥深くまで損傷が及んでいては綺麗には治るまい」
「分かるのか!?」
傷を見ただけでその原因を看破した悠に驚いてベルトルーゼが声を上げた。
「これでもその辺の医者よりは知識も腕もあるつもりだ。治療するなら数秒で済むがどうする?」
問い掛ける悠にベルトルーゼは逡巡したが、やがて首を振った。
「どうやって治療するのかは分からんが……ありがたい申し出だが今はやめておこう。傷が無くなった顔を母上に見せて差し上げたいとは思うが、この傷は私が戦場で恐れずに戦うお守りでもあるのだ」
この傷があるからこそ自分は損傷を恐れずに戦えるのだという側面をベルトルーゼは理解していた。これから戦場へ向かうというのに、自分の体が傷付くのを恐れる気持ちが生まれるのを嫌ったのであった。
「そうか、ならばいい。これも飲んでおけよ」
悠は『治癒薬』を取り出すとベルトルーゼに渡し、更に次々と品物を取り出した。
「むっ!? それは何だ!?」
金属の輝きに心を奪われたベルトルーゼが状態を起こして『治癒薬』を一息に飲み干すと、悠の方に頭を寄せた。
「ベルトルーゼ用の装備だ。戦う度に装備を壊していても始まるまい」
そう言って悠はベルトルーゼに手にした得物を掲げて見せた。それは先ほど使っていた長槍と同じくらいの長さを持っていて、更に中央に穂先が、その両側に堅牢な斧のような刃を備えていた。一般的に両刃の斧槍と呼ばれる武器だ。
「持ってみろ、細く見えるが先ほどの槍よりずっと頑丈だぞ」
「どれどれ……ふんっ!!!」
両手で斧槍の柄を掴み曲げようと力を込めたベルトルーゼだったが、柄はしなりはしても、力を抜くと元に戻り折れ曲がったり歪んだりせずにその膂力に耐えてみせた。
「す、凄いなこれは!! さっきの槍だって用意するのには相当苦労したと言うのに!! もしかして厳鋼鉄製か? その割には弾性があるが……」
「神鋼鉄だ」
「ほほぅ、神鋼鉄…………神鋼鉄!?」
伝説の金属を持ち出されてベルトルーゼは危うく斧槍を取り落としそうになった。およそ戦闘に携わる者で神鋼鉄を知らぬ者は無く、ベルトルーゼもマンドレイク邸で見てから、一度でいいので存分に振るってみたいと思っていたのだ。
「ミーノスに渡した分からベルトルーゼに作ってやってくれとローランに頼まれていたのでな。斧槍だけでは無く鎧と盾も用意してある。魔力を使えんとその『震空』の力を100%は発揮出来んが、ベルトルーゼが本気で振るっても折れる事はあるまい」
「宰相閣下もお人が悪い!! くふふ、これは有り難く拝領しておこう!! ああ、早く戦いた……おっとっと」
思わず立ち上がって具合を確かめようとしたベルトルーゼだったが、まだ頭のダメージが抜け切っておらず、斧槍を杖にして立ちくらみに耐えた。
「試着は後にしておけ。今侍女を呼んで体を拭かせよう。その後はさっさと寝る事だな」
「ぬ~……これを使ってもう一度ユウと手合わせがしたかったが……」
「殺し合いでも見せる気か貴様は」
ベルトルーゼの手から斧槍を奪い、壁に立て掛けると、悠はベルトルーゼの首根っこを掴んでベッドに放り投げた。女性にしては高身長のベルトルーゼも悠に比べれば小柄であり、ダメージを受けている事も相まって抵抗出来ずにベッドの上に逆戻りさせられた。
「うぶっ!? お、おのれっ、体が完全ならば……!」
「いいから寝ていろと言っているだろうが。立派な図体をして子供か?」
睨んでみても悠の意志を変えられないとようやく悟り、ベルトルーゼは不貞腐れて悠に背を向けた。
「……自分の事は自分が一番分かっている……私は頭は良くないし忍耐強くも無いが、だからこそ国の為に戦う事にだけは力を尽くして来たつもりだ。その為に女を捨てて鍛え続けて来たのだ……。戦う事こそ我が誇り、我が人生。……ユウ、お前なら分かるだろう?」
ベルトルーゼの言葉に悠は踵を返して返答した。
「理解は出来るが、俺は戦う事だけに人生の意義を持っている訳では無い。自ら自分の世界を狭くするのは愚かな事だ。戦が終わったらもう少し広い世界を見るのだな。それに……」
悠はドアを開き、最後に一言添えた。
「生まれ持ったものはそう簡単に捨てられんよ。男は男、女は女だ、ベルトルーゼ。もっと自分を大切にしてやれ」
悠の言葉を反芻し、ベルトルーゼが言葉を返そうと振り返った時にはもう悠は立ち去った後であった。
途中までまるっきり反応が子供(笑)




