7-171 優等生の……9
アルトに先んじてジェイ達の側に来ていた悠にライハンが叫ぶ。
「ユウ先生、どうやってアルトは抜け出したんですか!? それに、アルトのあの髪は?」
「どうやって抜け出したかを聞いてももう意味は無かろう。少なくとも魔法の不正使用では無いぞ。あれはアルトの才能だ」
「才能……チッ、ルーレイの野郎! そっちも使えない様にしておくんだったぜ!」
アルトは学校では殆ど『勇気』は使っていない。理由は使う必要が無いからである。ルーレイは当然熟知しているが、ジェイに完全な情報を渡していた訳では無い。だからジェイは才能や能力には枷を設けていなかった。それが仇になった格好である。
だがアルトの『勇気』の仕様を熟知するルーレイですら今のアルトは初見であった。『勇気』で髪の色が変わった事など無いし、それにルーレイの目が確かならば……
「……あ、あれぇ? お、お、おかしいにゃ~……アルトに、無いはずの物があるような……」
「何? どうしたのルーレイ?」
「アルト様に何か不都合が!?」
「い、いやぁ……不都合というか、好都合というか……み、見間違いだよね、きっと」
観戦しているルーレイは盛んに目を擦り、自分の目がおかしいと断じた。
だって、有るはずが無いのだ。
……男のアルトに、胸の膨らみなど。
落とし穴の底でアルトはジャケットを脱ぎ地面に被せて足場を確保すると、持っていた刃物で靴に切れ目を入れて足を引き抜き、体の自由を確保した。思えば、素肌に接着していた訳では無いのだから最初からこうすれば良かったのだ。そんな事にも気付かなかったのはやはり相当冷静さを失っていたのだろう。
さて、自由になったのはいいが、素の身体能力で飛び上がっても穴の縁には届かないだろう。壁も登れず魔法も使えないのであれば、アルトの取り得る手段は一つだけだ。
『勇気』を発動させるべく、アルトは精神を集中した。
回復して以来、アルトは一度も『勇気』を発動していない。それは体への負担を鑑みての事であり、今も使うつもりは無かったが、アルトの本気と『勇気』は切り離せないものである。それを使わずに勝とうと思っていた事自体が増長というべきだろう。
刃物を指先に走らせ、苦痛から『勇気』を引き出す。
――瞬間、アルトの頭に砂嵐の様なノイズが走った。
「ぐうっ!? あ、あああああっ!!!」
体に燃え上がる様な熱が循環する。まるで血液が沸騰しているのでは無いかとアルトには思えた。
変化はそれだけに留まらず、アルトの髪が血液が流れ込んだ様に真紅に染まり、胸がシャツを押し上げた。骨が軋み肉が蠢き、体が僅かに丸みを帯びる。
時間にして数秒でアルトの変化は終了し、自分の体を見下ろしてアルトは呆然と呟いた。
「…………な、なんでまたこの姿に……!?」
穴の外でそれを見ていた悠はレイラと今の現象を分析した。
「やはり才能は魂に由来する力なのだな。でなければ『勇気』の発動でアルテナの力が呼び起こされるはずは無い」
《意識がアルトのままだっていう事は、アルテナの封印が解けたんじゃ無いわね。『勇気』がアルトの中に居るアルテナから力だけを汲み出してるんでしょう。竜気を感じるのがその証拠と言っていいわ。体まで影響を受けたのはご愁傷様と言うより他無いけどね》
「これはもう『勇気』とは呼べんか。対外的には『覚醒』とでも仮称しておこう。内実は『竜騎士』ならぬ『竜剣士』という所だが、言っても伝わるまいよ」
悠が他者に説明を求められた時の為の言い訳を考えている間にアルトは気を取り直した。甚大な変化だが、今は戦闘中なのだ。これ以上恥じ入って時間を浪費する訳にはいかなかった。
「と、遠目だし見学してる人には分からないかも……いや、この髪じゃ無理か……って、考えてる場合じゃ無い!!」
アルトは頭を振ると、余計な思考を頭から追い出した。今はただ勝つ事を考えるべきだ。
思い切り膝に溜めを作り、アルトは穴の外を目指して跳び上がったのだった。
「速ぇ!! 普段のアルトと比べてもずっと速ぇぞ、ジェイ!! そ、それに……お、俺の目がおかしくなったのか!?」
「慌てんな!! どうであろうと残り時間はもう少ねえ!! 防御に徹して時間を稼ぐぞ!!」
「な、何が起こっている!? アルトは男では無いのか!? いや、男のはずだ!!」
「落ち着けよ先輩!! あいつが男なのは俺も知ってる!! 才能の影響だか何だが知らねぇが、期間限定で女に鞍替えしたんだろ!! 大した事じゃねぇよ!!!」
「たたた大した事だよ!!!」
(俺だってそう思ってるに決まってるだろ!? ちょっとは察しろよお前ら!!!)
浮き足立つ他の者を叱咤激励しつつ努めて冷静に振る舞っていたジェイだったが、動揺の度合いは他の者達と何ら変わりは無い。
こちらに駆けてくるアルトは普段とは決定的に違う物があった。
薄いシャツに包まれた立派な胸部である。双丘と言ってもいい、下着に包まれてもいないそれがアルトの激しい動きに合わせて縦横無尽に揺れているのだ。これには全員が意表を突かれ、特にライハンの顔はみるみる紅潮し、視線が釘付けになっている。
(このバカ野郎はもう駄目だ!!! こん中でまだマシなのは俺と……)
エリオスをチラリとみれば、ライハンほどでは無いがアルトに目を奪われていて頼りにならないと判断し、ジェイは背後のラナティに向かって怒鳴った。
「ラナティ!! アルトを足止めしろ!! あんなモンお前にだってついてるだろ!?」
「あ、あんなに立派なのはついて無……」
「うるせえ!! そんな事で凹んでる場合じゃねぇんだよ!! とにかく撃て!!!」
「わ、分かった!!」
同性? であるラナティならまだマシだろうと、ジェイに促されてラナティは迫るアルトに向けて矢を撃ち放った。
アルトに向けて真っ直ぐな線を描いた矢をアルトはサイドステップでかわすが、そこに二の矢三の矢が飛来し、僅かながら足を鈍らせる。
その隙にジェイは槍の柄でライハンとエリオスの頭を殴った。
「ギャッ!?」
「ぐおっ!?」
「鼻の下伸ばしてんじゃねえバカ共!! 気合い入れろ!!」
「ののののの伸ばしてねぇよ!!!」
「ぶ、無礼だぞ貴様!! こ、この俺がアルトに目を奪われるなどありぇ、……ンンッ! 有り得ん!!」
「使えねえ……もういい、お前ら散り散りに校庭を逃げろ!! せめてちょっとだけでも時間を稼ぎやがれ!!」
ライハンの尻を蹴飛ばし、エリオスの襟首を掴んで逆側に放り出したジェイはラナティを守るようにその前方に陣取った。今更ジェイの下に戻ろうとする時間も無く、ライハンとエリオスは仕方無く別々の方向に駆け出したが、微妙に腰を引いて走るライハンの前にアルトが立ち塞がる。
「いくよライハン!」
「ぶへっ!?」
耳をくすぐる心地良い声にライハンがピキリと硬直し、棒立ちのままアルトの剣の腹で顔を痛打され、一足先に夢の世界に旅立つ。
「まず一人!」
ライハンをその場に残し、アルトは今度はエリオスに迫った。
「お、おのれアルト!! 男の癖に色仕掛けとは卑怯なり!!」
「これは副産物です!! それに、落とし穴を使うような人に卑怯呼ばわりされたくありません!!」
先の行為を思い出し、エリオスの反論は封じられた。かくなる上は剣で語るのみだ。
この間にジェイも逃げるかどうか迷ったが、先ほどと違いラナティはもう足下に陣地を設定してしまっており逃げられない。そして、一人ずつではアルトに対抗出来ないのであれば、ラナティと協力して時間を稼いだ方がマシだとジェイは決断した。
アルトの剣とエリオスの剣が噛み合い、その場で押し合いになったが、至近距離でアルトと見つめ合う羽目になったエリオスは不覚にもその美貌に目を奪われた。
(……美しい……)
戦いの最中に戦いを忘れたエリオスがアルトの剣を首筋に打ち込まれたのは次の瞬間であった。それは容易にエリオスの意識を飛ばし、エリオスは前のめりに崩れ落ちる。
「……これで2人!」
残り20秒。アルトは最後の2人に向けて全速力で駆け出した。
こうなっては使い慣れていない槍など邪魔とばかりに放り出し、ジェイは腰からナイフを引き抜いた。
「……ラナティ、俺が何とか一太刀だけアルトを受け止めるから、アルトを仕留めてくれ。俺がぶっ飛ばされても躊躇うなよ」
「わ、分かったよ。でもあんまり無茶しないでね?」
「無茶しなけりゃアルトは止められねぇよ。頼んだぜ」
小声でラナティに策を指示し、ジェイはナイフを構えた。
(ルーレイに掘らせた穴は一つじゃねえ! もう一回足止めされてな!)
実はジェイの前にはまだ一つ落とし穴が設置してあった。先ほどの物より浅いが縦に長く設置されているそれは例によって地面に『蜘蛛網』が設置してあり、足を踏み入れれば裸足のアルトは今度こそ逃げられないだろう。
そして時間に追われるアルトには罠を警戒する時間は無く、やはりそのまま落とし穴に足を踏み入れた。
「!?」
「しゃ!!」
勝ったと確信したジェイの顔が歪んだのはその次の瞬間であった。
「ふっ!!」
「なっ!?」
アルトの足が先の地面を踏み、落ちかけた足を引き抜いた。そしてまた陥没する地面に落ち切る前に引き抜いた足を先に伸ばし後ろ足を引き抜いて先に進む。そうやってアルトは自分が落とし穴に落ちる前に身体能力に任せて無理矢理ジェイに肉薄していったのだ。
地面を次々に踏み抜きながら迫るアルトに流石のジェイも顔を青くした。
「あくまで正面突破かよ、この真面目野郎!!」
「こういう破られ方は想定して無かったでしょ?」
飛来するラナティの矢を素手で受け止め、横薙ぎにされたアルトの剣を受け止めたジェイは堪えるまでも無くナイフを粉砕され真横に弾き飛ばされた。
「があああっ!!」
「ジェイ君!!」
ラナティはジェイを排除したアルトに最後の一矢を放とうとし……果たせなかった。
「どうして撃たなかったの、ラナティさん?」
ピタリと首筋に剣を添えられたラナティは弱々しく首を振った。
「……どう射てもアルト君に届くイメージが湧かなかったの。こんなの、ユウ先生以来だよ……。私は降参します」
「それは僕にとっては最高の褒め言葉だね」
ニコリと笑い剣を腰に納めたアルトだったが、すぐに視線を横に向けた。
「ジェイ、寝た振りをしてもダメだよ。そのまま一撃を加えてもいいならそうするけど?」
「バレバレかよ……ほんと、気付いてるなら勝手に攻撃すればいいだろうに、よっと」
ナイフは砕かれたが、アルトの剣はまだジェイの体を捉えていない事をアルトは理解していた。この死んだふりはジェイの最後の策だろう。軽快に立ち上がり、ジェイはアルトに尋ねた。
「で、どうする気だ?」
「そうだね……」
「残り10秒!」
悠のカウントダウンが響く中、アルトは剣を取らずに拳を目線に構え、答えた。
「ジェイ、今から僕は君を殴る。……実を言えば、君には少々腹に据えかねてたんだ。僕だって怒る時は怒るんだよ?」
「知ってるよ。俺はお前が学校に来てからずっと一緒に居たんだぜ? ……ダチなら遠慮すんな。手加減しやがったら俺が逆に一発かましてやらぁ」
ジェイも痛む体を無視し、拳を上げて不敵に笑って見せた。
「うん、そうだね。僕達は友達だ。……離れていても、友達なんだ。だから僕は行くよ。さようなら、ジェイ」
「行けるもんなら行ってみな!!」
アルトが前に出ると同時にジェイも前に出た。
手の届く間合いに入った時、先に拳を放ったのはジェイだ。これまでの全てを掛けてその拳がアルトの顔面に向けて放たれ――全身全霊の拳はアルトの顔をすり抜けた。
ジェイの目から戦意が抜け落ちる。
「……へっ、一瞬当たるかと思ったぜ……」
ジェイの体が徐々に下がって行く。その腹にはアルトの拳が突き刺さっていた。
「『朧返し』って言うんだよ。ギルド長のコロッサスさんに教えて貰ったんだ。成功したのは初めてだけどね」
「ぶっつけ本番かよ……冴えねぇなぁ……ゴフッ」
ズルズルとジェイの体が地面に近付き、意識が遠のき始めたが、ジェイは最後の力を振り絞り、頭上を仰いで言い放った。自分の拳がアルトの顔を捉えなかった事にどこか安堵の気持ちを覚えつつ。
「もう怪我なんか、すんなよ……バカ、やろ……」
「……うん……」
最後まで不敵な笑みを浮かべたまま、ジェイは地面に崩れ落ちた。その瞬間、悠が手を上げて宣言する。
「残り一秒、勝者アルト!」
こうして勝敗は決したのだった。
無理を通せば道理が引っ込むとばかりにアルトが押し切りました。正面突破に拘ったのはジェイへの意趣返しと悠への憧れです。
こうなる事が分かっていればエクレアやエルメリアも仲間に入れるべきでしたね。




