7-167 優等生の……5
「ちょっと手を貸して下さいな。そのままにしておくと腫れますよ」
「これは申し訳無い。教育者の威厳などあったものではありませんね」
痛がるローランの手を取り、アリアンロッドは常備している薬を塗ってハンカチで患部を縛るとローランは苦笑した。
「いいえ、閣下のお気持ちは良く分かりましたわ。ウチの愚息が何か仕出かしましたら遠慮無く殴り飛ばしてやって下さい」
「担任に申し送りしておきますよ」
「……学長、アルトはもう……学校には来ないんですか?」
アルトが無事だと分かったのは収穫だったが、もう一度会う機会があるのかどうかもジェイにとっては重要だった。この煮え切らない気持ちを抱えたままもう会えないのでは精神衛生上悪過ぎると言うものだ。
「あんな事が無ければ普通に挨拶をさせるつもりだったんだけどね。ちょっとした問題があって今は人前に出れないんだよ」
「……怪我、酷いんすか?」
「ああ、違う違う、そういう事じゃ無いよ。説明する事が出来ないのは心苦しいけど、誓ってもいい」
ローランが言い淀んだのをアルトの怪我の度合いが酷いと考えたジェイだったが、アルトのちょっとした問題とは現在体と心が別人になってしまっているという事である。これを理解させる為には全ての事情を話すしか無く、悠に許可も取らずに勝手に話せる事では無かった。
だからと言って怪我が酷いなどと偽れば、せっかく持ち直して来たジェイの精神がまた掻き乱される事になるだろう。
「それなら、動ける様になったら一度学校に来る様にお願い出来ませんか? ……アルトと別れを済ませたい奴は学校に一杯居るんです。あんな中途半端な別れ方じゃ、俺は納得出来ない……!」
「ジェイ、相手は宰相閣下だよ!! 使い走りにしようなんて無礼だろ!?」
「だけどよ……!」
「待って下さい、アリアンロッドさん。私は確かにこの国の宰相ではありますが、ジェイ君にとっては学校の先生でもあり、アルトの父親です。伝言くらいは構いませんよ」
ジェイの非礼を嗜めるアリアンロッドを制し、ローランはジェイに語り掛けた。
「他ならぬアルトが一番世話になった君の頼みだ、アルトが回復したら必ず一度学校に顔を出す様に言っておくよ。それでいいかい?」
「はい、ありがとうございます!」
深く頭を下げるジェイの肩に手を置いて、ローランは笑い掛けた。
「それじゃ、今日はもう帰りなさい。アリアンロッドさん、わざわざご丁寧にありがとう御座いました」
「いえ、こちらこそ夜分に失礼致しました。ご子息の一日も早い回復を願っております」
「それとジェイ君、もし他の子が私に謝りたいと言ってもそれは無用の気遣いだと伝えておいてくれるかい? これ以上エリオス君の様な真似はしたくないしね」
ハンカチの巻かれた手首を擦って苦笑するローランに、ジェイも少し口元を吊り上げて頷き、2人は部屋を退出した。
門の外に出て、アリアンロッドとジェイは盛大に伸びをして息を吐いた。
「は~~~、肩凝ったわ~」
「1年分の忍耐力を注ぎ込んだ気分だぜ……」
「でも、流石この国を立て直した方ね。変に偉ぶってないし、いい人じゃない。あーあ、奥さんが居なかったらちょっと付き合っても良かったな~」
「よく言うぜ……ん?」
2人で並んで歩いていると、王宮前の広場のベンチに一人、誰かが座って俯いているのがジェイの目に映った。それが誰であるのかを悟り、ジェイは少し足を止めて思案すると、アリアンロッドに言った。
「お袋、先に帰っててくれ。俺はちょっと用事が出来た」
「何さ、こんな可愛いお母さんに一人で夜道を歩いて帰れって言うの?」
「自分で可愛いとか言う歳かよ……。心配いらねぇだろ、お袋に手を出す様な馬鹿はメロウズさんに五分刻みにされるっての」
「それもそうかもね。ま、いいわ、精々慰めてあげなさい」
ジェイの意図を察しつつもあえて軽口を叩いていたアリアンロッドが後ろ手に手を振って立ち去ると、ジェイはベンチの人影に近付いて行った。
「オッス先輩。ブン殴られて凹んでるんすか?」
「……煩い、今は外見を取り繕う気分じゃ無い。庶民はサッサと帰れ」
ジェイが気さくに話し掛けた相手は先ほどローランに叩き出されたエリオスであった。ある程度見られて開き直ったのか、いつもは厳重に被っている猫も脱ぎ散らかしてやさぐれているようだった。
「その庶民に自分からなろうとした酔狂な先輩に言われたくねぇなぁ」
「……これ以上フェルゼニアス家に借りを作るくらいなら全てを失った方がマシだ……。3年生の首席だのと言われても、俺は年下のアルトにすら遠く及ばない。恩を着せてやるつもりが、格の違いを見せつけられた。惨めだ……」
肩を震わせるエリオスの事情はジェイには窺い知る事が出来なかったが、持ち前の洞察力でジェイはエリオスがフェルゼニアス家に対抗心を抱いており、そして完膚無きまでに敗れたのだと悟った。
しかし、ジェイはエリオスを馬鹿にする気にはなれなかった。むしろ、圧倒的な力を誇るフェルゼニアス家に対し、この年齢で挑戦しようという心意気に感じ入るものがあった。
少なくとも、単に徒党を組んで不平不満を並べ立てる貴族の子弟と違い、エリオスはたった一人で王宮に出向いて自分の口で語ったのだ。その内容はともかく、つまらないプライドでは無く勇気と称するに値する行動だ。
「じゃあ、諦めて学長の下につけばいいじゃないっすか? 学長はちゃんとした能力のある人間を無為にするほど狭量じゃないすよ」
「そんなみっともない真似が出来るか!! 庶民には分からないだろうが、貴族とは誇りを友として生きていくものだ!! 力及ばぬからと言って容易に尻尾を振るなど家畜の生き方でしかない!!」
「確かに俺は庶民なんでそう言うのは分からないっすね。……でも、男だから負けっぱなしは悔しいって言うんなら分かりますよ」
ジェイの言葉にエリオスはほんの少し顔を上げた。
「何が言いたい?」
「ちょっと考えてる事があるんですけど、先輩も一口乗らないすか? 俺は庶民だけど、ダチのアルトとは対等で居たいと思ってるんですよ」
そしてジェイは先ほど考えついた自分の思いをエリオスに語ったのだった。
「久しぶりだな、ここに来るのも……」
悠と小国群に出掛けた日、アルトはローランから一度学校に挨拶に行くように言われていた通りに学校を訪れていた。元々ローランに言われるまでも無く一度しっかりと挨拶に赴く予定だったので、アルトは渡りに船とばかりに予定に組み込んだのだ。
時刻は昼近くであり、そろそろ午前中の授業も終わる頃だ。まずアルトと悠は職員室に顔を出しオランジェが帰ってくるのを待っていると、ほどなくして授業を終えた他の教師がアルトと悠に気付いて声を掛けて来た。
「フェルゼニアス!? もう体はいいのか!?」
「はい、お騒がせしてしまい申し訳ありませんでした。お陰様でもう動き回る事も出来ます」
「君が奮闘してくれたお陰で他の生徒は救われた。無論、ユウ殿も」
「戦ったのは殆どアルトであって、俺は最後にほんの少し手を貸したに過ぎんよ」
アルトの無事を喜ぶ教師の輪が出来上がり、アルトも一人一人に丁寧に頭を下げた。
そこにようやくオランジェが息を切らせて駆けつけた。
「アルト君が来てるって!?」
「オランジェ先生、ご心配をお掛けしました」
「はぁぁぁ……良かった、元気そうで……」
生徒の前では動揺を顔に出さない様にしていたオランジェだったが、心の中では非常にアルトの事を心配しており、ちゃんてアルトの手足が揃っているのを確認すると大きく息をついた。
「目に見える部分は大丈夫そうだけど……その服の下は包帯だらけだったりは?」
「しません。ユウ先生が綺麗に……いえ、冒険者の伝手でいい薬を持っていらしたので」
うっかり悠に治して貰ったと言い掛け、『再生』の事を漏らすのは不味いと思ったアルトは言葉を継ぎ足した。
「それならいいが……アルト君、もうここには来ないつもりかい?」
「はい、僕にもやならくてはならない事がありますから」
アルトが迷っているなら強く残留を勧めようと思っていたオランジェだったが、アルトの目は柔和ではあっても柔弱では無く、その強い輝きにオランジェは説得の無意味さを悟った。
「……残念だよ、本当に。教師として日の浅い私はどれだけ君に助けられたか分からない。だけど、いい大人がいつまでも君を頼っていては笑われてしまうか……。今までありがとう、アルト君。君は最高の生徒だった」
「僕も担任がオランジェ先生で楽しかったです。また歴史のお話を聞かせて下さいね」
「いつでも聞きに来ておくれよ。夏になる頃には君の好きな過去の英雄も授業に絡んでくる予定だからね。……もっとも、アルト君が一番好きな英雄は今隣に居るんだろうけど」
互いに笑い合い、そして僅かに目元を湿らせつつ、オランジェとアルトは握手を交わした。和やかな雰囲気が職員室を包み込み……
「アルト!! テメェちょっとツラ貸せや!!!」
粗野な怒鳴り声に粉々に打ち砕かれた。
学校定番イベント、不良生徒からの呼び出し。一体誰なんでしょうか?




