7-166 優等生の……4
待つ事10分少々でアリアンロッドとジェイは面会を許可された。
「こちらです。……あの、くれぐれもよろしくお願いしますよ?」
「分かってるわよ」
案内してくれた門番に微笑みかけ、アリアンロッドは表情を改めた。別人の様に凛々しくなったアリアンロッドに息子であるジェイも舌を巻く。
(こっからは上辺の愛想は要らねぇって事だな)
ジェイも可能な限り表情を引き締め、ローランの待つ部屋へと入った。ローランは椅子に座ってはおらず、立って2人を出迎えた。
「よくお出で下さいました。私がローラン・フェルゼニアスです」
「お初にお目に掛かります、宰相閣下。私はジェイの母親でアリアンロッドと申します」
「ジェイです」
にこやかに出迎えるローランからは学校で見るのとは一味違った雰囲気が感じられた。言うなれば、国政を預かる貴族の重鎮としての顔であろうとジェイは思った。
「本日は――」
「いえ、その前にまず一言言わせて頂きたい。……こちらの不手際でご子息を危険に晒してしまい申し訳ありませんでした」
笑顔から一転、真剣な表情でローランはアリアンロッドとジェイに腰を折った。
「そんな、とんでもありません!! 今日伺ったのは宰相閣下に文句を言う為では無く、息子ともども詫びに参上したのです!! ご子息のお陰で息子は五体満足で帰って来る事が出来ました。その礼もせずに誠に申し訳ありません!!」
「すいませんでした!」
アリアンロッドが恐縮して頭を下げるのに合わせてジェイも丁寧に頭を下げた。人に満足に頭を下げた経験は無かったが、相手がローランであれば自然にその動作を行う事が出来た。
「アルトもまだ幼いながら貴族の端くれ、民を守るのは当然の事です。お気になさらずに」
「そういう訳には……。ご子息は大怪我をなされたと伺いました。せめてこちらを治療費にお使い下さい」
アリアンロッドは持って来た鞄の中から金貨の詰まった袋を取り出してローランに差し出した。ジェイの見立てではそれはおそらく店の一月分の売り上げに匹敵する金銭であり、アリアンロッドの謝罪の意志の深さが垣間見え、自分の失態の重さを突き付けられる気分であった。
だが、ローランはその手をそっと押し返した。
「これは受け取れません。先ほど言いましたが、アルトは貴族の義務を果たしたのです。その事でいちいち恩に着せて金銭を受け取るのは旧来の貴族の行いとなんら変わりありません。私はこの国の改革を目指す身、どうかお持ち帰り下さい」
「しかし……!」
反駁したアリアンロッドであったが、ローランの目に浮かぶ謝絶の意志の強さにそれ以上の言葉を飲み込んだ。たとえどれだけ弁舌を弄しても、ローランが己の意志を曲げないと悟ったからだ。
「……分かりました、これは持ち帰ります……」
「そうなさって下さい。こうして顔を合わせる機会を持てた事を嬉しく思います」
「……あの――」
ジェイがローランに質問を投げ掛けようとしたその時、部屋のドアがノックされた。
「宰相閣下、エリオス・クーラレイン子爵がお目通りを願っておりますが、明日にされますか?」
「クーラレイン子爵? ……そうだな、通しなさい。おそらく用件は同じでしょう」
「ははっ!」
エリオスの名はジェイにも聞き覚えがあった。確か、ドラゴンに襲われた時に一緒に居た、3年生の首席だった人物だ。どことなく胡散臭い気配がしたのでジェイは警戒していたのだが、今ローランに会おうというのであればそれはあの襲撃事件の事以外に無いだろう。
「申し訳ないが少々席でお待ち願えるかな? ジェイ君の訊きたい事にもその時一緒に答えよう」
ジェイの質問の枕を聞いただけで、ローランにはジェイが何を訊きたいのか伝わっていた。と言ってもこの場面でジェイがローランに訊きたい事などそう多い選択肢では無いので、ローランにとっては洞察力と言うほどの事では無かったが。
そんなに待つ事も無く、すぐにドアの外から再び兵士の声が届けられる。
「失礼します! エリオス・クーラレイン子爵をお連れしました!」
「入室を許可する」
「失礼しま……す?」
中に通されたエリオスは先客が居るとは思っておらず、一瞬言葉に詰まったが、すぐに気を取り直してローランに頭を下げた、アリアンロッドとジェイも席を立って頭を下げた。今のエリオスは学生では無く貴族の立場であり、庶民であるアリアンロッドやジェイに非礼は許されないのだ。
「ようこそ、クーラレイン子爵。察するに、君も先日の件でここに来たと推測するんだけど、合っているかな?」
「……その通りです、閣下」
「その節は君にも迷惑を掛けてしまい申し訳無い。それと、他の生徒の避難に尽力してくれたと聞いたよ。ありがとう」
ジェイ達にそうした様に、エリオスに対してもローランは丁寧に頭を下げたが、それを見たエリオスの顔が苦痛を感じたかのようにくしゃりと歪んだ。
「……何故ですか?」
「何故、とは? ……済まないが、どういう意味だい?」
エリオスの心中を図りかねたローランの言葉に、エリオスはジェイ達が居る事にも構わず語気を荒げた。
「閣下は私がどういう人間か存じているはずです!! それなのに何故頭を下げられるのですか!? 閣下が私に遜る必要など無いでしょう!?」
それに、とエリオスは拳を握り締めて先を続けた。
「私はご子息を置き去りにして逃げ出しただけだ!! 避難に尽力? 私はそんな事はしていない!! そう言われる資格があるのはそこの一年生とその同級生であって、あなたに頭を下げられる謂われは無い!!」
頑なにローランの謝罪を拒むエリオスの心中を察し、ローランは苦笑して語り始めた。
「……なるほど、君は以前の出来事から、私が君に頭を下げるなど理解出来ないのかもしれないが、個人的にも公人的にもそれは誤解と訂正しておくよ」
ジェイ達が居るので詳しい内容をぼかし、ローランは理解の及ばないエリオスに言葉を続けた。
「まず大前提として、学校に属している間は君は生徒であり、私は学長だ。それ以前のしがらみなどは関係無いし、余計はフィルターを通して見るべきでは無い。更に事件の際、生徒の監督責任は我々が負うべき話であり、君は避難に尽力などしていないと言うが、他ならぬ君自身が無事に帰って来てくれた、その一事で君は責任を果たしている。だから私は監督不行き届きで生徒である君を危険に晒した事を陳謝するんだ。貴族の生徒であるからと言って無謀な救出に当たらなければならないなど有り得ないよ。アルトがそうしたのは、アルトがその中で唯一それが可能な力を持っていたからだ。そして本人がそれを望んだからだ。君がそうしなかったからと言って、私が君に対する責任を放棄する理由にはならないんだよ」
「そ、そんな事は詭弁に過ぎない!!」
「君が詭弁に感じるかどうかは重要な事では無いよ。世間一般にその論がまかり通ればそれが真実だ。そして私の論は君の主張より多くの人間に受け入れられるだろう。君の主張は君の中だけの話であり、他人が共有する事の出来ないものだからだ。だから私は謝罪を取り下げない」
ローランの言葉に付け入る隙を見い出せず立ち尽くすエリオスが泣き出す寸前の子供の様にジェイには思えた。どういう経緯がこの2人の間にあるのかは分からないが、エリオスは自分自身を保つ為に罰を欲している様にジェイには感じられたのだった。
エリオスは反論を諦め、起死回生とばかりにここに来た目的を宣言した。
「……今日伺ったのはこんな話をする為ではありません。私は貴族としての義務を怠った。それは閣下のお言葉を借りれば私だけの主張なのかもしれないが、それでも私だけはそう感じている!! ……閣下、私は子爵位を返上する。ご許可を賜りたい」
「おいおい、マジかコイツ」
「こら、人様の話に首を突っ込むんじゃないの! ……まぁ、若い頃にありがちな視野狭窄っぷりだとは思うけどねぇ」
貴族の位を返上するとまで言い張るエリオスを見て思わずジェイとアリアンロッドが突っ込んだが、エリオスの視線を受けて顔を背けた。
「ふむ……私も言葉を飾らなければジェイ君やアリアンロッドさんと全く同じ感想だね。潔いのを通り越して破滅願望でもあるのかと勘繰ってしまいそうだ。悪いが、当然許可は出来ないよ」
「何故です!? これで私を合法的に国政から締め出す事が出来るではありませんか!! あなたに躊躇う理由など――」
「おや、エリオス君、胸元に何を付けているんだい?」
「え? ぐはっ!?」
反論したエリオスが下を向いた瞬間、ローランは無防備なエリオスを思い切り殴り、不意を突かれたエリオスは床を這った。
「な、何をなさる!?」
「思い上がるのもいい加減にしたまえ!! 何故私が殴ったのか分からないならば説明してあげようか!? まず第一に君の感傷などで簡単に返上したり取り戻したり出来るほど貴族の爵位は軽い物では無いのだよ!! クーラレインの子爵号は君の先祖が血と汗と涙の末に勝ち取ったもので、たとえ当主であろうとも好き勝手に出来るものでは無い!! 第二に、君はそれで気が済むのかもしれないが、君の家族や君の家で働いている者達はどうする!? 全員纏めて路頭に迷わせるつもりか!? 青臭さも大概にするがいい!!」
床で半身を起こしたエリオスの胸倉を掴んでローランは普段からは考えられない剣幕で怒鳴った。
「フェルゼニアスに借りを作りたくないのであれば、私より優秀な官吏となって私の功績など霞むくらいの働きをしてみせろ!! ……学長としての私の仕事は若い芽を摘む事では無い、育てる事だ。そして私は君に期待している。是非とも一回りも二回りも大きくなって私と正面からやり合える様になって欲しい。……さあ、用が済んだのなら帰りたまえ」
「…………失礼、しました……」
俯いたまま、ふらりと立ち上がると、エリオスは顔を上げる事無く踵を返した。そのまま半病人の様な足取りでドアを開き、部屋を出る直前にぽつりと呟いた。
「……ご子息、アルト君の、容態は?」
「命に別状は無いよ。腕のいい医療の道に通じた友人が居てね、ちょっとした問題はあるようだけど……まぁ、以前と同じ様に生活は出来るらしい。心配してくれてありがとう」
「いえ……」
それだけを聞くと、エリオスは振り返らずに部屋を後にした。
「……ぐ、痛たたた……やっぱり私ももう少し体を鍛えた方が良さそうだ……」
エリオスが部屋を離れた瞬間、手首を痛めたらしいローランはその場で手首を押さえて涙目になり、ジェイとアリアンロッドはそれを生温かい目で見つめたのであった。
エリオスもプライドを再度圧し折られました。ローランがちょっと小細工を弄して殴ったのは、エリオスの実力ならば普通に殴り掛かっても回避されてしまうからです。学長として、各学年の10席次までの生徒は知悉していますので。




