7-164 優等生の……2
超展開。
(何やってんだ、俺は……)
夜のミーノスをジェイは当てもなく歩いていた。
10代前半の子供が夜の街を歩くなどこれまでのミーノスでは表通りであっても危険極まりない愚行であったが、現在のミーノスの治安は世界一と言って過言ではない。迂闊に騒ぎを起こそうものなら直ちに警備兵に捕縛されるし、裏町であっても元締めのメロウズが目を光らせていて、あまりに目に余る人間は秘密裏に「矯正」される。
それでも普段のジェイであれば警戒もせずふらふらと一人で夜の街を出歩く様な真似はしなかっただろう。
だが今は誰とも連む気にはなれなかった。
何も考えずに足を進めていると、長年慣れ親しんだ慣習か、ジェイはいつの間にか実家近くの下町を歩いていた。
ふと、誰かとぶつかってジェイはよろめく。
「っと」
「……っテェな!! どこ見て歩いてやがるクソガキ!!」
「……」
赤ら顔で怒鳴る髭面の男を見て、既にかなり酒が入っていると察したジェイは反論する事も無く男から視線を切って歩き出そうとした。
「おい!! 詫びの一つくらい言ったらどうだ!?」
「……っせぇな。悪かったよ」
「んだとこの野郎!!」
鈍い音とともにジェイの頬に衝撃が走り、地面に叩きつけられた。
「ぐっ!?」
「躾けのなってねぇガキが! 立てよオラ!!」
ジェイの襟首を掴み上げ、酔った男が拳を振り被るのをジェイは冷めた目で見ていたが、それが再びジェイの頬に届く事は無かった。
「おっとそこまでだ。ガキ相手にみっともないぜ?」
「ああ!? なんだ、テメェ、は……」
振り被った男の手を止めたのはアルカイックな笑みを浮かべるメロウズであった。だが顔で笑ってはいてもその目は笑っておらず、酔漢の語尾は鋭さを失っていった。
「ハハ、俺の顔を知らないか。お前さん、ミーノスの人間じゃねぇな? ……悪い事は言わないからもう帰んな。それでもゴネるんなら、この先は俺らが相手になるぜ?」
「け、け、結構です!!」
メロウズの背後から明らかに暴力専門家ですと言わんばかりの大男が数名進み出るのを見て、酔漢は肝が冷えて頭も冷えたのか、よろめきながらその場から逃げ出した。
「……ま、可愛いモンだよな、有無を言わさず刃物が出ない辺り穏やかになったもんだぜ。……だが、らしくないな、ジェイ。あんな酔っ払い、お前なら簡単にあしらえるだろ?」
「……ありがとうございました……」
微妙に答えになっていない答えを返し、ジェイはノロノロと起き上がると軽く頭を下げて立ち去ろうとしたが、溜息を吐いたメロウズがその首に手を回した。
「今のお前を一人にゃさせらんねぇな。ちょっと付き合え」
「……」
返事が無いのを了承と取ったメロウズはジェイを捕獲したまま背後の部下に声を掛けた。
「お前らはちょっと離れてろ」
「へい、お頭」
「……その盗賊みたいな呼び方、いい加減直せよな。せめて親分か元締めって呼べよ。さ、行くぜジェイ」
メロウズはそのままジェイを半ば引きずる様にしてその場を後にした。
メロウズがジェイを連れて訪れたのはジェイの生家のあった。
「俺んちじゃ無いっすか……」
「いいだろ、ここなら酔い潰れても安心だし、この辺じゃ一番いい店さ。アリア姐さんに挨拶もしておきたいしな」
ジェイを連れたメロウズが店内に入ると威勢のいい声が出迎えた。
「いらっしゃいませ!! あら、メロウズさんにジェイ!? 変わった組み合わせですね?」
「やあミラ、相変わらず繁盛しているみたいだけど、2人で座れるか?」
「ええ、奥の個室が空いてますからどうぞ!」
ミラに促され、適当に注文してからメロウズとジェイは席に着いた。そして先にアルコールが届けられると、メロウズは単刀直入に切り出す。
「見るからに打ちひしがれてんのは、さしずめフェルゼニアスの坊ちゃんが原因か?」
「……」
答える代わりにジェイはコップの酒を呷り、メロウズは軽く肩を竦めた。
「喋りたくないなら別にいいさ。俺も人に説教出来る様な立派な人間じゃ無い。今の地位も自分の力以外で手に入れたみたいなモンだ。それにお前は頭が回る。使い古された常套句で切り替えられるんならもうとっくに立ち直ってるだろう。だから、俺は俺の都合で勝手に喋るぜ?」
「……どうぞお好きに」
普段より強めの酒を機械的に喉に送り込みながらジェイが答えると、メロウズは少し表情を改めて話し始めた。
「俺はな、ゆくゆくはお前に俺の後を継いで貰いたいと考えてる。この界隈でお前以上の能力と度胸を兼ね備えてる同年代の人間はいねえ。そりゃ勿論今の時点では足りないモンは一杯あるが、まだお前はガキだ。だが10年もすりゃ今の俺なんかよりずっとスゲェ奴になると踏んでるんだよ。ここの店主だけで終わるのは勿体ねえ」
跡目の話などまだ早過ぎるだろうに、熱弁を振るうメロウズにジェイは熱の無い視線を向けたまま沈黙を守った。
「冷めた目ぇしなさんなよ。俺の跡目って事は、このミーノスの裏を仕切るって事だぞ? 男なら血沸き肉躍るってとこじゃねぇか?」
「……悪いけど、興味無いっす……」
正常な精神状態ならばジェイも多少感じる物があったのかもしれないが、今のジェイには全くと言っていいほど響かなかった。いくら裏で大きい顔をしようともそこにアルトは居ないのだと思うとつまらない、色褪せた未来予想図でしか無かった。
「重症だな、こりゃ。……ん~……しゃあねえ、順序が逆になるけど、お前にだけは先に言っておく!」
メロウズは酒を置き、背筋を伸ばすとジェイを正面から見据えて口を開いた。
「ジェイ、俺はアリア姐さんに求婚しようと思ってる。つまり、お前の親父になりたい」
「…………何だって?」
メロウズの言葉が浸透するに従い、流石に無感動ではいられずにジェイはメロウズに聞き返した。
「言っておくけど、冗談でも軽い気持ちでもねぇぞ? ……アリア姐さんはずっと俺の憧れだったんだ。金を貯めてアリア姐さんを一晩買おうとした事だってある。だけど、いざアリア姐さんを前にしたらあの人を金で買おうとする事がスゲェ悪い事の様な気がして、結局手を出せず仕舞いだった。他の女ならいくらでも手も口も動くのに、あの人だけはそんな風に手に入れたく無かったんだ。……その内アリア姐さんはお前を産んで、まだ若い内に半ば引退しちまった。……俺はと言えば商才もあった姐さんとは違ってクソ野郎の下っ端でさ、これまでとてもじゃ無いが結婚してくれなんて言えなかったんだ。でも今は違う」
覚悟を決めた顔でメロウズは視線を逸らさず、真っすぐ前を見て言葉を続けた。
「俺もようやく一人前になれたと思う。だから正面からアリア姐さんと向き合いたいんだ。……ジェイ、許してくれるか?」
「……お、俺が許すとか、許さないとか言う話じゃねぇよ」
「そういう話でもあるんだよ。もしアリア姐さんが受けてくれるなら、俺はお前の親父になるって言ったろ? 家族に祝福されないんじゃ意味がねえ」
あくまで筋を通そうとするメロウズだったが、ただでさえ頭が働いていなかったジェイは言うべき言葉を見失って空しく口を開閉させた。
その閉塞状況を破ったのはもう一人の当事者であった。
「親分、せめて本人と一緒ならともかく、先に息子から篭絡しようってのは頂けないねぇ」
集中し過ぎて気付いていなかったが、いつの間にか個室のドアの前にはアリアンロッドが料理を片手に斜に構えており、糾弾されたメロウズは大いに慌てた。
「き、聞いてたのか姐さん!? それは誤解だぜ!! 俺は筋を通したかっただけで……」
「ふふん、冗談さ、分かってるよ。……それに、アタシの答えは決まってるからね。親分、いや、今だけは昔みたいにメロウズって呼ぼうか。アタシはアンタとは一緒にはなれないよ。こんな年増に色目使ってないで、アンタはアンタの一番を探すんだね」
「俺は本気だ!!! 俺の一番はガキの頃からずっとアリア姐さんだよ!!!」
思わず席を立ったメロウズにアリアンロッドは首を振った。
「一人前になるまで求婚は出来なかったって言ったね? それが全てさ。……時間と女は待っちゃくれないんだよ。そんなに焦がれていたんなら半人前だっていい、どうしてアタシにそう言ってくれなかったんだい? 悪いけど、アタシの一番はもう他にあるんだ。それに、たまたま偉くなったのを一人前だと勘違いしてる半人前に靡くほど落ちぶれちゃいないつもりさ」
アリアンロッドの拒絶の言葉は厳しくメロウズを貫いた。
「まだ足りないってのか!? 俺は今やこの街一番の――」
「裏社会の親分だってのかい? ……カッコ悪いよメロウズ。昔のアンタは肩書きで女を口説く様な真似は絶対にしなかった。今のアンタに靡くって事は、アンタの代わりにその席に着いた奴とならアタシは誰だって寝るって事なんじゃないのかい? アンタにとってアタシはずっと安い娼婦のままだったって事?」
「ち、違う!!! お、俺はそんなつもりじゃ……」
無意識の増長を見抜かれたメロウズは真っ青な顔で否定したが、青くなった事自体、どこかでアリアンロッドの言葉を否定し切れていない事の証拠でもあった。
「……今日はもう帰りなよ。ここからは親子の時間なんでね」
「…………分かった。今日は、帰るよ……」
最初のジェイを凌駕する生気の無さでメロウズはフラフラと部屋から出て行った。
メロウズ撃沈。ジェイより打ちひしがれて帰る羽目に。アリアさん容赦ねぇ……




