7-159 抗議44
蓬莱で仲間達が働いている間にも悠は悠で忙しく働いていた。
《アルトに交渉して貰って食糧も何とかなりそうね》
「ダイクも今や小国群有数の商人だからな。商人の世界は勃興が早い」
《ちょっと従順過ぎて怖かったけどね……》
フェルゼニアス家と太いパイプを持つダイクの評判はこれまでの堅実な商売という土台から一気に花開き、フェルゼニアス家と交流を持とうとする商人が我も我もと押し寄せて、娘を嫁に出した商家を上回る規模に成長させていた。しかもダイクは単なる規模の拡張は望まず、商品と人格に信用の置ける商人だけを登用して更に名声を高め、良心的な価格と高い品質から、貴族から庶民まで幅広い顧客を獲得したのだった。
今回、ヤールセンの助言を元に小国群を訪れた悠はその事を知り、縁の深いアルトを連れて交渉に向かったのだが、街で収集した情報では店の場所も変わっており、それに基づいてやって来た場所にあったのは比べ物にならない大きさの大店であった。店内も大勢の客で賑わっていて、しばらく待ってからようやく接客を終えた店員に悠は話し掛けた。
「済まない、店主に用があるのだが……」
「申し訳ありません。見ての通り当店は多忙でして、約束の無い方とは…………あ……」
丁寧に頭を下げる店員の顔が悠の隣にあるアルトの顔で静止し、たっぷり5秒ほど硬直した直後に叫んだ。
「あ、あ、あ、アルト様!? アルト様がご来店あそばされたぞーーーっ!!!」
その叫び声を聞いた店内の店員が一斉にアルトの方へ視線を集中し、その熱にアルトは一歩退いた。
「ほ、本当だ、本物のアルト様だ!!!」
「な、何と見目麗しい……実物はやはり一味違う!!!」
「旦那様はどこだ!? 何、商談中? いくらでもいいから決済してお帰り願え!!!」
「応接室を開けろ!!! とにかく一番いい茶と菓子を持って……ええい、俺がやる!!!」
七転八倒の騒ぎに発展する店内で呆然とアルトは立ち尽くし、呟いた。
「い、一体何が……」
「おそらくアレのせいでは無いか?」
「え? あっ!?」
アルトの疑問に答えた悠が指差す店内の正面の壁には大きな絵が掛けられており、そこには見事な筆致で描かれた、傷付いた商人を助けて醜悪なゴブリン(小鬼)を斬り捨てるアルトの勇姿が表されていた。その下に注釈があり、「アルト・フェルゼニアス様、哀れなる商人ダイクを救う。贈:フェルゼニアス家」と記されている。
「こ、この絵は……アラン……!」
「俺は絵の技術的な事は分からんが、アルトに対する並々ならぬ情熱は理解出来る。アランにしか描けぬな、これは」
確かにこれを見ればダイクとフェルゼニアス家の関係を疑う者など居ないであろう。それを差し引いてもその絵の出来栄えは素晴らしく、十分に店のシンボルとして機能していそうだった。
「あ、アルト様!!! アルト様はいずこに!?」
蹴躓き、階段を踏み外しながらアルトを求めるダイクの声が遠くから迫り、アルトの姿を認めたダイクは階段を4段飛ばしで駆け降りながら丁寧に汗を拭い深呼吸してその場に平伏した。
「この度は我が店にご足労頂き、身に余る光栄で御座います!!! どうか本日はゆっくりと旅の疲れを癒し、御用が御座いましたら何なりとご下命を!!!」
「だ、ダイクさん、やめて下さい。今日はお話があってやって来たんです。それも火急の用件で。ですからまずは話を聞いて下さい」
「心得ました!!! 応接室の準備は!?」
「整っております!!!」
「良し!!! ささ、アルト様、ユウ様、こちらで御座います」
3倍速できびきびと動くダイクに冷や汗を流しながらもアルトと悠は案内された応接室で腰を下ろした。
「少し見ない内にこんなに大きな店になっていてびっくりしました」
「これも全てフェルゼニアス家の、ひいてはアルト様にお命をお救い頂けたお陰で御座います。その時の感動の逸話をアラン様にお話致しましたら、店に飾って下さいとあの絵を頂いたのです。よく大商人や貴族の方が是非譲ってくれ、金はいくら掛かっても構わないと交渉して来るのですが、たとえ金貨を空まで積まれてもあの絵は売りません。毎朝、あの絵を見て気を引き締めるのが今では私の日課になっておりますので」
「そ、そうですか……」
どうやら過剰な対応はいつも絵を見ている内に信仰心が芽生えたからかもしれなかった。
「アルト、本題を」
「は、はい。ダイクさん、実はお願いが――」
「承りました」
アルトが皆まで言い切る前どころか「お願い」の単語しか出ていない時点でダイクは深々と頭を下げて了承した。
「……は? あの、僕まだ何も言っていないんですが……」
「アルト様がお求めになる事で御座いましたら、私に出来る事であれば何であろうともご下命下さいと既に申しました。その言葉に偽りは御座いません。どうぞ遠慮無く仰って下さい」
逆にここまで完全に服従されるとアルトとしては用件を切り出しにくいのだが、その逡巡を察した悠が本題を切り出した。
「これよりミーノス・ノースハイア連合と聖神教との間で戦があるのだが、アライアットより戦を嫌った市民が大量に流れ込んだ為、至急食料が必要になったのでそれを都合して貰いたいと思って参上したのだ。3万人を養う食材を2週間分用意出来るか? 無論金は支払う」
「さ、3万……いえ、ご用意します。それがたとえ数十万だとしてもこのダイクの身命を賭して!!!」
「い、いえ、大変な事は承知していますから、まずは集められるだけの量を集めて下さい。次に来る時に残りは受け取りますので」
本当に命を懸けかねないダイクの目を見てアルトは分割でいいと申し出た。流石に無理があるのはダイクの悲壮な顔を見れば一目瞭然だったからだ。このまま猪突猛進させては店を売ってでも用意しかねない危うさがあった。
「それでしたら今日の夕刻までに2日分をご用意致します!! 残りはこれから私が生産元に直接買い付けに行って参りますので、2日後にお受け取り下さい!!」
「ありがとうございます。それで、お代はお幾らに?」
「そうですな……1日分で一人銅貨5枚として……3万人でしたら金貨150枚、それが14日分ですので、金貨2100枚、いえ、金貨2000枚で如何でしょうか?」
「安過ぎますよ!? それではダイクさんに何の儲けも残りません!!」
一般市民が一日の食費として消費する金銭は大銅貨1枚前後がミーノスの常識である。ダイクの提示した料金はその半額以下であり、原価割れしているかどうかのギリギリのラインであった。
「いえ、本来ならアルト様から金銭を受け取る事など出来る立場では無いのです。ですが、私も従業員の生活を預かる立場、せめてもの御奉公とお納め頂きたく……」
「ダイク殿、アルトの性格はダイク殿であれば良く存じていよう。善意に付け込んで得をするのをアルトが良しとされるとお思いか?」
「そ、それは……しかし……」
悠の言葉に狼狽するダイクはしきりに顔の汗を拭き取ったが、悠の発言にアルトも追従した。
「ダイクさん、無茶なお願いをしているのは僕の方です。それなのに不当に安い金銭で品物を受け取るのは僕の矜持に反します。ダイクさんは商人として最大限の努力をしてくれています。ならば正当な対価を受け取るべきです。でないと、僕は今後ここを利用する事が出来なくなってしまいます」
アルトにまでそう言われ、ダイクはようやく折れた。
「……非常に心苦しく思いますが、そこまで仰られるのであればお受け取り致します。今後ともダイク商店をよろしくお願い致します」
感謝の念を満ち溢れるほどに込めてダイクが契約書を取り出すと、サラサラとそれを認め始めた。
ようやく終わったかと胸を撫で下ろすアルトだったが、ダイクの次の一言に硬直した。
「では確かに金貨4000枚で……」
「ちょっと待って下さいダイクさん」
「は? な、何かご不審な点でも?」
不審なのはダイク自身であった。小声で告げた金額に明敏なアルトは気付いていたのだ。
「確か、最初は金貨2100枚と言いましたよね? それだと正規価格は金貨4200枚のはずです。200枚はどこに行ったのですか?」
「さ、さぁ、私は確か2000枚と言ったはずですが……」
「……ダイクさん、僕は学校に通っています。そのくらいの計算はすぐに出来ますよ。金額は4200枚、それでいいですね?」
「そ、それはあまりに……! せめて200枚は値引きをさせて下さい!!」
「駄目です。本当はここに集める輸送費だけでそれに近い金銭が必要なはずです。急ぐのなら尚更ですよね? 4200枚、それ以下は許しません」
「そ、そこを何とか!! どうか4050枚!! 4050枚で!!」
「だから駄目です。4200枚です」
「後生ですから4100枚という訳には……!」
「絶対に駄目です。銅貨一枚だって譲りません」
頑として受け付けないアルトと何とかして値引きしようとするダイクの交渉を見てレイラは溜息を吐いた。
《……どうして買う方が値段を吊り上げて、売る方が値段を引き下げる交渉をしているのかしら……普通逆でしょ?》
「ああなるとアルトは頑固だ。ダイクが折れるのを待つしかあるまい」
「で、では私も覚悟を決めます!! 1%引きの4158枚なら如何ですか!?」
「嫌です。これ以上粘るなら、僕帰っちゃいますからね?」
「アルト様ぁぁぁぁぁぁあああああッ!!!!!」
ダイクが折れるのにそれほどの時間は必要とはしなかったのであった。
単なる零細商人でキャラも平凡だったダイクがこんな事に。主にアランのせいだと思います。




