7-154 抗議39
ノースハイアでは避難民に配布する物資の収集と輸送の準備が急ピッチで進められていた。サリエルは最初は単純にラグエルの善意に喜んだが、ラグエルはそれに首を振って答えた。
「善意では無い、サリエル。これは打算だ」
「打算?」
「余の悪名は遠くフォロスゼータまで届いていよう。それは余の責任だが、いざ国交を結ぶとなればその悪名は友好の障りになる。今の内に出来る限りを施し、民心を安んじなければならん。その為の投資が金で賄えるなら安いものだ」
露悪的なラグエルの言動にサリエルの眦が下がったが、ラグエルはそれに気付かぬ風で会話を打ち切った。
「此度の支援はお前とシャルティエルで取り仕切れ。余はノワール侯と軍議がある」
「あっ、お父様……」
サリエルが何かを言う前にラグエルは居なくなってしまい、鬱々としていたサリエルはソリューシャで働いていた悠にその旨を打ち明けると、悠はサリエルと視線を合わせて尋ねた。
「……それでお前は憤っているのか?」
「憤っているというより悲しいんです。お父様が先頭に立ってやった方が今までの恨みつらみも少しは和らぐはずなのに……」
サリエルの言葉に悠は首を振った。
「視点が違う。それは王族の意見では無い、個人の意見だ」
悠の言っている意味が分からなくて戸惑いを浮かべるサリエルに悠は言葉を続ける。
「ラグエルに対するアライアットの人間の恨みは深かろう。同じく戦場に出ていたアグニエルもな。それは多少の事では払拭されんし、もしかしたら生涯晴れる事は無いかもしれん。その点、サリエルとシャルティは表立って国務に関わって来なかったし、救出にも関わったゆえ恨みの念が薄い。ラグエルは今後の両国の関わり方を既に睨んでいるのだ。恨みは自らが引き受け、次代のお前達には良好な関係を残してやりたいのだろう。それを子供であるサリエルが分かってやらんのではラグエルの立つ瀬が無いぞ」
これはラグエルが普段よくやる帝王学の一環であろうと気付いたサリエルは自らの不明を悟り俯いた。ラグエルは徐々にサリエルに質問する頻度が減っていたが、それは尋ねなくても自分の言葉の裏を読めという事なのだろう。
「……私は王族に相応しくないのかもしれません……。それをわざわざユウさんに諭されても、やっぱり悲しいです。もうお父様は昔のお父様じゃ無いんです。それなのに、ずっと恨まれたままだなんて……」
「これは独り言だが」
唐突にサリエルから視線を外し、明後日の方向を見つめながら悠は呟いた。
「形はどうあれサリエルが力を尽くす事で拡大解釈は狙えるかもしれんな。民にとって王族とはその国そのものであり、サリエル=ノースハイアを善良と認識させるに至れば、ラグエル=ノースハイアの図式への悪感情の緩和を促せるかもしれん。……王としてのラグエルの考えがどうあれ、職務に精励する事は咎めまい。あくまで独り言だが」
「ユウさん……!」
「悪いが俺はもう行かせて貰うぞ。数万人分の仮設野営地を作る為に石材やその他の資材を運ばねばならんのだ。あとは自分で考え、そして行動してくれ。……頑張れよ」
悠はそのままサリエルの前から踵を返し、『竜騎士』となって遥か先のミーノスの山岳地帯へ向けて飛び去った。
「甘えてばかりですね、私……」
小さな点となった悠を見やり、サリエルは胸元に光るペンダントを握り締めた。いつか、迷い無く悠の様に行動出来るようになるのだろうかとその胸中には未来への不安が渦巻いていたが、そうすると少しだけ心が軽くなるような気がしたのだ。
《乙女ねぇ……誰も見てないんだから本人に甘えればいいのに》
「な、何を言ってるのグロリア!? そ、そんなの……は、はしたないわ……」
《淑女教育が行き届いているのはとてもいい事だとは思うけど、シヅカといい、真面目なお姫様は引っ込み思案なのが玉に瑕ね。少しはあのお姉さんを見習いなさい。隙あらばユウと一線を越えようと生き生きしてるじゃない。サリエルの歳ならじゃれついたってまだシャレで済むんだから》
グロリアは悠から贈られたレイラの『分体』の名前である。昔お気に入りだったぬいぐるみの名前なのはサリエルだけの秘密だ。
「……いいの。ユウさんはちゃんと気に掛けて下さるもの。それだけで私は十分――」
《じゃ、無いから名残惜しそうに後ろ姿を眺めてるんじゃないの。王族の義務は大切だけど、だからと言って女の子としてのサリエルが消えて無くなっちゃった訳じゃ無いんだから。たまには素直に言いたい事を言いなさい。そのくらいの甲斐性はユウに期待してもいいわよ》
「……そう、かな……?」
サリエルにはその線引きをどこですればいいのか分からないのだった。シャルティエルにはこれまでの経験があり悠との微妙な距離感を保つ事に成功しているが、サリエルにとっては男性との距離感など、樹海で霧中に居るに等しいほど計りかねるものである。
《仕事が一息ついたらミレニアにでも相談しなさい。レフィーは経験不足だからダメよ》
「うん、そうしてみる」
サラリとレフィーリアにダメ出ししつつ、サリエルは気持ちを切り替えて街に戻ったのだった。
「不愉快な気配……」
「如何されましたか、レフィーリア様?」
「いえ……やる事が多くてちょっと思考が乱れたみたい。それよりも仮住居の造成の目処は立ちそう?」
やるべき事の中でも最優先事項をレフィーリアはパストールに尋ねたが、パストールは困ったように眉を寄せた。
「申し訳ありません。正直私では分かりかねます。今ユウ殿が全力を挙げて資材確保に動いていますが、街の人口にも匹敵する人間を寝泊まりさせる場所を作るのは至難の業でしょう。此方の手も避難民への炊き出しや病人の治療で埋まっております。王都からの支援が無ければこれ以上は出来ません」
レフィーリアも能力の限界を振り絞っているが、それでもこの避難民を保護するのは至難であった。物資は当然として、絶対的にまず人手が足りないのである。ソリューシャで動かせる兵士や市民らも協力してくれているが、食事を作るだけで精一杯であった。これ以上を求めるのは反感を招く可能性があり得策では無い。
これらの懸念は悠からもたらされた知識であり、正直な所レフィーリアにも他の誰にも他国からの避難民という概念は存在しなかった。国と国とが戦い一方に吸収される事はあっても、戦争中に他国民がもう片方の国に保護されるというケースはアーヴェルカインには存在しないのだ。領地を奪い合い、勝者はその土地の全てを得るのが戦の常であった。逃亡して流民になる事はあってもその時には流民は当然国を捨てているのである。
今回の場合、避難した人々は聖神教から離れただけでアライアットを捨てた訳では無い。つまり、あくまで難民では無く避難民なのだ。それをどう扱えばいいのか、明敏なレフィーリアとしても頭を悩ませているのである。
「……とにかく、今は現状で出来る事をするしか無いわ。ユウが帰って来たら相談してみましょう。パストール、そう伝言を送っておいて」
「畏まりました。外回りの兵士に伝えておきます」
パストールが退室し音の絶えた部屋の中でレフィーリアは目元を揉み解すと、もう一度効率的な人員配置を検討し直し始めたのだった。
あまり避難するという発想が無い修羅の国の人々。基本殺すか殺されるかです。
という訳でここいらでそういう事に詳しい人に聞く訳です。久々に。




