7-152 抗議37
「な、何だあれは!?」
矢を逸らすでも弾くでも無く消滅させた事にデミトリーは驚いた。闇属性の魔法に似た魔法はあるが、人間を丸々覆う事が出来る代物では無いし、あんな速度で展開出来るはずが無いからだ。
「ぱっち、時間稼ぎはもういいぞ。兵士以外の者は皆ゆーが連れて行った。ぱっちは自分の役割を果たしたぞ」
ヒストリアの言葉にパトリオは半ば呆けたまま、曖昧に頷いた。
「あ、ああ……そう言えば護衛を付けてくれたんだったな…………ちょっと待て、ぱっちとはもしかして私の事か!?」
「細かい事に拘っている場合では無いぞ。相手が二の足を踏んでいる間に逃げるのだ。はりーが目くらましをしている内にな」
パトリオが呆けている間に事態は進展を見せており、ヒストリアが『自在奈落』を解除すると、アライアット軍の一部が魔法の霧によって包まれていて、中からは混乱した将兵の怒号が飛び交っていた。
「ほらほら、とっとと逃げますよ。今は同士討ちを恐れて動けないでしょうが、あんなのは5分と保ちません。今のパトリオ殿を死なす訳には行かないのですから急いで下さい」
「今の?」
「後ろをご覧なさい、パトリオ殿」
疑問を感じてパトリオが振り返ると、そこにはパトリオを尊敬の眼差しで見つめる兵士達の姿があった。
「これは……」
「中々良い演説でしたよ。少なくとも、こちらに従ってくれる兵士達があなたを死なせたくないと思う程度にはね。少々感情論が先走ってはいますが、まぁ、まだお若いのですから目を瞑りましょう」
ハリハリが悪戯っぽい表情でウィンクし、馬首を巡らせた。
「あと少々でユウ殿もやって来ます。今の内に相手との距離を開けますよ! 兵に号令を!」
「あ、ああ!! 全軍反転!! 撤退するぞ!!」
見様見真似のパトリオの指揮であったが、兵士達は即座にその指示に従って反転し、後退を始めた。
アライアット軍はまだ混乱から立ち直っては居なかったが、その逆にパトリオの言葉に心を動かされた兵士達の行動は素早かった。
「俺はパトリオ殿に付いて行くぞ!! もうこれ以上信じてもいない神に仕えるのは御免だ!!」
「俺もだ!! 俺のオヤジは聖神教に殺された!! 聖神教を信じても俺は幸せにはなれなかった!!」
「俺達は命懸けで戦ってるのに、偉い奴らはいつも安全な所でふんぞり返ってやがる!! こんな軍で戦えるかよ!!」
少なくない兵士が混乱に紛れてアライアット軍から離脱を図り、戦場の混乱に拍車を掛けていく。既に同士討ちを警戒するなどとは言っていられず、離脱しようとする兵士とそれを押し留めようとするアライアット軍との激しい殺し合いに発展していった。
この状況はデミトリーには頭の痛い事態であったが、パトリオ達にとっても容易に歓迎すべからざる事態であった。
「ハリハリよ、我々と行動を共にしたいと欲する兵士がまだ居るようだ!! 彼らを救わねば!!」
「……難しいですね。今彼らを救いに行けば正面から戦う事になります。そうなれば救った数以上の損害が出ますよ? 僅かな賛同者の為に将が取るべき行動ではありませんね」
「だからと言って彼らの思いを無碍には出来ぬ!! 私には彼らを煽動した責任がある!!」
真剣な表情で諭したハリハリだったが、同じく真剣な表情で言い返してきたパトリオの言葉に相好を崩した。
「……ほんの僅かな期間でよくぞそこまで成長したものです。やはり愛は偉大であると言いましょうか……宜しい、そこまで仰るのであればワタクシも覚悟を決めます」
ハリハリの手が指輪に伸び、それを引き抜こうとした時、不意にヒストリアが声を上げた。
「待てはりー!! ……来たぞ、ゆーだ!!」
ヒストリアは視線の遥か先に悠の姿を捉えていた。それはぐんぐんとパトリオ達の下に迫り、目の前で着地する。
「ユウ殿!! まだこちらに降る事を希望する兵士が居るのです!!助けられますか!?」
「頼む! 彼らを助けてくれ!!」
「承ろう」
上空から見て全てを察した悠は頷くと単身アライアット軍に向けて駆け出して行った。その足取りには不安など微塵も無く躍動感に溢れ、パトリオは不覚にも荒れた心中が凪いでいくのを感じていた。
「あれが……英雄と呼ばれるものか……」
「守るべき誰かの為に命懸けで戦える者は皆そう呼ばれる資格がありますよ。あなたにもね、パトリオ殿」
「あとはもっと頭も剣の腕も鍛える事だ。弱っちいままでは華々しく散るだけだぞ?」
「……子供に言われずとも分かっ!?」
ヒストリアに反論しようとしたパトリオの首に立ち上がったヒストリアの手が巻きつき、ギリギリと絞め上げながらヒストリアが低い声で言った。
「……一度だけ忠告するが、二度とひーを子供扱いするな、ぱっち。年下のクセに生意気だぞ? もし覚えが悪いようなら、次は頭の中身を『自在奈落』で掻き回してやる。理解したか?」
「が、ぐげげ……!!」
「ヒストリア殿、絞め過ぎです。それでは返事が出来ませんです、ヤハハハ」
「む? そうか、ぱっちは本当に虚弱だな。ばろなら本気で絞めんと理解出来んからつい力加減を間違えた」
激しく咳き込むパトリオにとって、この戦場で一番死に近付いた瞬間であった。
敵陣に辿り着いた悠は槍で突かれそうになっていた兵士の間に割って入り、その穂先を握り締めた。
「早く逃げろ。ここは俺が引き受ける」
「す、済まん! 恩に着る!!」
「お、おのれっ!! 異教の『悪魔』が我らの聖務を妨げるか!?」
「人が人を殺す事は如何なる時でも凶事であって、ましてやそれが歪んだ正義感に支えられているとなれば神聖さなど欠片もあるものか。パトリオの言葉を聞いても何も感じぬのなら、せめて真っ当に生きようとする者の足を引っ張るな」
悠はそのまま槍を取り戻そうとする兵士を体ごと持ち上げると、槍を振り回して周囲の兵士達を薙払った。
「おわっ!?」
「くっ、化け物め!!」
「囲め囲め!! いくら力が強くても槍で突けば生きてはおれまい!!」
悠の並外れた膂力を見ても戦う意思を失わないのは見上げた信仰心であったが、そもそも一般兵が持つような槍如きでレイラが変じている鎧を貫けるはずも無く、悠は流れる様な動きで時には兵士の上を乗り越えながら敵陣の中心を目指した。
「俺を殺す気満々らしいが、一応まだ戦争前だからな。俺は貴様らを殺さん。だが追って来られても面倒ゆえ、寝ていて貰おうか。レイラ、『竜気解放・弐』」
《アレをやるのね。了解、『竜気解放・弐』! 出力は?》
「『竜器使い』でも結界越しで30%の出力に耐えかねたのだ。普通の人間に行うならその十分の一が精々だろう。その代わり、効果範囲を可能な限り拡大してくれ」
《つまり3%ね。分かったわ》
躍動する悠の体から竜気が立ち上り、兵士達の注目を集めた。4千少々に減った兵の中心まで無傷で到達した悠の鎧の中心にある宝玉に直視し難いほどの赤い光が充填されているのを兵士達は見た。
「竜の息吹をその身に味わえ、偽神の奴隷共。『竜ノ咆哮』!」
悠の胸の宝玉に集まった光が弾け、同心円状に兵士達の中を通り過ぎていった。音無き咆哮をその身に浴びた兵士達は心が引き裂かれる様な恐怖と共に『竜ノ咆哮』を浴びた中心からドミノ倒しの様に倒れ伏していく。信仰も意地も何の役にも立たず、悠が放出を終えた戦場にはもう誰も立っている者は居なかった。それどころか大半の者は意識すら保てずに気絶し、股間を濡らしていた。
「……この程度か。信仰の底が透けるな」
《十分の一でもまだ過剰だったかしら? まぁ、いい薬よね。一週間で回復するかどうかは私達が考える事じゃ無いわ》
誰も動けなくなった敵陣を悠は歩いて引き返していく。その途中でパトリオの父であるデミトリーが蠢いているのを見て、悠は吐き捨てた。
「貴様が見放した息子は親の思惑など遥かに超えて成長し、一人で立って見せた。自分の息子といい、こうして立つ事も出来ない兵士といい、貴様には人を育てる力が無い。精々聖神教が滅びるその日まで震えて過ごせ」
「ぐ……お……!」
侮蔑の言葉に言い返す事も出来ずにデミトリーは歯を噛み締めた。一体目の前に居るこの騎士は何者なのだろうか、これからこの国は、ノルツァー公爵家はどうなるのだろうかという思考が千々に乱れ、やがて全てが白く染まり意識を失った。この期に及んでもデミトリーの脳裏にパトリオへの肯定的な気持ちは欠片も浮かび上がる事は無かったのだった。
倒れ伏す兵士を捨て置き、悠はハリハリ達の下へと戻り帰還の為に再度『虚数拠点』を呼び出した。
「……とんでもない技を持っていますね、ユウ殿。あれだけの数を殺さずに無力化するなんて……。闇属性の『恐怖』に効果が近いですが、威力も効果範囲も桁違いです」
《これでも本気で手加減したのよ? 普通の威力で使うと肉人形を量産する事になっちゃうから》
「つくづく人間を相手にしてはいけませんね、ユウ殿は」
「んん~……今のはひーにも防げるかどうか分からん。まだまだゆーにはひーの知らない力が一杯だな」
「検証は後にして帰るぞ。避難民や投降兵の衣食住を賄わなければならんし、ミーノスやノースハイアに事の顛末を伝えねばならんのだからな」
と、こうして談笑しているのは悠とハリハリ、ヒストリアの3人だけで、他の兵士やパトリオは度肝を抜かれて呆然と立ち尽くすだけであった。
だが、彼らは自分の選択が間違っていなかったという事だけは強く感じ取ったのだった。
久々に『竜ノ咆哮』をぶっ放しましたが、普通の人間相手だと『竜騎士』の悠は無双過ぎますね。この10倍の出力で意識を飛ばさなかった『竜器使い』達の強さを間接的にでありますが理解出来る回でした。




