1-58 そして、出発1
そして次の日。悠は朝の10時に官舎を引き払い、街に出た。少し早いのは最近出来た知己に挨拶をしておこうと思った為で、特に最後に挨拶も出来なかった小鳥遊姉妹の妹の明には会っておこうと思っていた。
中央通りを通り過ぎる時の為に伊達眼鏡はして来たが、格好が軍服であるので何の意味も無かった。街行く人々は悠に頭を下げ、拝み、あるいは敬礼を送ったが、誰一人悠の前を遮る様な無礼な人間は居なかった。民衆は悠に深い感謝と、旅の無事を祈っていたのだ。
そんな通りの一角にある串焼き屋に悠が入ろうとした時周囲の反応は大きなものだった。ここが神崎竜将(元、だが)のご贔屓か、これは一度賞味しておかねばというのが一般の反応で、うちにもいつか是非立ち寄って頂きたいものだと羨望の眼差しを送るのが周囲の店主達の反応である。
『串処 あきやま』はまだ開店時刻を迎えていない様で、扉は鍵が掛かっていた。扉の横の札も準備中となっているので、悠は扉をノックして呼んでみた。
「もし、店主は居るか?」
そうすると中からガタゴトと音がして、一郎と思われる人物から返答があった。
「あー、すまんがうちは12時からなんだ。今は仕込み中でな。悪いが飯なら他所を当たってくれ!」
「いや、用件は飯では無い。俺だ、神崎だ」
「へー、神崎さんねぇ・・・神崎さん・・・神崎竜将!?!?い、い、い、今開けますんでっ!!!」
店の中から何かをひっくり返す様な音が聞こえて来たかと思ったら次の瞬間には扉を蹴倒して一郎が転がり出てきたのであった。勿論悠はさっと身を翻して扉を回避している。
「すまんな、忙しい所に来たようだ。ここを発つ前に、秋山にも挨拶がしておきたくてな?」
「そ、そ、そんな!滅相も無い!!自分などに挨拶とは、あ、あ、秋山家末代までの語り草でございます!!」
「ふ・・・言葉が戻っているぞ、秋山。軍人とは因果な商売だな?」
「へ、へへへ、全くです。もう何年も経つっていうのに、このザマですよ、神崎さん」
地面に腰を下ろしたまま決まりの悪そうに頭を掻く一郎に手を伸ばして悠は引き起こした。
「俺も昨日で竜将は辞めた。これからは唯の神崎 悠だ。しばらく皇都を留守にするが、帰って来た時にはまた秋山の串焼きが食いたいものだ」
「真に感激しきりです。あ、そうだ!昼はここでどうですか?丁度一揃い刺し終わった所ですので」
「残念だが、次に回りたい所が一ヶ所あってな。あまり長居は出来んのだ」
「それは大変残念です・・・次はどちらに?」
心底残念そうに顔を歪める一郎の心を嬉しく思った悠は次の行き先を告げた。
「言って分かるかどうかは知らんが、この近くに小鳥遊という仕立て屋があってな。そこの姉妹と縁あって知り合ったので、この後挨拶に行くつもりなのだ」
「あ、さ、咲さんのお宅でしたかっ」
「お、知り合いか?」
顔を赤らめて言う一郎に悠が尋ねると、一郎は嬉しそうに小鳥遊家について語った。
「最近になってたまに寄ってくれるようになりましてね。いや~娘さん達はいい子だし、さ、さ、咲さんは・・・可憐ですし、ハイ」
「ふ、野暮を言ったか?すまんな」
「い、いえいえ!そんな事は決して!!」
髪を振り乱す勢いで首を振る一郎に咲の様子を思い出した悠だったが・・・あまりの場面だったので、一郎の為にも記憶の奥底に仕舞い込んで厳重に蓋をしたのだった。
「ではせめて旅の空でも摘める様に包みますので、10分だけお待ち願えませんか?神崎さん」
「そうだな・・・ありがたく受け取ろう。次は俺も何か土産を持ってくるとしようか」
「はは、期待しておりますよ。では、店内でお待ち下さい」
そう言って一郎は扉を直すと悠と二人で店内へと入って行ったのだった。
――ちなみに、その日は昼から晩まで大入りだったのは言うまでも無い。
続いて悠は小鳥遊家に足を運んでいた。表から見た限りでは今は営業中では無い様だ。
「ある意味好都合か、在宅しているといいのだが」
その懸念は当たった様で、何度かノックをしても誰の返事も無く、また気配も無かった。
《残念ね、メイとはあれきりになってしまったわね》
「ああ、だがそれも再開の楽しみにとっておく事にするさ。その時には、俺の事を忘れているかもしれんがな」
《将来の花嫁候補を失ったわね?》
面白そうに茶化すレイラにペンダントを弄る動作だけで答えて、悠は少し早いが国立ドームへと足を向けたのだった。
ドームの受付で簡易身分証を提示して、悠は中へと入った。今日は貸切にされているらしく、既にこの場にやって来ているのは悠と志津香達だけらしい。その志津香達は貴賓室に居るとの伝言を受け取り、悠もそちらへと移動した。
「失礼します、神崎です。入室してもよろしいでしょうか?」
「ひゃい!は、はい!ど、どうぞ!!」
中から聞こえてくる動揺丸出しの声は志津香の物だろう。恐らく昨日の夜の事をまだ引きずっている様に思えた。
悠はいつも通りの冷静さで扉を開けて一礼し、志津香達に歩み寄った。
「お早いご到着ですね、志津香様」
「はい、あの、えと、その、・・・あ、あまり眠れませんで・・・」
「・・・失礼しました。自分は相棒にいつも言われる様に、デリカシーが欠乏している様で」
「い、いえ、悠様が悪い訳では無いのですから・・・」
《でも原因だとは思うわよ、シヅカ?》
「あう・・・」
レイラにフォローされてもそれに上手く乗れる志津香では無かったが、そこに朱理が割り込んだ。
「まぁまぁ、それよりもしばらくは会えないのですから、ちゃんと労いましょうよ」
「そうですわね・・・悠様、お体には十分にお気を付けて。なるべく生の水などはお飲みにならぬよう。あと、悪い方には付いて行かぬように。それと・・・」
「志津香様、恐れながらそれでは幼子を心配する母親です。もっとこう、情熱的な感じでお願いします」
「じょ、情熱的と言いましても・・・」
朱理の突っ込みにおろおろしだす志津香だったが、悠と目が合うと、拳を握って覚悟を決め、そっと近寄り耳元で囁いた。
「ずっと、お待ちしております、悠さん」
そこまで言ってからパッと離れて顔をゆでだこの様に赤く染める志津香に、朱理は感慨深そうにうんうんと頷いた。
「上出来です、志津香様。そこで頬にキスの一つも出来れば満点を差し上げた所ですが」
「むむむ無理です~・・・」
そんな主従漫才をしている後ろで控えていたナナナが今度は悠に声を掛けた。
「ユウさん、もう心残りは無いかな?」
「ああ、この一週間で色々な心残りを解消出来た。時間をくれて礼を言う」
「ううん。面倒な事を頼んでいるのはこっちだもん。シヅカじゃないけど、体には気を付けてね?」
「分かった、十分に気を付けよう」
そんな社交辞令を交わしている時、扉が再びノックされた。
「失礼、防人竜将と千葉虎将です。入室の許可をお願いします」
「ええ、どうぞ」
志津香の許可と共に匠と真が入室してきた。
「悠、そろそろだ。下で待機しよう」
「ええ、分かりました」
悠は振り返って皆に一つ頷くと、それを合図に全員で下の広場へと降りて行ったのだった。
そこには何故か、息を切らせた雪人と小鳥遊 咲が待っていた。
「どうした雪人、貴様は来ないはずでは・・・それに、何故ここに咲殿を連れて来たのだ?」
今現在このドームは貸切で、一般人はおろか軍人や官吏すら立ち入り禁止である。そこに咲を連れて来た雪人の事情が悠には気になったのだ。
息を整えて、雪人は事情を語り始めた。
「悠、緊急事態だ!小鳥遊姉妹が転移した!!」
その知らせに、その場に居た全員が絶句したのだった。
小鳥遊姉妹急転直下の転移(強制召喚)です。