7-150 抗議35
聖神教は今回の一件において、現時点で有効な手段を取り得なかった。とにかく沈黙を守ってバロー達を一旦追い返し、戦力を結集してミーノス・ノースハイア連合に立ち向かうしかないというのが結論であった。
聖神教はまだ負けた訳では無いのだ。ミーノスやノースハイアの貴族にはまだ聖神教の息が掛かった者が居るし、『天使』もその力を最大限に発揮した訳ではないのだから。
と、言いつつもまず現実の脅威に消えて貰わなければ話にならないのだが、動向を見守っていた教主シルヴェスタは勝手に対応したバーナードに深い怒りを覚えていた。
あれではまるで聖神教の実権がバーナードにあると言わんばかりであり、更にタチの悪い事に熱狂的な信者達の間ではバーナードの言や良しという空気が醸造され、シルヴェスタも迂闊に弾劾出来ぬ立場と成りおおせていたのだ。
聖神教でもごく限られた者達しか知らない事であるが、フォロスゼータの人間が少なくなるのは非常に不味い事情があった。まず第一に『生命結界』の維持が困難になる点だ。
フォロスゼータの上空を覆う『生命結界』が誰によって維持されているのかと言えば、住民から勝手に生命力を徴収して維持されているのである。一人一人から奪う生命力は少ないが、その絶対数が少なくなればこのサイズの結界を恒常的に維持するのは極めて困難である。唯一、大聖堂内は生命力が徴収されない安全地帯となっている。
また、『天使』の強化にも多数の信者が必要であった。『天使』は人間の魂と信仰を力に成長するのだが、信者が減れば強化が滞ってしまうのだ。悠が見た業の減少は『天使』に対する人々の祈りである。ナナナが以前言った様に、心からの祈りは死者にすら届き、その業を増加させるのだが、心から祈るからと言ってそれがプラスの感情であるとは限らない。殺害や破壊を望む祈りは本人と祈る対象の業を減少させてしまうのだ。だがそれこそが『天使』の力となるのである。
それらを踏まえ、シルヴェスタやガルファとしてはバーナードを問い詰めたい気持ちであったが、バーナードの発言は全く模範的な聖神教徒のそれであって、しかも『生命結界』や『天使』の詳細な情報を共有していないので、聖神教と敵対したなどと断ずる事は不可能であった。むしろシルヴェスタの立場としてはバーナードを称えなければならないという、酷く矛盾を抱えた結果となったのである。
「……一体どういった心境の変化なのかな、バーナード王?」
「質問の意味を図りかねるのだが?」
「それは……」
言葉を濁したシルヴェスタに代わり、ガルファが質問の言葉を続けた。
「あなたは聖神教の台頭を快くは思っていないのだと認識しておりましたが?」
「それは大いなる誤解というもの。私はアライアットと聖神教は一心同体だと思っておる。これまで態度を鮮明にしなかったのは教主殿を差し置いて私が前に出るのは僭越だと思ったゆえだ。しかし今の状況で教主殿を危険には晒せぬし、ガルファ殿も顔を知られていて奴らに直接会う事は難しいであろう? ならば、何かあっても構わない私が対応するのが最良の方法では無いか? 私は私に出来る事で聖神教に命がけで尽くしたつもりなのだが?」
聖神教の信者として非の打ち所の無い回答にガルファも頷かざるを得ない。事実、殺される可能性すらある中でバーナードは聖神教の主張を一切変える事無く使者を追い返したのだ。上に立つ2人なればこそ、バーナードの行動を非難する事は出来なかった。
「それとも、奴らに神聖なる大聖堂に押し入られても構わなかったと言うのか? 敬虔なる信徒の一人として私にはとてもでは無いが許容出来ない事だ」
「……無論、バーナード王の行動に異論など無いよ。よく働いてくれた。そうだね、ガルファ君?」
「……はい、バーナード王のお陰で我らは時を得ました。しかし、民衆を追い払った件はどの様な意図で?」
分が悪いと知りながら、ガルファは民衆を追放した事について問い質したが、やはりバーナードの答えは後ろめたさなど微塵も無い堂々としたものであった。
「偉大なる聖神教に不信心者など不要。出来れば殺してやりたかったが、奴らを刺激して激発を招いても面白く無い。それに、戦争中に不信心者が居ては士気が落ちる。ならば邪魔者は追い出して内部の結束を固めるのが常道であるはず。これで背後を気にせずに戦えるというものだ。民など、戦争に勝ってから他国で捕獲すればよい」
聖神教徒としても、戦争を見据える為政者としてもバーナードの行動には矛盾が無かった。半ば軟禁状態のバーナードが外部から情報を得る事は出来ないはずなので、これらの行動は全て聖神教の為と言われれば反論のしようが無いのだ。
「いいでしょう、部屋に戻って構いませんよ」
「それでは失礼致す」
退室を促され、バーナードは一礼して部屋を辞した。後に残された2人は大きく溜息を吐く。
「王のお陰でひとまず助かったのは確かですが、こうなれば戦争の準備を急がねばなりません。デミトリー殿はどちらに?」
「デミトリーは今軍の動揺を鎮める為に奔走している。嘆かわしい事に、兵士にすら脱落者がかなり出たそうだよ。……まさか、バルバドスがああも簡単に倒されるとは思ってもいなかった事だ。『天使』は無敵だなどと言っておいて、あの女……!」
忌々しそうに吐き捨てるシルヴェスタであったが、ガルファは知っている。この教主の部屋の前に今動ける『天使』が全て集められていた事に。この男は『天使』の力に不平を漏らしつつも、その力に頼らずにはいられないのだ。所詮は教主などと言っても地上の権勢と己の安全しか考えていない小物だと、ガルファは内心で嘲った。
「あのカンザキの力は常軌を逸しております。戦うのであれば全ての『天使』をぶつけなければならないでしょう。……教主様、『第八天使』と『第九天使』の様子は?」
「どちらも稼動は可能だが、まだ候補者が……」
「ならばどちらでも結構ですので、私に頂けませんか?」
「何だって?」
ガルファの申し出にシルヴェスタは以外の念を禁じえなかった。シルヴェスタの見る所のガルファとは自分は安全圏に留まり、危険な真似も手を汚すのも他人に任せる人間だと思っていたからだ。『天使』となれば聖神教の戦士として戦う責務を負う事になるのをガルファが知らないとは思えなかった。
「どうしても、どうしてもあのカンザキだけは我が手で葬り去りたいのです!! ヤツに抉り取られたこの鼻の疼きを止めるには、私自身でヤツの鼻を抉り取ってやらねば気が済まないのです!!」
復讐という、ある意味で真っ当な理由にシルヴェスタはしばし考え込んだが、やがて頷いた。
「……『天使』は人によっては受け付けない者も居るのは知っているだろう? その時は無駄に命を散らす羽目になるよ?」
「全て覚悟の上です、教主様」
「……よろしい、では君に『第八天使』を授ける。聖神教の信徒として見事試練を乗り越えたまえ」
恭しく頭を下げるガルファは内心で拳を握り締めた。状況の悪化を利用して遂に『天使』を手に入れる機会を得たのだ。それさえ手に入れば今後の目標にも手が届く事になり、最終的な目標である悠の殺害も現実味を帯びてくる。
(試練? 試練だと!? 貴様の様に部屋で震えていた人間がよくもまぁ恥ずかしげも無く試練などとのたまうものだな!! いいさ、乗り越えてやる!! 貴様も、『天使』も、そして、カンザキも!!!)
疼く鼻の痕跡を押さえ、ガルファは静かに憎悪を燃やして遥か彼方の何者かを睨み続けた。
結果的に相手を困らせる効果がありましたが、その影響でガルファ君が『天使』に?




