7-147 抗議32
大司教バルバドスはバロー達から10メートルほどの距離を隔てて足を止め、口を開いた。
「貴様らが異教徒の一行であるな? 拙僧は異端審問部を取り仕切るバルバドスである。貴様らに言うべき事はただ一つ。そこのアライアット人3名、パトリオ・ノルツァー、クリストファー・アインベルク、そしてステファーの3名を即刻引き渡す事である。その3名には重大な教義違反の疑いがある。受け入れられない場合、この場で全員裁判抜きで処刑が適当である」
バルバドスの言葉は唐突で寛容とは縁遠い一方的なものであった。パトリオの言う通り、およそ交渉をする為の人材では有り得ず、聖神教には一歩も譲る気が無い事を知らしめるものであった。だが、それは事前に分かっていた事であったし、こちらも一歩も譲る気が無いのは同じである。もう少し言葉を飾って交渉してくるかと思ったが、それが無かったというだけの事に過ぎない。
だからバローも余計な交渉や説得の言葉を挟まず、端的に答えた。
「お断りする。彼らは聖神教なる邪教の教徒では無い」
「ならば死ぬのである!」
会話の始まりから決裂まで1分に満たなかった。バルバドスが両手を前に突き出すと、そこに光球が生み出される。
「バロー、剣に竜気集中! 樹里亜、結界で馬車を守れ!」
その光球の力を即座に見切った悠がバローと樹里亜に矢継ぎ早に指示を下すと、2人は考える前に悠の指示に従った。
バローに向かって放たれた光球をバローは竜気を纏った真龍鉄の剣で斬り飛ばし、2つに分かれた光球はそのまま左右の後方に着弾して爆音を上げた。
「何!?」
「今のは……魔法じゃないですよ!!」
バルバドスとハリハリの驚きの声が重なった。バルバドスは今の攻撃で殺せると確信していたし、ハリハリは今の攻撃が魔法では無い事に驚きを得ていた。
「こいつ……人間か?」
「レイラ、『竜ノ慧眼』」
《了解!》
その隙を突いて悠が『竜ノ慧眼』でバルバドスを見ると、そこにはこれまでで最大の数値が表示されていた。
「……業-963002……いや、下がり続けている。こいつは……」
悠の見ている前でバルバドスの業は下がり続けていた。それはつまり今まさにバルバドスが悪徳を為している事に他ならないが、特に何かをしている様子は見られない。
しかし、詮索は後だ。
「バロー、俺と代われ! 全員で馬車を中心に円陣を組み敵に備えろ!」
「「「了解!!」」」
バローが、シュルツが、ハリハリが、蒼凪が、神奈が、それぞれ馬車を守る様に五角形を成し、悠がバルバドスの前に進み出た。
「今の能力……普通の人間の技では無いな?」
「異教徒に答える義務など無いのである!!!」
バルバドスが問答無用とばかりに悠との距離を詰め、拳を光らせて殴り掛かって来たが、悠は片手でその拳を受け止めた。
「な、何故『神光拳』がこうも簡単に!?」
「御大層な名だが、もう少し内実を伴わせるのだな」
言葉の最後に悠が拳をバルバドスの腹に叩き込むと、バルバドスは正門に向かって地面と水平に吹き飛んだ。
「ゲハッ!!!」
5転6転とし、7転目でようやく兵士にぶつかり止まったバルバドスに起き上がる気配は無かったが、悠はバルバドスを殴った自分の拳に違和感を感じていた。
「人間を殴った手応えでは無いな。しかもあの光球による攻撃、あれは大した威力では無いが『竜砲』に近い性質の物だ。レイラ、あいつを解析出来るか?」
《もうやったわ。そしてご名答ね。……アレ、「もう」人間じゃ無いわよ》
根源を見る目を持ったレイラには見えていた。人間の形をしているバルバドスの背中から伸びる一対の羽を持った精神体が。
「……許さんのである。たかが人間風情が拙僧を地に這わせるなど絶対に許されんのであるっ!!!」
近くに居た兵士達がバルバドスの体から噴き上がった力に押されて周囲に薙ぎ倒され、口から血を吐きながらもバルバドスが立ち上がった。
「異教徒め、異教徒め、異教徒め!!! 既に神の階にある拙僧への無礼は神への反逆と同義!!! その罪を拙僧の力で刻んでやるのである!!!」
目を血走らせたバルバドスの背中が人間には有り得ない形に盛り上がった。法衣を引き裂き、肉を変質させて蠢いていたその膨らみはバルバドスが両手を広げると一気に法衣を突き破って左右に大きく広がった。
「カカ……カカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカッ!!!!!」
狂った様に笑うバルバドスの顔には歪んだ優越感と陶酔感で溢れていた。そして、その背中に広がるのは――白く、大きな翼であった。
「ば、バルバドス様に翼が!?」
「ま、まるで、聖神教に伝わる『天使』だ……」
「『天使』だ!!! 『天使』が降臨なさったぞ!!!」
バルバドスの翼を見た兵士達は、聖神教に伝わる神の御使いである『天使』をその姿に見ていた。中には平伏して涙を流しながら聖句を唱えている者達すら存在し、その様子を見てバルバドスは翼をはためかせて浮き上がり、慈愛と言うには穢れ過ぎた笑顔を悠に向けた。
「カカカ……貴様などにこの『第一天使』の力を見せるまでも無いのであるが、ここまでやって来た褒美に拙僧の最大の力で異教徒も異端者も纏めて塵に還してくれる!!! どうだ、自分達の罪を思い知ったであるか? 神は貴様らの死をお望みなのである!!!」
この神聖な姿にきっと悠達は恐れ入って命乞いをするだろうとバルバドスは思っていた。泣き叫び、足元に縋りついて必死に慈悲を請うのを少しずつ削り取って罪を自覚させてやるとバルバドスは心に決めた。これまで何人も、何百人もそうして来たように、だ。
だが、悠の様子を睥睨したバルバドスの当ては全く外れていた。
「……それで、羽が生えて飛べる様になったからどうだと言うのだ? 虫であっても空を飛ぶ事くらいは出来るだろうに。多少普通の人間とは違う事が出来る程度でどうしてそこまで有頂天になれるのかは分からんが、俺はここに羽虫と会話をしに来た訳では無い。目障りだから失せろ」
「ユウってどうしてこう口が悪いんだろうな? 少しくらい褒めてやればいいのに」
「ヤハハ、今更ちょっと羽が生えるくらいでああも大見栄を切られると反応に困りますよ。ユウ殿は常に評価は辛口ですから」
「師の仰る通りだ。我らは人間に用がある、羽虫など斬って捨ててしまえばいい」
悠を筆頭に、バロー達の反応は冷めたものであった。多少演技が混じってはいたが、空を飛ぶのであれば皆悠の『竜騎士』で経験済みであるし、まともに慄いているのはパトリオとステファーくらいのものだ。クリストファーですら「ああ、バルバドスは人間を辞めていたのか」という感想しか無かったのである。
勿論、この反応にバルバドスは大いに気分を害した。
「こ、この、『天使』の何たるかすら知らぬとは、これだから異教徒は好かんのだ!!! ならば、理解出来ぬまま死ぬがいいのである!!!」
怒り心頭のバルバドスが両手を胸の前で構えると、その中心に光が溢れ、先ほどの数倍の大きさの光球となって膨れ上がって行った。今度こそ一行の全てを消し去るつもりで全力で力を光球に注ぎ続けて行く。
こちらは空中に居て手出しが出来ないと確信していたバルバドスだったが、地上の悠はレイラとそれを見て緊張感の無い会話を続けていた。
「……何故この世界の者達はわざわざ相手の目の前で時間の掛かる技を無防備に行うのだろうか? 相手が全力で攻撃している時は待つという慣習でもあるのか?」
《あれじゃない? 溢れ出る強大な力を目の当たりにしたら相手が恐れおののいて一歩も動けないとか思っているんじゃないかしら? マーヴィンやオリビアは多少自分の身を隠すとかして時間を稼いでいたけど似た様な物だったじゃない?》
「そんな虚仮威しで済むのは戦闘とは呼ばんな。お遊戯だ。うちの子供らでも大技の時はあの手この手で足止めをするというのに工夫が足らんよ」
《全くね。『天使』の力も大体分かった事だし、そろそろ決着を付けましょう》
そんな会話が終わる頃、ようやくバルバドスの光球も力が溜まり切ったようだった。
「カカカカカ……我が生涯で最大最高の一撃、『極大神魔滅却昇天撃』を食らうがいい!!」
「無駄に名前長ぇな……」
「いやいや、カッコイイじゃないですか。ワタクシも参考にさせて貰いたいですね」
「道化を演じながら死ねぇええええええええッ!!!」
ポツリと呟いたバローとハリハリの会話が耳に入り、『天使』とは言い難い形相に成り果てたバルバドスの手から直径50センチほどの光球が悠達に向かって放たれた。それは唸りを上げて悠に迫り、
「返すぞ」
普通に掴み取った悠に投げ返され、バルバドスを直撃して王都の朝を明るく染め上げたのだった。
……『第一天使』バルバドス、撃破!




