7-140 抗議25
階下で新たな信仰が芽生えつつあったが、それとは全く関係無く悠はアルトの診察を行っていた。
「ふむ……肉体、精神、魂共に治癒したと言っていいな。明日には起き上がれるだろう」
「ご迷惑をお掛けしました。……その上でお願いをするのは気が引けるのですが、明日からまたご指導願えますか?」
「一度帰らなくていいのか? 特に学友は心配していると思うが?」
悠の言葉にアルトはベッドの上で首を振った。
「どうせフォロスゼータに行った後は戻るんですから、僕の為に余計な竜気を使わないで下さい。ただ、母様には連絡をお願いしても宜しいですか?」
「それは構わん。とにかく明日までよく眠る事だ。ここは既に敵地だからな」
「結界があるのは知っていますが、襲われたりしませんか?」
その質問に悠は頷いた。
「それは当然有り得るだろうが、並大抵の者では葵の結界には手が出せんよ。俺が番をしておくからアルトは心配するな」
「番をするって……ユウ先生、もう何日も寝てないんじゃ無いですか? やっぱり僕もお手伝いを……」
そう言って体を起こそうとするアルトの肩を悠は軽く押し返した。それだけでアルトの体はベッドに逆戻りしてしまう。
「あうっ」
「病み上がりの子供に心配されるほど俺は柔では無いぞ。別に1週間くらい寝ずとも問題は無い。そういう風に鍛えている」
悠に強く言われてアルトは起き上がるのを諦めた。半病人の状態では悠は決して起き上がる事を許可してはくれないだろうと悟ったからだ。
アルトが納得したと感じ、悠は椅子から立ち上がった。
「では俺は下に行くぞ。明日以降の行程を練っておかなければならんのでな」
「分かりました、お休みなさい、ユウ先生」
「ああ、お休み」
《ちゃんと寝て早く元気になるのよ? バローも早く元気になれって言ってたわ》
「ハハ……ありがとう御座います。もう大丈夫ですとお伝え下さい」
もう一人の師の言葉にはにかみ、アルトは目を閉じた。やはりまだ体力は戻っていなかったようで、その口からはすぐに規則正しい寝息が漏れ始める。
それを見守ってから、悠もアルトの部屋を辞したのであった。
「随分と口に合った様で何よりだな」
バローの若干皮肉めいた言葉にパトリオは気恥ずかしそうに顔を背けた。確かにどう考えても先ほどの自分の行いは貴族としての洗練さに掛けており、今更取り繕う事も出来ない失態であった。ただ、彼以外の者達は若干趣が異なっている。
「いやー、俺、生まれてから今まででこんなに美味いメシを食ったのは初めてですよ!! 食い物なんて腹に溜まれば何でもいいと思ってましたけど、俺が間違ってました!!」
「えーと、食後の祈り、食後の祈り……」
マイヤーは何度もお代わりして膨れた腹を愛おしそうにさすり、ステファーは聖典? を手繰って祈りの作法を探していた。
「じゃ、腹も膨れた所で本題に入ろうか。坊ちゃん、お前は何でダーリングベル領に居たんだ?」
「その坊ちゃんと言うのはやめろ!! 私はもう成人しているし、パトリオという立派な名前があるのだぞ!」
「そう言われてすぐに熱くなるのが坊ちゃんだってんだよ。この程度で頭に血が上ってるようじゃ、貴族同士の腹の探り合いなんて出来ねぇぞ?」
「ぬぐ……!」
成人したと言ってもようやく20歳になろうとしているパトリオとバローではやはり年季が違い、パトリオは不承不承ではあったが事の経緯を語り出した。
「……私がダーリングベル領に派遣されたのは、ダーリングベル家の後継者が居ないからだ。ロッテローゼ・ダーリングベルの戦死は既に報告されているし、その妹のソフィアローゼ・ダーリングベルは失踪して行方不明となっている。これは保護に向かった聖神教の幹部からの話であるので確かな情報だ」
「へぇ、保護……ねぇ……」
パトリオの言葉にハリハリの目が細まったが、パトリオは気にせずに言葉を続けた。
「ダーリングベル家にはもはや系譜を継ぐ人間はおらんので、一時的に私が父上から代理の領主を仰せつかったのだ。父上や兄上は王都での仕事が忙しいとの事だったからな」
パトリオの説明にバローはふんふんと頷いた。
「ノルツァー家はこのアライアットでも珍しく聖神教に比肩する権力を維持しております。それも現当主であるデミトリー・ノルツァー殿の政治力と軍事力の賜物でしょうな。デミトリー殿は自領の兵士を鍛え込み、その力は王国随一、それを補佐する長男のイスカリオ殿も父親譲りの才の持ち主と専らの評判です。パトリオ殿については……申し訳ありませんが、私はあまりその活躍を耳にした事は御座いません。これからの人材であると言った方が宜しいと思いますが……」
「私だって活躍する場があれば兄上などに遅れは取らぬ!!」
補足するクリストファーの言葉にパトリオは激昂したが、つまりはそれが正しい評価であるという事の裏返しであろう。
「つまり、お前さんはこの国に居る限りはよくて一生飼い殺しって事だな。ここで大きな失敗もあった事だし」
「っ!」
それについては反論したくても出来ないパトリオは歯噛みするしか無かった。全く状況判断が出来ないほどパトリオの知能レベルは低くは無いのだ。
「だがよ、俺達に協力すればお前さんにも目が出て来るかもしれねぇぜ? 俺達は公言している通り、別にアライアットをぶっ潰したいんじゃないんだよ。俺達の国にちょっかいを掛けて来る聖神教をどうにかしたくてこうやって遠路はるばる来てるんだからな。今のアライアットは貴族や王族だろうと聖神教の顔色を窺わないと何も出来ないんだろ?」
「あの言葉は真実だと言うのか?」
単にアライアットに攻め込む為の方便であると考えていたパトリオは意外の念を禁じ得ず、バローに問い返した。
「公言してる内容が嘘だってんじゃ多数の支持は得られねぇよ。そんな事をすれば戦後、アライアットの人間はミーノスやノースハイアを恨むだろう? たとえ勝ってもアライアットの人間を根絶やしにするなんて出来る訳がねえ。俺達が望むのはイカレた宗教が排除された、正常な国家としてのアライアットとの和睦だよ。ミーノスだってノースハイアにこれ以上領土的野心が無い事を確信しているからこそ共同歩調を取ってんだ。単にアライアットを滅ぼしたいだけならこんな手間を掛けずに連合軍を編成してフォロスゼータを攻めてるだろ?」
「しかし、言葉だけなら何とでも言えるぞ。そもそも私は何故ミーノスがノースハイアをそこまで信じているのかが解せん。我がアライアットはノースハイアには散々苦汁を舐めさせられて来たのだ。そう簡単に信じられるはずも無い」
「疑り深いのは結構だが、早目に手を打たねぇとアライアットは手遅れになるかもしれんぜ……」
バローの不穏当な発言にパトリオが警戒感を露わにした。
「それは連合国軍で攻め入るという脅しか?」
「違うな。相手は人間ですら無い。そもそももう人間同士が争ってる場合じゃ無くなってんだよ。ねーちゃん、あんたなら知ってるんじゃねぇのか、『天使』とやらを」
「何故それを!?」
黙ってバローの話に聞き入っていたステファーが突然話を振られ、驚愕のあまり椅子から立ち上がった。
「なんだステファー、その『天使』とやらは?」
パトリオは『天使』について何も知らないらしく、それだけでバローはステファーの方が重要度の高い人物であると確信した。
「……私も詳しくは知りませんが、『天使』とは来るべき戦争にて用いられる聖神教の最終兵器のようなもの、らしいです。私の持っていた『流魂のナイフ』は司教以上の役職を持つ者に配られていますが、あのナイフで傷を付けた相手の力を奪い取って様々な奇跡に変換すると……奪った力の一部は『天使』の力となると言われましたわ」
「ああ、その『流魂のナイフ』とやらのお陰で俺達はロッテローゼを殺されガルファには逃げられ散々だったよ。ユウがあのニヤケ面の鼻をもぎ取ってやったがな」
「だからガルファはあんな仮面を……ロッテローゼは敵に殺されたと言っていましたが、ガルファはロッテローゼを生贄にして逃れたのですね?」
「そういう事だ。というか、今回俺達が手を組んでいるのは全部アイツのせいなんだよ。ミーノスで公爵家の次期当主を誑かし、ロッテローゼを言葉巧みに唆してノースハイアに攻め込ませたのは宣教師をしていたガルファだ。今回、誰を殺さなくても聖神教の教主とガルファだけは絶対に殺すぜ」
ロッテローゼの死に様を思い出したバローから強い殺気が漏れ、戦闘経験の少ない2人を慄かせたが、ここで威圧しても始まらないとバローは気持ちを切り替えた。
「で、でもどうやって『天使』の事を? 誰か司教クラスの人間を捕虜にでもしたのですか? それとも既に聖神教内で裏切っている者が……」
「いいや。だがな、ウチの連中は『天使』の比じゃねぇ非常識揃いでな。例えば……」
そこに食器を下げに来たソフィアローゼが入って来たのでバローは丁度いいとばかりに指を指した。
「ほら、あそこに居るのが行方不明のソフィアだよ」
「な、なにぃ!?」
「な、何ですかこの人達は?」
突然大声を上げたパトリオにソフィアローゼは驚いて不審を露わにしたが、バローは何でもないと言って手を振った。ソフィアローゼはそれを不思議に思いながらも、とりあえず空いた皿を持って部屋を出て行った。
「馬鹿な! フォロスゼータに忍び込むなど絶対に不可能なはずだぞ!!」
「そ、そうですわ! 入り口には個人を識別する魔法が常時発動しておりますし、夜陰に紛れて上空から侵入しようにも結界があります!! 魔法的な手段で入るにはそれこそ転移くらいしか……」
「あの程度、ウチの連中にとってみりゃわけねーってこった。最終的にあの街に篭って戦えば安心とでも思ってるんなら改めな。暗殺でいいんなら今すぐにだって教主の首は取れるんだぜ?」
自分達の拠り所を次々と喝破されていく内に、パトリオとステファーは自分の足元が崩れ落ちて行く様な気持ちを味わっていた。ステファーは縋る物を求め、膝の上の書物を強く握り締め、祈りを込めた。
「そこでねーちゃんに聞きたい事があるんだが……」
「ちゃんと名前を呼んでくれたら答えますわ。……どうせ保身の為に信じていると偽って来た身ですもの」
「そうか、じゃあ聞くがよステファー、そのナイフや『天使』なんてのは元々聖神教には無かったんじゃねぇか? そいつを聖神教に寄越したのは誰だ?」
バローの質問にステファーは小首を傾げながら記憶を探り、答えた。
「え? …………『天使』の事を初めて聞いたのは、このナイフを受け取った時で、確か1年前だったと……それより以前から聖神教に身を置いていましたけど、それまでは一度たりとも聞いた事はありませんわ。でも、誰がと言われても私には分かりません……」
「そうか……あの女の事はもっと上の人間しか知らねぇか……」
「あの女とは?」
「お伽噺みてぇな嘘クセェ話だがな、この世界には生きている全ての種族に殺し合いをさせたい極悪人が居るんだよ。色んな国を渡り歩いて怪しげな道具や魔法をばら撒いて悪意を助長するクソ野郎がな。ミーノスの『殺戮人形』、ノースハイアの『異邦人召喚』、そしてアライアットでは『天使』ってな具合にな」
バローの語る内容が頭に追いつかず、パトリオとステファーは混乱を来たした。
「馬鹿な……我らの憎悪が何者かの暗躍の結果だと!? 陰謀論も甚だしい!!!」
「だが事実だ。ステファー、あのナイフの事を聞いておかしいと思わなかったか? あんな魔道具、普通なら国宝級だろ。聖神教の司教が何人居るのかは知らねぇけど、そいつら全員に配れるほどアライアットは豊かな国なのか? その力で作られる『天使』なんて存在、これまでに聞いた事があるか? どうなんだよ?」
「……」
そう言われるとステファーには反論の言葉は無かった。『流魂のナイフ』にしても『天使』にしてもこれまでの世界の技術からすれば明らかに異質であり、人間の手で作られたとは思えなかったからだ。
「すいません、俺、あんまり頭が良くないんで、バロー様の言ってる事を考えてたら頭が……」
ずっと黙って話を聞いているだけだったマイヤーが頭を押さえて言うと、同じく黙って3人を観察していたハリハリがバローに話し掛けた。
「……バロー殿、今日はこのくらいにしておきましょう。急に足元をひっくり返すような事を言われても彼らも消化し切れませんよ」
「そうか……じゃあ今日はこのくらいにすっか」
無理に理解させる必要も無いと割り切り、バローは席を立った。
「続きはまた明日な。部屋に案内するぜ」
パトリオ達は強い疲労を覚え、反論する事無くバローに従ったのだった。
硬軟織り交ぜた話術にパトリオも揺れております。ステファーはもう大分諦めたようですが。




