7-139 抗議24
捨てる神あれば拾う神あり。
悠の屋敷に入る前からパトリオとステファーは圧倒されっぱなしであった。悠の邸宅はどう見てもノルツァー家本宅よりも大きく、パトリオに引け目を感じさせていたのだ。逆にマイヤーは比べるのも馬鹿らしいのですぐに受け入れていた。
「お、お前達は一体何者なのだ? ただの貴族ではあるまい?」
「メシでも食いながら説明してやるよ」
バローが説明している間に悠は一足先に玄関へ行き、出迎えた子供達に事情を説明していた。これからパトリオやステファーの尋問をせねばならないが、教育上好ましくない話になるかもしれないからだ。
「うぅん、今日はあまり外に出られなくて疲れましたわ」
「お姉様、他国の方の前ですよ」
ずっと不明だった王家の馬車から出て来たシャルティエルとサリエルの姿をパトリオ達はその時初めて目にする事になったが、一目でそれが本物であると悟った。生まれの高貴さは自然に振る舞っていても滲み出るものらしい。
それに、シャルティエルの美しさは他国にも鳴り響いているほどなのだ。これだけの美女を簡単に用意出来るとは思えなかった。
「あら、お初にお目に掛かりますわね。私はノースハイア王国第一王女、シャルティエル・ミーニッツ・ノースハイアですわ。短い間でしょうけど、どうぞよしなに」
「ノースハイア王国第二王女、サリエル・ミーニッツ・ノースハイアです。不幸にも敵味方の間柄ではありますが、無闇に虐待する気は御座いませんのでユウさんの言葉には従って下さい。……正直、私では庇えませんので、くれぐれもお願いします」
「……私はアライアット王国ノルツァー公爵家次男、パトリオ・ノルツァーです。一言だけ言わせて頂きますが、私はたとえ拷問されてもあなた方に屈しはしない。それは覚えておいて頂きたく存じます」
この場の主導権は王族の2人にあると思っていたパトリオはサリエルの言葉に疑問を覚えたが、それでも言うべき事だけは貴族の矜持に掛けて言い切った。
しかし、その決意もシャルティエルの言葉で大きく揺らいだ。
「それはつまり、そこのステファーさんを見捨てるという事ですわよね?」
「な、何を仰る!? ステファーは私の右腕、決して見捨てはしません!!」
「パトリオ様……」
シャルティエルはパトリオの言葉に可愛らしく首を傾げ、指を顎に添えて言葉を続けた。
「だって、ステファーさんは聖神教でそれなりの地位に居るのでしょう? それが衆人環視の前で私達に与したのですから、私達が帰った後、その方は生きては居られないのではなくて? あなたがこの国で助かる道は彼女を捨て、自らの潔白を証言するしか無いはずですわ。そうよねサリエル?」
「……傷口に塩を塗り込む様な真似はあまりしたくありませんけどその通りです。私達が道半ばで倒れても、あなた方が私達に与した事実はもう曲げられません。それに、ユウさんはハッキリと申しまして誰にも負けません。ドラゴンを屠り、数千の敵を蹴散らす事の出来る勇者がアライアットに居るのであればその限りではありませんが……しかもこの屋敷は強力な結界を擁する要塞でもあります。残念ですが、あなた方に残された道はアライアットからの亡命しか無いと思いますよ?」
「そ、そんな馬鹿げた存在が居るはずが……」
「否定したい気持ちは分かりますが、どの道ステファーさんを死なせたく無いのであれば、我々に協力せざるを得ません。もしちゃんとご協力頂けるなら、あなた方を死なせない様にこちらでも最低限の努力は致します。良くお考え下さい」
軽く頭を下げ玄関へと向かうサリエルにパトリオは軽く放心して押し黙った。サリエルの言葉は真摯な気配に満ちていて人を騙すような狡猾さも威圧感も何も感じなかったからだ。その口調はこちらを気遣っている風ですらあった。
「……パトリオ様、恐らくあの王女の言っている事は真実です。私もユウという冒険者の話は多少聞いていますが、ミーノス、ノースハイア両国との関係も深く、既に不朽の功績を打ち立てた大英雄だと。現れてからたった数ヶ月でⅨ(ナインス)に上り詰め、数々の強敵を退けた話は枚挙に暇がありません。今では『戦神』の二つ名を聞けば五強であろうと道を譲るとか。事実、彼は五強の内4人までを自らの手で退けました。名実共に……人類最強です」
それに、とステファーは話を続けた。
「箝口令が敷かれていますが、このダーリングベル家の遠征失敗にも彼らが関わっています。5千の兵をもって攻め寄せたダーリングベルの軍勢を彼らは10名にも満たない数で退けたそうです。流石に話を誇張し過ぎだとは思いましたが、帰って来た兵が数百にまで減らされていた事は確かです……」
ステファーの話を聞いたパトリオは選択する表情が分からなくなって、結局苦笑した。
「……一体、我らは誰と戦っているのだ? 聖神教は神の怒りに触れたのか? これはその報いなのか?」
「分かりません。しかし、確実なのは、少なくとも私は彼らに協力せざるを得ないという事です。……パトリオ様、私をお斬りになりますか?」
「な、何を言う!? ステファーを切り捨てるつもりなど私には無いぞ!!」
俯きがちに話すステファーにパトリオは即座に否定を返したが、ステファーの表情は晴れなかった。
「それが国を裏切る事を意味しているとパトリオ様も理解しているはずです。私だけが逃げればその咎はパトリオ様に及ぶでしょう。私も拷問されて殺されるのは御免被りますが、パトリオ様から死を賜るのであれば……」
「やめろ!! この先どう状況が変化するかも分からんのだ、捨て鉢になるんじゃない!」
パトリオは自分で言いながらも意外なほどステファーに拘っている事を自覚していた。単に顔形が好みというだけでここまで心を許していたつもりは無かったのだが、それはパトリオの身を案じてわざわざ指摘したステファーにしても同じである。
ステファーにとってパトリオは都合の良いパトロンであり庇護者であるという認識でしか無かったのだが、両者共に崖っぷちに追い込まれた事で2人の関係に変化が生じ始めていた。
「あの……とにかく中に入りましょう。お2人のお世話は私がやりますから」
2人の横で所在無さげにしていたマイヤーがおずおずと切り出すと、パトリオとステファーも今が敵地である事を思い出し、いつの間にか抱いていた肩から手を離した。
「幸い、あのバロー様は話は分かる方のようですから、ここに居る限りは殺されはしないでしょう。ただ、私の見た所、ここで一番影響力があるのはあのお姫様やバロー様では無くユウという方のようです。貴族や王族より冒険者の方が重要視されているというのはよく分かりませんが、とにかくあの方にだけは今は逆らわない方が身のためですよ」
真剣に諭してくるマイヤーにパトリオも頷き返した。
「……分かった、確かにお前の言う通りだろう。不本意だが、当面は奴らに従おう。もしかしたら助けが来るかもしれんのだ。それと庶民、名は何と言う?」
「私ですか? 私はマイヤーと申します、パトリオ様」
「マイヤーか……お前の忠告、ありがたく受け取っておく。もし無事に解放されたなら多少の褒美はくれてやろう」
「あ、ありがとう御座います」
マイヤーはあくまで傲慢なパトリオの物言いに心の中では少し呆れていたが、ほんの少しであろうと歩み寄る姿勢を見せたパトリオに僅かな好感を抱いたのだった。
「俺はアルトの所に行って来る。そいつらから情報を聞き出す役割は任せたぞ」
「俺も……と行きたい所だが、俺が聞かねぇと意味が無さそうだな。アルトには早く元気になれよって言っておいてくれ」
「ああ、起きていたらな」
中に入るなり悠は別行動を取り、尋問はバローとハリハリが担当する事になった。
「まずはメシだな。ケイが応接室に用意してくれてるってよ」
バローに案内されて応接室に入ったパトリオはあまり豪勢とは言えないテーブルの上の食事に落胆を隠せなかったが、庶民であるマイヤーには十分以上にご馳走であり、今にも涎を垂らさんばかりであった。
「うわぁ……こ、これ、俺も食べてもいいんですか?」
「ここまで連れて来てメシ抜きなんて酷い真似はしねぇよ。パトリオも渋い顔してないで、騙されたと思って食ってみな」
「うむむ……仕方が無いか……」
食卓に着き、不満を隠そうともせずに何気なくスプーンでスープを口に入れた瞬間、パトリオは電撃で打たれたかの様に仰け反った。
「うっ!!!」
「ぱ、パトリオ様!? おのれ、毒を盛ったのか!!!」
パトリオの急変にステファーが気色ばんだが、バローは白けた顔で否定した。
「バーカ、殺すならもうとっくに殺してるだろうが。よく見ろっての」
バローに促されて横のパトリオを見ると、今度は凄まじい勢いでスープを掻き込んでいた。
「ぱ、パトリオ様?」
「ふーっ、ふーっ、す、ステファー、お前も食してみろ!! これはとんでもないぞ!!! 私達がこれまでスープと思っていたものは、これに比べれば馬の小便に等しい!!!」
「う、うめーーーーーッ!!! 特に高級な材料も見当たらないのに、何でこんなにうめぇんだ!!!」
パトリオとマイヤーが一心不乱に食事をするのを見て、ステファーの腹が小さく鳴った。そう言えば昼から何も食べていないので、かなり空腹だったのだ。
あまりの狂乱ぶりに逆に手を出し辛いステファーだったが、やはり空腹には勝てずに恐る恐るスープを掬い、口に含む。
世界が色を失った。
ステファーの認識から他者が消え去り、精神は体を離れて宙へ飛び立つ。今世界にあるのはステファーとスープ、それだけであった。舌から伝わる多幸感に目からは涙が流れ、肌は感動に泡立った。潤む視界の先には光が差し、どこまでも幸福な世界にステファーを導いて行くようだ。
祈っても神の存在など一度として感じ取れなかったステファーであったが、この時初めて神というものが決して絵空事では無く存在するのだと魂で確信を得たのだった。
ぼやける思考のどこか遠くから何者かの声がステファーに届けられる。
(……罪深きステファーよ。これが食を司る大天使ケイ様のお食事です。聖神などというまやかしの神では決して得る事は叶わない至福を感じていますか?)
「か、感じて、います……」
忘我の領域にあるステファーはその声に疑問を抱かなかった。
(ならばあなたもまだ救われる価値があるという事です。悔い改めて祈りなさい。沈黙による真摯な祈りを静神様に捧げなさい。日々の糧を得られる喜びを素直に心の中でお伝えしなさい。静神様は、静神教はあなたを真なる幸福へ導くでしょう……)
「静神……様……」
スープの余韻が去り、ふと我を取り戻したステファーの膝に、いつの間にか書物が置かれていた。
タイトルは簡素にこう記されている。
『静神教聖典 ~其の一~』と。
ステファーはこの日、真の信仰に目覚めたのだった。
「なぁハリハリ、オリビアはステファーの耳元で何やってんだ? あの本は何だよ?」
「……知らない方がいい事もあるんですよ、バロー殿。特にあの書物の中は見てはいけません。帰って来れなくなりますよ」
オリビアの布教活動からそっと目を逸らすハリハリであった。
ちょっとアライアットの女性は食事に感動し過ぎですね。
まぁ、これには少し事情がありまして、今のアライアットは貧乏な国なのでそんなに食事情が良くないのです。パトリオやステファーはアライアットの中ではいい物を食べている方ですが、それでも実際は他国の貴族に比べれば何段か落ちます。庶民のマイヤーなどはお腹が一杯になればありがたいというレベルです。
そこに付け込む影が一つ。殆ど薬物による洗脳に近いんじゃないかな……。




