7-137 抗議22
「いい機転だったぜクリス。こっからが本番だろうが、今の調子で頼む」
「ですが、次は軍が動きますよ。一戦交えるのですか?」
そう言いつつもクリストファーの口調には暗い所は殆ど見られなかった。それは自分が間違った主張をしていないという自負でもあったし、何よりも悠達の実力を良く知る為である。たとえ万の兵を動かしてもただの人間に悠の首を取る事は叶わないだろう。
「向こうがそのつもりならな。こっちはこっちの主張を繰り返すだけさ。それでいいんだろ、ユウ?」
「ああ、殺さない範疇であれば好きにしろ。それが勝手に噂を作るだろう」
既に種蒔きは始まっているのだ。こうしてフォロスゼータを進む内に悠達の風評はアライアットに広まっていくだろう。それがどう育って行くかは定かではないが、現在の聖神教体制に一石投じる事になるかもしれない。
「おっと、そう言っている間にやって来たようですよ」
ハリハリが『遠見』で遠くを見つめ、街道の先に軍の姿を発見して悠に伝えた。
「ハリハリ殿、軍旗は見えますかな?」
「んー……槍に絡みついた花が二輪の意匠だと思いますよ? 隣に聖神教の旗も立ってますけど」
ハリハリの言葉にクリストファーは僅かに眉を顰めた。
「む……思ったより大物ですな。その意匠はノルツァー公爵家の物です。恐らく、処遇が決まるまでノルツァー家の預かりとなったのでしょう。アライアットでも1、2を争う名家ですよ」
「ほほぅ……そいつは好都合だな……」
クリストファーの警告に恐れ入る事も無く、逆にバローは悪意を秘めた笑顔になった。
「バロー殿、ワルい顔になってますよ」
「悪い事を考えてるんだから悪い顔でいいじゃねぇか。……へへ、お前らちょっと耳を貸せよ」
そう言ってバローは皆に自分の策を伝えたのだった。
「確かにノースハイア王家の家紋、となると本物か?」
「それは早計ですわ。まだ中にシャルティエル王女とサリエル王女が居ると決まった訳では無いのですから。……全く、不審者の身元確認すらしていないなんて、下っ端の兵士は使えませんわね」
軍の中心で法衣を纏った女性が傍らで小さくなるマイヤーに侮蔑の視線を送り、マイヤーは畏まって小さくなった。
「も、申し訳ありません……」
聖神教の神官に反論などしては物理的に首が胴から離れかねないのでマイヤーは平謝りするだけだ。自分より年下の女に媚び諂わなければならないのは業腹だが、それで命が助かるなら安いものだ。
「庶民に愚痴を言っても始まるまい。しかし、この数の兵を前にして虚勢を張る事は出来んだろう。それに、たとえ偽物の使者であろうと腕が立つというのなら私の部下として使ってやればいい。逆に万一本物であるというのなら大手柄だ、王都の兄上に一歩先んじて私を後継者にと推す声も高まろう。お前にとってもそれは都合のいい事なのではないか、ステファー?」
「その通りですわ、パトリオ様」
立派な鎧を身に纏った若者――パトリオの言葉に法衣の女性――ステファーは素直に頷いた。
彼らの関係はロッテローゼとガルファの物に近しいが、それよりも純度の点で劣っていた。パトリオは兄を押さえてノルツァー家次期当主の座を狙っていたが、具体的にどう動くかという思慮に欠けていたし、ステファーの事も自分の好みだから側に置いているだけであり、ステファーもガルファほど聖神教内での栄達に拘っている訳では無かった。ステファーは公爵家の次男坊の庇護を得て、それによって大過なく過ごしたいだけだ。
この2人の最も滑稽な所はそう割り切って付き合っているつもりで、知らず知らずの内にどちらも相手に本気になりつつある事に気付いていない点であったが、それは本題とはあまり関係の無い事である。
要は今の2人は突然転がり込んで来たチャンスに浮かれていたのだ。
「おい庶民、伝令だ。奴らを私の前に連れて来い。くれぐれも丁重にな」
「えっ!? わ、私ですか?」
「今貴様以外に庶民などおらんだろうが。私を馬鹿にしているのか?」
「め、滅相もありません!! し、しかし、抵抗したらいかがしますか?」
「いい加減にしろ!! この数相手に抵抗する馬鹿が居るか!! 抵抗するなら叩き斬れ!! 王女とやらは傷付けずに捕らえよ!!」
「は、はいっ!!」
苛立つパトリオに怒鳴りつけられ、マイヤーは泣きそうになりながら前方へと走った。願わくば、あの他国の貴族が此方の言葉に耳を貸してくれますようにと聖神では無い神に祈りながら。
「……と、いう事なのですが、どうか大人しく付いて来て頂けませんでしょうか?」
「……」
こちらを無言で睨むバローにマイヤーは生きた心地がしなかった。何せ、バローが反抗すれば真っ先に殺されるのは自分である。その後バローは取り押さえられるか殺されるかもしれないが、失った命は帰って来ないのだ。この交渉にはマイヤーの命が掛かっていると言って良かった。
マイヤーにとって1分が1時間にも思える沈黙であったが、やがてバローはその申し出を首肯した。
「……良かろう、我々は戦いに来たのでは無く、あくまで抗議に来たのだからな。そのパトリオ殿とやらに会ってみよう」
「あ、あ、ありがとう御座います!!!」
「そう畏まらずとも良い。では案内して貰おうか」
マイヤーは喜色満面の笑みで何度も何度もバローに深々と頭を下げた。そのせいで自分の肩を叩くバローの表情に気付く事は出来なかったが……。
「は、はい、こちらです!! おい、道を開けてくれ!!」
マイヤーの掛け声で街道を占領していた兵士達が左右に分かれていき、パトリオへの道が築かれた。
「それにしても、出迎えにしては少々兵が多いのでは無いかな? ざっと見ただけでも1000は居そうだが……」
「こ、この国に他国から、しかも連名で使者が来た事なんて初めての事ですから……け、決して武力で片付けようという訳では無く……」
「確かにこの数では一たまりも無いであろうな」
「はぁ……」
妙に素直なバローの発言にマイヤーは流石にこの人数相手に強がるほどでは無いのかと若干気持ちを軽くしたが、バローの言葉に主語が抜けている事には当たり前過ぎて気付かなかった。
決して友好的では無い人垣に挟まれての移動であったが、バロー達にはまるで気負いも怯えも無く、他国の貴族と言えど堂々としているなとマイヤーは場違いに感心していた。
そしてほんの10分ほどでバロー達はパトリオとステファーの前までやって来た。
「あなたが報告にあった貴族様かしら?」
「如何にも。私がベロウ・ノワール侯爵です」
「ステファー、間違い無いか?」
「……恐らく間違いありません。剣の腕といい風体といい、全て情報と適合しますわ」
「ほう……となると後ろの王女とやらも本物の可能性があるか。実に面白い」
10メートルほどの距離を置いてバローと対峙するパトリオが手を上げると、周囲で人垣を作っていた兵士達が一斉に背中から弓を外し、バロー達一向に矢を引き絞った。
「……はて、これは何の真似ですかな? 名乗りもせずに他国の使者に矢を馳走するのがアライアットの挨拶なのでしょうか?」
「黙れ下郎。私の許可無しに口を開くな。大人しく縄を打たれるならば殺しはせん。状況が理解出来る脳があるなら剣を捨てて貰おうか?」
「大人しく従った方が身のためですわよ? あなた、それなりにいい男ですしね。体中穴だらけにされて死にたくは無いでしょう?」
「あ、あの、パトリオ様、わ、私も居るのですが……」
バローの側で案内役に徹していたマイヤーも矢で狙われて一歩も動けず、パトリオに涙目で尋ねたが、その返答は冷たいものであった。
「トロい庶民が巻き込まれただけの事、サッサと離れぬ貴様が悪い。精々その男が反抗しない事を祈れ」
「そ、そんなぁ!!」
「……なるほど、つまり敵対なさるという事で宜しいか?」
「これが友好の挨拶に見えるのなら相当な間抜けであろうな。それとも1000の兵を相手取って戦って果てるのが望みか?」
「あまり無駄な時間を取らせないで頂きたいですわね」
圧倒的優位を確信して饒舌になるパトリオとステファーであったが、その目の前でバローはあっさりと返答した。
「じゃあどうなっても後悔すんなよ、貴族のボンボンと色っぺえねーちゃんよ」
バローが剣を引き抜くと、それを見ていた樹里亜と蒼凪が用意していた魔法を解き放った。
「「『暗黒領域』!!」」
「何っ!?」
「こ、これは……!?」
「ひええっ!!」
一瞬で発動した闇の半円がパトリオとステファー(ついでにマイヤー)ごとバロー達を包み込み、外界と隔離するとバローは馬から降りた。
「まさか自分から俺達の目の前に出て来てくれるとは思わなかったぜ。バカな貴族様々だな。おいクリス、コイツは一応公爵家の人間なんだろ?」
「はい、間違い御座いません。ノルツァー公爵家の次男、パトリオ・ノルツァー殿です。隣に居るのは聖神教司教のステファーとかいう娘ですな」
「よしよし、いい人質になりそうじゃねぇか。んじゃ痛い目に遭いたく無かったらお前ら俺の言う通りにしな。言っておくが、反抗はしない方がいいぜ。この結界の中は外からじゃ見えねえ。だからお前らは俺の事を賓客として丁重に扱うんだ、いいな?」
そこまで言われてようやく自失から立ち直ったパトリオが腰の剣を引き抜いた。
「ふ、ふざけるな!!! そんな要求が呑めるか!!!」
「くっ!」
パトリオに続き、ステファーも懐から短剣を取り出して構えるが、その短剣を見たバローの目がスッと細まる。
「……その短剣、ロッテローゼを殺った短剣と同じだな? ガルファが同じモンを持ってたから知ってるぜ?」
「バロー殿、ついでにあれも頂いてしまいましょう。とりあえず取り押さえて貰えます?」
「あいよ。シュルツ、お前はあの男を――」
「きゃあ!?」
「ステファー!?」
バローがハリハリの言葉に頷きシュルツにパトリオを押し付け、自分はステファーを取り押さえようと指示を出した頃にはシュルツは既に動き出しており、あっという間にステファーの手を捻り上げ、短剣を奪い取っていた。
「何か言ったか、髭?」
「こ、この野郎!! そのねーちゃんは俺が取り押さえようと思ってたのに!!」
「バロー殿……下心が見え過ぎです。自重して下さいよ……」
「おのれ、ステファーを離せ!!!」
「放すのはお前さんの剣の方だっての。サッサと観念しねぇとこのねーちゃんを裸に剥いちまうぞ?」
イヤらしい笑みを浮かべて促して来るバローにパトリオはギリギリと音が鳴るほどに歯軋りしたが、バローの剣がステファーの胸元に添えられたのを見て遂に地面に剣を投げ捨て観念した。
「わ、分かった、それ以上ステファーに乱暴をするな!!」
「残念、もうちょっと粘れよ……」
「バロー、いつまで遊んでいる? 早く例の物を使え」
「はいはい、わーったよ」
悠に咎められ、バローは剣を仕舞うとハリハリから2つの指輪を受け取り、解放したステファーとパトリオにそれぞれ渡した。
「それを指に嵌めな」
「なんだこの指輪は?」
「ヤハハ、絶対に裏切れなくなる指輪ですよ。命が惜しかったら身に着けて下さいね。当然、あなた方に断る権利はありませんのであしからず」
「くっ……!」
バローがニヤニヤと笑いながら腰の剣をポンポンと叩くと、仕方無くステファーとパトリオはその指輪を恐る恐る指に嵌めた。その瞬間、2人の頭に一瞬だが強い痛みが襲い掛かった。
「ぐっ!?」
「いたっ!?」
「うんうん、上手く魔法が根付いたようですね」
「い、一体これは何だ!? 我らに何をした!!」
「それはワタクシ特製の魔道具で、『支配』の魔法が封じられています。我々に逆らうと今以上の痛みがあなた方を苛み続けますので、素直に言う事を聞いて下さいね?」
『支配』の魔法はハリハリが召喚器に封じられていた魔法を改良して作り出した魔法である。本家の支配の術式ほど強力では無いが、拷問魔法などを真面目に作るつもりも無いハリハリにとってはこれで十分であった。しかもこの魔法は指輪を触媒として用いる為、そうそう気楽に使えないのである。手持ちは今使った2個だけしか無いのだった。
「それと、適当な手段で外したら自動であなた方の魔力を利用して発動しますので、自分で外したりしない方がいいですよ。嘘だと思うなら自分で外してごらんなさい」
逃げ道を完璧に塞ぐハリハリの言葉にステファーとパトリオはともにガックリとその場に崩れ落ちてしまった。
「さて、今後どう演技するのかを今の内に覚えて――」
「あっ」
「ん?」
「はい?」
その時、バローがその場に居たもう一人の人物と目が合い、ハリハリも遅まきながらそれに気付いた。
そう、不幸なマイヤーである。
「……」
「……」
「……ハリハリ、『支配』の指輪は?」
「もう無いです……」
「そうか……」
「……」
「……」
「……気乗りしねぇなぁ……」
そう言って剣を引き抜こうとするバローの前でマイヤーは地面に這い蹲って許しを乞うた。
「おおお俺は何も見てません!!! こ、こ、ここから出ても何も喋りません!!!」
「いやぁ、でもお前さん、拷問したら喋っちゃうだろ? じゃあやっぱり殺るしか……」
「喋りません喋りません!!! お、俺は仲間内では口の堅い男ってちょっとは知られた男なんです!!! だ、だから命だけは……!」
「でもなぁ……」
「仕方無いですね……彼を結界に取り込んだのはこちらの失敗です。この際、彼にも付いて来て貰いましょう。その2人の世話係でもして貰えばいいですよ。……まさか、それも嫌とは言いませんよね?」
マイヤーにその恫喝を退ける力は、無かった。
不幸な人が一人増えてますね。
ちなみに『支配』の魔法は3日くらいしかもちません。内包する魔力を使い切ったらただの指輪になります。当然、そんな事は教えないのですが。
あと、バローとハリハリが若干悪ノリしている気がします。




