7-136 抗議21
「じゃあ留守は頼んだぜ。こっちはこっちで上手くやっておくからよ」
「はい、いってらっしゃいませ、兄上」
「くれぐれもサリエル様を頼む。……ついでにシャルティもな」
レフィーリア達に見送られ、バローとシュルツ、ハリハリも馬上の人となった。
「いい馬ですね。それに気性も良さそうです」
「マーヴィンの爺様、良く働きやがる。どうやら心を入れ替えたってのは本当みてぇだな」
彼らの馬を用意したのは馬丁として働くマーヴィンであった。厳しい仕事であるが、手を抜けばそれはすぐに馬の調子として表れる為、働いている者の性根を計るにはうってつけの仕事であると言える。
「ここだけの話、次の戦争には副官として連れて行ったらどうですか? レフィーリア殿を連れて行く訳には行かないでしょうし、ワタクシはフォロスゼータの方に行っちゃいますから。人質という訳ではありませんが、オリビア殿がこちらに居る間は裏切る事も無いでしょう」
むしろオリビアは自分で望んで悠の下で研鑽を積んでいるのであって、今では追い出そうとしても必死の形相で居座るだろう。聖典作りもまだ途中なのだ。
「そうだな……パストールは軍一筋であんまり世間慣れしてねぇし、どうしたモンかと思っちゃいたが……考えておくぜ」
マーヴィンが使える人材であれば今のノワール領に遊ばせておく余裕は無いのだ。倍に広がった領地の経営は優秀なレフィーリアであっても手に余る難事であり、それを補佐出来る人材は喉から手が出るほど欲する所であった。
民衆にはバローの出立とその目的が既に告知されており、見送る視線には身を案じる色が如実に表れていた。バローは民衆にとっては頼りになる領主であり、善政を敷いていたので慕われているのである。その根底に自分達の生活に対する不安があっても、信頼されているのは事実だ。
パストールなどはよほど軍を同行させるべきでは無いかと主張したが、軍より強い悠が居るのだから必要無いと言われれば納得するしか無かったのであった。
街の外で樹里亜達の馬車と合流し、悠は早速クリストファーの案内に従って一路ダーリングベル領を目指した。
「へへっ、久々で腕が鳴るな!」
街から離れると、バローは貼り付けていた笑みの種類を切り替えてハリハリに話し掛けて来た。
「領主の仕事は退屈でしたか?」
「退屈って事はねぇが、ウチにはレフィーが居るからな。別に俺じゃなけりゃならねー訳じゃねぇんだよ。レフィーは俺に領主をやらせたいんだろうが、俺は外で剣を振ってる方が性に合ってるんでね」
「適材適所という事ですか。今やノースハイア屈指の権力者だと言うのに……」
「ずっと座ってやる仕事なんざジジイになってからでいいだろ。それに、国屈指の権力者ってんならお前だって似たような立場だったんじゃねぇのか?」
バローの言葉にハリハリは苦味の強い笑みを浮かべた。
「これは藪蛇でした。まぁ、ワタクシも城勤めは性に合わなかったんですよ」
「しかし肩の荷が下りた様な顔をされていては困りますぞ、バロー殿。バロー殿には交渉役も担って貰わなければならないのですから」
クリストファーの忠告にバローは腰の剣を叩いて答えた。
「任せとけよ、俺は机でシコシコ字を書いてるよりもハッタリの方が得意なんでね」
「要は嘘吐きという事では無いか」
「分かってねぇなシュルツ! ハッタリだろうと嘘だろうと相手が信じりゃ真実なんだよ!」
「嘘は嘘、真実は真実だ。拙者にその様な腹芸はいらん」
「……お前みたいなのが一番交渉したくねぇよ。問答無用で斬り掛かって来そうだ」
相変わらず水と油の様な2人であった。
「でも昨日は確かシュルツ殿とバロー殿は一緒に特訓していましたよね?」
「あっ、バカ……」
ハリハリがその話題を出した瞬間、シュルツの両手には剣が握られており、それはピタリとハリハリの首に突き付けられていた。
「……ハリハリ、お前はよく舌が回るが、迂闊に吐いた言葉が遺言に化ける時もあるのだぞ……」
「き……肝に銘じます……あの、若干当たっているんですが……」
馬の揺れに合わせてツンツンと当たる剣先にハリハリが青い顔で呟いたが、シュルツの返答は冷め切っていた。
「当てているからな」
「お、おい、その辺にしとけって。龍鉄の剣じゃ洒落になんねぇぞ」
「……フン」
最後にハリハリに一睨み入れてからシュルツは剣を引き、馬の速度を緩めて2人から離れた。
「……本気で斬られるかと思いましたよ……で、何があったんですか?」
「お前も大概筋金入りだよな……」
あれだけ恐ろしい目に遭ったばかりなのにワクワクという擬音が聞こえてきそうな顔でそう言えるハリハリに流石にバローも呆れたが、ハリハリはチッチッと気障な仕草で指を振ってみせた。
「このくらいで凹んでいたらいいネタなど拾えませんよ。ワタクシは道に殉じておりますので」
「精々殉死しねぇように気を付けるんだな」
そう忠告しながらもバローは言葉を続けた。
「別に大層な事じゃねぇよ。シュルツの奴と新技の練習をやってたんだが、アイツも俺と同じで魔力の操作に慣れてねえからな。技を放った後に一瞬気絶しちまったのを支えてやったら、覆面がズレちまってよ。俺が寝てる間に覗いたんじゃねぇかって疑ってんだよ」
「それだけですか? シュルツ殿が気絶しているのをいい事に胸を揉みしだいたとか、事に及ぼうとしたとかでは無く?」
「あんな男女に手を出さなきゃならねぇほど飢えてねぇよ!!」
他の誰と男女の関係になろうとも、その相手にシュルツが混ざる事だけは無いと信じるバローである。そもそもバローは気の強い女性は好みでは無いのだ。
「そろそろ気を引き締めて貰えませんかな? じきに緩衝地帯です。アライアット兵と行き合ってもおかしくはありませんぞ」
「おう、悪ぃ。ハリハリ、『遠見』で見える範囲に誰か居るか?」
「少々お待ちを」
バローに促され、ハリハリは視覚強化の『遠見』を発動させて周囲を見回した。その視線がある一点でピタリと定まる。
「……まだ大分先ですが、暇そうにしている兵士が見えます。恐らく国境の監視兵でしょう」
「ユウ、どうする?」
ハリハリの報告を受けたバローが悠に尋ねる。
「このまま行くぞ。総員警戒だけはしておくように。ヤールセンとクリスは馬車から離れるなよ」
「了解。荒事は苦手でね」
「了解です」
悠の指示を受けたヤールセンとクリストファーは馬を馬車の近くに寄せた。今日は危険が予測される為、サリエルとシャルティは馬車の中である。
「樹里亜、結界の用意を。こっちの馬車から離れんようにな」
「了解しました」
後ろの護衛用馬車の御者を務めるのは樹里亜である。これも必要な時が来るかもしれないと思い予め練習して覚えておいた技術であった。
そのまま悠達は緩衝地帯に踏み込み、ダーリングベル家の領地へと迫った。馬車で10分も走るとどうやら向こうの兵士も近付いて来る悠達に気付いたらしく、悠の視線の先では慌てて仲間を呼びに行った様子が見て取れた。
「さて、どう出るかな?」
「特に奇をてらった事は無いでしょう。領地をあげて歓迎してくれるはずもありませんし。……それにしても、混乱しているというのは確かなようですね。兵の動きが鈍すぎます。こんな程度の連携なら軍で奇襲していれば領地を切り取るのは容易かったでしょうね」
仲間を呼びに行った兵士の近くには同僚は居ないらしく、盛んに声を上げているのは分かるのだが、集まって来る兵士はほんの数人しか存在しなかった。
実はこの巡回兵達も賭け事で負けて嫌々任務に就いているに過ぎず、ここに居合わせたのもただの偶然だったのだ。そもそも敵が攻めて来るなどとは全く想定しておらず、この巡回自体が隔日でしか行われていないいい加減な代物であった。
それでも悠達の一行が数が少ないと見て、最初に集合を掛けた男が先頭に立つバローに手にした槍を突き付けた。
「な、何者だ!! こ、ここから先はダーリングベル家の所領である!! 他国の者が入る事はまかりならんぞ!!」
「私はノースハイア王国侯爵、ベロウ・ノワールである。背後にあらせられるのはノースハイア王国第一王女シャルティエル様並びに第二王女サリエル様、そしてミーノス王国宰相補佐官ヤールセン・リオレーズ殿だ。我らは連名でフォロスゼータの聖神教本部に抗議に行く途上だ。道を開けられるがよい」
バローの真剣な表情と口調、そしてその内容を聞いた兵士達は驚天動地の展開にあからさまに怯んだ。
「な……ば、馬鹿な!! こ、こ、こんな場所にそんな重要人物が来るはずが――」
「信じる信じないはそちらの勝手だ。だが我々とて冗談でこの場に居る訳では無い。通らせて貰うぞ」
そう言い捨て、勝手に領地に足を踏み入れようとしたバローに向かって兵士が慌てて槍を突き付け直した。
「ま、ま、待て!! だ、だからと言ってこの領地に足を踏み入れてよい理由にはならん!! 大人しく我らに従わなければ扱いが手荒になるぞ!!!」
「それがどうした?」
「な、何っ!?」
「言ったであろう、我らは抗議の使者であると。言いたい事があるのはこちらであって、そちらの都合に合わせる道理など無い。捕らえるというのなら応戦して切り抜けるだけだ」
「ならば死ね!! この異教徒が!!」
兵士の中でも聖神教への信仰心が強い者が即座にバローへと突きかかったが、バローの手が霞んだかと思った時には槍の穂先を切り飛ばされ、カランと地面に転がった。
「……流石聖神教徒、恫喝で済まぬとなれば即座に剣に訴えるとは野蛮極まりない輩よ。居もしない神に祈ってみればどうだ? もしかしたら空から舞い降りて来て助けてくれるかもしれんぞ?」
「き、き、貴様っ!!!」
「やめろ!!! おい、そいつを取り押さえておけ!!」
聖神教徒らしい兵士が今度は素手でバローに掴み掛かろうとしたが、即座に周りの兵士達がその兵士を押さえつけた。
「……他国の使者に対して問答無用で乱暴狼藉。また一つ抗議する事が増えた様だ」
冷たい視線で取り押さえられた兵士を睨むバローであったが、すぐに興味を無くしたように最初の兵士に視線を変えた。
「では通っても宜しいかな?」
「それは……で、出来ぬ!! 他国の者を確かならぬ理由で通したとなれば……その……」
「自分の失点になる、か? ……嘆かわしい、貴様、ダーリングベル家の兵士では無いな?」
そこにクリストファーが前に進み出た。その顔立ちや流暢なアライアット語に兵士はクリストファーがアライアットの人間だと悟ったようだ。
「き、貴殿は?」
「私はクリストファー・アインベルク子爵。察しの通りアライアットの貴族……いや、元貴族と言うべきだろうな。聖神教宣教師による主家のダーリングベル家当主ロッテローゼ・ダーリングベル様殺害を証言する為にこの方々に同行させて頂いておる。王家のみならず貴族や庶民までも蔑ろにする聖神教にはもはや我慢ならぬ! その思いはミーノス、ノースハイアの両国も志を同じくしておる。貴殿らがどこの兵かは知らぬが、まずは報告に戻っては如何か?」
「無駄な殺生は此方も望まん。……先ほどの事で斬るつもりなら斬れたと分かっていると思うが?」
クリストファーの正論、それに加えて軽い脅しと責任転嫁先を臭わせたバローの前で兵士はあっさりと折れた。
「……で、では、今から上層部にそれを伝えて来るのでこちらでお待ちに……」
「そちらの都合に合わせるつもりは無いと言った。我々は先を急ぐ身、勝手に追い掛けてくれば良かろう」
にべもなくそう言い、今度こそバローは兵士達を無視して馬を先へと進めた。兵士達は出来れば制止したかったが、その後から付いて来るシュルツの殺気の鋭さに硬直し、結局見送る事しか出来なかった。
「……どうすりゃいいんだよ……こんな事、前代未聞だぞ……」
「殺せばいいんだ!! 異教徒を国に入れるなんてお前らこそ正気か!? ミーノスだろうがノースハイアだろうが殺して晒してやれ!!」
運の悪い兵士、マイヤーは取り押さえられた聖神教徒を見て溜息を吐いた。一兵士の自分には口に出せないが、確かにこんな輩が相手では抗議の一つもしたくなるのは無理の無い事かもしれない。それに伯爵殺害に関わっての事であれば既に自分の領分を遥かに超えており、マイヤーは早々に問題を上に棚上げする事に決めた。無理矢理止めようとしても斬られて終わりだと分かっているのに向かっていくほどマイヤーは無謀では無かった。
「この戦力じゃ無理だよ。それより俺達がするべきは、この事態を上に報告する事だ。ちゃんと対処する事こそ聖神様の御心に添う事じゃないか? 全員斬られちゃ報告も出来ないんだぜ?」
「……っ」
聖神教徒の男は憎々しげにマイヤーを睨んで来たが、バローの力量は痛いほどに見せ付けられたばかりなので黙らざるを得なかった。
「とにかく一旦街に帰ろう。あの連中の対処はそれからだ」
こうして悠達のフォロスゼータへの道のりは最初から波乱を含んだまま幕を開けたのだった。
キナ臭いまま突っ走ります。次回からは激しく動きそうですよ。




