7-134 抗議19
悠が目を覚ますと、そこはこれまで見た事が無いほどに美しい精神世界であった。
「ほう……流石はアルトの精神世界だな。美しく調和が取れている」
悠の独り言に答える者は無い。レイラは外で待っているはずであるし、スフィーロは……
悠が首を巡らせると、側に倒れているスフィーロを発見した。
その姿は竜のそれであり、悠が気付いてすぐに目を覚ました。
「……む、ん……ここは……アルトの精神世界、か……?」
「起きたか、スフィーロ」
「ユウ……おっ? 我の体が!?」
スフィーロは今更ながらに自分の体が元に戻っている事に気が付いて驚きの声を上げた。
「ここにあるのはあくまで精神体だからな。その者の本来の姿が現れるぞ」
「そうなのか! いや、久々の体とは良いものだな!!」
スフィーロが翼をはためかせると、俄かに強風が巻き起こり、スフィーロの体を空に運んだ。
そのまま宙を飛び回り、地上の野生動物が逃げ回るのを愉快そうに眺めてからスフィーロは悠の場所に戻った。
「ハハハ、飛ぶ事がこんなに気持ち良いと思ったのは数百年ぶりだ!!」
「満足したら行くぞ。なるべく短時間で済ませたい」
しかし、アルトがどこに居るかという点については悠も分からない事である。アルトの精神世界で強いて欠陥を探すとするならば、蒼凪の様にランドマークとなる物が見当たらない事である。これはまだ自分に確固たるものが無い証拠であり、アルトが年相応に悩んでいる事の顕れでもあった。
「さて、どこから探すべきか……」
「ユウ、今上から俯瞰した限り、一番目を引いたのはあの森の中にある湖だと思うぞ」
「そうか、ならばそこまで行ってみよう」
「我の体で森を歩くのは難儀だな……フッ、良かろう、ユウよ、我の背に乗るがいい!!」
仕方無くという体を取ってはいたが、要は空を飛びたいスフィーロであった。
僅かな時間で湖に到着したスフィーロは明らかに飛び足りない様子だったが、今はそれに構っている場合では無いので、すぐに湖岸に着陸させた。
「大当たりだったか」
「そのようだな」
舞い降りた湖には本来の姿のアルトと現在のアルトの2人が何故か泳ぎの練習をしており、2人ともすぐに舞い降りた悠とスフィーロに気が付いた。――紛らわしくなるので、以下は本来の姿をアルトと呼称し、現在のアルトをアルト(竜)と表記する事とする。
「ユウ先生!! それに……スフィーロさん?」
「パパーーーっ!!!」
アルト(竜)はアルトに手を引かれてバタ足の練習をしていたようだったが手を放して岸に上がると、悠に向かって駆け出した。
その姿は水の中に居た時は分かり難かったが、現実での姿とは全く異なっていた。
まず外見年齢が幼い。精神の姿が反映される精神世界だからであろうが、今のアルト(竜)は精々6歳前後だろう。
だが最大の特徴はそんな事では無く、明らかに竜の特徴が体に色濃く顕れている事である。
両手両足、それに体の一部分が鱗で覆われ、腰の下からは短く尻尾が覗いている。爪も長く、歯も八重歯と言うより牙と呼ぶのが相応しいものが2本確認出来た。その姿はまさに竜と人との中間生物――竜人と言うに相応しいものだ。
悠に飛び付いたアルト(竜)は早速努力の成果を嬉々として悠に報告し始めた。
「あのねあのね、アルト、およげるようになったの!! おにいちゃんがおしえてくれたんだよ!!」
「そうか、偉いぞ」
「えへへ~」
抱き上げたアルト(竜)の頭を撫でると、アルト(竜)も顔一杯の笑顔に溶け崩れた。
そこで悠はアルトが水から上がらずに所在無さげに俯いている事に気付いた。
「どうしたアルト、お前も上がって来い」
「あ……は、はい……」
アルトにしては歯切れ悪く返答をすると、緩慢な仕草でアルトは水から上がったが、やはり顔は上げなかった。よくよく見れば水に浸かっていたというのにその耳は真っ赤に染まっており、どうやら深く恥じらっているらしかった。
そのアルトの様子から、悠は一つの確信を得た。
「……アルト、お前……外界を認識していたのか?」
「…………はい」
顔を合わせないままのアルトの説明によれば、アルト(竜)が起きている間はおろか、寝ている時すら外の状況は何となく掴めていたらしい。特に起きている時は自分の体が勝手に動き回って制御出来ず辛かったそうだ。
この数日間のあれこれを思い出し、アルトはその場に崩れ落ちた。
「……別にアルトがやった事ではあるまい。早く忘れる事だ」
「おにいちゃん、おなかいたいの?」
「お腹より胸が痛いかな……」
打ちひしがれるアルトに悠は本題を切り出した。
「アルト、体はもう治癒している。そろそろ起きる時間だ」
「それが……出来ないんです。この子の意識が強くて自分の意思で『勇気』が制御出来なくて……」
「やはり『勇気』の影響か……だが、外界を認識出来ていたのなら、俺の言いたい事も理解しているのではないか?」
「……」
悠の質問にアルトは答えなかったが、その沈黙は肯定の意味でのものであった。アルト(竜)の前でその事に言及する事はアルトには出来なかった。
「道は2つに1つだ。完全に融合させるか……」
「僕の魂の一部分を使って封印するか……ですよね?」
「そうだ。その為にスフィーロに今日1日かけて星幽体干渉の初歩、『星幽体封印』を覚えて貰った」
アルトの許可を得る事を条件としてレイラがスフィーロに教え込んだのは、アルトの魂に干渉し封印領域を確保し、アルト(竜)を眠りにつかせる術であった。それにより、アルト(竜)は消滅を免れる事が出来るのだ。
「責任は俺が取る。だが、選ぶのはアルトだ。どちらであろうとも誰にも文句は言わせん。それがたとえレイラであってもな。だから、気負わずに選んでくれ。それぞれのメリット、デメリットはもう説明は不要だろう」
融合と封印の結果は悠が語っていた為、アルトも既に認識していた。
融合はアルト(竜)の精神体を完全に分解しアルトに溶け込ませる事であり、アルト(竜)の意識は消滅する。代わりにアルトは分離していた分の力を得られるだろう。当然体もアルトの物になり、二度とアルト(竜)は表層に出て来る事は無い。アルトが自分自身を取り戻したいのであれば、選ぶ余地も無くこちらを選択すればいい。
対して封印はアルト(竜)を完全に消滅させず、いわば眠った状態で保護するという事だ。その場合アルトは融合した時ほどの力は得られないだろうし、何かの拍子でアルト(竜)の影響が顕在化しかねないリスクを孕んでいる。アルトにとって良い事はほぼ無いと言っていい。
だが、悠にはアルトがどちらを選ぶのか分かってしまっていた。それでも聞いたのは、確認の為だ。
「…………封――」
「アルト、お前の事はこれでも少しは知っているつもりだ。そして外界を認識していたと言うのならば尚更お前なら封印を選ぶのではないかと思っていた」
アルトの答えを遮り、悠は強い口調で語り出した。
「その上で忠告するが、周りを慮る必要は無い。お前がいいか嫌か、それだけで答えを出してくれ」
悠が危惧するのは、アルトが優しさゆえに意に添わない選択をする事であった。レイラがアルト(竜)の存命を願っているのは明らかであり、アルトもそれを知ってしまっているだろう。そうなればアルトであればきっと封印を選ぶ。――選んでしまう。それがアルト・フェルゼニアスという少年であった。
だからこそ悠はそういう理由であればアルトを翻意させねばならないのだ。
アルトは悠の言葉に少し困った顔をし、アルト(竜)の頭に手を乗せて、笑った。
「だったらやっぱり僕の答えは決まっています。……この子を生み出した責任の一端は間違い無く僕の物で、それはユウ先生に肩代わりをして貰う物じゃありません。ユウ先生は何が起こるか分からないと言い、僕はそれを了承しました。だから僕は……封印を選びます。自分で生み出したこの子を消滅させてまで、僕は強さを選びたくはありません。足りない分は僕自身が努力して補います」
決意を表明するアルトの目は濁りも迷いも一切無く、ただ強い意志を宿していた。
ならば、これ以上は悠にも掛けるべき言葉は無かった。
「……分かった。この言葉が相応しいかは分からんが……ありがとう、アルト」
「いえ、僕が望んだ事です。……それと、この子の名前ですけど、僕と同じではややこしいですから……アルテナっていう名前はどうでしょう?」
「アルテナ……アルテナか。いい名前ではないか? どう思う、アルテナ?」
「うん? わたしのなまえ!? アルテナ!! わたしはアルテナ!!!」
「気に入ってくれて良かった。……では、始めるか」
自分の新しい名前を連呼して喜ぶアルテナから悠は視線をスフィーロに向けた。
「よかろう、封印場所はここでいいか?」
「ああ、ここでいい」
「……おじちゃんだーれ? パパのおともだち?」
「お、おじ……くっ、そ、そうだ、我はスフィーロ。ユウの……と、友達だぞ!」
「ふーん?」
幼子からのおじちゃん呼ばわりに軽くショックを受けるスフィーロであったが、悠の刺し貫く様な視線を受けて無理矢理笑顔を作り(竜のままなので子供なら失禁するレベルの笑顔であったが)、肯定してみせた。アルテナにとって人や竜という外見はあまり意味を持たないらしい。
「アルテナ、そろそろ眠る時間だ。一杯泳いで疲れただろう?」
「うん、ちょっとねむくなってきたの」
アルテナは目を擦りながら悠に答え、胸板に頭を預けた。
「眠るといい。お前が眠るまで俺はずっと側に居るぞ」
「うん……パパ、アルトおにいちゃん、スフィーロおじちゃん、おやすみなさい……」
「ああ、お休み」
「おやすみ。……またね」
「まだ子供も居らんのにおじちゃんか……幼子は早く寝ろ。元気に育たんぞ」
それぞれが別れの言葉を述べ、悠の手の中でアルテナはほどなく眠りについた。
「いい子ですね、アルテナは……」
「本当は恵にも会わせてやりたかったが……仕方あるまい。それに、今生の別れと決まった訳でも無い。スフィーロ、始めてくれ」
「うむ」
悠に促されると、スフィーロの全身から竜気が放出され始め、アルテナを包み込んでいった。そのままアルテナは徐々に浮かび上がり、悠の手を離れていく。
意識を手放しても胸元から離さないアルテナの手をそっと解き、アルテナは湖の中心に向かってゆっくりと移動していった。
「…………っ!!」
それを制御するスフィーロの顔は険しい。四肢を踏ん張り、歯を食い縛るその姿は苦痛に耐えているかの様であった。
それでも制御を狂わさずにスフィーロはアルテナを湖の中心まで導くと、精神力を振り絞ってアルテナを湖底へと沈めていった。
沈んでいく。水没していく。
アルテナの小さな体が没していくのをアルトは食い入る様に見つめ続けていた。
ふと、悠は当たり前の事に今更ながら気付いた。
自分がまるでアルテナの父親であるかの様に認識されていたが、アルトこそ、アルテナにとって魂を分け合った親子の様な物なのでは無いだろうか?
気性の荒いアルテナがアルトに懐いたのは言葉では無く本能的にそれを感じ取ったからでは無いか?
今アルトが考えている事は悠にも知る事は叶わない。
だが、そのアルトの真剣な表情こそが答えの様に思え、悠はそっとアルトから視線を外した。
今はそれを聞くべきでは無いと思ったからだ。
「……ふぅ……では仕上げだ!!」
アルテナを湖底に沈めたスフィーロは、封印の最終段階に移行した。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!!」
ビリビリと森の木々を震動させ落葉を促す勢いでスフィーロが天に吼えると、湖に変化が起こった。
「湖が……凍っていく!?」
スフィーロの咆哮で微かに波立つ水面が岸から徐々に流動性を失い固形化――凍結していく。これこそが本命の封印である。
「―――――!!!」
既にスフィーロの口からは音は出ていないが、凍結はやがて湖の中心に達し、更に深度を深めて湖の奥底まで凍結するピキピキという音がしばらくの間辺りに響き渡った。
「―――――――――――っかはっ、ガフッ!!! ゴフッ!!! …………ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、す、済んだぞ……」
よほど力を振り絞ったせいか、天に向けていた首を地面に投げ出し、息も絶え絶えにスフィーロは声を絞り出した。スフィーロの眼前の湖は湖底まで完璧に凍り付いており、封印は成功したと言っていいだろう。
「ご苦労だった。では行こうか」
「ハァ、ハァ、ハァ、す、少しは我を労わらんか……」
「アルテナ……」
悠の下に行く前にアルトは膝を付き、凍り付いた湖面に手を当て、声にならない言葉で語り掛けた。それは、敬虔な信者の祈りの様でもあった。
やがて上げたアルトの顔にはもう感傷の陰は無くなっていた。
「行きましょう、ユウ先生」
「ああ。それと……」
3日振りになる覚醒を果たすアルトに、悠は遅まきながら告げた。
「お帰り、アルト」
「……はい、ただいま帰りました、ユウ先生」
少し苦味の混じる顔で、アルトも帰還を告げたのだった。
アルテナの名は彼女に譲られました。さて、お待たせしましたが、アルト覚醒であります。




