7-132 抗議17
散々暴れた挙げ句、疲れて眠ってしまったアルトを引き取り、悠は自室に戻っていた。と言っても既に時刻は午前4時を回っており、どうやら今日も徹夜は確定である。
《何だかもう終わったみたいな気分だけど、実際には半分も終わってないのよね……》
「アルトの事もアライアットの事もどちらも済んでおらんからな。むしろこれからだろう」
『影刃衆』の事は当初の予定には無い事であり、想定外の仕事である。上手くクリア出来たからといってやらなければならない事が減る訳では無いのだ。
《……アルト、居なくなっちゃうのかしら……》
《レイラらしからぬ発言だな? アルトは居なくなるのでは無いぞ。むしろ戻ってくると言うべきだろう?》
《分かってるわよ。……分かってるのよ、それくらい……》
レイラ自身が一番ショックを受けている事に対して困惑していた。数々の戦場を経験し、同族を下し、血に塗れ、屍を越えて来たレイラであったが、ただ一つ、母になるという経験だけは未知であった。
勿論、アルトはイレギュラーであるとは言え、とてもレイラの子供であるとは言えないが、極めてそれに近しい存在である事もまた確かである。
以前のアルトが可愛くない訳では決して無いし、むしろアルトほど好感に値する人間は稀であると思っている。だが、それとは全く別の次元の話で今のアルトに愛情を感じているのであった。恐らく、それは母性愛と言うべき感情であろう。
「レイラの気持ちが分からない訳では無いが、やはりアルトに体は返してやらねばならん。アルトが帰ってくるのを待っている者達の為にもな」
《ユウは……いえ、何でも無いわ》
悠は今のアルトが居なくなる事に寂しさを感じないのか、と言おうとしかけ、レイラは言葉を止めた。感情を表に出さないだけで、悠がアルトとの別れに何も感じていないと断ずるほど、悠とレイラの付き合いは浅くない。
親しい者との別れはいつだって辛く、寂しいものだ。それはたとえ悠であっても変わらない事実である。
だからといってこのままアルトの肉体を貸し続ける事は出来ない。今も心の底では本当のアルトが覚醒を待っているはずなのだ。情が移ったからと言っていつまでもこのままで居ていい訳が無い。
「くー…………ぱぱ……」
悠にくっついたまま眠るアルトが笑いながら寝言を漏らした。どうやら楽しい夢を見ているらしい。
本来のアルトを起こすという事は今のアルトの消滅を意味するものである。元々仮初めの存在であった今のアルトは、本来の人格が復帰すればやがて吸収され消えて行くだろう。それはどう言葉を取り繕おうとも、実質的には殺すという事である。一つの肉体に2つの魂が同時に存在する事は出来ない。
「……」
《……》
《……》
重い沈黙が部屋を支配していた。悠はおろか、スフィーロも口では厳しい事を言いつつも幼竜を手に掛ける事に忸怩たる思いがあったのだ。
その沈黙を破ったのは悠であった。
「……アルトが了承すれば、という大前提があれば方法は無くも無いだろう、レイラ」
《ユウ?》
勿論、と悠は前置きして話を続けた。
「体はアルトに返さねばならん。それは絶対に譲れない条件だ。その上で今のアルトを救いたいのであれば、もう一つ、スフィーロの協力が必要だ」
《我の協力だと?》
レイラとスフィーロのペンダントを同時に弄びながら悠は言った。
「レイラは『潜行』中は力を使えん。別の竜の協力が無ければ出来んのだ」
《……我は何をすればいい?》
《スフィーロ、協力してくれるの!?》
喜色を滲ませるレイラにスフィーロはぶっきらぼうな口調で答えた。
《我も別に憎くてこの幼子を消してしまいたい訳では無い。救えるかもしれない方法があるのなら試しても良かろう》
《ありがとう、スフィーロ……》
「だがアルトが了承しないのならこの話は無しだ。その時は覚悟してくれ、レイラ」
《ええ、覚悟はしてるわ》
レイラの言葉に覚悟を見て取った悠は、ならばとその方法を語り出した。
「まず今日中にスフィーロに覚えて貰わねばならん事がある。レイラ、夜までに頼むぞ」
《了解よ。スフィーロ、悪いけど今日は加減は出来ないわ。覚悟しておいてね?》
《……程々に頼む》
レイラの本気の宣言に怯みながらもスフィーロは何とかそう返したのだった。
「特訓、ですか?」
「はい、今日はユウ殿も1日掛けてやらねばならない事があるそうですし、ジュリア殿にもワタクシの特訓に付き合って欲しいのですよ。シュルツ殿もバロー殿と特訓されるそうですし、他の方々も色々試してみたい事があるそうです。サリエル殿達は今日はノワール家に避難して貰っていますから」
朝、悠から全員に今日1日はこの場に留まるという通達がなされ、アルトと共に部屋に籠もる事になったので、ハリハリはこれを機に特訓に当てようと提案したのであった。そこで樹里亜を自分の近くに呼び寄せた。
「それは構いませんけど……一体何をするつもりなんですか?」
「ちょっとした実験ですが、失敗するとワタクシ多分死にますのでジュリア殿に結界で守って頂けないかと思いましてね」
「そうですか……えっ!?」
あまりにさりげなくハリハリが言うので樹里亜は危うく聞き流しそうになったが、今確かにハリハリは自分の生死を口にした。
「いや、9割方は大丈夫なはずなんです。しかし、予期せぬ事態もありますからね。用心に越した事は無いと思いまして」
「一割死ぬっていう事じゃないですか!! 何を考えているんですか!?」
「そうならない為にジュリア殿をお呼びしたのですよ。それに、魔法の実験に危険は付き物でしてね。強力な物になれば尚更です」
「だからって……!」
頭を振る樹里亜にハリハリは肩を竦めた。
「やれやれ、お手伝いして頂けないなら仕方ありません。ワタクシ一人でやりますよ」
「そんな言い方は卑怯ですよ!!」
「これは失礼。しかし、ワタクシも伊達や酔狂でやっている訳では無いのです。だからこそせめてもの安全策としてジュリア殿にお願いしているのですよ」
思いの外真剣なハリハリの表情に樹里亜は怯んで言葉に詰まった。
「切り札は多ければ多いほどいざという時の選択肢が増えます。それに、今後厳しくなる戦いを前に、ワタクシも皆さんの助けになりたいのです」
ハリハリの脳裏にあるのは傷付き倒れ伏すアルトであった。
もし最初に現場駆けつけていたのが自分であったならどうだろうか? ドラゴン相手に即座にアルトを救出する事が出来ただろうか?
残念ながら答えは否である。
アルトが五体満足な状態であれば協力して上手く立ち回る事は出来るだろう。しかし、その時点で動けないほどの怪我をしていたりすればハリハリには背負って逃げるだけの筋力も体力も無いのだ。
ならば魔法使いとしてどうするのが正解なのか?
ドラゴンほど強力な相手でも一撃で戦闘不能に陥れるような魔法しかない。しかし、ドラゴンには幻覚や睡眠の魔法も効きが悪く、束縛系もそのサイズゆえにごく短時間しか効果を発揮しない。また、防御力も高く並大抵の攻撃魔法も目くらましにしかならないだろう。
つまり、ドラゴンの防御力を突破し、一撃で絶命に至るほどの魔法が必要なのである。『爆裂』系やアリーリアに残して来た『風塵衝』すら上回る絶対的な攻撃力を持った魔法の習得こそがハリハリの目的だった。
「……はぁ、分かりました、お手伝いします。でも!! 今後もそういう時は絶対に一声掛けて下さいね!!」
「ヤハハ、勿論です。流石ジュリア殿、話が分かりますね」
苦虫を噛み潰したような表情で樹里亜は渋々頷いた。自分が協力しなくてもハリハリはやるだろうし、それは単に命の危険が増すだけであるとなれば協力せざるを得ない。
「ワタクシ用の装備も現在開発中ですから、それが出来上がればもっと安全に行えるようになりますよ。さぁ、早速始めましょう!」
意気揚々と準備に入るハリハリを見て、樹里亜はもう一つ溜息を吐き、頬を叩いて気合を入れ直したのだった。




