7-129 抗議14
「「「お帰りなさい!!!」」」
「ああ、ただいま」
すぐに駆け付けた子供達に囲まれ、悠は帰宅の挨拶を言ってから首を巡らせた。
「アルトと恵がここに居ないという事はまだ寝ているのか?」
「いいえ、もう起きていて、今は恵が見てくれています。こんな風に、お絵描きしていたんです」
「ほう、もう絵が描ける様に……」
「うん? ……ギャーーーーーーーーッ!!!!!」
蒼凪の絵を見た悠が押し黙り、隣の神奈が不審に思ってその絵を見て絶叫した。いつも元気で強気で勝気な神奈であるが、オカルト系は全く抵抗力が無いのだ。
「わああ~、朱音ちゃん怖いよ~!」
「ば、馬鹿ね、た、た、ただの絵じゃないの!! ちょ、押さないで、イヤーーーーーッ!!!」
「おわっ!! こ、こえぇ~!!」
「わあああっ!?」
「お化けだーーーっ!!!」
蒼凪の絵を見た年少組が全力で絵から距離を取る。健全な精神を持つ子供として、とても正しい反応であった。
「……この絵はアルトが?」
アルトの心に大きな傷があるのでは無いかと危惧した悠の質問であったが、蒼凪は首を振った。
「いえ、それは私のです。ちょっと幼いアルトには情熱的だったかもしれませんが」
「そうか……」
情熱的というのは中央の頭に火が付いている人物の事だろうかと思いながら、悠は蒼凪に絵を返した。すると、奥から涙を流しながらアルトが必死の形相で悠に駆け寄って来た。
「パパパパパパパパパパパパパパパパーーーーーッ!!!」
そのままの勢いで正面からアルトが抱き付くと、受け止めた悠の足が1メートルほど後方に滑り、床が焦げ臭い臭いを発した。しかしアルトはそんな事に構わず悠に手足を絡め、ガクガクと震えて泣きじゃくるだけだ。
「何なんだ一体? ……これ、もしかしてアルトかよ?」
この状態のアルトを見たバローが呆気に取られ、悠にしがみ付くアルトを指差した。
「色々あってな、今は女になっている。精神は幼児並と言って良かろう」
「いやいやいや、いくらユウの言う事でも意味分かんねぇよ! 色々あろうと男が女になってたまるか!!」
「実際なっているだろうが」
「いや、そうなんだけどよ……本当に女なのか?」
そのままバローはアルトを指していた指を伸ばし、横からアルトの胸を突いた。
「うお、本物だ……ぬおおおおおっ!?」
瞬間、幾つもの攻撃がバローを襲った。シュルツの剣と樹里亜の股間蹴り、アルトの噛み付きがほぼ同時に繰り出されたが、バローは奇跡的な動きでそれらを全て回避し、地面に転がった。
「サイテー! 無防備な女の子の胸を触るなんて、この性犯罪者!!」
「弟子が前後不覚である事をいい事に不逞を働くとは鬼畜の所業。拙者が成敗してくれる!」
「ガウガウッ!!!」
「ば、バカヤロー!!! アルトに欲情なんてするか!!! ちょっとした確認だろ!? な、なぁハリハリ?」
と言っても誰も信じてくれないので、バローは一番気さくなハリハリの肩に手を置いて促す事にした。
パン。
その手はすげなく払われた。
「すいませんが触らないで頂けますか、バロー殿? ワタクシまで同類だと思われたくありませんので。……さて、皆様、とりあえず夕食など取りつつ今晩に備えようではありませんか。ケイ殿もアルト殿の面倒を見てらっしゃったのなら準備はこれからでしょう。皆で準備しようではありませんか」
「そうだな、アルトは俺が見ておくから、恵と一緒に準備を頼む」
「あ、おい……!」
誰もバローの方を見ず、一行は広間と厨房を目指して歩き去って行った。最後尾のハリハリが振り返り、両手を合わせてから消える。ハリハリとしても幾つかの事で女性陣の信頼が揺らいでいるのでバローを庇う訳にはいかなかったのだ。
「……泣き止ます為とはいえ、やり過ぎたかなぁ…………でも、アルトの奴、いい乳してやがんな……」
悠が攻撃していないという事とハリハリの反応で2人は分かってくれているらしいが、シュルツや樹里亜にはまた悪印象を与えてしまったなと憂鬱に浸る、自業自得のバローであった。
「ちょうど良かったぜ。『影刃衆』なんて奴らが領地内に居たんじゃ、フォロスゼータまで行けねぇからな」
「バロー殿も付いて来るおつもりで?」
食事が終わり、茶や酒で喉を潤しながら、『戦塵』のメンバーは戦闘に備えて英気を養っていた。子供達は今日だけは上の階で待機である。
「一応、俺は次の戦の総大将らしいからな。なら、一度くらいは敵の本拠地は見ておいた方がいいだろ?」
「まぁ、確かにそうですね。連合軍がフォロスゼータに攻め込む様な事はあまり無いでしょうが、バロー殿が顔見せしておく事には意義があるでしょう」
バローへの司令官職就任は既に打診済みであり、アグニエルが王家から一歩退いている今の状況では他に適当な人物が居なかったので、バローは嫌でもそれを受けざるを得なかったのだった。
「で、どんな布陣で迎え撃つつもりなんだ?」
「正直、特にこれと言った布陣はありませんよ。我々がどう戦おうと負けませんし。問題は取り逃がさない事ですが、前衛の方々は別に心配しなくても大丈夫です。そこはワタクシが上手くやりますよ」
「ハリハリがそう言うなら任せるぜ。ガキ共の守りは大丈夫か?」
「もちろんです。最終防衛線は絶対に突破出来ないですよ。もっとも、そこまで到達出来るとは思えませんがね」
ハリハリが自信を持って頷いたので、バローも納得して頷き返した。
「そろそろいい時間だ、総員持ち場に着け。これより10分後に消灯し、以後は作戦行動に入る。葵の合図を聞き逃すなよ」
「「「了解」」」
熱い夜はすぐそこまで迫っていた。
「……頃合いだな。各自前進」
キリギスの合図でその場に一人だけを残し、『影刃衆』は悠の屋敷に向かって慎重に距離を詰め始めた。冬は雪があるせいで足音が吸収され、暗殺をするのに適した季節である。今悠達と再会した事にキリギスは自分の幸運を確信した。
(『影刃衆』総勢59名、これだけの戦力があれば地方の街を落とす事すら容易い!! ……そうだな、どうせなら、これを機にミロ様に街を献上するのも悪くない。ユウを、バローを殺して名を上げれば、我らにすり寄って来る者も多かろう。Ⅸ(ナインス)の冒険者など、所詮は『影刃衆』の敵では無いのだ!! ミロ様は控えめに過ぎる。これからはもっと目に見える恐怖で民を縛るべきだ!!)
キリギスもミロに対して不満が無い訳では無かった。それは、ミロが決して公での居場所を求めなかった事だ。ミロほどの知名度と実力があれば、間違い無くノースハイア最大の戦闘集団の長として君臨出来るはずであり、上手くすれば新たな国家すら建設出来ると信じていた。
勿論ミロにそのような野心は無い。ミロにとって率いる事も群れる事も何の興味も無いのだ。だからこそ『影刃衆』やキリギスをあっさりと打ち捨てたのだから、兆に一つ以下の可能性でキリギスが悠を討ってソリューシャを滅ぼし領有を宣言しても、ミロはキリギスを殺しに来るだけだ。
恐怖とは目に見えるから恐ろしいのでは無い。目に見えず、いつ襲い掛かって来るか分からないからこそ恐ろしいのだという事を、ミロは理解していた。
キリギスにとって恐怖とは相手に勝る数と暴力である。たとえどんな手練れであろうとも、囲んでしまえばそれまでだ。これまでもそうだったし、これからもそうに違いないと信じていた。悠とバロー戦は単に油断し過ぎただけだというのが結論である。
素早く屋敷の正面に辿り着いた『影刃衆』の中で魔法に長けた者達が『連弾』による相乗効果で結界の解除を図る。これまで標的にして来た者達の中には用心深く結界を張って警戒している者も居たが、その様な魔法的な守りはおろか、物理的な鍵開けにも精通しているからこそ『影刃衆』の今があるのだ。
数分で結界を解除した『影刃衆』が無音で屋敷の敷地内へと雪崩れ込む。全員が敷地内に入った所でキリギスの側に控えていた男が後方に残して来た男に向かって指向性のある光を放つライトの様な魔道具を使って合図を送ると、受け取った方の男も空へと一本の『炎の矢』を打ち上げた。これでソリューシャの街も作戦を開始するはずである。
屋敷の正面の扉へ『影刃衆』が走る。その内幾人かは裏口を目指して屋敷を迂回し、その配置を待たず、先頭の男が扉の開錠を試みる為に鍵穴を覗き込んだその時であった。
空気を低く震わせ、破ったはずの結界が瞬時に屋敷を覆い直した。
「キリギス様、結界が!」
「チッ、一度解除しても再生する仕組みか!? 構わん、数名でもう一度結界の解除の準備を行い退路の確保、残りは内部へ突入するぞ!!」
キリギスがそう命令を発したその時であった。
「深夜の闖入者は歓迎しかねるな。代金はおのれらの命で贖え」
内部から蹴り開けられた扉に一人巻き込まれて背後に吹き飛ばされる。
「ギャッ!!!」
短く悲鳴を上げ、強打した顔を押さえて蹲る男の覆面から血が溢れ出し、地面に血だまりを作っていく。
「お、おのれっ、気取られたかっ!?」
動揺から出た独り言に返答があった。
「いやいや、必死こいてあの程度の結界を解除してるお前さん達を見てると笑いそうになって危なかったぜ?」
「全くです。こんな事ならアオイ殿に言ってもっと結界の出力を下げておくのでした。もうちょっと時間が掛かるようなら、こちらで結界を解除してあげようかと思っちゃいましたよ」
「所詮、ミロとかいう輩が居ない『影刃衆』など二流以下に過ぎんという事だな」
「とりあえず全員首を落とすという事でよろしいですか、師よ?」
厳戒態勢に移る『影刃衆』を前に悠然と『戦塵』のメンバーが順に姿を現した。不敵な笑みを浮かべるバローが、場違いにリラックスした雰囲気のハリハリが、兜を下ろして腕を組んだギルザードが、背中の双剣を抜き放つシュルツが、そして――
「殺すのは半分でいい。残りの奴らには仲間の死体を運ばせる。『影刃衆』は今宵をもって消滅したのだという証拠が必要だからな」
フェルゼニアスの家紋の入ったマントを翻し、4人の中央から無表情の悠が前に進み出る。
「ユウ、バロー!!!」
2人の姿を確認したキリギスが夜空に吼えた。
「よう、久しぶりだな三下。あんまり久しぶりなんで、もう死んでるのかと思ったぜ。ハハハ、悪ぃ、顔見てもあんまりよく思い出せねぇや」
「き、貴様ぁ!!! 俺が、俺がどれほどの怒りを抑えてここに居るか貴様に分かるか!?」
「いんや、全っ然分かんねぇよ。……つーかよ、ミロが居ねぇのは、お前ら捨てられたのか? ギャハハハハハハハハハ!!! 弱いってのは悲しいねぇ!!! 惨め過ぎんだろお前ら!!!」
バローの見え見えの挑発にキリギスを始めとした『影刃衆』の抑えていた殺気が爆発的に膨れ上がった。ミロの不在は『影刃衆』にとって最も触れられたくない部分だったのだ。
「ふぅ……で、やんのかキレギス?」
「俺の名はキリギスだ!!!」
「そうだっけか? ……ま、どうでもいいだろ。どうせお前ここで死ぬんだからよ?」
「舐めるなッ!!! あれから少しは名を上げたらしいが、強くなったのは貴様だけでは無いぞ!!!」
「おーおー、暗殺者の癖にうるせーな。それより後ろの部下の無駄な労働を気遣ってやれよ。涙目になってんぞ?」
「何ッ!?」
バローに警戒を割きながらも背後を確認したキリギスの目に映ったのは、結界を前に手も足も出ず焦る部下達であった。
「貴様ら何をしている!! さっさと結界を解除せんか!!!」
「だ、駄目ですキリギス様!!! この結界、さっきの結界とは桁違いです!!!」
「な、何だと!?」
この屋敷を覆う規模の結界というだけでキリギスだけで無く、『影刃衆』の者達はこれが結界の最大出力であると勘違いしていた。葵の結界は通常結界ですら本来の出力であれば破るのは容易ではないが、今は絶対に逃がさない為に竜気による結界で覆っているのである。ハリハリやサロメクラスの魔法使いが数人居るのならば一瞬くらいは小さな穴を空けられるかもしれないが、とてもでは無いが人間が逃げ出す事は不可能であった。
「つまり、あなた方は自分から檻の中に入って来た獲物なのですよ。これからの世界にあなた方の様な、人に迷惑しか掛けない極悪人は不要なのです。罠に掛かった獲物は狩られるもの。大人しく縄を掛けられるなら、裁きを待つ間は死なずに済みますよ?」
「……ならば貴様らを全員殺して屋敷に火を放つまでだ!!! この屋敷が魔道具ならば、破壊すれば結界も消え去る!!!」
キリギスが黒く焼かれた短剣を抜き放つと、他の者達も覚悟を決めて一斉に短剣を抜き放った。
「あらら……考え得る限り、最も愚かな選択をなさいましたね。皆さん、ワタクシは屋敷への攻撃を防ぎますから、順次討ち取って頂けますか?」
「分かった。ならば俺はハリハリの守りに入ろう。バロー、シュルツ、ギルザード、お前達3人でいけるな?」
「屁でもねぇよ。何なら俺一人でもいいくらいだぜ?」
「それは拙者の台詞だ。貴様はあのキリギスとかいう雑魚とやり合っていればいい」
「どれどれ、現代の暗殺者の実力を見せて貰おうか! 頼むから撫でたくらいで死なんでくれよ?」
『影刃衆』を前にしても何の気負いも無い『戦塵』の面々に、『影刃衆』の怒りが頂点に達し、弾けた。
「殺し尽せッ!!!」
キリギスの号令とほぼ同時に、『影刃衆』は『戦塵』へと殺到したのであった。




