7-122 抗議7
「ユウさん、そろそろ最初の宿場町フェルンに到着しますけど、今日はもっと先まで進むんですよね?」
「ああ、というより宿場町には泊まらんよ。寝ている間に宿に火でもつけられたら面白く無い。住民に迷惑を掛ける事は出来んしな」
クォーラルで宿に火を放たれそうになった経験から、悠は道中の町では休まない事に決めていた。特に今回の旅は襲撃者が居る可能性の高い旅なのだ。わざわざ町に泊まって住人を危険に晒す必要はない。
「……今も監視されたりするのでしょうか?」
「恒常的な監視の目は無い。が、旅人や商人に扮してすれ違うだけの相手についてまでは断言出来ん。先にある町に拠点を設け、待ち伏せしつつ情報を集積している事も考えられる。そういう観点からも町を逗留場と定めるのは危険だろう」
今後の外交の事も踏まえ、サリエルは熱心に頷いた。ラグエルが気軽に他国を訪れる事はあまり好ましくないので、外に出るのはこれからもサリエルの仕事になるだろうと思われるからであった。
「バローさんに連絡を取ってたみたいだけど、今日はそこまで行くのかい?」
「いや、そのつもりだったが、あちらもあちらで準備があるらしい。他国の要人に自国の王女2人を迎え入れるとなると、それなりの体裁が必要だと言っていたな」
正確には単に言っていたのではなく泣きつかれたのだ。頼むから1日準備する時間をくれと懇願するバローに悠の方が折れたのだった。
「じゃあ今日の宿はどうするんだい? 俺はともかく、王女様に野宿はさせられないだろう?」
「問題は無い。道中の宿は俺の家に泊まって貰う。サリエルは一度来た事があったから知っているな?」
「え、ええ、存じています……」
サリエルが少し浮かない顔なのは、まだ子供達に対して負い目があるからであろう。
「性格的に気にするなと言っても無理だろうが、あまり委縮すると子供らも対応に困る。これを機に仲良くしてやってくれ」
「サリエル、過ぎた事を悔やんでもしょうがないですわ。私達は反省はしつつも前を向いていなければならないのです。せっかくユウ様のお宅にご招待して頂けたのですから、少しは楽しそうな顔をお作りなさい」
「お姉様……」
何も考えていない様に見えてその実ちゃんと覚悟を決めていたシャルティエルを見て、サリエルも表情を改めた。相手に気遣いをさせる様では交渉役など務まらないのだと言い聞かせ、何とか笑って見せる。
「それでいい。夜の鐘(午後六時)が鳴る頃になれば人通りも絶えるだろう。それまでに屋敷を設置出来るいい場所を見つけておきたいな」
「でしたらフェルンを越えてしばらく行った所に丘陵地帯がありますから、その辺りの街道から隠れる場所がいいと思います。少しは雪も解けて来ていますし、車輪が雪に埋まる事も無いと思います」
「ではそこまで行くとするか」
悠は軽く手綱を振ると、馬車もそれに合わせて足を速めたのだった。
「……どういう事だ? 奴らは今日はフェルンに泊まるのでは無いのか?」
「いえ、町に寄る事も無くそのまま先を急いでいます。夜を徹して走るつもりでしょうか?」
「鍛えてもいない文官と王女2人を連れてか? そんなはずは無い。必ずどこかで休息を取るはずだ」
「では、日が暮れるまでは引き続き旅人を装って動向を探りますか?」
「ああ。それと、決して油断するなと伝えておけ。あのユウという男、異常なまでに気配に鋭い。遠方からの魔法の監視すら看破してくるぞ。絶対に横着はするな」
「了解です、では、引き続き任務を続行します」
「この辺りですよ、ユウさん」
日が落ちる寸前に悠達はサリエルが提案した丘陵地帯まで馬車を進めた。確かにこの近辺はなだらかな丘が連なっており、街道から少し外れれば屋敷を出現させても見える事は無いだろう。
「いい地形だ。今日の宿はここで良かろう」
「やれやれ、ようやく休めるか。これだけ走ってもへばらないなんて流石王家からの下賜品の馬だと感心するけど、馬よりも俺の方がもたないよ。もう少し鍛えた方がいいかなぁ?」
「ご所望とあれば手ほどきしても構わんぞ?」
「……いや、ユウさんには頼まないから。気が付いたら兵士になってそうだし」
ヤールセンは苦笑して馬首を巡らせた。
「まだ多少雪があるけど、その馬車で大丈夫かい?」
「こちらも王家仕様の高級品だ。この程度の雪なら動けなくなるという事は無い。万一動けなくなっても持ち上げれば済む事だ」
「……普通、馬車を持つっていう表現はしないと思うな……」
「そんなの今更ですわ。さ、参りましょう、ユウ様」
どこまでも悠のする事に疑いのないシャルティエルに促され、悠達はこの日の旅程を消化したのだった。
悠が『虚数拠点』を展開した時のヤールセンの驚愕は今更なので置いておくとしても、シャルティエルが拍手して喜んだのは手品でも見せて貰ったつもりかもしれない。年齢の割に屈託が無さ過ぎる姉の姿にサリエルは頬を染めていた。
「素敵なお屋敷ですわね、ユウ様」
「貰い物だが性能は確かだぞ。索敵も出来るし結界を張る事も出来る。この中に居れば人間にはまず手は出せまい」
と、悠が言った瞬間、玄関の扉が高らかに開け放たれた。
「悠さん! すぐに来て下さい!!」
そう叫びながら血相を変えて飛び出して来たのは留守を守っていた恵であった。恵にしては珍しく、悠の帰宅を気遣う言葉すら無いのは、それだけの緊急事態が発生したからであろう。
「3人共中に入ってくれ。葵、結界と索敵開始。それで恵、何があった?」
一緒に取り乱す事も無く冷静に指示を飛ばす悠を見て恵も少し頭を冷やしたらしく、一つ深呼吸して状況を説明し始めた。
「……アルト君が、さっきまで苦しんでいたみたいなんですが、突然起き上がったかと思ったら暴れ出して……!」
「暴れ出す? ……おかしいな、まだ動けるはずが無いのだが……」
《アルトは現地人よ。予想外の事はあるわ。ケイ、今はシュルツとハリハリが抑えているの?》
「いえ、シュルツ先生だと傷付けてしまうので、智樹君が押さえています。後は樹里亜が結界を張って逃げないようにしています!」
アルトの部屋に向かって走りながら、悠はある程度の情報を掴んで思考を巡らせた。
ソフィアローゼの時ほどではないにしても、アルトの肉体は大きな損傷から立ち直ったばかりですぐに暴れられるほどでは無いはずなのだが、現に智樹が動員されているとなれば尋常な暴れ方では無いだろう。更に樹里亜が結界まで張っているとなれば推して知るべしである。
念の為上の階に隔離していたのは正解だったようだ。
階段を10段飛ばしで駆け上がり、廊下を一気に走破して悠はアルトの部屋に飛び込んだ。
「ユウ殿! いいタイミングです!!」
「ぐぐ……ゆ、悠先生?」
部屋の中央で力比べをするようにしてアルトを押さえる智樹がホッとした顔を見せかけたが、その瞬間に押し込まれそうになり慌てて力を入れ直した。
「代わるぞ樹里亜、結界の解除を……何?」
視界に捉えたアルトの姿は悠と言えどもごく僅かであるとはいえ、動揺を誘われずにはいられないものであった。
長く伸びた赤髪。
同じく赤く燃える双眸。
そして、衣服の胸部を押し上げる二つの膨らみ。
――そこに居たのは、紛れも無く女性であった。
だが、顔の作りは少し変わってしまってはいても、間違い無くアルトのそれである。
「……す、すいません、悠先生っ、力では負けるつもりは無いんですけどっ……その、お、女の子? を傷付ける訳にはいかなくって!!!」
智樹が苦戦していたのはアルトの膂力が智樹を上回ったからではなく、それが最大の理由であった。
「ガルルッ!!!」
人語すら話さずに威嚇するアルトに、悠はレイラの思考加速を発動してこの事態の打開策を求めた。
(レイラ、これは予想外に過ぎる……というより意味不明だ。何故アルトが女になっている?)
(私だって知らないわよ!! というか有り得ないもの!! でも、間違い無く私の力が引き金になってるわ。髪の色といい、瞳といい……いえ、もしかして……)
悠と話している内にレイラにはある推論が浮かび上がっていた。
(何か思い当たるのか?)
(……全くの当て推量でしかないけど、苦痛から逃れる為に使った『勇気』の影響じゃないかしら? 『勇気』が対象の潜在能力を引き出す類の才能だと仮定すると、体内に存在する私の力をアルトの肉体で再現しているのかもしれない。そして私は性別で言えば女よ。だから、アルトの属性が上書きされて性別にまで影響を及ぼしているのかも……)
あくまで推論でしかないと注釈しての解釈であったが、実際にアルトがレイラの影響を受けている事は間違い無い。ならば、取り得る手段も存在するのだ。
(ならば、俺が見極めるしかあるまい。最悪正気を取り戻さないようならアルトの右腕を切断するぞ!)
「樹里亜、結界を解いて下がれ! 智樹は一旦弾いて仕切り直しだ!」
「「了解です!!」」
悠の号令でまず樹里亜が結界を解き、智樹はあえて一瞬力を抜いてアルトの態勢を崩すと、態勢の崩れたアルトを一気に押し戻した。そこに生まれた空白に悠が飛び込み、アルトを抱えたまま窓を突き破って外に飛び出していく。
2階からの飛び降りの衝撃を膝で吸収し、それでも残る衝撃を地面に転がって緩和すると、アルトは足を悠との空間に挟み込み、前に蹴り出して悠を引き剥がしに掛かった。
両者ともに衣服を掴んでいた為にアルトの寝着と悠の正装の服が引き裂かれ、その離れた隙にアルトは後方に宙返りを打つと、地面に四つん這いになって悠を威嚇した。
「ガウッ!!!」
「まるで獣だ……いや、これは竜か?」
《まるで生まれたばっかりの子みたい……。生まれたての竜はヤンチャなのよ》
「ヤンチャで済ませるには少々剣呑過ぎるがな」
悠は用を成さなくなった服の残骸を引き千切り、未だ警戒を続けるアルトを見下ろした。しかし、悠にゆっくり観察する時間は与えられなかった。
「む、レイラ」
《アルトの右手が……!》
悠の見ている前で、アルトの右手が変質し、手の先から徐々に赤い鱗に覆われ始めたのだ。爪が伸びて地面を穿ち、赤いオーラが立ち上り始める。
「これは……竜気?」
《不味いわユウ!! このままじゃアルトが人に戻れなくなる!!》
「……止むを得ん、切断するぞ!」
悠は右手を手刀と成し、腰溜めに構えて竜気を研ぎ澄ませた。通常の武器では今のアルトであれば物質体干渉である程度無効化してくるかもしれない。ならば、それを遥かに上回る干渉力を叩き込んで斬り落とすのが一番手っ取り早いからだ。
アルトの数倍はあろうかという竜気が渦巻き、もはや一触即発かと思われた両者だが、悠の竜気を感じ取ったアルトの顔から突如殺気が消失し小首を傾げた。それどころか、右手から噴き出していた竜気も即座に収束していく。
「何だ?」
《…………ああ、そういう事、か? ユウ、レイラ、手を出すな。黙ってあの子供の事を見ていろ》
《何か知ってるの、スフィーロ?》
《人間の事は分からんが、竜の事であればそれなりに分かるつもりだ。とはいえ、我にも経験が無い事ではあるが、知識としては知っている。ユウ、その場に座り、竜気は維持しておけ》
「分かった」
殺気を消し、悠は四つん這いのアルトと視線を合わせるようにして地面に胡坐をかいた。アルトはしばらくその場を動かなかったが、やがて一歩、また一歩と悠へと近付いて行った。
「……」
「……」
手を伸ばせば届く場所まで来ても、悠もアルトも戦闘に入る様子は無かった。それどころか、アルトは更に一歩二歩と距離を縮めると、悠の膝に手を乗せ、首を伸ばして悠の首筋の匂いを嗅ぎ始めた。
(あ、もしかしてこれって……!)
(レイラ、『心通話』も止めておいた方がいい。気付いたのならそのままで頼む)
アルトが何をしているのかレイラにもピンと来たらしいが、スフィーロに止められたのでそれ以上は話さなかった。実際、アルトは一瞬何かを感じ取ったかのように悠から離れかけたが、異常は無いと知ると再び悠の匂いを嗅ぎ始める。
1分、2分と時間が経過して行くが、悠は不動のままアルトに対して無反応を貫いた。
そろそろ3分が過ぎようとした時、アルトの顔が悠に接近し、赤い舌がペロッと悠の頬を舐めた。
《……うむ、認められたようだな》
「……スフィーロ、これは何の儀式だ?」
悠が頬を舐めるアルトをそのままにスフィーロに問い掛けたが、答えたのはレイラであった。
《あのね、今のは刷り込みよ。インプリンティング。竜はね、卵から孵ったら、自分に近しい竜気を持つ竜を親と認めるの。あんまり昔の事なんでど忘れしちゃってたわ》
「親、だと?」
怪訝な表情を浮かべる悠にレイラは更に説明を加える。
《ほら、アルトの中の竜の力って私のだったでしょう? それはもうアルト自身と混じり合って変質してはいるけれど、少なくとも半分は私のものだわ。つまり、母親みたいなものよね。いえ、この場合は父親になるのかしら? ともかく、習性まで生まれたての竜そのものだったのね。目が覚めて、親の竜気を感じなかったからこの子は暴れたのよ。で、問題はこの子をどうするかなんだけど……》
悠の頬を唾液でベトベトにして満足したのか、アルトはそのまま悠の膝に座り込むと、そこで器用に丸くなり、就寝の態勢に入ったようだった。
「一応、暴走は収まったらしいが……。今この竜を無意識まで完全に眠りにつかせても、またアルトが苦痛の為に『勇気』を無意識にでも使えば再び出て来る事になるな。となれば切断しか手は無いが、ここまで融和した状態で斬り落としても完全に影響が抜けるかどうか分からん。少し様子を見る事にしよう。3日経って進展が無いなら、眠らせてアルトの意識を呼び覚ますという事でどうだ?」
《不確定要素が多くて正確な判断は不可能ね。それに……この子を殺しちゃうのはちょっと気が引けるわ。私の、娘みたいなものだもの……》
「アキャ……」
返事をした訳では無いだろうが、アルトの口から鳴き声が漏れた。それは先ほどの威嚇とは程遠い、まるで赤子のような安心感に満ちていた。
《汝ららしくもなく甘いのではないか? 誤解するな、その子の親は人間だぞ?》
「分かっている。あくまで安全にアルトに戻す為の措置だ。それしか方法が無いとなれば俺は躊躇わんよ」
《ならいいが……》
《とにかく、部屋に連れて帰りましょう。本当はまだ動ける状態じゃないのを無理矢理動いてたみたいだから。ゆっくり休ませないと》
レイラの進言に従い、悠は眠るアルトを抱えると、玄関へと戻って行ったのだった。
あ、アルトが女になっちまっただ……。
ドラゴンの『変化』の不完全逆バージョンに近い感じです。ルーレイが見たら卒倒しそう……。




