7-121 抗議6
街を出る際に二頭立ての馬車に乗り換え、御者席には悠がついた。ここから先は4人だけの道行きである。
他国の要人としてヤールセンにも馬車を用意する案はあったが、馬車が2台に分かれると守りにくいという点が考慮されてヤールセンは下賜された馬での移動である。幾ら要人であろうとも、男性であるヤールセンを王女と同じ馬車に乗せる事は出来ないのだ。
「別にこの方が気楽でいいよ。王女様2人と狭い室内で一緒に居るなんて拷問みたいなもんだし」
「ヤールセンも貴族ではないか。あまり庶民感覚でいるとこの先苦労するぞ?」
「いいって、人間身の丈に合わない事はするもんじゃないさ。俺からしたら、他国の王族とまで普段と変わらない口調で話せるユウさんの方が信じられんよ。俺なんて未だにローラン様とだって対等には喋れないってのに……」
ローランは人目の無い場所ではヤールセンに敬称抜きの会話を迫るのだが、ヤールセンとしては公の場でついボロを出してしまいそうで結局は定着していないのだった。
「対等と言えば、ローラン様とラグエル王も妙に馬が合うらしいじゃないか。いや、合わないのかな? ラグエル王の事を話す時のローラン様の顔って言ったら……」
妙に迫力のある笑顔でラグエルを語るローランを思い出してヤールセンは軽く身震いした。
「あれはいわゆる好敵手と言うか、対等な喧嘩相手を見つけた子供の様なものだ。同属嫌悪に見せかけて意気投合しているのではないか? 本人達に聞いても認めはせんだろうがな」
「ああ、そういう……。ローラン様、稚気があるというか、ちょいちょい子供っぽいからなぁ。ラグエル王もそうだとは思わなかったよ。何て言うか、狼みたいに鋭い雰囲気の人だからさ」
このヤールセンのラグエル評が広まり、ローランの『金獅子』と対となるラグエルの『銀狼』の呼称が定着するのはもう少し後の事である。
「もしかしてお父様が居ないのを幸いに悪口で盛り上がってらっしゃいます?」
「シャルティエル様!? と、とんでも御座いません!!」
「いや、俺は本人が居ようが居まいが言う事は変わらんぞ」
内部に通じる引き戸を開いて御者席に顔を出したシャルティエルにヤールセンは大いに動揺したが、やはり悠は何の動揺も無いのであった。
「お姉様、はしたないです!!」
「いいじゃないの、煩い侍女が一緒の旅という訳では無いのですから。うふふ、こうやって供も連れずに街の外に出るなんて、私、初めてですわぁ」
今から敵地に乗り込むとは思えない能天気な姉の発言にサリエルは頭痛を感じたが、一方で気負わない姉が居るからこそ自分も取り乱さずに居られるのだと自覚していた。そして、その護衛を務めるのが悠であるのだから、サリエルとしては万の兵に守られているよりも余程安心出来るのである。
「だが、あまり顔は出さん方が良かろう。まだ街から出てそう遠く離れた訳では無い。他の者に見られれば評判を落とすかもしれんぞ」
「構いませんわ。ユウ様とお話出来るのでしたら、私の評判など考慮に値しません。……ああ、サリエル、あなたはダメよぉ? 真面目なサリエルがそんな「はしたない」真似をしては評判に傷が付くでしょうから」
ノースハイアでは政務に興味を示さなかったシャルティエルがここの所少し真面目になったので、臣下や民衆からは好意的に受け取られているのである。これはつまり、普段素行の悪い者が少し良い事をすると評価が上がるという不変の法則であり、逆に真面目な者の素行が少し乱れると不真面目の烙印を押されてしまうという、何とも不平等な話であった。
「そんなのズルイです!! 私だってお話したいのに――じゃなくて!!!」
思わず素が出るのもサリエルの年齢を考えれば仕方のない事であろう。それでも我儘を押し通さないのがサリエルであり、押し通すのがシャルティエルである。
「お姉様は第一王女なのですからもっとちゃんとしないとダメなんです!! 早く席に戻って下さい!!!」
「いやーん、そんなに引っ張っちゃ胸が零れちゃう~」
グイグイとドレスの裾をサリエルが引っ張るので、ただでさえ胸元が大きめに露出していたシャルティエルの胸が半ば以上まろび出るのを目撃したヤールセンが思わず落馬し掛けるが、状況を察したサリエルが手を放して事なきを得る。
「ぐぬぬ……!」
「あら、第二王女なのにはしたないですわ、「ぐぬぬ」なんて。オホホホホ!」
軽口では残念ながらとてもシャルティエルに敵わないサリエルはポコポコとシャルティエルの尻を叩いたが、勿論シャルティエルは何の痛痒も感じていない。
「……もういい、防寒具を着て2人共御者席に来い。今後の旅程について話しておきたい事がある」
「いいんですの!? す、すぐ伺いますわ!!!」
「あっ、お姉様、それは私のです!!!」
終わらない姉妹喧嘩に辟易したという訳でも無いだろうが、悠はもう少し後にしようと思っていた状況説明を前倒しする事に決め2人を呼び寄せた。防寒着と言った通り、まだ3月そこそこのノースハイアは立派に冬と言っていいくらいには寒いのだ。馬車の内部は王族の馬車らしく魔道具による保温機能が付いているが、御者席は当然吹きっ晒しである為防寒具は必須である。悠は動きが鈍る事を嫌って正装のままだったが。
妥協して前倒しにはしたが、まだ多少人通りのある場所でなら襲撃の危険も少ないとポジティブに考え、悠は一旦馬車を止めて扉を開いた。
「うふふ、私、またお菓子を作って来ましたの。今度はちゃんと味見もした自信作ですわ」
手にバスケットを持って嬉しそうにするシャルティエルはまるで、というよりまるっきりデート気分であったが、怖がって挙動不審になるよりマシだろうと割り切ると、悠はシャルティエルの手を取った。
「まだ雪が残っている。足元に気を付けてな」
「ええ、ありがとう存じます」
まずシャルティエルを御者席にエスコートし、続いて悠はサリエルに手を差し伸べた。
「さあ、掴まれ」
「結構です。ちゃんと気を付けていればこのくらい……きゃっ!?」
先にシャルティエルが降りていたせいで少しだけ濡れていた車体に足を滑らせたサリエルが転びそうになったが、その背中は地面に着く前にふわりと抱き止められた。
「……別に手を借りるくらいの事で意地を張るな。怪我でもしたら大任を果たすのに支障が出るだろうが」
「も、申し訳ありません……」
決まりの悪そうに謝るサリエルは赤い顔で悠を見つめたが、ふとその背後に恐ろしく冷たい目付きでこちらを見ているシャルティエルにビクッと体を強張らせた。
「あらあらあら、サリエルったら中々の策士ねぇ……お姉様、ちょっとカチンと来ましたわ」
「ち、違います!! そういうのじゃありません!!!」
「姉妹漫才はもういいからシャルティは奥に詰めろ。サリエル、手を」
埒が明かない状況をバッサリと叩き切り、悠は御者席に上るとサリエルに手を伸ばした。サリエルも今度は断ろうとせず、悠の手を握る。
「……いや、とんでもない光景だと思うのは俺だけかな? 世界一の大国の第一、第二王女を両手に侍らせて旅をするって、一体ユウさんは何者だって話だよなぁ……」
右にシャルティエル、左にサリエルを従えて手綱を握る悠を見たヤールセンの感想が最もこの場を的確に表していたが、悠が2人を呼んだのは説明の為であり、ドサクサに紛れてシャルティエルが腕に抱き付いていても表情に変わる所はまるで無いのであった。
2人が乗った事を確認し、悠は再び馬車を走らせ始め、何事に無かったかのように説明を開始するのだった。
「……と、言う訳だ。『影刃衆』が襲って来る可能性は人気が少なくなるにつれて増大していくだろう。フォロスゼータに着く前にも何度か怖い思いをする事もあると心得ておいてくれ。アライアットの領内に入れば今度は国軍や貴族の私兵なども見つかれば交渉の余地無く襲って来るかもしれんからな」
ラグエルとの話は3人共聞いていたはずなので、悠は要点を簡略に纏めて説明を終えた。最後まで聞いてから、サリエルが浮かない顔で何とか返答をする。
「そう、ですね……」
何とか交渉してみるつもりではあっても、現実的に戦闘の可能性が高い事を示唆され、サリエルが軽く身震いをした。決して外の気温によるものでは無く、もっと精神的なものから来る冷気であった。
言葉が通じないというのは(言語という意味では無く)サリエルにとっては恐怖である。たとえどれだけ言葉を尽くしてみても無視して襲って来るというのであれば、もう相手は人間では無い。獣や魔物と変わらない存在である。
同じ人間同士、意思の疎通は出来ると信じたいが、世界はサリエルが思うよりもずっと悪意に満ちているという事が、最近はようやくサリエルにも分かり始めていたのだった。
「だから、旅の間は俺が命じた事は絶対に遵守してくれ。止まれと言ったら止まり、伏せろと言ったらどこであろうとも伏せるのだ。ヤールセンも、いざという時はその馬を捨てる覚悟でいてくれ」
「ああ、分かってるよ。いくらラグエル王に下賜された名馬とは言っても、この馬の為に死ぬ訳にはいかないからな」
「分かりました、指示に従います」
「全てに従いますわ。いつ、どこで、何を言われても……」
流し目で答えるシャルティエルに一抹の不安を感じないでは無かったが、3人共悠の指示に従う事に了承を返したのだった。
不安の残る一行ですが、真面目なサリエルには頑張って欲しい所。




