7-109 野外実習9
グロ注意。胸糞注意。
「グラァッ!!!」
ドラゴンが目に剣を突き立てるアルトを振り払う為に思い切り首を振り回し、アルトは遠くへ飛ばされる前に自ら剣を引き抜いてドラゴンから距離を取った。
背中の傷と目玉一つであれば交換条件として悪くないと思われたが、ドラゴンの様にタフで高い再生能力を持つ相手にはそれほど痛手にはなっていないだろうとアルトは冷静に判断を下す。
そう、冷静にである。
(不思議だな……深手を負って、相手はドラゴンで、僕じゃ九分九厘殺されると分かっているのに……皆が逃げてくれた事がとても嬉しくて、心が震えて、何も怖いとは思えないや……。これがユウ先生が言っていた殿の心境、なのかな……?)
アルトは今の手応えから、このままでは自分がドラゴンを殺せない事に気付いていた。ドラゴンは恐ろしく硬く、そして強靭な筋肉と骨格を持っており、『勇気』を限界まで引き出したアルトの龍鉄の剣でも多少の怪我を負わせるのが精一杯でとても体の内部まで傷付ける事は出来そうにないし、ましてやバローのように首を落とすなど不可能だ。つまり、アルトの勝ち筋が無いのだ。
だが、それはあくまでドラゴンを殺す事を勝ちとした場合の話である。アルトの目標は時間稼ぎであり、皆が安全な場所まで逃げられればそれで構わないのだ。そして救援としてやって来るであろう悠は絶対にドラゴンには負けないのだから、アルトが無理にドラゴンに当たる必要は無かった。
付かず離れずで戦いドラゴンを釘付けにする。それこそがアルトのやるべき戦い方である。
しかし眼前のドラゴン以外にも懸念はあった。
(奴は……「俺達」と言った。という事は、最低もう一体がどこか近くに居るはずなんだ……今もどこかで見ている視線を感じる。見物のつもりかな?)
『勇気』によって引き出されるのは単純な筋力に留まらず五感にも及んでいるが、その鋭敏になった感覚が眼前のドラゴンとは別の存在がある事をアルトに伝えていた。1体ですら勝ち目がないのに、2体以上同時に相手取る事になればアルトの生命はその時点で消し飛ぶであろう。
とはいえ、そうなってしまったら詰みなので考えるだけ無駄と悟り、アルトは眼前のドラゴン――アラマンダーの解析に努める事に専念し始めた。
(名前はアラマンダー。強さは……多分、ドラゴンでは最低クラスだ。もしあの時メルクーリオに攻撃を仕掛けていたのがサイサリスさんだったらきっと僕は間に合わなかった。そう考えればこのドラゴンのランクは一般的に語られるドラゴンのランクであるⅦ(セブンス)。今のバロー先生やシュルツ先生なら単身でも五分以上に渡り合えるはず。後は……複数で行動しているという事は「はぐれ」じゃない、ドラゴンズクレイドルから目的を持ってこの地にやって来たんだと考えていいはずだよね? スフィーロさんやサイサリスさんが退けられたから新しい偵察隊を送って来たのか、はたまた退けられた原因自体を探りに来たのか……ウェスティリアさんから得た情報かな?)
何の脈絡も無くただここにはぐれのドラゴンが2体以上やって来たなどと考えるのは偶然としては出来過ぎで、前々から居なかった事はここ数日の大々的な魔物狩りで証明されている。もしその存在が確認されていれば大騒ぎになっていただろう。ならば恐らくはたった今、アラマンダー達はドラゴンズクレイドルから到着したのだと考えるのが自然であった。
そう考えるアルトの耳にどこかで起こった爆発音が届いた。その音は森の中というよりは少し上から発生した様に聞こえたので、多分ルーレイが注意を喚起する為に何か魔法を使ったのだろうと思われた。
(よし、これであと数分もしない内にユウ先生が……うっ!?)
気が緩みかけた所でアルトの背中の傷がその油断を叱咤するかのようにズキッと痛みを発した。回復する手段も無い今、数分というのは自分の活動限界と同義である。背中の傷は依然塞がってなどおらず、動かなくても十数分で絶命に至るのは間違いないのだ。
「クソガキが……!! 一思いに痛みも無く殺してやろうかと思ったが気が変わったぜ!!! テメェはズタボロにしてから少しずつ齧り取ってやる!!!」
「子供をイジメてるような下っ端のドラゴンが何を言ったって怖くないよ。どうせドラゴンズクレイドルの、君よりもっとずーっと強いドラゴンに命令されてやって来たんだろう? 弱い相手にだけ吼えるのって、凄く格好悪いと思うよ。しかも目まで潰されちゃってさ」
怒りに燃えるアラマンダーを見たアルトは情報を引き出すついでに冷静さを失わせようと慣れない挑発を試みたが、その挑発に対する反応は劇的であった。いや、劇的に効き過ぎた。
「誰に口を聞いてやがるアァァァァァァァァァッッッ!!!!!」
激昂したアラマンダーは自分の発言も忘れてアルトに向かって突撃して来た。ドラゴンの巨体が全力で地面を踏むだけでその震動はアルトに伝わり、体の平衡感覚を乱して来る。
「くっ!?」
『勇気』の出力を上げて真横に飛んだアルトだったが、背中の傷はやはり深く、その動作だけで血が流れ出る量が増した事を悟った。もしかしたら背骨が露出しているかもしれないとすら思える痛みがアルトの脳に伝達され、避けた後に思わず膝を付く。
(まずい、思ったよりもずっと僕の行動出来る時間は少ないのかもしれない!! あと何回も避けられそうにないぞ!!)
アリアンロッドに教わった客観視により、アルトは冷静に自分の状況を把握しているつもりだったが、これほどまでの深手を負ってどれだけ活動出来るかなどという自分の限界点を探っていなかった事がここで裏目に出てしまった。もっとも、歴戦の戦士ですら、まず大怪我をした状態で鍛練してみようという発想は有り得ないが。そんな事を実際にやっているのは悠くらいのものである。
突撃を外したアラマンダーはまた樹木を薙ぎ倒しながら忌々しそうに振り返った所だった。しかし、10秒前後で1回攻撃してくるとして、全て避けてもアルトに稼げるのは1分が限度である。それ以上はもう体が動かないだろう。
再び突撃して来るアラマンダーを回避しながら、アルトは更なる覚悟を迫られていた。
『勇気』を振り絞り、決死の覚悟で突撃しても負わせる事が出来るのはドラゴンにとってはかすり傷、逃げ続けても1分で終わり。
慣れない挑発をして逆に稼げる時間を失ってしまったのは失策だが、だからこそ自分の力で皆が逃げる時間を稼がねばならない。
アルトの腹は決まった。
それと同時にアラマンダーもアルトの怪我の深さを理解したようで、その目がスゥと細められた。
「……シャハハ、なんだよ、人族ってのは残念な生き物だな。そんな程度の傷でもしかして死にそうなのか? ……いいや、そんな事は許さねえ。テメェは俺様の牙で死ぬって、この俺様が決めてんだ!!! テメェを噛み砕いて、テメェが逃がそうとしたあのガキ共もすぐ後を追わせてやる!!! 頭からコリコリコリコリ齧ってよう、シャハハハハハハハハハハハハハ!!!」
「……やってみろ、トカゲ野郎。その前に、お前の右目もブッ潰してやる!!!」
「クソガキがあああああああああッッッ!!!!!」
剣を杖に挑発するアルトに三度アラマンダーが殺到する。このアラマンダーもブレスを使えない訳ではないのだが、アルトの予測通り下っ端であるアラマンダーのブレスは溜め時間も長く、何より直接自分の爪牙で獲物を嬲り殺すのを好む性格ゆえにあまり用いられる事が無かった。もし最初に使用されていたら、メルクーリオもアルトも消し飛んでいただろう。
アラマンダーの突撃をアルトは地面に付けた剣の反発力も使って何とか回避するが、アラマンダーはここで先ほどまでは用いなかった攻撃を重ねて来た。
ビシュ!!!
「うああっ!?」
アルトの横を通り過ぎるアラマンダーの鱗が数枚、アルトに向けて発射されたのだ。特に狙いを付けた攻撃では無かったが、回避した事でほんの僅かに気を抜いていたアルトにはその全てを回避する事は出来ず、頬と脇腹、そして左足に裂傷を負ってしまった。
足を止め、振り返ったアラマンダーの顔が邪悪な笑みに歪む。
「んん~、惜しい、惜しいねえ!!! だがよ、ドラゴンが何度もただの突進しかして来ないなんて考えるガキの浅はかさがいけねぇんだぜ? シャハ、さぁて、次は避けられるかなぁ!!!」
尻尾を地面に叩き付け、アラマンダーが四度突撃準備に入る。どうせかわせないだろうとみて、アルトに見せ付ける様に。
「が……ぐっ……!」
今のは確かにアルトの油断であった。頭に血が上っていれば突撃以上の事はして来ないのでは無いかと勝手に思い込んでしまったのだ。もし今のがバローやシュルツであれば不意を打たれても鱗を迎撃しただろうし、悠ならそもそも不意を打たれないはずだ。全ては自分の未熟ゆえである。
それでも、体中に走る痛みの中でアルトは口元を綻ばせた。
(本当に、嫌になるくらい、僕は、まだまだ未熟だな……。やっぱり、先生達は、凄いや……ハハ、ハハハ)
アルトを微笑ませたのは己の師らの強さに対してであった。初めて教わった時から今まで懸命に頑張って来たつもりだが、それでも尚その差が歴然として高く聳え立っていた事が何故か嬉しく、そんな者達に教えを受けていた事が誇らしかった。死を前にしても、アルトの心にあるのは尊敬の念であり恐怖では無かった。
「ああ? あんまり痛くて頭がイカれたのか? それじゃ俺が面白くねぇだろうが!!! もっと泣き叫んで笑わせろや!!!」
「……頭の悪い、トカゲ……野郎には、死んだって、理解出来る、もんか……ハハ、ハ……」
「死んだぞクソガキャーーーーーーッッッ!!!!!」
アラマンダーがこれまでで最も速く、アルトに向かってその巨体を唸らせた。怪我をした左足では右に飛べないと判断したアルトはもう一度剣を地面に突き立て、足の代わりにしてギリギリでアラマンダーの左に飛んだ。だが、その速度は先ほどよりも落ちており――アラマンダーの右目はまだ健在であった。
「そっちは見えてんだよクソガキ!!!!!」
急制動を掛けながらアルトを捉えた方向にアラマンダーが首を振り、その顎が閉じる。
絶叫。
「うあああああああああああああああああああッッッ!!!」
アラマンダーの牙がアルトを捉え、そして捕らえていた。
アルトの下半身を丸々口の端に咥えたアラマンダーがその悲鳴に恍惚の表情を浮かべる。
やはり弱者の悲鳴は聞いていて心地がいい。胸が震えるものだと、あえて突き刺す程度に留めていた牙を徐々にアルトの腹に深く、強く捻じ込んでいく。
「ぐああああああッ!!! あぐ、あああああああああッッッ!!!」
楽しい、何て楽しいんだ!!! このままいつまでもこの玩具で遊んでいたいとアラマンダーは思ったが、この人族という玩具はとても壊れやすいのだ。残念ながらもうこのまま放置してもすぐ死んでしまうだろう。――だからこそこの上なく楽しいのだが。
こうなれば目を潰されたのもいい刺激になったとすら思えた。復讐の味は至上の甘露としてアラマンダーの口内に溢れている。心の渇きが瞬時に癒えて行く血の喉越しにアラマンダーが震え、その震動が伝わったアルトが苦鳴を漏らす。それもまたアラマンダーを楽しませた。
不意に、アルトの体が力を失ったかのようにダラリと垂れ下がった。
(死んだか? もう死んだのか? もっと俺様を楽しませてから死ねよ!!!)
身勝手な怒りを覚えるアラマンダーの耳に、微かなアルトの声が届く。もしや命乞いかと喜びに溢れるアラマンダーであったが、それはもっとずっと深い思いが篭った、アルトの命の叫びであった。
「つ、つかまえ……た……………………ぼ…………ぼく、の……さ、最後の……『勇気』!!!!!」
アルトの体が垂れ下がった状態から一気に腹筋運動の要領で跳ね上がった。その勢いにアルトの体の方が耐えられず、アラマンダーの牙に穿たれた場所から筋肉の引き千切れる音と骨の砕ける音が鳴ったが、それらに一切構わずアルトは文字通り全身全霊、最大限に引き出した『勇気』の力を、最後まで放さなかった龍鉄の剣に込め、アラマンダーの右目に叩き付けた。
目を抉り、骨にぶつかる事にも構わず、アルトの剣はアラマンダーの骨を貫き、その奥にある脳に突き立った。
「アギャアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!!!!」
大きく口を開け絶叫するアラマンダーの口からアルトが零れ落ち、地に落ちる。その数秒後、アラマンダーの濁った両目がグルリと裏返り、地響きを立てながらアルトの横に崩れ落ちたのだった。




