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神様になる前にもう一つ世界を救って下さい  作者: Gyanbitt
第七章(後) 聖都対決編
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7-108 野外実習8

異変はそれから程なくして音も無く現れた。というのも、ここより浅い場所で見られた野生動物達が殆ど見られなくなっていたのだから音が減ったと言ってもいいかもしれない。これにはアルトも当てが外れたという他になかった。


「おかしいな……昨日はこの辺りに一杯獲物が居たんだけど……」


「ええ、僕もそう思って奥まで来たんですけど……。どうします、ここからは二手に分かれますか?」


「う~ん……」


ここでアルトと別れると、自分の実力を喧伝する相手が減ってしまうと考えたエリオスは少し思考に浸る為に足を止めた。魔物モンスターを狩れないのならせめて普通の獲物を多めに狩ってやって譲ってやり、恩に着せてやろうかと思ったその時、女性の悲鳴の様な声が辺りに響き渡る。


「誰だっ!?」


「いえ、この声は確か……ガロガという鳥の――エリオス先輩!!」


「むっ!?」


説明しかけたアルトの注意を喚起する声に咄嗟に反応したエリオスは森の奥からこちらに向けて掛けて来るゴブリン2体を捉えていた。その瞬間、自分の腰の剣を引き抜いたエリオスはこちらからも駆ける事で彼我の距離を一気に縮めると、すれ違いざまに2匹のゴブリンを切り倒した。


「ふぅ……」


「うおっ!? ……流石エリオスだぜ!! 簡単にゴブリンをやっつけちまうなんてよ!!」


「凄いわ!! もう冒険者になってもすぐ有名になっちゃうわね!!」


「いやぁ、このくらいは大した事は無いよ。怪我はないかい、アルト君?」


してやったりと漏れ出しそうになる優越感を表情の下に押し隠し、会心の笑みでアルトに手を差し伸べたエリオスであったが、当のアルトは厳しい表情のまま周囲に目を凝らしていた。


「アルト君……?」


「……エリオス先輩、何か変です。今のゴブリンといいガロガといい、まるで何かから逃げようとしていた様な……ここは危険だと思います、すぐに離れましょう!」


「おいおい、一体何を言っているんだい? ……ははぁ、今のゴブリンが相当怖かったんだね? ハハハ、大丈夫だよ、私は可愛い下級生を見捨てて逃げたりはしないから。何なら私の背中に隠れているかい?」


おどけて見せるエリオスに追従するように3年生達は笑い声を上げたが、残念ながらアルトは彼らほど脳天気には――或いは愚かにはなれなかった。命が掛かった局面で集中力を切らすような真似を悠はアルトに許してはいなかったのだ。




「うわああああああああああっ!!!」




遠く聞こえて来たのは今度こそ間違い無く人間の悲鳴であった。


「いけないっ!」


「アルトッ!」


だからこそ、誰よりも早くその悲鳴に反応したアルトは放たれた矢の様にその場から駆け出していた。


アルトに1歩遅れてルーレイが、更に1歩遅れて他の班員が続き、それに遅れる事たっぷり5歩ほどでようやくエリオスと他の3年生もその場から移動を開始した。


「ま、待ちたまえアルト君!」


エリオスは手柄を取られまいと必死にアルトに追い縋ったが、最初の遅れは致命的な差としてアルトとの距離を隔てていた。――致命的という意味の言葉を拡大解釈して使う事が許されるのであれば、その差はまさに命に致る距離であった。


森を駆け抜けるアルトの目に飛び込んで来たものはつい先日、蟠りを解いたばかりの人物であり、尻餅をつきながらも剣を構えるその人物にアルトはあらん限りの大声で叫んだ。


「メルクーリオーーーッ!!!」


「アルト!? ぐはッ!!」


「ぐうっ!?」


メルクーリオに迫る影に気付いたアルトが肩から思い切りメルクーリオにタックルを敢行し、2人はもつれ合いながら地面を転がった。


その背後で身の毛のよだつような破砕音が鳴り響き、直径2メートルはあろうかという樹木が薙ぎ倒される。




カロロロロロロ……。




独特の喉鳴りに続いて紡ぎ出されたのは獣の唸り声ではなく、どこか空気の抜けた様な人語であった。


「……今日は、ヤケに人族のガキが居やがるな。俺達だけで食い切れるかどうか……シャハハ!」


人語を解する魔物は決して多くはない。


そして、この世界に生きる者達でその魔物を知らない者は居ない。


多くの者達がその魔物に挑み、そしてその殆どがその爪牙に掛かって儚く命を散らしたが、ごく僅かな例外としてその魔物を討伐する事が叶った者達は最大限の敬意を込めてこう呼ばれた。


――『龍殺し(ドラゴンスレイヤー)』と。


魔物の名はドラゴン。


魔物の王として今日も畏敬を集める存在であった。




駆けつけた誰もがその場で金縛りにあっていた。まさかこんな場所でドラゴンに遭遇するなどとは誰一人想像すらしていなかったのだ。


そんな中で最も早く気を取り直したのもやはりアルトであった。


「……メルクーリオ、皆と一緒に逃げるんだ。ここに居たら間違い無く殺される!」


「だ、駄目だ、俺達の班員が3人、まだ近くに倒れてるんだ! それに……俺の足は……」


僅かに視線をずらし、メルクーリオの足を視界に入れたアルトはメルクーリオが逃げられないと言った意味を悟った。メルクーリオの右足は明後日の方向を向いており、軽くて脱臼、恐らくは骨折していると思われる。とてもではないがドラゴンから逃げる事は叶わないであろう。


「……」


アルトはどうすれば皆で生きて帰れるのかを必死に考えた。ここでメルクーリオを置いて逃げるという選択肢は最初からアルトの中では除外されている。ようやく心を開いてくれたメルクーリオを置いて逃げ出せば、たとえその後に命が助かってもメルクーリオは今度こそ一生貴族を信じないだろう。せっかく生まれた小さな希望の芽を自分が摘み取る訳にはいかないのだ。


ドラゴンは何を考えているのか、嗜虐的な瞳で2人を観察していた。だが、次の瞬間には襲い掛かって来るかもしれないのだ。アルトに悠長に考える時間は無く――覚悟を決めた。


「……班員全員に通達する。僕があのドラゴンを引きつけている間にメルクーリオとその班員を連れて出来るだけ遠くに逃げるんだ。エリオス先輩、申し訳ありませんが、道中の安全確保をお願いします」


「な、何だって!?」


「アルトッ!! テメェ、お人好しも大概にしやがれ!! あんなの相手に時間稼ぎだって出来るワケねぇだろうが!!」




「黙って従えッ!!!」




ドラゴンを睨み付けたまま、アルトが吼えた。それはどこか父親であるローランがいざという時に見せる、若い獅子の如き気配に満ちていた。


「……怒鳴って済まない。でも、こうする事でしかこの場で助かる方法は無いんだ。冷静な君ならば分かるだろう、ジェイ? これ以外のどの方法で逃げても……間違い無く何人も死ぬ事になる。だけど、この場で一番強い僕が時間稼ぎすればもしかしたら誰も死ななくて済むかもしれない。だから、行って。そして、助けを呼んで来て。ユウ先生なら絶対にドラゴンなんかに負けないから」


「……あ、アルト……俺ちゃんまで一緒に行けって言わないよね? 俺ちゃんはアルトと一緒に戦うんだよね?」


ルーレイの悲痛な訴えに、アルトは小さく首を振った。


「駄目だよルーレイ。帰り道で皆を守るのが君の役目だ。君は……僕が危なくなったらきっとまた盾になろうとする。それじゃあ最上の結果は得られない。それに、君が死んだら道中の危険度が跳ね上がってしまう。僕の言っている意味は分かるよね? そうすると助けを呼ぶ事も出来なくなる。そうなったら僕達はお終いだ……。ルーレイ、君は王族なんだ。王族は自らの民を守らなくてはならないんだ。だから、君がここに残る事は絶対に許さない。民よりも僕を優先するなら……僕は君を軽蔑する。そんなのは僕の友達なんかじゃない」


「あ、アルトォ……」


アルトの厳しい言葉に俯くルーレイを押しのけ、険しい顔をしたエリオスが前に出た。その顔にはもう取り繕った笑顔など一片たりとも残されてはいなかった。


「……アルト、君の行動は馬鹿げている。散り散りに逃げれば何人かは助かるだろう。誰も君を責めはしない。英雄気取りはもう止めてサッサとここから逃げるんだ!」


苛立たし気に捲し立てたエリオス自身、何故自分がこんな事を言っているのか理解出来ていなかった。それはこの期に及んでも態度を変えないアルトに対する羨望や嫉妬であったかもしれないが、最も大きなものは疑問であった。


「誰も責めはしない、そんな事はありません、エリオス先輩。僕の行動は……僕が、僕自身が見ています。ここで皆を見捨てて逃げるという事は、僕自身が許せません。いつかなりたいと思う大人になる為に、僕は逃げません。でなければ一生……」


「そんな子供染みた理屈に拘っている場合か!? 誰だって自分の命を優先するのは当然の事だろう!? 何故そこまでやるんだ!!!」


「一つはもう言いました。そしてもう一つは……先輩が教えてくれました。僕は、貴族です。王を護り、民を庇護する義務があります。……貴族は、生まれ持った責務から逃げてはならないんですよね、先輩?」


「……っ!!」


自らの口先だけの発言を取り上げられ、エリオスは歯が折れんばかりに食い縛った。これほど誰かの言葉が突き刺さった経験は、試験に落ちた時にローランに論破された時を合わせてもエリオスには無かった。


エリオスは自分の胸に大きな穴が空いたかのような喪失感を味わっていた。それは目には見えないが、一生塞がる事は無いであろう。


挫折、或いは敗北。そう、敗北と言うに相応しい。


ローランに負け、アルトに負けた。フェルゼニアスに完敗した。その事実から目を背ける事はエリオスの貴族としてのプライドが許さなかった。


エリオスからの反論が無くなったのを同意と捉えたアルトは左手を生地の内側に忍ばせ裏地を引き裂くと、中から現れた『治癒薬ポーション』を背後に庇うメルクーリオに手渡した。これはトラブルに巻き込まれやすいアルトの制服にだけ悠と恵が仕込んだギミックの一つであった。


「メルクーリオ、飲んで。これで少しは痛みも和らぐはずだから」


「何言ってんだ!? 俺なんかよりお前が飲めよ! お、お前の背中、もう――」


「黙って。皆には言わないで」


アルトの背後に居るメルクーリオにだけはアルトの背中の状況が見えていた。先ほどメルクーリオを突き飛ばした時に負ったであろう、アルトの背中の傷が、である。


アルトの背中には横一文字に横断する傷が走っており、既に制服を真っ赤に染めていたのだ。それが浅手で無い事は素人のメルクーリオにも痛いほどに理解出来た。


「時間が無いんだ、お願いだから僕の言う通りにして。全員助かったら何でも言う事を聞くから」


メルクーリオはこの時初めてアルトが口先だけで仲良くしようなどと言っていたのでは無いと悟った。アルトは、この貴族は、本当に、命がけで庶民の自分を守るつもりなのだ。馴れ合おうとはせず、ずっと頑なな態度で接していた自分を、である。


メルクーリオは生まれて初めて貴族に尊敬の気持ちを抱いた。貴い一族と言われる意味を、肌で、心で感じ取ったのだ。


ならば、メルクーリオにもはや選択肢は存在しなかった。


「……分かった、俺はただの足手纏いだ。アルトの邪魔にならないように逃げるよ。だから……絶対に帰って来いよな!」


メルクーリオは決意を見せ付けるように、手にした『治癒薬』をグッと一息に飲み干した。


「うん、絶対だよ。僕の先生は約束を破るのが大嫌いなんだ。……ジェイ、ルーレイ、エリオス先輩、後はお願いします」


「お前は本物の大バカ野郎だよ!!! ……だから言っても分からねぇんだろうから、ちょっとだけ待ってやがれ!!!」


「アルト……すぐ、すぐ戻るから、絶対絶対絶対にすぐに戻ってくるから!!!」


「……か、勝手にしろ!! せっかくの俺の忠告を無視しやがって!! お前なんか、お前なんか……っ!!」


三者三様ではあったが、全員がアルトの作戦に同意したその時、ドラゴンの口から場違いな欠伸が漏れた。




「くあぁ…………んふ、シャハハ。いやぁ、何とも人族のガキらしい、救いようがないほど愚かなやり取りだったな? 何か面白ぇ事でもしてくれんのかと思ったら、結局この小さいのを残して逃げる算段かよ? こんなチビ助がこのアラマンダー様相手に一秒だって持つと本気で思ってんのか? シャハ、シャハハハハハハハハ!!! ……本気で逃げられると思ってんなら笑えねーな。もう死ねよお前ら」




「全員走れ!!!」


「ラナティ!」


「やあっ!!」


幾つかの事が同時に動き出した。ドラゴンが顎を引き、アルトが号令を掛け、メルクーリオは一番近くに居たジェイに向かって飛び、エクレアの合図でラナティが矢を放つ。


思い切りアルト達を舐めていたドラゴンはラナティの矢が真っ直ぐに自分の目を貫くコースを描いている事に僅かに動揺してしまった。別に命中しても蚊に刺された程度のダメージしか受けはしないが、見下している人族相手に僅かでもダメージを負う事はドラゴンの誇りが許さなかったのだ。


その誇りがアルトから視線を切るという結果を生み、アルトの攻撃の好機を作り出した。


「うおおおおおおおおおッ!!!」


体のダメージから最大限に『勇気ヴァロー』の効果を引き出したアルトが首を振って矢を叩き落すドラゴンに、腰の剣を抜いて猛然と突き掛かった。ドラゴンもまさかひ弱な人族の子供が突撃して来るとは思わず、予想を遥かに上回る速度で迫るアルトの剣先がドラゴンの瞳に吸い込まれる。


「ガアアアアアアアアアアアアッッ!!!」


絶叫というに相応しい大音響に3年生が腰を抜かしかけたが、ライハン、エクレア、エルメリアの3人がその隙を見逃さずにメルクーリオの班員を見つけ出し、急いで前線から引きずり出した。


「アルト、ヤバイと思ったらお前も逃げろよ!!!」


「うん、分かってる!!!」


メルクーリオに肩を貸すジェイは最後にアルトに一声かけ、全ての迷いを振り切って来た道を戻り出す。ジェイの頭の冷静な部分はこの状況を受け入れていたが、そうではない、まだ血気盛んな子供の部分は悲鳴を上げていた。


(俺が、冷静だと!? そんなモン、クソッ喰らえ!!!)


今すぐ引き返してアルトと共に戦いたかった。既にジェイにとってのアルトとは、それに値する存在にまで膨らんでいたのだ。友達を、親友を見捨てて逃げるくらいなら死んだ方がマシだとすら思った。


だが、肩に掛かるメルクーリオの重さが、アルトに託された命の重さがジェイに逃走を選ばせた。そして何より、誰よりもアルトを大切に想っているルーレイがアルトの願いを聞き、逃走を選んだのだ。自分がそれを無碍に扱う訳にはいかなかった。


「ジェイ、お前……」


「喋る、な、メルクーリオ、ブッ殺すぞ」


ジェイの瞳は知らず知らずの内に涙で濡れていた。前に涙を流したのがいつだったか思い出せないほどに、久方ぶりの涙であった。


「アルトは死なねぇ、死ぬはずがねえ!!! だから俺は泣いてなんかいねえ!!!」


「……」


メルクーリオには何も言う事が出来なかった。勿論、謝る事すらも。


だからメルクーリオは心の底から目に見えぬ存在に祈りを捧げた。どうか、あのお人好しの貴族を助けて下さいと、何度も何度も強く祈り続けたのだった。

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