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神様になる前にもう一つ世界を救って下さい  作者: Gyanbitt
第七章(後) 聖都対決編
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7-105 野外実習5

その頃悠は一年生の末尾の辺りで周囲を警戒していた。軍人としての経験から、悠にとっては慣れ親しんだ仕事であると言っていい作業である。


周囲の子供達はそんな悠を横目にチラチラと盗み見ては話し掛けたそうにしているのだが、下手な教師よりも威厳に満ち満ちている悠に話し掛けるというのは、まだ13歳程度の子供にとってはかなりハードルの高い事であった。


前方からシュルツが悠の下に馳せ参じたのはそんな時であった。


「師よ、任務中に失礼致します」


「シュルツ、何かあったか?」


仕事中にシュルツが理由もなく持ち場を離れるとは思っていない悠はすぐに何事があったのではないかと思い至り、シュルツに尋ねた。実際の所、シュルツは悠がその場を死守しろと命じれば死ぬまでその場所を守り続けるであろう。


悠はシュルツを伴って少し生徒達から距離を取った。


「一応、警戒の為にお伝えしておこうかと思いまして。上空の黒い鳥が見えますでしょうか?」


「ああ、特徴的な鳴き声の鳥だと思っていたが、何かの魔物モンスターか?」


「いえ、そういうわけでは無いのですが……あの鳥はガロガと言いまして、ある地方ではまがつ鳥として忌まれている鳥なのです。凶鳥にして凶兆という事なのですが、そう言われる理由は決して迷信ばかりという訳でもありませんので……」


無言で続きを促す悠にシュルツは説明を続けた。


「ガロガは生涯に渡って殆ど住処を変えないのです。餌が豊富にある森の奥に巣を作ると大抵はそこで一生暮らします。ですが、危険に関しては非常に勘が働きまして、その時は即座に巣を放棄して安全な場所に移るのです。殺気や人の気配にも敏感ですので、この様な街道沿いで目にする事は滅多にありません」


試しに上空のガロガに向かって殺気を放つと、ガロガは即座にその場から飛び去っていった。


「ふむ、なるほどな。つまり、シュルツはこの近辺に危険があるかもしれんと?」


「気の回し過ぎだとは思うのですが……。魔物の討伐で深く森に入り込んだ冒険者に追い出されたり、他の獣の仕業という可能性の方がずっと高いのは確かです。拙者も慣れない任務で神経質になっているのかもしれません」


「いや、よく知らせてくれた。俺も一層気を付けて事に当たろう。ご苦労だった」


「では拙者はこれにて」


報告が済むと、シュルツは再び先頭へと戻っていった。


(レイラ、スフィーロ、どう思う?)


(私の感知に引っ掛かる範囲じゃ何とも言えないわね。スフィーロ、あなたは?)


(下らぬ迷信の類だと思うが? 所詮は獣だ、一々気にしていては雲の形ですら警戒せねばならんぞ)


シュルツの慎重さも理解出来るがスフィーロの言葉にもまた一理あった。ガロガの警戒心が過剰だという線の方がずっと確率としては高いのだが、悠としては強者のスフィーロの余裕よりも危険に敏いシュルツの細心さに引っ掛かるものを感じていた。


死地を潜り抜けて来た者には独特の第六感とも言うべき物が働く事があり、シュルツもまたガロガを通して迷信などではない何かを感じ取ったのかもしれない。


(一応、現地に着いたら俺達は独自に動いて周辺を再調査だ。ガロガが森を縄張りにしていると言うのなら、特に森を中心に調べるとしよう)


と、そこで悠に近付いてくる人影があった。悠がそちらに顔を向けるとその人影は一瞬気圧されて足を止めたが、気合いを入れ直して悠の前へ歩み出た。


「あ、あの、少しお話ししても構いませんか?」


「俺は構わんが……君の仕事はいいのか?」


「今まで荷車を引いていました。今は交代しましたので……それに、その分の荷物を持つって事で班の連中の許可は貰ってます」


「ふむ、君の名は?」


「メルクーリオです、ユウ様」


それは貴族嫌いの少年、メルクーリオであった。




街道を歩きながら、メルクーリオは悠と肩を並べて小さく語り出した。


「……ユウ様は庶民なんですよね?」


「ああ、冒険者としてのランクはあるが無位無官の身の上だ。王宮での仕事を円滑に進める為に自由爵などとは言われていても何の権益も持ってはいない。恐らくはこれからもずっとな」


「そうですか、良かった……あ、べ、別にユウ様が栄達しないのを喜んでるんじゃありません!! ただ、尊敬出来る人が貴族なんかにならなくて良かったと思って……」


慌てて付け加えるメルクーリオはどうやらユウに尊敬の念を抱いているらしい。しかし、後半部分に暗い感情が透けていたので、悠はその事を尋ねた。


「君は貴族が嫌いなのか?」


「…………嫌い、じゃないです。俺は、貴族が大嫌いです。あんな奴ら居なくなっちまえばいいのに……!」


メルクーリオの言葉には単なる憎しみではなく、憎悪と称するべき毒に満ちていた。


「何故そう貴族を毛嫌いしているのだ? 理由がなければそれだけ深くは憎めまい。話せば楽になるかもしれんぞ?」


「……」


メルクーリオはしばし逡巡したが、やがて周囲に聞こえない声量で呟く様に語り出した。


「……俺の母さんはジェイと同じで娼婦でした。……でも、父親は…………貴族、です。いえ、でした」


メルクーリオは二度、過去形で両親を評した。


「母さんは、あんまり頭が良くなくて……俺が貴族の血を引いてる事を素直に喜んでました。私に何かあってもお前は父さんを頼ればちゃんと生きていけるって。俺もバカでガキだった頃はその言葉を信じてたんです。一度も会った事のない父さんだけど、俺達が本当に困った時はきっと助けてくれるんだって。そんなはず無かったのに……!」


メルクーリオの拳はいつの間にか強く握り締められていた。


「……母さんは俺が8つの時、流行病に掛かったんです。絶対に治らない病気じゃ無かったけど、治すにはとにかく金が必要で……周りの人達も出来る限り助けてくれたけど、全然足りなくて……俺、どうしようもなくなって、母さんから聞いていた父さんの家に行ったんです。金さえあれば母さんは助かる、父さんは貴族だったら一杯金を持ってるはずだから。でも……」


怒りを堪える為か、それとも涙を堪える為か、メルクーリオは強く握り過ぎて震える拳の強さのままに言葉を続けた。


「……確かに父さんはその家に居ました。俺は必死で父さんに言ったんです。母さんが死にそうだから助けてって……。そしたら、アイツ、銀貨を一枚取り出して、俺に投げ付けて……に、二度とこの家に近付くなって……! それは手切れ金だって!! 畜生! 畜生ッ!! あ、アイツの中では、俺達母子の価値なんて銀貨一枚しか無かったんだ!! バカな俺は手切れ金の意味だって知らなかった!!」


メルクーリオの声は感情と共に自然と高まったが、既に聞こえているはずの生徒達にも反応を許さない悲哀に満ちており、堪え切れない涙が一筋、その頬を伝った。


「でも、一番悔しかったのは、そんな糞みたいな金でも俺には捨てる事が出来なかった事で……! 薬や医者に掛かる金でウチには全然、金なんか無くて……!! だから俺は薬も買えないその金で、母さんの好物を買って、帰って……か、母さんは美味しいって言ったんだ!!! あんな薄汚れた金で買ったつまらない食いモンを美味しいって言ったんだ!!! でも俺にはそれ以外母さんを喜ばせる方法なんて分からなかったんだ!!! なんでだよ!!! 貧乏人は悪い事してなくてもずっと貧乏なまま母さんみたいに死ななきゃならないのかよ!? あのクズ野郎は貴族ってだけで浴びるほど金を持ってたのに!!! 誰も救わないクセに貴族なんて言うなよ!!!」


メルクーリオの悲しみはいつしか周囲に伝播し、女生徒達は忍び泣きを漏らしていた。一部の貴族の生徒もメルクーリオの心情に感じる物があり、苦い表情で俯いていた。


悠は何も言わず、ただ無表情でメルクーリオが落ち着くのを待っていた。


「……アイツはユウ様達がこの国を変えてくれたお陰で貴族じゃなくなりました。一度、俺の所にも来ましたよ。「メルクーリオ、助けてくれ。私達は親子だろう?」って……。ジェイとライハンが止めなけりゃ殺してましたね。殴り倒して血塗れになったアイツに手切れ金の銀貨を投げつけて……後はどうなったか知りません。知りたくもない。……これが、俺が貴族を嫌いな理由です」


「そうか……」


悠は懐からハンカチを取り出すと、メルクーリオに差し出した。メルクーリオも自分がいつの間にか泣いていた事に気付き、恐縮しながらもハンカチを受け取り、涙を拭った。


「なるほど、君は人を恨むに足る十分な理由があるようだ。しかし、それは些か筋違いと言わざるを得ん」


悠の言葉にメルクーリオの目が吊り上がったが、悠は言葉を止めない。


「君が憎んで居るのはその父親だった男であって、貴族では無いだろう? 何故全ての貴族を悪と断ずる? 他の貴族にも君は何かをされたのか?」


「き、貴族なんて皆同じに決まってる!! 結局最後は俺達を見捨てるクズなんだ!!」


「違うな、君は悲しみの深さ故に混同しているのだ。そしてその事を君は気付いている。気付いていて尚恨み深き故に認められないのだ。君にとってそれを認める事は、ひいては父親を認める事になると誤解しているのだ」


悠の指摘にメルクーリオは咄嗟に反論する事が出来なかった。悠の言葉はメルクーリオ自身の欺瞞を鋭く抉っていた。


「この国を救った俺達と言ったが、その中には当然ルーファウス陛下やフェルゼニアス学長が含まれている。彼ら無くして改革は有り得なかったし、正当な裁きの下に君の父親を断罪したのも彼らであると理解していよう。理解しているからこそ君はあえて表現を曖昧にしている。恨みの対象を貴族全体に拡大して憎悪を正当化しようとしている。それは俺には筋違いだと思うが?」


「そんな……そんな事……!」


「母上の助かった、助からなかったという二元論で語るのなら、君は周囲の支援してくれた者達すら憎まねばならなくなるぞ。出来る限りの事をしてくれたとはいえ、結局君の母上は亡くなってしまった。銀貨1枚しか出さなかったその男とその人々の違いは消極的な悪意と積極的な善意、それしかない。その人達を憎まない為に、君は尚更その男を憎まなければならなかったのだ。……学は無くても君は敏い子だ。だからこそ今もこうして苦しんでいるのだろう。しかし、もうその憎悪から解放されても良いのではないか?」


「…………」


己の感情の正体を丸裸にされ、メルクーリオは声も無く俯いてしまった。


悠の手が隣を歩くメルクーリオの頭に乗せられた。


「若くして亡くなった事だけを抜き出せば君の母上は不幸だったかもしれん。しかし、君の母上自身はどう思っていたかな? 助けてくれる周囲の人々や、自分を必死に看病してくれる息子をこれ以上ないくらいに有り難く思っていたのではないか? ……金は金だ。それ以上でも以下でもない。だからこそ君の母上は君が買って来てくれた食べ物に感謝し、美味しいと言ってくれたのではないのか? それはそんなにも不幸で、救われない事なのだろうか?」


悠も同じく幼くして母を失っているが、死せる母が不幸であると思った事は無かった。凄惨な死に様であっても、母は恨み言を遺言としなかった。ただ、残される家族に一言謝っただけだ。


「人は必ずいつか天に召される時が来る。避けられない死を不幸と捉えるのなら、人は必ず不幸の内に死ななければならない。しかしそれではあまりに悲しく、そして救われない。恨み言を吐いて死んでいく、或いは生きていくのでは人は何代を経ても決して幸福にはなれない。この世が不公平で救われないと思うのなら、君が立ち上がって見せればいい。その為に学ぶ場所はもう既にあるのだ。母上の死をただの不幸で終わらせたくないのなら、そろそろ立ち上がって歩き出しても良いのではないか?」


「……本当は、分かってたんです……」


悠の手から伝わって来る温かさにメルクーリオは遂に折れた。その熱から、求めても得られなかった父親の厳しさと優しさを感じたから。


「フェルゼニアス学長のお陰でこうやって学校に通えて、メシも寝床の心配もしなくて良くなって……その息子のアルトだって、きっと悪い奴じゃありません。でも、でも、それを認めたら、俺、貴族に負けた事になるんだって……! 母さんの死を穢す事になるんじゃないかって……!!」


再び流れ出る涙をメルクーリオは悠のハンカチで拭い取った。


「でも、違うんですね? 俺がいつまでもこうやって貴族を恨んでる事が、一番母さんの死を不幸にしているんですね?」


質問に対して悠は言葉を返さなかった。ただ頭に乗せた手でメルクーリオを撫でただけだ。しかし、メルクーリオにはそれだけで十分に伝わっていた。


「……ずっと貴族を恨んで生きて来ましたから、俺もすぐには態度を変えられません。……でも、無闇に貴族に突っかかる事は、もうしません」


「やはり君は敏いな。最初は出来る事からでいい。君が幸せな人生を送る事を、俺は願っている」


「はい! ……あ、は、ハンカチは汚しちゃったので、洗って――」


自分の涙で濡れたハンカチを手に右往左往していたメルクーリオだったが、悠は首を振った。


「そのハンカチは餞別にあげよう。もし挫けそうになったらそのハンカチを見て今日の日を思い出して欲しい。その純粋な思いがあれば君は何度躓いてもきっと立ち上がれるさ。そうだろう、メルクーリオ?」


悠に初めて名前を呼ばれ、メルクーリオの体が感動に震えた。


悠の空いている方の手が握り拳としてメルクーリオに差し出された。これは誓いだ。男と男の誓いの儀式だ。


メルクーリオも握り拳を作り、悠の拳に押し当てた。それは大きく硬い、大人の男の拳だった。


いつか自分もこんな人間になろうとメルクーリオは心の中で誓いを立てた。


どこか遠くで母が笑ってくれている気がした。

メルクーリオの生い立ちでした。あまり鬱になり過ぎないように気を付けましたが……

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