閑話 この子にしてこの親あり5
事態が進展する前にアルテナの手によって事件は早期に終息をみる事になった。
「アルテナ、それにルレイン。アンタ達が居てくれたお陰で従業員も客も怪我をせずに解決出来たよ。改めてお礼を言わせておくれ」
「いえ、床を血で汚してしまってすいません。素手だとあの人数を制圧出来る自信が無くて……」
「ハッ、その程度は嫌ってほど染み着いてるよ! ここはお上品な酒場じゃないからね!」
「流石アリアおねーさん、アタシちゃんの活躍も見ててくれたのねん」
アルテナが斬り込む際『氷針』で支援したのは当然ながらルレインであった。朱音ほどの精度や速度は出せないが、一塊になっている相手に行使する分には問題はないし、室内で使う魔法のチョイスとしても最適な魔法である。
「大丈夫アルテナ! 怪我とかしてない!?」
「本当に大丈夫ですよ、ミラさん。だから泣かないで下さい」
救出されたミラも怪我は無かったが、先ほどからその顔は涙に濡れっぱなしであった。今日だけの臨時の新人であるアルテナに危険な真似を押しつけてしまった罪悪感が一番大きいのだが、決してそれだけではない負い目があった。
「わ、私なんて、トロくって、アルテナみたいに、綺麗じゃないし、危ない目に遭うなら、私で良かったのに……!」
「馬鹿言ってんじゃないよ!!!」
ミラの自分を卑下する発言にアルテナが口を開く前にアリアンロッドの怒声が響き渡った。
「ひっ!? 女将さん……」
「いいかいミラ、この店で預かってる限り、ミラもアルテナも他の誰でも等しくアタシの娘みたいなモンなんだよ!! 顔の造作なんか関係あるかい!! もう一度そんな事を言ってみな、そんときゃ嫌ってほど頬をぶって誰だけ分からないようにしてあげるからね!!」
「お、おかみさぁん……!」
恐ろしい剣幕で言い放った後、アリアンロッドはミラを優しく抱き締めた。
「無事で良かったよ、本当に……」
「う……うえええん!!」
アリアンロッドが優しくミラをあやしている間にも状況は変化していた。
「アリア姐さん、無事か!?」
息を切らせて店に飛び込んで来たのは裏社会の顔役であるメロウズであった。その背後にはいかにも荒事に慣れていそうな男達が続いている。
「あら親分、お早い到着ね。今終わった所ですよ」
「そう皮肉らんで下さいよ姐さん。話を聞いてすっ飛んで来たんですから。それに親分なんてやめて下さい。姐さんは俺の姉さんみたいなモンじゃないですか」
「いやいや、本当に早かったと思ったから言ってるんだよ。それに親分こそ姐さんはやめとくれ。下の人間に示しがつかないだろう?」
「参ったな……姐さんにゃ敵わねぇや」
苦笑して頭を掻いたメロウズだったが、倒れている強盗達を見つけるとその目が急速に凍てついていった。
「どこの田舎モンか知らねえが、このミーノスでおかしな真似をしてタダで済むと思ってんじゃねぇぞ……」
「おい、メロウズ」
殺気立つメロウズは背後から掛けられた声に苛立ったまま振り向いたが、そこに居た人物を認識して表情を改めた。
「こ、こりゃダランドの御隠居! ご無沙汰しております!」
「挨拶はいらん。それより、そこの奴らの処理はワシに任せてくれんかの? ……情報を絞るならヘイロンよりワシの方が適任じゃろ?」
「ですが、御隠居がわざわざ……」
「この店はワシの贔屓でな。こういう馬鹿がまた出て来ると敵わんのじゃ。ルレインちゃんも怖い思いをさせられたしのう……構わんな?」
最後に一瞬解き放った濃密な殺気はメロウズの怒りを弾き飛ばすほど強烈な物であった。
「……分かりました、お任せします」
「うむ、お前さんの所の若いのを借りるぞ。ワシの家に運んでおいてくれ」
メロウズは部下に命じて強盗達を縛り上げると、あっという間にその場から運び去っていった。
「さて、ワシは帰るわい。またの、ルレインちゃん」
「うん。アタシちゃん、今日は臨時で入っただけだからもう会えないかもしんないけど長生きしてねっ!」
「今の言葉だけで100まで生きられるわい。じゃあの」
ダランドも少し寂しそうな笑みを浮かべて帰って行った。裏社会の人間には裏社会の人間にしか分からない悲哀があるのかもしれない。
「……で、一体誰がこんなに手際良く事を収めてくれたんだい?」
気を取り直して尋ねるメロウズに、アリアンロッドはアルテナとルレインの手を取ってメロウズの前に引き出した。
「この子達だよ。特にこのアルテナは『剣舞の妖精』なんて呼ばれてる剣の達人でね」
「あ、アリアさん、その名前で呼ばないで下さいよ」
「ほ、う……それは感謝しなければならないな」
アルテナを目に留めたメロウズはその美貌に目を見開き、有らん限りの精神力を振り絞って優しげな仮面を被るとアルテナの手を取った。
「あの……」
「ありがとう、美しいお嬢さん。アリア姐さんは俺の大切な人なんだ。何か欲しい物があれば何でも言ってくれ。君の願いを叶えてあげるよ」
そう言ってアルテナの手に口付けをすると、顔を引きつらせるアルテナの背後でアリアンロッドは肩を震わせて笑いを堪えた。
「く、くくく……」
「ねーねー、アタシちゃんも頑張ったんだけどぉ?」
「ん? ああ、ゴメンゴメン、君もありがとう……はて、どこかで会った事があったかな?」
「やぁだぁ~メロウズさんたら! 今どきそんな古典的な口説き文句じゃ女の子は口説けないゾ?」
「いや……うん、そうだな、俺の気のせいか。ありがとう、勇敢なお姫様」
そう言ってルレインの手にも口付けをするメロウズを見てアリアンロッドはいよいよ腹を押さえて必死に笑いを堪えた。
「お姫様じゃなくて王子様だっての! プクククク……!」
「あ、アリアさん、堪えて下さい!」
「とにかく、店の修理や掃除の金はこっちで持たせて貰うよ。俺は今晩中にしなけりゃならない事があるんでまた今度!」
来た時と同じくらいの慌ただしさでメロウズ達は引き上げて行った。
「残念だけど今日はこれで店じまいだね。ほら、動いた動いた!」
アリアンロッドが手を叩くと、ようやく一区切りついたと判断した客や従業員が動き始めた。そこに裏方に回っていたジェイやライハンもようやく表に出て、アルテナ達に駆け寄って来た。
「ったく、お前のお人好しは筋金入りだな。相手がただのチンピラだったからいいようなものの、手練れだったらその内怪我じゃ済まないぜ?」
「人質から簡単に得物を放す様な程度だからこそだよ。ちゃんと勝算があってやった事だから」
「済まん、礼を言うぜ。あいつらミラに怖い思いをさせやがって……次があったら俺がぶっ殺してやる!」
「大変だったんだぜ、ライハンの奴、頭に血が上って飛び出そうとするからよ」
ミラが人質になっていると知ったライハンは即座に飛び出そうとしたのだが、ジェイは冷静に場を見極め、ライハンを押し留めていたのだった。
「ま、俺も礼は言っとくぜ、ありがとよ」
「いいよ、皆無事で良かった」
そう言って微笑むアルテナをジェイは目を閉じたまま、顔を鷲掴みにした。
「だーかーらー、お前はその顔でこっち見んな!! またライハンが鼻血を出したらどうする!?」
「俺が鼻血を出して帰って来たのはコケたからだ!!! 断じて興奮したからじゃねえ!!!」
「痛い、痛いってばジェイ!! もうちょっと優しくしてよ!!」
「誤解を招く様な発言をするんじゃねえ!!!」
「うふん、アタシちゃんも結構イケてるじゃん? 鼻血出る?」
「違うモンが出そうだよバカヤロー!!!」
和気藹々と和む一行の頭に連続してゴンゴンと鈍い殴打音が響いた。
「くっちゃべる暇があったら働きなガキ共!! アタシは贔屓なんてしないんだからね!!」
アリアンロッドに一喝され、アルテナ達は弾かれた様に片付けに戻ったのだった。
「今日はご苦労だったね。そんなに入ってないけど今日のお給金だよ」
「そんな、いいですよ!」
「ダーメ。労働には対価があるのが大人の常識ってモンよ。ちゃんと受け取りなさい」
「……分かりました、ありがとう御座います」
アリアンロッドから手渡された革袋をアルテナは丁寧に受け取った。思えば普通の仕事をしてお金を稼いだのはこれが初めての事だ。女装をして仕事をするのが普通の仕事なのかどうかはさておき、給仕自体は普通の仕事であるはずだ。その革袋の重みは初めて悠に貰った討伐報酬の重みに似ている気がした。
「それで、どうだった? 人に見られてるってのを嫌ってほど感じたんじゃないのかい?」
「ええ、それはもう。男で居る時は遠慮がちだった視線が、この恰好をしていると凄く直接的でしたから。……男の人って本当に大体はまず顔を見て、胸を見て、そしてお尻を見るんですね……」
「そうだろう? 可愛いモンだよ男なんて。欲望丸出しだからね!!」
「……ライハン……」
「お、俺に話を振らないでくれ!!」
「じーちゃんでも確かにそうだったにゃ~。むしろボケたフリして触って来るし~。お盆で叩いちった」
アルテナとルレインの答えにアリアンロッドは笑い声を上げた。
「ハハッ、女は他人に見られ慣れてるからね! だけどこれで違う視点から自分を見るっていう意味も少しは分かっただろう?」
「はい、最初はどうなる事かと思いましたけど、タメになりました」
「ほほぅ……つまり、これからもたまにウチで働きたいと?」
「そいつぁウチとしちゃ助かるな! アルテナ目当ての客がわんさと押し寄せそうだぜ!」
「か、勘弁して下さい!! タメにはなりましたけど、こんなに恥ずかしい思いをするのはもうゴメンです!!」
「アルテナちゃんになってくれるんならアタシちゃんは別にいいけどにゃ~」
「ルーレイ!!」
「ナハハ、めんごめんご! ……これで目指すべき方向性は分かったしね……」
誰にも聞こえないように呟いたルレインの笑顔は大層黒かった。
結局、その夜は全員でジェイの部屋に雑魚寝する事になり、多少の雑談の後、皆アルコールや仕事の疲労ですぐに深く寝入ってしまった。
「……ん……」
ふと、未明にジェイは尿意を感じて目を覚ました。このまま朝まで我慢してもいいが、とりあえず気分よく眠る為に用を足そうと決め、床に転がる友人達を踏まない様に気を付けて用を足しに行き、起こさない様にそっと部屋に戻った。
「すぅ……すぅ……」
「くか~……」
「……んぐ……俺は、ミラひとすじだぁ……」
(ハハッ、ライハンの奴、夢の中でまでうなされてやがる)
おかしさを堪えて自分の布団に戻って胡坐をかき、ジェイは隣で眠るアルトを見た。
窓から差す月明りに照らされるアルトの寝顔は普段よりもあどけなく、化粧を落としていてすら性別の壁というものをあまり感じさせなかった。
(ホントに……嘘みたいに綺麗な顔してやがる……)
思えばこの同級生に会ったのが大げさでは無く自分の人生の転機だった様に思えた。恐らく、アルトが居なければ早晩自分は問題を起こし学校には居られなくなっていただろう。もしかしたら食堂での一件で死んでいたかもしれない。
ジェイも貴族は嫌いだ。威張るだけで何の貢献もしない奴らなど死ねばいいと思っている。しかし、それはアルトと出会った事で変わり始めていた。庶民が善人ばかりでは無い様に、貴族もまた悪人や低能ばかりでは無かった事をジェイは知った。担任のオランジェは素直に尊敬出来るし、理路整然として揺るがない学長のローランには共感を抱ける。だが、そう考えられる様になったのはこのお人好しの同級生が居たからだ。
そう思える様になってから心に余裕が出来た。エルメリアの様な貴族意識でガチガチに固まっている人間に対してでも拒絶ではなく寛容の心を持って接する事が出来る様になったのだ。これはジェイ自身、昔の自分であれば考えられない事であった。
多分、アルトは遠からず居なくなってしまう。……居なくなって「しまう」と考えている事自体が、自分がアルトと離れるのを惜しく思っているのだと、ジェイは自覚していた。
(……何の悩みもねぇ顔して眠りこけやがって。もし俺やライハンが妙な気を起こしたらどうすんだ?)
アルトの寝顔はどこまでも安心しきったものであった。それだけ気を許しているのか、それとも誰が側に居てもこうなのかジェイには分からない事であったが、自分があまりにも馬鹿馬鹿しい事を考えていると思い、頭を振った。
(俺ともあろう人間が何を馬鹿な事考えてんだか。きっとライハンのバカがバカみてぇに動揺すっからうつったんだな。そうに違いねえ)
ジェイはアルトから無理矢理視線を引き剥がすと、あえて背を向けて布団に横になった。
(アルテナ……か。……フン、アホくさ)
月の綺麗な夜の、一夜の幻だ。
ジェイは体の向きをもう一度変えると、今度こそもう一度眠る為に目を閉じたのだった。
閑話の体を取りつつ、今後にも繋がる流れでした。
4/19、1000字ほど加筆しました。何となく加えたくなったのです。




