閑話 この子にしてこの親あり4
「いらっしゃいませ」
「おう、今日もたらふく……ぐあっ!?」
(((またか……)))
本日10人目の犠牲者が酒場の床に転がった瞬間の他の客の感想であった。あれからしばらく時間が経過したが、アルテナが迎えた客はまず100%その美貌に見惚れ、入り口の段差を忘却して床を這う羽目になるのだ。罪な美貌というより、それはもはや瞬間的な魔法に等しかった。
「アルテナ! もうアンタは客を迎えなくていいから!!」
「は、はい」
これ以上は店の評判に傷が付きかねないと危惧したキキがアルテナを下がらせた判断は間違っていないだろう。
さて、給仕をやる事になったからには適当に流してサボるという選択肢はアルテナの中には存在しなかったので、今居る客から注文を取る為にテーブルを見回し、酒の無くなりそうなテーブルに歩み寄る。
「あの……お代わりはいかがですか?」
「はいっ!? あ、あ、あ、ありがたく頂きます!!!」
「はい、ご注文承りました」
笑顔笑顔と頭で思い浮かべ、実際に顔にも笑顔を浮かべると、その周囲の客も凄まじい勢いで酒を喉に流し込み始めた。
「ングッ! ングッ! ングッ! ……ブハァアアア!!! あ、あ、あ、アルテナさん、こっ、こっちもお代わり下さい!!!」
「はい、少々お待ち下さいね」
「ゼェ、ゼェ! こ、こっちもだ!!」
「はい、ご注文ありがとうございます」
その度に一々注文客に笑顔を振りまくものだから、何とか皆その顔を近くで見ようと、店の中に異様な雰囲気が巻き起こっていた。
俄かに殺気立つ店の奥ではアリアンロッドがニヤリと口の端を吊り上げて呟く。
「予想以上ね……ミラ!! アンタは追加の酒を仕入れて来な!! 今日はどうやら修羅場だよ!!」
「は、はいっ!」
「キキ、潰れた客は宿のベッドにぶち込んでおきな! この分だと、じきに店は満員どころの騒ぎじゃなくなっちまう!」
「了解です!!」
テキパキと従業員に指示を出すアリアンロッドは確かにやり手の経営者であった。そして、どこからか広がった口コミで30分もしない内に店内は満員となり、外にはアルテナを一目見ようと長い行列が出来始めたのだった。
一方、ルレインも予想以上に上手く給仕の仕事をこなしていた。……特定層に限るが。
「やー、今日はいい日だのぅ。女神様みたいな女子を拝めたし、ルレインちゃんもめんこいしのぅ」
「じーちゃん、あんまり飲み過ぎはイカンぜよ? ホレ、水を恵んじゃるき~」
「おうおう、優しいのぅルレインちゃんは。どうじゃ、ウチの息子の嫁にならんか?」
「じーちゃんの息子だともう50過ぎじゃ~ん。アタシちゃん、好きな人とはなるべく長く居たいからダーメ」
「そうじゃのう、そりゃルレインちゃんが可哀想じゃのう」
「ならワシの愛人にならんかの? ワシどうせすぐ死ぬし、死んだらワシの財産全部ルレインちゃんのモンじゃよ?」
「そんな愛のないのはヤダな~。お金とかいいから長生きしてよじーちゃん!」
「……そんな風に言って貰えたのはいつぞやぶりかのう……なんだか孫が出来た気分じゃよ……」
「あーもー泣かんといて~。ただでさえ皺くちゃなのに干からびちゃうじゃん! はいお水!」
老人には言葉を飾らないルレインが好評であった。あまり飲まず食べずの老人では金にならないかと思いきや、下町でも評判のこの酒場には割と裕福な商人や元冒険者、それに引退した裏社会の人間なども出入りしているのだ。本職の給仕の人間でも緊張する大御所も居たりするのだが、それに全く臆さず接客出来るルレインは非常に可愛がられ、飲食代とは比べ物にならないチップと信用を店に置いて行くのであった。
「凄いですね、あの子……ダランドさんが泣いてるのなんて私見た事無いですよ」
「泣く子も黙る高利貸しだったものね。アタシが小娘の頃はそりゃあ恐ろしかったよ。不始末をしたらダランドの所に叩き売るぞ! ってよく脅されたモンさ。中々いい働きをするじゃないかルレインも。っと、キキ、アンタの本命さんだよ、アルテナに誑かされる前にちゃんと掴まえておきな」
「本命? あっ、ペイル!」
「ようキキ。今日はヤケに人が多いな、何か店でやってるのかい?」
そこにキキに求婚中の冒険者であるペイルがパーティーメンバーと共にやって来た。仲間達も店の喧騒に驚いているようだ。
「えーっと……アレ」
「ん?」
何故か恐る恐るキキは接客中のアルテナを指差した。自分の指が震えている理由がキキには分からなかったが、アリアンロッドは何かを察したようで軽く目を閉じた。
「うわ……スゲェ美人だな、妖精みてぇだ……」
ペイルの口から漏れた言葉にキキの手が握り締められたが、ペイルの言葉はそれだけだった。
「それでこんなに人が多かったのか。ま、いいや、いつものを頼むよ。今日は中々入れなくて皆腹減っててさ」
「え……あの、それだけ?」
「ん? もっと何か頼んだ方がいいか?」
「そ、そうじゃなくて!! アルテナさんを見た感想!!」
「いや、美人以外の感想って言われてもなぁ……」
キキの質問の意味を測りかね、ペイルは困った様に頭を掻いた。
「あ、あんなに美人なんだよ? 私からあっちに乗り換えようとか思わないの?」
「思わない」
ペイルの返事は即答であった。答えてからキキの質問の意図を悟ったペイルは優しい笑顔を浮かべ、言葉を重ねた。
「確かにあの子は美人だよ、性格も良さそうだ。でも俺が好きになったのはキキだからさ。初めて会った美人に簡単に乗り換えるほど俺は節操無しじゃないし、軽い気持ちで求婚した訳でもないんだけどな」
はにかんで語るペイルの言葉はキキの心を貫いた。ペイルの気持ちはそれなりなどという軽い物ではなかったのだ。
「キキ、男はイイ女が好きさ。だけどね、皆が皆同じ人間を好きになる訳じゃないんだよ。高嶺の花は綺麗だけど、野に咲く花だって捨てたモンじゃないさ。アンタに惚れた男はアンタがいいんだよ。それが本気かどうかくらいは分かってやるのがイイ女ってモンじゃないかい?」
「女将さん……」
キキの目から涙が溢れ出した。
「ペイル……私でいいの? 本当に後悔はしない?」
「しない。俺は妖精よりもキキと一緒になりたい」
「バカね……でも、きっと私の方がバカだ……だって、凄く嬉しいんだもん……」
「それじゃあ……!」
「はい、末永く宜しくお願いします」
「やったーーーーー!!!」
キキの承諾の言葉にペイルは仲間の下に駆け出し、肩を抱いて喜びを露わにした。
「俺は結婚するぞーーーーー!!! 俺とキキを結び付けてくれた妖精に乾杯っ!!!」
はしゃぎ回るペイルに仲間達は最初戸惑ったが、どうやらリーダーの結婚が決まったのだと悟ると一気に祝福ムードになった。
「良かったね、キキ。大事にして貰うんだよ。そしてアンタも大事にしておやり」
「はい!! 女将さん、今日アルテナさんを連れて来てくれてありがとうございました!!」
間接的にではあったが、アルテナのお陰でここに新しい一つの夫婦が誕生したのだった。
深夜を回る頃、まだ店内は満員であったが流石に注文のペースは落ちていた。それでもアルテナもルレインも疲れた素振りを見せずに働き続けており、途中からのんびり場所を占拠していられなくなったジェイや、何故か鼻血を出して帰って来たライハンも今は裏方として働いていた。
「お、女将さぁん、あの2人って本格的に雇えないんですか? とんでもない戦力ですよ!」
フラフラになったミラにそう言われてもアリアンロッドは首を振るしかない。
「今日だけの特別さ。こんなの毎晩じゃ今の人数じゃ体が持たないよ」
「残念だなぁ」
心底勿体無いという表情で話すミラもそこそこに、アリアンロッドは酒場に漂う微妙な気配を感じ取ってた。
(……妙だね、首筋にチリチリと来るこの感覚……)
治安が良くなる前からこの場所で数々の修羅場を繰り広げていたアリアンロッドの勘が正体不明の気配を感じ取っていたのだ。喧嘩程度は日常茶飯事だが、これはもっとタチの悪い何かだ。
「あ、注文みたいなんで行ってきます」
アリアンロッドがその正体を掴みかねている間に遠くのテーブルの手が上がり、ミラがそちらに駆け出して行った。
そして事件は起こる。
「キャアアアアアアア!!!」
「動くな!!! 全員動くんじゃねえ!!!」
「ミラ!?」
注文を取りに行ったミラを羽交い絞めにして男が首筋にナイフを突き付けていた。事が始まると同時に男と同席だったテーブルの者達も即座に武器を手にして周囲を固める。
「ひっ、ひぇぇええ!!」
「おい、この女の命が惜しかったらこの店の売り上げを持って来な!!! 早くしねぇとまだ若いまま首と胴が永遠にさよならする羽目になるぜ!!!」
アリアンロッドは思わず舌打ちしたい気持ちを必死に堪えた。押し込み強盗とは古典的だが、この所の平和に油断していた事は間違いない。しかもこの街で凶行に及ぶという事は恐らく王都の人間ではないだろう。そんな足の付きやすい犯罪を犯せば今や統合されている裏社会が黙っては居ないのだ。だが、だからこそ説得も恫喝も本気に取られない可能性が高かった。
「……キキ、今日の売り上げを全部持って来な。急いで!!」
「は、はい!」
店の奥の金庫にキキを走らせたアリアンロッドだったが、その間も必死に頭を回転させていた。一時の金よりもミラの方がアリアンロッドにとっては大事だが、ここで金を渡してもミラが助かる保証も無いのだ。
そこでふと視線を移したアリアンロッドの目に自分を見つめて来る者が居た。アルテナである。
「……」
「……」
無言だが、アルテナはアリアンロッドと目が合うと小さく頷いた。ジェイから聞いた話ではアルテナは、アルトは文武共に比類ない成績であるそうだ。何か策があるのかもしれない。
躊躇う時間は残されていなかった。何より、そんな事前の知識よりもアリアンロッドはアルテナの視線の強さを信じ、小さく頷き返した。
「あの……」
「動くなって言ってんだろ!!」
「私と代わって下さい。人質なら誰でもいいでしょう?」
アルテナが言い出したのは人質交換であった。男達はアルテナの全身を舐める様に見回し、確かにこちらの方が価値がありそうだと結論を出したのか、顎でアルテナを近くに来るように呼びつけた。
「……いいだろう、だが、おかしな真似をしたら命はねぇぞ!」
「はい、分かっています」
男達を刺激しない様にアルテナは両手を上げてゆっくりと男達に近付いた。
「あ、アルテナぁ……」
「大丈夫です、ミラさん。危険ですから下がっていて下さいね」
アルテナを羽交い絞めにしたのを見計らって男達はミラを解放し、背中を突き飛ばした。倒れそうになるミラを周囲の客が受け止め、背後に隠す。
「へへっ、とんでもねぇ余禄が手に入ったな! オラッ、金はまだか!?」
と、アルテナを羽交い絞めにしていた男がナイフでアリアンロッドを指した瞬間、アルテナは動いた。
「ふんっ!」
「ぐあっ!?」
「ルレインッ!!」
「あいよぅ!!」
男が皮の靴を履いているのを予め確認していたアルテナが思い切り男の足を踏み砕いたのだ。骨まで砕けるその威力に手が離れ、その拘束から抜け出したアルテナが男を後ろ足で背後に蹴り飛ばすと、前もって決まっていたかのようにルレインが酔い潰れている冒険者の剣を掴んでアルテナに放り投げた。
男を蹴った反動で宙を舞ったアルテナが剣と受け取り、鞘から剣を抜き放つ。あまりいい剣ではないが、とりあえず切れさえすれば問題は無い。
今のアルテナの恰好は給仕用のドレスである。このままでは動き辛いとアルテナはスカートの横に手にした剣で切れ込みを入れると一気に深いスリットを作り上げた。
「このまま大人しく捕縛されるなら痛い目を見ずに済みますが、どうしますか?」
「な、舐めやがって!!! その綺麗な顔を血塗れにしてやるぜ!!!」
相手が女一人と見て取った強盗達がその手の得物で一塊にアルテナに殺到しかけた。が、あと一歩という所で強盗達を迎えたのは冷たい氷の針であった。
「『氷針』!」
「ギャッ!?」
「イテェ!!!」
「な、魔法だと!?」
ダメージはあまり無いが、脳天まで響く痛みに強盗達の足が止まる。しかし、そこに居る人物の事を強盗達は一瞬忘れてしまっていた。
「ぐわっ!!」
「がっ!?」
アルテナは強盗達との距離を詰めるとその足や腕に深い傷を与え次々に行動不能に陥れて行く。その手際は惚れ惚れするほどで、加勢しようとしていた冒険者達もその剣の舞に魅せられて立ち竦んでいた。
テーブルが点在する狭い店内でスカートを翻しながらアルテナの剣は血風を巻き上げる。翻る度に強盗達は一人、また一人と床に崩れ落ちて行くのだ。そこはもうアルテナの独壇場であった。
縦横無尽に駆けるアルテナの剣が最後の一人に吸い込まれ、その意識を刈り取ると、静まり返る店内に誰かが漏らした呟きが響く。
「『剣舞の妖精』……」
「ああ……強く、儚げで、そして美しい……まさに『剣舞の妖精』だ……」
「勝ったぞ!! 『剣舞の妖精』アルテナが勝ったぞ!!!」
鬨の声の様な歓声が上がり、皆が口々にアルテナの名を謳い上げた。
「「「アルテナ!!! 『剣舞の妖精』アルテナ!!!」」」
「……変な二つ名がついた……」
ただ一人、アルテナだけが剣を鞘に納めながら微妙な顔で溜息をついたのだった。
ただ一夜限り、気紛れの様に下町の酒場に現れた『剣舞の妖精』アルテナの名はやがて芝居や歌となって流布していくのだが、それはまた別のお話。
記念すべき200万字目の更新が本編ではないという(笑)
次で閑話は終わりです。




