閑話 この子にしてこの親あり1
ちょっと本編は一休み。少し下世話で結構コメディー、そして少しシリアス風味なある休日のお話。主役はアルトです。青少年の心に飴と鞭が降り注ぎます。
「やっぱり急にお邪魔しちゃご迷惑なんじゃないかな?」
いつもの男メンバーで街を歩いていた、フードで顔を隠したアルトが隣を歩くジェイに問い掛けたが、ジェイは手をヒラヒラと振りアルトの発言を流した。
「貴族の先触れじゃあるまいし、家にダチを連れて行くのに急も何もあるかよ。ウチは宿もやってんだからメシくらい構いやしねえっての。お袋だってそんな事を気にする性格はしてねーし」
「せっかくの休みなんだ、外泊許可も貰ったんだから細かい事は考えるなよ。ルーレイなんか全然気にしてねぇじゃねぇか」
ライハンに言われて背後を振り返ると、物珍しそうに周囲を見回すルーレイの姿があった。王宮育ちのルーレイは当然下町に来た事などなく、悠の下に来てからもその機会は無かった。わざわざ危険度の高い下町に子供を連れて行く理由などないからだ。
「ふーん……随分家が密集してるにゃ~。火事になったらどーすんだろ?」
「縁起でもねぇ事言ってんじゃねえ! んなもん周りの家をブッ壊すに決まってんだろ!」
「おい、口には気をつけろよ。ここの住人は気が荒いんだ、バカな事言ってっと絡まれるぞ」
「むぐっ!?」
ジェイの忠告通り、道端にいた男達が剣呑な目つきで睨んでいるのに気付いたルーレイは慌てて口を噤んだ。
「今じゃあんまり悪さをする奴もいねぇがよ、自分達が住んでる場所を見下されて我慢出来るほど善人ばっかじゃねぇんだ。これからは気を付けな。……で、ここが俺んちだよ」
下町でも目立つ場所にジェイの実家は面していた。娼館兼酒場兼宿屋という職業上、あまり奥まった場所では都合が悪いのだろう。
「随分大きな家だね」
「9割方は客の為の場所だから別に俺んちがデカい訳じゃねぇよ。まだ営業前のはずだから入ろうぜ」
素直な感想を漏らすアルトにジェイも謙遜するでもなく事実を口にした。周囲の建物の十倍はありそうだが、実際の居住スペースは裏に建て増しされた離れにあり、特に広い訳ではないのだ。
ジェイは先頭に立ち、店の扉を押し開いた。
「うーす」
「まだ酒場は営業時間外だよ……って、ジェイじゃないか。遂に学校を追い出されたのかい?」
「んなヘマする訳ねぇだろ、モーロクしてんじゃねぇよ」
「こんな若いお母さんを捕まえて何言ってんのさ。一体誰に似てこんな風に育ったんだか」
「ハイハイ、勝手にこんな風に育ったんだよ。一番近くに居た誰かさんに似てな」
ジェイと軽口を叩き合う人物こそジェイの母親なのだろうとアルトは察し、ジェイが紹介してくれるのを待った。ジェイの母親はジェイくらいの年齢の子供が居るとは思えないほど若々しく、息子と同じ色をした髪の間から妖艶な瞳が覗いており、目元にある泣きボクロがその印象に拍車を掛けていた。体つきも弛みではない柔らかさを感じさせ、大胆に晒した胸元はまさに娼館の女主人に相応しい服装と豊満さである。
「んな事はいいんだよ。今日は学校が休みだからダチを連れて来たんだ」
「へぇ、また悪ガキを集めて大将面してんのかい? ライハン、アンタが止めてくれないと困るよ」
「いや、女将さん、俺が何か言ったくらいでジェイが止まる訳ないのは知ってるでしょ?」
「ウッセェ、んな事どうでもいいんだよ。紹介するぜ、アルトとルーレイだ」
ようやく紹介され、アルトはフードを下げて挨拶を返した。
「はじめまして、ジェイの母様。僕はアルトです。ジェイには僕の知らない事をよく……あの、どうかされましたか?」
挨拶の口上の途中であったが、急に立ち上がったジェイの母親に遮られアルトは理由を尋ねたが、ジェイの母親はツカツカとジェイの前に移動すると、前触れ無しでその頭に激しく拳骨を落とした。
「イッ……テェな!! 突然何しやがる!?」
「ジェイ、アタシゃ情け無いよ……ようやくガキ大将から少しはまともになったかと思えば、よりによって何も知らない貴族のお嬢さんを誑かして来るなんて……アタシはそんな事をさせる為にアンタを学校にやったんじゃないよ!!!」
「やっぱ耄碌してんじゃねぇかババァ!!」
「こんなに若くて可愛いババァが居て堪るかクソガキ!!」
「自分で可愛いとか言ってんじゃねーよ年増!!!」
突然始まった親子喧嘩にアルトはしばし呆然としたが、どう考えても勘違いが原因なので慌てて掴み合う2人の間に割って入った。
「ちょ、や、止めて下さい! とにかく落ち着いて!」
「引っ込んでろアルト!!」
「アンタはサッサと帰んなさい!! 一体何を吹き込まれたのかは知らないけど、ここはアンタみたいなお嬢ちゃんが興味本位で来る場所じゃないんだよ!! もっと自分の体を大切にしな!!」
「いえ、ですから僕は……!!」
「ああ……変な男口調を仕込まれちゃって……ま、まさか処女までこのロクデナシに!?」
「ちがっ――」
「アルトの処女は俺ちゃんのって決まってんの!!!」
「決まってないよ!?」
ルーレイまで訳の分からない事を言い出し、いよいよ場が混沌に支配されていく。
「僕は……僕は男だーーーっ!!!」
アルトの魂の叫びが響き渡っても、しばらくの間2人の親子喧嘩は収まる事は無かったのだった。
「アタシの名前はアリアンロッドだよ。長いからアリアさんって呼んでおくれ。オバサンは不許可。……で、済まないね、アルト坊ちゃん。てっきりアタシはジェイが世間知らずの貴族のお嬢さんを誑かしたのかと……。いやぁ、しかし聞きしに勝る美人さんだねぇ!」
「は、はぁ……あの、出来れば坊ちゃんは止めて下さい。ただのアルトで結構ですから」
美人と言われて喜ぶ事も出来ず、アルトは曖昧な返答に留めた。
「嫌がる女なんか連れて来るかよ!! 俺はそういうのは大嫌いだって知ってるだろうが!!」
「はいはい、アタシが悪かったさ。……それにしても、まさかアンタに貴族と王族の友達が出来るとは思わなかったよ」
取っ組み合いで乱れた髪や着衣を直しながら笑うアリアンロッドからアルトは茶を飲む振りをして微妙に目を逸らした。同級生の母親が半分はだけた胸元を直している光景はまだアルトには刺激が強過ぎたのだ。そしてアリアンロッドは貴族だろうと王族だろうと卑屈に態度を変える様な大人では無いらしかった。
「今日帰って来たのはどういう理由だい? その子の筆卸しかい?」
「ブホッ!?」
アルトが茶を吹いた。
「でもまだ店の娘は皆寝てるからねぇ……しょうがない、もう客は取ってないんだけど、ここはアタシが文字通り一肌――」
「ババァがしゃしゃんな!! アルトの※□&(自主規制)が腐り落ちるわ!! 何が悲しくて選り取り見取りのアルトがババァにヤられなきゃならねぇんだよ!!」
「アタシゃまだ28だよ!!」
「俺らからしたら十分ババァじゃねぇか!!」
「ゲホ……も、もういいから喧嘩しないで。それとジェイ、自分のお母さんにババァなんて言っちゃダメだよ。こんなに綺麗なお母さんなんだから」
「お前はお人好し過ぎだっつーの。ボーっとしてっとマジで食われちまうぞ」
「あら、何て正直な子だろうね! 仕方ない、今日はゆっくりしていきなよ。……なんならアタシの部屋に泊まるかい?」
アルトの発言に気を良くしたアリアンロッドはアルトの腕をギュと抱え込み、後半のセリフを耳元で囁いた。甘い香りと耳をくすぐる吐息の感触にアルトの背中にぞわりとした感覚が走る。
「いっ、いえ、その、僕にはまだ早いので、け、結構です……」
「だーかーらー、アルトを誘惑すんなっての!! コイツは何でも出来やがるけどそっちの方面だけは免疫がねぇんだからよ!!」
赤面するアルトをジェイがアリアンロッドから引き剥がした。その隣ではルーレイが「がるるるる!」とアリアンロッドを威嚇しているが、迫力が無さ過ぎて何の痛痒も与えられていなかった。
「ゴメンゴメン、最近こんな初心な子なんて見てなくてね。でも貴族ならある程度は女にも耐性を持っておかないとダメよ? 男の最大の弱点は女なんだから。下手な娘を選ぶとベッドで刺されかねないわ」
少しだけ真面目な顔をしてそう言うアリアンロッドは貴族の諸事情を知る故である。普段は蔑んでいる風を装っていてもこっそりと利用している貴族の顧客はそれなりの数に上るし、情事に付随した陰謀などというのは腐るほど見て来ているのだ。アルトにその辺りを教えてくれる存在は殆ど居ないので、これは貴重な助言であった。
アルトも思春期の男の子であり、全く性欲と無縁ではいられないのは先ほど取り乱した事でも明らかだ。悠を目標にするアルトは誰に対しても全く動じる事の無い悠と比べ、平静ではいられない自分を恥じていた。悠に言わせればそんな風に反応するのが自然な事だと言うだろうが。逆にバローなら散々遊んで免疫をつけろとでも言うだろう。
「あの、アリアさん。不躾で申し訳ないんですが、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「いいわよ、アタシに答えられる事なら」
アルトが真剣に何かを質問しようとしている気配を感じ取り、アリアンロッドも聞きやすいように微笑んだ。
「……どうすれば魅力的な女性を前にしても冷静でいられるのでしょうか?」
これはアルトの割と切実な悩みだった。悠ほど達観出来ずとも、せめて先ほどのようにからかわれた程度で取り乱したくはないとは思うのだ。
「ヤりまくればいいんじゃねーの? イテッ」
率直に答えたジェイの頭に再び拳骨が落ちた。
「アンタは黙ってなさい! ……つまり、アルトは生理的欲求に流されない方法が知りたいのね?」
「はい、そうなんです」
アリアンロッドはアルトの悩みを茶化さずに、顎に指を当ててしばし沈黙し、考えを纏めてから口を開いた。
「フフ、ちょっと嬉しいわ。それってアルトが少しはアタシを魅力的だって思ってくれたって事なのよね?」
「あ……す、すいません!!」
「別にいいわよ。男の視線で女は綺麗になるものだから。女の誉れって奴だわ。ライハンだってたまにアタシの胸とかお尻とか見てるし」
「ブフォッ!?」
アリアンロッドの爆弾発言に今度はライハンが吹いた。
「おい、ライハン……お前……」
「ち、違う!! 俺は女将さんをそんな目で見てねぇ!!」
「黙りなさい小僧。こちとら28年女やってんのよ。男が思ってるよりずっと女っていうのはその手の視線に敏感なの。怒ってる訳じゃないんだから落ち着きなさいっての」
青少年の心に深いダメージを与えてアリアンロッドはライハンの反論を封じ込めた。
「でも、あんまりお勧めはしたくないねぇ……そういう可愛げってのは男にも多少はあった方が親しみやすいと思うけど。アルトは文武両道で生まれも良くて顔も性格も良さそうなのに、この上まだ何かが欲しいのかい?」
少々意地の悪い聞き方をしてくるアリアンロッドの言葉にアルトは首を振った。
「……上から目線の言葉に聞こえて嫌なんですけど、生まれながらに持っていた物に執着はないんです。公爵家に生まれたのも、何不自由なく生活出来たのも、客観的に見て整っている容姿も全てそれは両親から貰ったもので深く感謝はしていますけれど僕の欲しい物は別なんです。僕は……僕の先生に憧れています。ユウ先生は誰にも負けないくらい強く、優しく、そして大きいんです。僕はあんな大人になりたい。ユウ先生は自分の様な人間になるなと再三僕に言いますが、それでも僕の目には先生の生き様はとても眩しく映るんです」
「ユウ……噂の『戦神』かい。なるほど、噂半分に聞くだけでも大した人物だよ。アタシらも少なからず恩恵を被ってる。……でもね、アルト、アンタは眩しさに目が眩んでいるんじゃないのかい? そのユウ先生とやらは良く分かっているよ。自分の生き方が普通の人間の幸福とはかけ離れたものなんだってね。アルトに普通の人間の幸福を残しておいてやりたいと思う先生の気持ちをアンタは無碍にすんのかい?」
「……」
アリアンロッドの追及にアルトは言葉に詰まった。確かに悠はアルトにそんな事は望んでいないのだ。悠という英雄の足跡をなぞりたいだけでその気持ちを踏み躙ってもいいのかとアルトは葛藤に包まれた。
ジェイの母親、アリア登場。ここに入れておかないと入れるべき場所が無かったので。
15でジェイを出産し、現在28歳独身。苦労したせいか芯の強いお母さんです。




