7-99 対談4
「馳走になったな。大変美味であった」
「はい、凄く美味しかったです!!」
ノースハイアの郊外に移動した悠は『虚数拠点』を展開するとラグエル、サリエルと共に外に出た。
「恵の料理は既に達人の域にあるからな」
「その割には最初の料理は手慣れていないようだったが?」
ラグエルは牽制のつもりで放った言葉だったが、そんなもので悠は動揺しなかった。
「さぁな。誰かに手伝って貰ったのだとしても、俺の関知する所ではない」
「そうか。……では、あの料理を作った者達に伝えておいてくれ。美味かった、この味は生涯忘れぬとな」
「……分かった、伝えておこう」
悠は2人をこっそり城に戻す為に『竜騎士』となり敷地の外へと移動したが、ふとその場で悠が振り返った。
「何だ?」
悠の視線を追って背後を振り返ったラグエルとサリエルはその場に釘付けになった。そこには、先ほどまで居なかったはずの人影が並んでいたのだ。それはまだ幼子も含んだ召喚された子供達であった。
屋敷の玄関先に居並び、真剣な表情でこちらを見つめている子供達の目がまるで石化の魔眼であるかのようだ。隣に立つサリエルの足が震えている気持ちが今のラグエルには良く分かった。
しかし王としてラグエルには震える事も目を背ける事も許されないのだ。
自分の野望の残滓とラグエルは真っ向から向かい合った。皆真っ直ぐな瞳をしている。誰もラグエルを恐れて怯む者などいなかった。
「強いな……いや、強くなったのだな……」
その光景は感動的すらあった。夢の欠片はラグエルの手から零れ落ち、今や直視し難いほどの輝きを放ってラグエルの目を灼いていた。
会ってしまった以上は地に這って謝るべきかと考えたが、子供達の目から感じるのは恨みではなく、生き抜こうとする意志であると悟ったラグエルはサリエルの背中に手を当て、一緒にその場で頭を下げるように促した。
「お父様、戻って謝った方が……」
「いいや……もはや我らの謝罪など彼らは求めてはおらんよ。恨みも、そして怒りも乗り越えて今彼らはここに居るのだ。その思いを許されたいが為に汚してはならん」
「ならば何故頭を?」
「謝罪ではない、礼だ。美味いシチューを作ってくれた礼をするだけなのだ」
「シチュー……まさかあれはあの子達が!?」
思わず悠の方を見てもその兜は下ろされていて窺い知る事は出来なかったが、それが何よりも雄弁に真実を語っているようにサリエルには思えた。
それ以上問答はせず、ラグエルとサリエルはその場で深々と頭を下げた。恐らくは礼以外の万感も込めたお辞儀であった。
顔を上げた時にはラグエルは既に王の仮面を纏い、隣のサリエルに語り掛けた。
「サリエル、あの目を忘れてはならんぞ。如何なる時でもあの目が見ている事を意識しておくのだ。よいな?」
「はい、お父様……」
この日、ようやくノースハイアと子供達の確執は終わりを告げたのだった。
2人を送った後、悠は真っ直ぐに一つの部屋を目指した。多分、今日の事で一番葛藤が深かったであろう人物の部屋である。
部屋のドアをノックし、悠は中に呼び掛けた。
「悠だ、入ってもいいか?」
「……悠先生? ちょっと待って下さいね」
中で人が動く気配がして1分ほど待つと中からドアが開かれる。
「どうされましたか? まだローランさん達が居るのでは……」
「ああ。まだ居るが今はお前と少し話がしたいと思ったんだ、樹里亜。一応茶の用意もして来た」
片手の盆に湯呑みを2つ乗せてそう語る悠に樹里亜は微笑んで中に招き入れた。
最近になって年長組の者は個室に移動し、それぞれの部屋で寝る様になっていた。樹里亜の部屋はこざっぱりとしていて無駄な品物が無く、白を基調にした清潔感のある雰囲気であった。机の上に置かれた本もこの世界の実用書が多く、一番端に初心者用の料理教本があるのが女の子らしいと言えなくも無い。
部屋に備え付けてあるテーブルに掛け、一口茶を啜ると悠は口を開いた。
「樹里亜、今日の事は皆で決めた事だったが、無理はしていないか?」
「いえ、別に無理なんてしてませんよ?」
本当になんでもない風に答えた樹里亜だったが、悠は湯呑みを置くと樹里亜の目尻に手を伸ばした。
「あっ……」
「涙を擦った痕に見えるぞ?」
「敵わないなぁ……でも、ちょっと違う意味の涙でしたから……」
悠の指の感触と見透かされた事に照れ笑いを浮かべた樹里亜はぽつりぽつりと自分の事を話し始めた。
「悠先生が来てくれる半年前、今ここに居る子達は誰も居ませんでした。最初は私もパニックになりましたし、散々泣きもしましたけど、私より前に召喚された人達にここで生きて行く為の術を教えて貰ってその日その日を励まし合って生きてきたんです。毎日新しい子が召喚されて、そして居なくなって……私が一番の古株になるまでそれほど月日を必要としませんでした。確か、3ヶ月くらいで私より前に居た子は皆……」
樹里亜は永遠に会えなくなった者達の顔を思い出しているようだった。自分より年上の者は殆どおらず、いつしか古株として召喚者のリーダーのように扱われるようになっていたが、樹里亜の相談に乗ってくれる人物は既に他界してしまっていた。
「そんな時、神奈と直人が召喚されて来たんです。神奈は明るくて強くて、そして強力な才能を持っていましたし、直人は希少な回復魔法の適正を持っていました。私はその2人がやって来た時、上手く行けばもう少し生きられるかもしれないと考えました。私が守って神奈が突撃して、傷付いたら直人が治療して。私達が上手く立ち回れば、全体の生存率も相対的に上げられるはずだって」
樹里亜の考えは間違いではなかった。砲台として使われる子供達は最前線であっても近接戦闘をする者よりは後ろに居るので比較的損傷は少ないし、神奈の継戦能力が増せばその分負担が緩和されるのだから。
「その試みは結構上手くいっていたんです。実際、死んでしまう子の数は減って来て、少しずつ戦力を蓄えて……でも、その少しの油断が命取りでした。私は、戦争の狂気の量を見誤ったんです」
破綻は突然訪れた。いつも通り前線で戦っていた神奈が敵の自爆攻撃で瀕死の重傷を負ってしまったのだ。召喚者のリーダーグループであり、精神的支柱となりかけていた少女の脱落はすぐに結果として現れた。
「……神奈が抜けてからたった2回。それだけの戦闘で私達は壊滅状態に陥りました。それだけ神奈は優秀な前衛だったんです。そもそも、精神的に未熟な子が多い召喚者で前衛で殺し合いに耐えられる子が殆ど居ないんですから当然ですね。私が代わりを務めようとしても守るので精一杯で……一杯、死なせて……」
過去の自分の不甲斐無さを思い出したのか、樹里亜はギュッと拳を握った。
「そして私が悠先生に助けて貰った最後の戦いで直人が真っ先に死んで、皆と離れ離れになって……もう一人監督官を務めていた子ともはぐれて、私は必死で小雪ちゃんを守ろうとしたけど力及ばなくて……生き残ったのはたった3人だけになって……」
そこまで語った所で樹里亜は追憶から立ち戻った。
「でも、正直に言ってラグエル王を恨んでいたかと言われるとピンと来ないんですよね。私達召喚者が一番嫌っていたのはあのクライスでしたし、無茶を平気でさせる前線の隊長達でしたから。それに、ラグエル王がもう以前のような狂気に取り憑かれてはいない事も分かりました。サリエル王女は最初からいい人みたいですし、もう蟠りはないんです。ただ、やっと終わったなぁと思ったらちょっと泣けて来ちゃっただけで……」
「樹里亜」
悠は椅子から立ち上がると樹里亜の肩に手を置いた。
「悠先生?」
「俺はお前に戦闘指揮を任せている。真面目なお前はよく俺の期待に応えてくれた。……だが、日常まで無理に自分を押し込めなくていい。理屈も言い訳もいらん。一人の時くらいは泣きたくて泣いていてもいいではないか。一番長く辛い思いをしていた樹里亜を誰が責められる? 少なくとも、俺は責められんよ」
「……本当に、敵わないなぁ……」
樹里亜は肩に置かれた悠の手を握ると俯いて思いを吐き出した。
「いつか……いつかこんな日を皆で迎えたかった……!! 私が今くらい強ければって、何度思ったか!!! 神奈はすぐ飛び出して行っちゃっていつも心配させるし、直人なんて私を庇って死んじゃって!!! ちょっとは残される人間の気持ちを考えなさいよ!!! 誰も私の前で死なないでよ!!! バカ、バカ、バカ!!!」
樹里亜は立ち上がり、悠の胸に顔を強く押し付けて自らの感情の堰を決壊させた。誰よりも長く戦い、長く生き残った樹里亜はそれだけ多くの別れを経験して来たのだ。しかし、頼られる立場にある者が取り乱す事は出来なかった。悠に習わずとも、樹里亜はそれを自然に身に着けたのだ。或いは、身に着けざるを得なかったのだ。
だがいくら知能が優れていようと、感情の制御に秀でていようと樹里亜はまだ16歳の少女でしかなかった。誰にも頼れない日々は樹里亜の心を摩滅させていたのだ。
「うく……やだな……何で私の心はこんなに弱いんだろう……。悠先生みたいに、何が起こっても取り乱さないようになりたいのに!!! あんなに鍛えて貰ったのにまだ甘ったれた事を言ってる!!! 本当は私が、一番バカで弱いのに……」
「違うぞ、樹里亜」
樹里亜の頭を抱き寄せ、悠は否定の言葉を放った。
「何故戦わなければならない時、皆が樹里亜の指揮に従うと思う? 俺が頼んだから? 判断が的確だから? 違うな、そんな物は既に主たる理由ではないのだ。樹里亜は指揮をする人間が一番必要な物を既に持っているから皆従っているんだ。信頼という、得ようと思っても中々得られない物をな」
泣き続ける樹里亜を胸に悠は言葉を続けた。
「単に戦闘を任せるだけなら俺はビリーなりハリハリなりに戦闘指揮を任せただろう。だが俺が樹里亜を選んだのは、樹里亜が一番召喚された子供達に近しい立場だったからだ。樹里亜なら必ず最後まで知恵を絞り、子供達を守る事に全力を尽くしてくれると思ったからだ。そして事実樹里亜は皆の信頼を得て今も戦闘指揮をしてくれている。今更俺が違う者を指名しても、樹里亜ほどの信頼は勝ち取れないだろう。それはもう強さと言っていいと俺は思うのだがな」
それに、と悠は淡々とした口調で言葉を重ねた。
「皆に言っているが、俺の様になどなってはならん。……自分の父親が目の前で死んでも眉一つ動かさないような人間などになってはいかんのだ。喜び、怒り、哀しみ、笑う。それを樹里亜には忘れないでいて欲しい。いつか自分の世界に帰る日まで情動を失わないでいて欲しい。でなければ俺は樹里亜の母上に合わせる顔が無い」
「悠、先生……」
樹里亜は悠の言葉に悠だけの哀しみを感じたような気がした。感情を完璧に制御出来るとは、実はとても辛い事なのではないかとその時初めて思ったのだ。
「俺でよければ話は聞くし胸も貸そう。一人くらいなら何とか受け止める事は出来るさ」
優しく頭を撫でてくれる悠に対する思慕が父親的存在に対しての物なのか、異性に感じる物なのかは樹里亜には不分明であったが、今だけはこの安らぎに身を委ねようと、樹里亜は悠の胸の中で大きく息を吸い込んだ。
それはどこかお日様の匂いがする様な気がしたのだった。
蒼凪に溜めていた物がある様に、樹里亜にも蓄積された物があるのでした。七章は年長組の内面にも迫る章になりましたね。




