1-53 出発前日1
ようやく出発前日です。
千葉家でシャワーを借り、サッパリした悠は軽い朝食を頂いて真と共に家を出た。
真以外の千葉家の人間とは会う機会が無いかもしれないので、一人一人から握手を求められ、それに応じながら別れを惜しんだ。特に滉は手を離そうと思ってはいるのだが、心が拒否しているのかまるで手が石化してしまったかの様に離れずに泣きそうな顔をして――実際、少し泣いて――いた。
「ゆ、悠様、申し訳ありません。滉は、滉は、しばらく悠様に会えないかと思うと・・・」
そんな滉の頭に悠は逆の手をぽんと乗せて囁いた。
「次に会う日を楽しみにしている。あらゆる意味で、自分を磨くのを怠るなよ」
悠らしい、無骨な言葉だったが、滉は何より嬉しかったらしく、ぶんぶんを首を縦に振った。
「ええ、勿論ですわ! 次に会ったら悠さんが思わず求婚してしまうかもしれませんことよ!!」
「滉は魔性の女だな。俺も気をつけよう。・・・強くなれ」
「ふぐ・・・は、はいですの!!」
悠の言葉に感極まって涙がこぼれそうになった滉だったが、悠に心配をかけまいとして必死で耐えきった。
そんな滉に満足そうな目を向けると、悠は一同を見渡して宣言した。
「神崎 悠、行って参ります」
「「「行ってらっしゃい!!!」」」
千葉家の面々の心からの送別の言葉が朝の空気に唱和した。
悠は官舎に戻ると、買い物で用意した物をまとめて旅の支度を済ませ、部屋の片づけも同時に終えた。
《これで準備は万端ね、ユウ?》
「ああ、あとは・・・今日の晩の送別会だけだ。明日の朝はここを引き払ってから出るからな」
《終わったわね・・・いえ、始まるのかしら?》
「始まりの終わりか、終わりの始まりか。何にせよ、俺にはまだやるべき事が多いらしい。案外、まだ折り返してすらおらんのかもしれんな」
《ユウといると退屈しないわね》
「俺といても楽しい事は無いと思うが」
《もしそうなら、ユウの周りにこんなに色んな人が集まったりはしないわよ。皆、ユウの表面だけじゃ無くて、中身に惹かれているからこそ集まるのよ》
「それは自分では分からんな。俺は無骨でデリカシーも協調性も乏しいとは自覚している」
《まぁ、改善の余地はあるわよ? でも、・・・ふふ、いいわ。本人には分からないものよね》
悠は真実自分は面白味の無い、近寄り難い人間だと思っているが、その言動は苛烈ではあっても酷薄では無く、無骨ではあっても思いやりを忘れてはいない。
それは周囲の人間にもしっかりと伝わっており、悠を表面上の厳しさで敬遠する人間は居ない。口先だけで部下を死地へと送る上官は嫌われるが、誰よりも最前線で戦い続ける悠はその行動で信頼を勝ち取って来たのだ。
「さて、そろそろ出るか。軍部に寄ってから皇居に向かおう。俺も今日で竜将は終わりだ」
《御苦労様でした》
「ああ、ありがとう、レイラ」
時間に余裕を見て、悠は軍部を目指して家を出て行った。
「随分と優雅に日々を過ごしているようだな、悠」
「さてな、戦わない日々を、という訳でも無い。俺に絡んで来る相手が多くてな」
「日頃の行いが悪いせいだな。猛省しろ」
「それだと貴様は寝る暇も無いだろうが」
「ふん、見るべき人は見ているのだよ、神崎君」
「多分、見るに忍びなくて目を逸らしているのだろうな。世も末だ」
いつも通りの下らないやりとりをして、悠は雪人に階級章と身分証明を手渡した。
「これで俺は一般人だな」
「貴様の様な一般人が居てたまるか。いつでも復帰出来る様にしておくから、さっさと帰って来い。俺の部下にしてやろう」
「御免被るな。その時は防人竜将にお願いしよう」
「俺より強い奴が部下では他に示しがつかんのだがな・・・」
ここには悠の後を継いだ匠もやって来ていた。
「年長者が上に立つのは不自然ではありませんよ」
「20年前ならばな。今この国は実力が全てだ。・・・仗ほど突き抜けていてはそれも厳しいが」
「それも今後は変わって行くでしょう。それは轟もそうです。奴の事を頼みます」
「ああ、分かった」
そう言って匠は悠の言葉に頷いた。教官として教え子達を心配する気持ちは常に持っているのだ。
その時、ドアがノックされる。
「千葉虎将です。入室してもよろしいですか?」
「ああ、入れ」
「では失礼します。あ、皆さんお揃いですね」
「ああ、今悠をクビにしてやった所だ」
「ああ、今雪人に絶縁状を叩きつけた所だ」
「貴様らは特練の頃と何も変わらんな・・・」
「ははは・・・」
同じタイミングで相手を謗る二人に、匠は嘆息し、真は苦笑した。
「仲が良いのは結構ですが、そろそろ皇居に向かわれるお時間ですよ」
「真、貴様の目が腐っておるな。『再生』なら早く済ませておけ」
「いやいや、悠よ、これは脳が腐っているのかもしれん。治すなら頭だ」
「・・・二人は性根が腐ってるんじゃ無いですか・・・」
小声でぶつぶつ言い返す真だったが、当然そんな物を気にする二人では無い。
「貴様ら、いつまで馬鹿な事をやっている。陛下をお待たせする訳にはいかん。もう出るぞ」
匠がその場をまとめて、四人は皇居へと向かうのだった。




